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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第七章【奪われた異世界生活】
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第二百六十八話:敗北の後で

 唐突に静まり返った地下墓地の中で、体に取り残された緊張と興奮をほぐしているのは俺だけではない。

 ソラクロは体だけでなく顔も地面に伏して動かず。アクトは肩で息をしながらも、太刀を構え続けている。

 こんな時こそ誰かが言葉を発しなくてはならないし、この場においてその役目は俺だ。


「ソラクロ、敵の気配は、あるか?」


 落した両刃片手剣ブロードソードを拾い、鞘に挿しながら問う。

 口の中は渇き切っているのに妙に熱く、地下の冷たく湿った空気が新鮮に感じられた。


「……は、はい! ちょっと待ってください」


 普段より随分と遅れた反応だったが、犬耳を動かして懸命に気配を探る様はいつも通りだ。


「敵の気配は……ありません……」


 自身無さげな報告に、疑問を投げ掛けようとしてやめた。気配消しの魔法陣を危惧してのことだろう。


「そうか」


 短い間を置き、顔をアクトへ向ける。


「他のみんなはどうしている?」


「ん……プリムラは、そこ。シオンとエイレスは落ちて来たところの広間にいる」


 脱力が上手くいかなかったのか、アクトは身動ぎした後に太刀を床に落とした。

 そこ。と一つ前の部屋の方を指差されたが、プリムラの姿は見えない。シオンとエイレス含め、負傷して動けないと考えるべきだが、先ずは直ぐ近くの負傷者から容態を確認するとしよう。

 主に胴体に響く鈍痛に耐えながら、柱の裏で横たわるコデマリに指で触れる。


「おい大丈夫か? 生きてる……よな?」


 外傷は見当たらないが、目を覚ます気配もない。

 どうしたものかと逡巡してから、両手でコデマリを掬い上げる。


「アクト、楽にしておけ。それとコデマリのことを頼む」


 立ち尽くしたままだったアクトが、柱を頼りに腰を下ろすまでの間にソラクロへと声を掛ける。


「ソラクロは脚以外に痛むところはあるか? 起き上がった方が楽なら手を貸すぞ」


「い、いえ。わたしは大丈夫ですから、他のみなさんを助けてあげてください」


 そうは言っても、いつまでも汚れた地面の上で寝ていたくはないだろうに。だが、手が足りず、状況確認が優先されるならば、ソラクロの言葉に甘えることが正解だ。

 コデマリをアクトに預け、迷路状の部屋に戻ろうとしたところで、腰のベルトに結んでいた角灯ランタンが変わり果てた姿になっていることに気付く。


「あ、くそ……」


 思わず小さな愚痴が漏れたのは、まだ俺の精神も平静を取り戻していないからだ。

 自己分析をして冷静になろうと努めつつ、灯りに使えそうな物を探す。

 先ず目につくのは、広間を照らしている燭台の火だ。しかし、燭台は壁に埋め込まれる形で固定されているので、持ち出すことは難しく、そもそも手を伸ばしても届かぬ高さにある。

 手頃な長さの棒でもあれば良いのだが……地上に出て木片でも探すか? いや待て、プリムラが角灯を持っていた筈だし、近くまで来ているのなら灯りが見える筈だ。


「プリムラ聞こえるか?」


 暗闇に尋ねてから少し間を置いて、小さく「う、ん」と声が返って来た。

 距離が遠いと言うより、発した声そのものが小さいといった感じだ。


「そっちに行く。角灯の灯りを向けて貰えるか?」


「…………」


 反応が無い。

 聞こえている筈だが……怪我で動けないのか? などと予測を立てていると、急に暗闇の中に炎剣が出現し、周囲の空間と、座り込むプリムラの姿を露わにした。


 ああ、そうだよな。プリムラだって戦ったんだ。角灯が割れていたった不思議じゃない。

 自分の考えの至らなさを反省しつつ歩み寄ると、項垂れていたプリムラが顔を上げた。白い肌は赤く塗られ、弱々しい碧の瞳がこちらを見つめる。


「マナよ、我が下に集いて彼の者の傷を治せ。キュア」


 頭部からの出血に驚き、即座に回復魔法を唱えた。

 各々で回復薬を持っていた筈だが、角灯と同じく戦闘の折に割れたか、使い切ってしまったのか。


「頭の他に怪我はあるか?」


「ない……けど、目眩がする」


 血の流し過ぎか、短時間に魔力を使い過ぎたからか、それとも頭に受けた傷が脳に影響を与えたか。医者じゃない俺には判断できないことだ。


「……飲んでおけ」


 雑嚢から取り出した魔力薬を渡す。


「ありがとう」


 お礼を言いつつ、魔力薬ごと手を握ってくる。無下にはしたくないが、まだあと二人、様子を確認しなくてはならない者が残っている。


「……少し、待って。一緒に行くから」


「いや、動かないで座っていろ」


「灯り、必要でしょ」


 自分だって辛いだろうに、どうしてそこまで他人の役に立とうとするのか。


「どうにかする」


 プリムラの手に魔力薬を握らせ、床に落ちていた角灯を拾い上げる。それから一度灯りの点いた広間へと戻った。


 燭台の高さと、両刃片手剣を交互に見、やはり届きそうにない事を確認する。

 雑嚢から有りったけの布類を引っ張り出し、雑に、しかし解けないように両刃片手剣の先へと巻き付ける。それから二つの壊れた角灯に残っていた油を染み込ませる。

 即席松明の完成だ。何分持つかわからないが、これでどうにかするしかない。


 【サーチ】を唱えて迷路状の部屋の構造を把握し、足早に進む。

 これなら行きは松明に火を点けなくても大丈夫だったか、と後悔したのは、初めの広間まで戻れてからだった。


「シオン! エイレス!」


 二人の名前が静寂に溶けるより先に、反応は返ってきた。


「レイホ……?」


 絞り出すような声はシオンのものだ。

 声のした方向に松明を向けると、床を這いながら上半身を起こすシオンと、傍らで倒れているエイレスの姿が確認できた。


「生きてるな……?」


「まぁ、ね。いっつぅっ……!」


 平静を装うとしていたシオンの表情が苦悶に支配される。

 アクトやプリムラと共にオルトロスを追って来なかったことから、負傷していることは予想出来ていたが、現実は俺の予想を越えていた。

 シオンが両手に装備していた杭打拳パイルナックルは無惨に破壊され、両腕からは血が滲み出ている。更に、外れた杭はシオンの両脚に突き刺さっており、床にはシオンが這って移動した事を証明する血痕が伸びていた。


 エイレスの方は気絶しており、鎧を外さねば生身の状態はわからない。だが、兜が割れ、鎧が大きくひしゃげ、鋼鉄の盾は蜘蛛の巣状にヒビが入っていることから、あまりいい状態ではないことは間違いない。


 松明があとどれだけ持つか定かではないし、救援が来る可能性など見込めない。

 渇いた口の中で唾を絞り出し、飲み込む。


「脚を治す。布は持ってるか?」


「うん、あるけど……」


 シオンは首を回し、腰の雑嚢へ視線を送った。


「使うぞ」


 言うや否や、雑嚢を探って布切れを引っ張り出し、適当な大きさに畳む。


「杭を抜く。咥えておけ」


「え、え……」


 困惑と恐怖に怯えた視線が向けられたが、俺はそれを出来るだけ無感情に見返した。するとシオンは無理矢理に心の準備を付けたのだろう。口元に差し出された布を噛み、きつく目を閉じた。

 両刃片手剣を鞘から抜いて地面に置き、火の点いた鞘が地面に接しないように重ねる。


「やるぞ」


 反応を待たずにシオンの左脚を押さえ付け、杭を引き抜く。


「ぅんんっ! んんんんんーーーっ!!」


 溜まっていた血が噴出すると共に、シオンが噛んだ布の奥で悲鳴を上げた。


「うぐっ!」


 激しく悶え、暴れるシオンの肘が俺の鳩尾を殴打する。ただでさえ急所なのだから、負傷した胴体にはきつい。が、俺よりもシオンの方が辛いのだから、と我慢して精神を集中させる。


「マナよ、我が下に集いて彼の者の傷を治せ。キュア」


 回復魔法が施された左脚は淡く光ると、出血と共に徐々に収まっていき、光が消える頃には左脚に開けられた穴は塞がっていた。


「左は治った。次は右だ」


 右脚に刺さった杭に手を伸ばした時だった。シオンが負傷した手で、咥えていた布を取り去った。


「待って、待って! お願い! 続けてやったら死んじゃう!」


 泣き言には耳を貸さない……つもりだったのだが、本当に泣きながら言われたら躊躇いの気持ちが出てきてしまう。


「うっ、うぅぅ……痛いよぉ……」


 我慢していた感情は、一度溢れ出てしまっては直ぐに我慢しなおせない。仮に「右脚が腐るぞ」などと現実を突きつけたところで意味はない……いや、感情を刺激して逆効果になるだろう。

 治療したい俺と、痛みに耐えられないシオン。互いに納得できる結果を得る為にはどうすれば良いか…………俺には答えがわからない。が、どうするべきかは明確だ。


「耐えてくれ」


 肩を叩いて声を掛け、返事を待たずに杭へと手を伸ばす。

 シオンの瞳は恨みに似た様相でこちらを睨んだが、内に沸き上がった怒りを殺すように布を噛んだ。

 血糊で滑る杭を引き抜く。


「ひぃぅっ! うぅぅぅぅあっ! んんんん……っ!」


 跳ね上がる体を抑えながら【キュア】を施し、右脚の怪我も一先ずは治療完了だ。

 ……目眩と頭痛がする。魔力を消費し過ぎたか。

 雑嚢の中にある最後の魔力薬に手を伸ばそうとして、回復薬を手にした。エイレスを回復させるのに魔法は必要ない。

 未だ悶えるシオンの体から手を離し、仰向きで倒れるエイレスから兜を外そうとしたところで、辺りが急に暗くなった。松明の火が絶えたのだ。

 慌てる必要はない。【サーチ】を使えば向こうの広間までは帰れる。

 結局、魔力薬を自分で飲むこととなり、頭の中に続いていた不快な痛みが引いていくのを実感する。

 さて、戻るにしてもどうしたものか。シオンの脚の怪我は治ったが、発生した痛みまで無かったことにはできない。うつ伏せで、声を押し殺して泣く者に歩けとは言えない。そして、俺に二人を担いで行く筋力は無いとなると……一人ずつ運ぶしかない。


「シオン、悪いが場所を移す。先にエイレスを運んで来るから、ここで待っていてくれ」


「うぅ……ううっ!」


 嗚咽を漏らしながら振られた首の方向は横だ。


「直ぐに戻って来る」と言い掛け、寸でのところで止められた冷静さ評価したい。シオンは俺の都合を聞きたくて拒否を示したわけではない。他人の我が儘を制すために、自己の我が儘を押し付けてはならない。

 荒療治の詫び、というわけではない。シオンの要望を汲んでやった方が、俺としても都合が良くなる要素がある。


「……わかった。背中に乗れるか?」


「ぐすっ……ん」


 自分と同程度の身長の者を背負うのは少し手間取るかと思ったが、思いのほか問題ではなかった。立ち上がる際に少しよろけたのは、戦闘で受けた負傷が痛んだからである。

 暗闇の中で【サーチ】を唱え、迷路状の部屋を歩いていると、不意に耳元で謝罪の言葉が聞こえた。


「ごめん。負けたこととか、怪我のこととかで……取り乱しちゃった」


 囁くような声音は申し訳なさと恥ずかしさからか、それとも単純に口と耳が近いからか。


「……謝るならエイレスにな」


「うん。……レイホ、怒ってる?」


「……べつに」


 怒ってはいないが、今の感情を問われても適切なものが見当たらない。強いて言うなら、やるべきことに対して集中しているといった感じか。

 シオンはこれまでより更に小さい声で「そっか」と呟くと、もう一度「ごめん」と謝り、体を俺の背に預けた。






「うわぁっ! あっ、痛っ、全身が痛いッス!」


 起き上がったと思ったら直ぐに倒れて身悶えるエイレスの姿を見て、漸く緊張の糸が緩んだ気がした。

 シオンを運び終えた後にエイレスを運び、甲冑を脱がして全身に回復薬を塗布したが、量が足りなかったようだ。まだ体のあちこちが腫れていたり血が滲んでいたりする。


「はっ! 姫様! 姫様は無事ッスか!?」


 エイレスの中での優先順位は自分の怪我よりも仲間の心配の方が高いらしい。飛び起きてプリムラの姿を見つけると、頭を地面に擦り付けた。


「め、面目次第もないッス! 姫様の盾役を仰せつかっておきながら、無様に倒れた体たらく、申し開きの言葉もありませぬッス!」


 生き残りはしたが、戦闘結果は明らかな敗北だったため、誰もが口を重くしていた。それはエイレスの快活な声音をもってしても変わらないと思われたが……。


「そんなことない。エイレスはわたしのこと、よく護ってくれた」


 澄んだ声にはエイレスへの気遣いすら含まれておらず、プリムラの純粋な気持ちであることが分かった。


「うおぉぉぉぉっ! もったいなきお言葉、身に余る光栄ッス! このエイレス・クォールビット、まだまだ若輩者であります故、これからより一層精進する所存ッス!」


 額の傷が開いてしまうのではないかと心配になるほど、頭を床に擦り付ける。かと思えば、一瞬で気持ちを切り替えたのか、体を跳ね起こした。


「さっ、戦闘は終わったんスよね? だったら帰るッスよ!」


 その通りなのだが、エイレスの高い気力に付いて行ける者はおらず、徐々に静寂が広がる。


「あっ! オレが寝てたから皆さん待ってたんッスよね。申し訳ないッス! 平に、平に!」


 起きたばかりの体をまたもや伏せ、土下座の姿勢を取る。本当に傷が開くから止めてほしいのだが……いつもより喧しいのは、戦いに負けたことを悔いるよりも、生き残ったことを喜びたいという、エイレスなりの気遣いによるものなのだろう。


「……エイレスの言う通り、早く街に帰ろう」


 大きな負傷に対しては治療を行ったが、小さな怪我や、表面に出ていない怪我などはまだいくらでもあるだろう。街できちんと治療を受けなければならない。


「シオンは歩けそうか?」


「あ、うん。歩くだけなら……」


「そうか」


 頬を赤くしたのは、泣き言を言っておぶられたことを思い出してのことだろう。わざわざつつく必要はない。


「なら、ソラクロは俺が運ぶとして……アクト、コデマリはどうだ?」


「全然、反応ないよ」


 上着のポケットから取り出されたコデマリは相変わらず気を失ったままだ。妖精体であるから運ぶのは訳ないが、こうも長い時間目を覚まさないと不安になる。

 戦えそうなのはアクト、エイレス、プリムラの三人か。クロッスまでそう長い距離ではないが、全員が満身創痍の状態なので、可能な限り戦闘は避けたい。


「ソラクロ、悪いが街に戻るまでも周辺警戒を頼むぞ」


「あ……はい」


 何かを頼むと、いつもなら歯切れのよい返事が返ってくるものだが……色々とあったし、足も動かせない状態だから気分が落ち込むのも無理はないか。

 クロッスに帰還すべく各々が立ち上がり、俺はソラクロを背負おう為に腰を下ろす。その時————


「ゲェェェェェェェェェ!」


 耳障りな淀んだ咆哮が一つしたと思うと、それに応じる同族たちの咆哮が続いた。


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