第二百六十七話:異世界の淀み
活力に満ちた村人の姿が見える。財も文明も富んでいるとは言えないが、それでも村人たちは自らの手を動かし、労を厭わずに土地を耕し、種を植える。
異世界人よ、瞳を開け。
変わり果てた世界を脳に焼き付けよ。
異世界人よ、思い返せ。
貴様らの業を。
異世界人よ、弁えろ。
人の身であり、矮小なる我で手にした力であることを。
異世界人よ、返せ。
貴様らは覚えているまいが、我らは世界、命、理、全て奪われたのだ。
異世界人よ、消え失せろ。
手にした力を誇示する為に、白き世界を汚すな。
異世界人よ、知るがいい。
貴様らは例外なく、弾かれた忌み者であることを。
村人が魔獣に食い殺された。潰れ、破れた体から臓物と血を噴き出し、生も望みも絶たれた表情で、それでも憎悪だけは残った表情でこちら睨んだ。
お前らがいなければ、魔獣など生まれなかった。
お前らがいなければ、狂わずに済んだ。
お前らがいなければ、別れることはなかった。
お前らがいなければ、ヒト殺しにならずに済んだ。
土地が、家屋が焼かれ、破壊される。逃げ惑う村人の悲鳴が幾重にも重なるが、救いは無い。惨たらしい死骸だけが増えるのみだ。村人は村のあちこちで殺されている筈だが、どうしてか死骸は俺の前に積み上げられる。
小さな瞳と視線が合うと、瞳の持ち主はぶら下がった顎を落とした。
頭に入ってるのは脳か? 独善の蛆が湧いて糞に塗れていないか?
胸にあるのは心か? 進化の蚤に集られ、乾き切っていないか?
眼窩に入っているのは眼球か? 蟲の抜け殻を詰めて先が見えるのか?
気付くと、綺麗な黒髪と空色の瞳を持つ細身の少女が、大切な誰かを守るように蹲っていた。何人かの子供が少女に縋り付くように抱き付いていたことから、平時の彼女の人望が伺える。そして、絶望的な状況においても気丈に、穏やかに振る舞っていたことも想像に難くない。
結局、少女たちは汚く、残酷に殺された。
誰かが背後から俺の頭を掴み、少女たちの骸へと突っ込んだ。
クズ以下の役立たずで、生まれた世界からも蹴落とされた能無しが、過ぎた力を持っただけで何が変わると思った。何を変えられると思った。否、変わりはしたのだろう。変えられはしたのだろう。結果を顧みず、己の都合が付くままに。
叩き付けられる度に、顔面で臓器を潰す感触が広がる。視界を覆い、鼻と喉に溢れ返るのは少女らの血か、自分の胃液か、わからないまま溺れていく。
俺という存在がひび割れ、意識が遠のく…………。
他者から疎まれ、蔑まれ、罵られ、利用され、裏切られ、世界から切り捨てられたのに、何故まだ生きようとする? 何故世界に関わろうとする? 他者の世界を歪めてまで、自分の存在価値を証明しようとする?
その問い掛けに、血溜まりに沈んだ俺の体と意思が微かに動いた。
「人間なんて、そんなもんだ」
自己を認識し、肯定するために他者を貶める。保身の為なら即座に友を悪に塗り替える。自分の居場所を作るために、元からそこに居た誰かを弾き出す。
くだらないことこの上ない存在だ。…………こんな風に反論しないと気が済まない俺自身も含めて。本当に人間をくだらない存在と感じ、認められることも、居場所も必要としていないのなら、黙って無関心を貫くべきだ。それができない俺は…………本当に腹立たしい。
皮肉なことに、苛立ちによって俺の意識はより鮮明になって行く。
意味の分からない言葉と罵詈雑言を浴びせられるのは慣れているとして…………凄惨な光景を目の当たりにさせられたのは正直辛かった。特に、知っている人間…………に似ている人が殺されるところは。
……ソラクロやみんなは? というより、見せられてるこの村はどこだ? 棺の中にあった本体——死体——を剣で刺したところまでは覚えているが、それからはいつの間にかこんなところにいる。
辺りを見渡すと、いつの間にか無数の死骸も崩壊した村も消えて無くなっており、元の地下の広間へと帰って来ていた。
棺の中の本体は影の様な焼け跡だけを残して消滅しており、暗黒の獣の姿も消えていた。
「レイホさん! 無事ですか!?」
床を這うソラクロの方が明らかに無事じゃない。それと柱の陰で横たわっているコデマリ。広間の奥に来て視界の向きが変わったら簡単に見つけられた。暗黒の獣に踏み潰されていなくてなによりだ。
一先ず二人が生きていることに安堵の息を吐こうとしたのだが、入口から飛び出て来た黒髪と赤い瞳の少年——オルトロス——の姿によって息を呑むことになった。
「お前ぇっ!」
黒いオーラを纏い、激しい怒りの表情で突進して来る。ソラクロがオルトロスの名を呼ぶが、止まる気配は無い。オルトロスは露出した肌に浅い傷を幾つも作っていたが、どれも運動性に支障はないようだ。
他のみんなは?
予測を立てるよりも早く、状況は迫っていた。
両刃片手剣を構えると、オルトロスは床から跳び上がり、柱を蹴って一気に俺の頭上に到達すると、【ランディング】による急降下で踏み潰そうとする。
目では追えても体の動きは緩慢である。それでも紙一重で躱せたのは攻撃範囲の狭さのお陰だ。しかし、続く蹴り上げと回し蹴りには、受けの構えを取ることも出来ずに直撃する。
「がっ……あっ、あぁっ!」
胴体全体に鈍痛が響き、身悶える。蹴り飛ばされた時、両刃片手剣は手放してしまっている。
生きてるんなら痛がってる場合じゃない! 動けよ、直ぐに追撃が……。
言うことを聞かない体に憤るが、体に訪れた浮遊感により感情も思考も掻き消えた。
「オルトロス! やめなさい!」
姉の言葉に貸す耳は無い。
「死ねぇぇっ!」
頭から地面に叩き付けんと振り被る。
頂点で一旦動きが止まった際、ソラクロの視線が合った。泣き顔を見たからといって力が湧く訳でも、別れの言葉が思い浮かぶ訳でもない。ただ、状況に身を流されるだけの存在と化していた。
服を掴む腕に一層力が入り、いよいよ振り下ろされると思った瞬間、犬耳が揺れるように動いた。
「死ぬのは……」
抑揚のない声と共にやって来たのはアクトだ。プリムラの操る風剣に乗り、オルトロスへ突撃する。
「お前だ!」
片手で振りかぶった太刀を一気に振り下ろす。ともすれば俺ごと斬られそうな勢いであったが、オルトロスの反応は早い。太刀の一撃を飛び退いて回避し、担いでいた俺をゴミのように投げ捨てた。
「まだ邪魔するか!」
一歩目から最高速に到達した突進を、風剣から降りたアクトは変わらず片手持ちの太刀で迎え撃つ。両手持ちの武器をわざわざ片手で持つのは、何か勝算があってのこと……と思いたいが、残念ながらそうではない。単純に片手が使えないのだ。
裾の長い上着から覗く左腕は自身の血で赤黒く染まっており、今も地面に滴っている。
体を動かすだけでも激痛が走るだろう、あるいはもう感覚がないのか。どちらにせよ、まともに戦える状態ではない。にも関わらず、アクトはオルトロスの殴打を躱し、躱し……駄目だった。動きの鈍い左側を集中的に狙われ、遂に横っ腹に踵がめり込んだ。
「あ……あ゛ぁっ!」
激痛に顔を歪め……否、鬼気迫る表情は憤りによって作られたものだ。そのまま太刀を薙ぎ払うが、オルトロスは器用に体勢を低くしてやり過ごす。
相手の攻撃を喰らおうと自身の攻撃を続行する【獅子奮迅】によるものだが、いつもと様子が違う。いつもは自分から攻撃を受けに行き、攻撃後の隙に必殺の一撃を放つのだが、今回は躱し切れない攻撃を受け止めるために無理矢理に攻撃へと移ったように見える。
アクトの判断に「どうして」と疑問を抱きかけたが、俺がすべきことは他にある。鈍痛が暴れ回る体を起こし、雑嚢に左手を突っ込む。
「マナよ、我が下に集いて彼の者の傷を治せ。キュア」
アクトの受けた傷に対して、回復量は不十分だが、何もしないよりはマシだ。せめて左腕の出血だけでも止まってくれれば。などと希望を抱いていると、いつの間にか目の前に赤い瞳が映った。
回復役が優先的に狙われるのは戦場の常だ。それを理解していたからこそ、準備は間に合った。
「お前も、邪魔だ!」
体の傾きから右の拳が叩き込まれるのを予測し、拳を【エイム】で狙いを付けて雑嚢に突っ込んでいた左手を体の前に持って来る。
陶器が割れた音と共に骨の折れる音が鳴る。しかし、続く悲鳴の主はオルトロスだ。
「うわあぁぁぁっ! なんだよこれ……手が、焼ける!」
叩き割らせたのは猛毒薬だ。少量付着しただけでも、皮膚が強い炎症を起こす。容器を割った際に拳に傷ができていれば、傷口から猛毒が入り込み、肉を溶かす。
オルトロスに一矢報いることは出来たが、俺の左手も無事ではない。指を二本折られ、手の平は猛毒塗れだ。
慌てふためくオルトロスを視界に入れつつ、アクトを視線で制す。それから雑嚢を探り、猛毒用解毒薬を取り出し、薄赤の液体で猛毒を洗い流す。
「おい、そのままだと手が腐るぞ」
解毒薬を翳して見せると、オルトロスは飢えた獣のような目でこちらを見、飛び掛かって来た。
奴の速度にも膂力にも対抗できる能力値はないし、する気もない。
俺の手から解毒薬をひったくったオルトロスは、直ぐに栓を開けた。
解毒薬を簡単に渡したことで、毒気が抜けてはくれまいかと淡い期待を抱いたが、怒りに燃える赤の瞳によって期待は砕かれた。
「殺す……殺してやる!」
増え続ける憎悪をどうにかしないとこの戦闘は終わりそうにないか。だが、どうする? 唯一言葉を交わせそうなソラクロの言葉は届かない。全快であっても戦力にならない俺と、手負いのアクトだけで撃退できるとは思えない。風剣を操っていたプリムラも近くに来ている筈だが、ここまで姿は見えず、魔法の援護もないとなると、あまり余裕がある状態ではないのだろう。
「アクト、シオンとエイレスはどうした?」
アクトは答えない。いや、答えられなかった。俺の発声を皮切りに、オルトロスが攻めて来たからだ。しかし、オルトロスを押さえたのはアクトでも、ましてや俺でもない。
広間の奥、地上に続く階段から風のように現れた獣が、オルトロスの体を拾い上げた。
「うわっ……と! キメラ!? なんでこんな所に?」
オルトロスを拾い上げ、背に乗せた獣は獅子の頭を持ち、山羊の胴体から伸びる尾は大蛇。まさしく合成獣だ。
「グルルルル……」
キメラは俺たちに睨みを利かせたまま唸り声を上げると、軽い身のこなしで反転、オルトロスを乗せたまま地上へと去って行った。
「おい! ちょっと待て! オレはあいつらを……!」
背中から降りようとするオルトロスだが、大蛇に巻き付かれては流石に逃れられないのだろう。訴えの声は小さくなっていき、直ぐに聞こえなくなった。
唐突に訪れた戦いの終わりに、反応できる者などこの場にはいなかった。




