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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第七章【奪われた異世界生活】
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第二百六十六話:暗黒の獣

 背中に纏わり付く不安や憂俱を振り払うべく足を急がせるが、入り組んだ地形は進行を阻む。右に進んで行き止まり、左に進んで入口に戻り、舌を打ったところで、地形を無視した悲鳴が耳に届いた。


「ぃやあああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 ソラクロの、初めて聞く絶叫。そこに普段の温厚さや戦闘時の覇気は無く、身に迫る恐怖に対して無力であることを訴えるのみだった。

 一刻も早く駆け付けたいと思い、焦りつつも、悲鳴によって刺激された脳は回答を思い出した。


「マナよ、我が下に集いて近傍を教えよ。サーチ」


 初めから使っておけば良かっただろうに、と自分自身に憤慨しながらも、脳裏に刻まれた地形情報に沿って迷路状の部屋を駆け抜けた。

 壁沿いに灯された火の明かりは細かく、頼りないが、広間を見渡すには足りていた。だから、広間に入った俺の目には容赦なく情報が飛び込んで来た。

 不格好な鎧を纏った長身の戦士は、形状は理解できないが、人体の手に当たる部位でもって、倒れ伏すソラクロの脚を弄んでいた。


「あ……や、ぁ…………」


 左脚を酷く捻じ曲げられ、右脚を折られたソラクロは抵抗する気力も体力も残っておらず、嗚咽に似た悲鳴を漏らすのみだった。

 体の奥底から激しい何かが込み上げて来るのが分かる。が、激情に駆られて大声を出したり、武器を振り上げて突進したりはしない。理性で抑え込んだわけじゃない。感情を表に出して爆発させる、そんな熱さは昔、どこかで捨てた。


 鎧の敵はこちらに背を向けたまま、気付いた素振りはない。抜身の両刃片手剣ブロードソードを静かに強く握り締め、足音を殺して接近する。

 釼先が届く距離まで近付いた時、鎧の敵はこちらを振り向くことなく、兜と胴鎧の間から黒い霧状の何か——瘴気を噴出させた。

 得体の知れない物を吹き付けられ、反射的に後退しようとする体を押しとどめ、瘴気を噴出させた際に見えた鎧の隙間へ両刃片手剣を叩き込む。

 人の形をしていながら、刀身から伝わってきた手ごたえは軟体生物を斬ったものに似ていた。赤黒い血肉を撒き散らし、崩れるように落ちた頭部が転がり、兜から断面図が覗いた瞬間、瘴気の爆発が起きた。


「こいつっ!」


 瘴気で生じた爆風は無数の手を模って俺を包もうとする。本能が察知した危機感に、今度は素直に従って後退し、両手を振って瘴気を振り払おうと試みる。だが、瘴気はこちらの干渉を受け付けず、瞬く間に全身を覆われてしまう。吸い込まないように息を止め、目を閉じるも、瘴気は僅かな隙間を、それこそ毛穴からでさえ体内に侵入して来る。


 初めは農夫だった。次に武装した若者。それから背を向ける女性、子供、老人。穴倉で祈る黒髪の姉弟。

 裂かれ、貫かれ、殴打され、叩き潰され、食われ……猛獣の勝鬨が響く中、最後には何事もなかったかのように白い大地だけが残った。


 一瞬で、しかし通り過ぎるとは違う。一場面、一場面が明確に脳裏に浮かび上がる感覚だった。まるで忘れていたことを思い出すかのような————


「っ!」


 違う。俺は覚えてなんかいない。これは瘴気が見せた幻想だ。

 頭を、腕を振るって瘴気を払うと、鎧の敵は斬り落とされた頭部を両手で付け直すところだった。足元ではソラクロが苦痛の呻き声を続けている。一刻も早く敵を倒して回復魔法をかけてやりたいが……行けるか?

 鎧の敵の動きは緩慢だ。だが、のろまというわけではない。急ぐ必要がないと言わんばかりの鷹揚さだ。俺が動きを見せた途端、どんな行動を取るかわからない。

 相手の得物は戦斧バトルアックス細剣レイピアか? あまり見ない組み合わせだが、地面に置いてある内に攻めるべきなのは間違いない。


 両刃片手剣を両手で持ち、鎧の敵とソラクロの間に入り込むように踏み込み、横薙ぎを放つ。速度も威力も平凡の域に届くかどうかの一撃は、振り上げられた手甲によって容易く弾かれた。開いた体の喉元に、横向きの掌が突き出される。

 拘束を振り払う膂力も技量も無く、味方の援護も期待できない状況。掴まれたら終わりであることは自分が一番良く知っている。だから、両刃片手剣を弾かれた勢いをそのままに、身を捻って地面を後転しつつ立ち上がり直せたのは、ほとんど反射的なものだった。


 空を掴んだ手甲は、追撃ではなく地面に置いてあった得物を拾い上げることを選んだ。

 地力に大きな差があるのは理解できた。なら、相手に更なる戦力が追加されるのを黙って見ている理由は無い。相手に釼先を向けながら跳び込み、脇を狙って振り上げた。


「ぐっ……ぅ……」


 俺が両刃片手剣を振り上げた方が早かった。鎧の敵はまだ戦斧を掴んですらいなかった。だが、俺は本能が鳴らした警鐘に従って後退し、左胸から左肩に掛けて傷を負った。噴き出した血の飛沫が敵の甲冑を濡らす。

 落ち着け、傷は深くない。追撃も来ない。雑嚢に手を突っ込み、回復薬サルブポーションを取り出して傷口に流し掛ける。

 傷は……治る。だが、どうする? 俺一人じゃ正面から戦っても勝ち目は見えない。毒は効きそうにないし、飛び散ってソラクロに掛かったら大変だ。煙幕を張って一旦二人を回収したいが……コデマリはどこだ?

 薄暗い部屋へ、素早く左右に視線を巡らすが、望んだ相手の姿は見当たらず、更に状況は悪化する。


「————————ッッッ!!」


 鎧の敵が頭を抱えながら唸り声を上げ…………甲冑の中に閉じ込められていた怨嗟が、怨念が、怨毒が爆発した。

 異形。

 その言葉しか思い浮かばなかった。先ほどまでの人型の甲冑は見る影も無くなり、全身が暗黒の四足獣へ変貌した。四肢の末端と頭部が異様に肥大し、背中からは大樹の枝のような翼が飛び出した。


「なんだよ……こいつ」


 頭の中にある魔物、魔獣の知識を総動員して該当するものがいないか探すも、思い当たる対象は存在しない。

 思わず退いた足を見抜いたのか、暗黒の獣は肥大した四肢を床に叩き付けるように突進を開始した。

 まずい、一旦退いて…………。倒れ伏すソラクロが目に入る。


「くそっ!」


 一瞬震えた脚で——怖いわけじゃなく、後退の為に入れた力を横移動の為に切り替えたからだと自分に言い聞かせる——横に跳び、それでも肥大した四肢で踏み潰されそうだったので前転も追加し、辛くも突進を回避する。

 暗黒の獣が壁に衝突し、地鳴りが足の裏から伝わる。しかし、意識は頭上へ。枝の様な翼の先端が針となって伸び、俺の体を貫かんとして来る。

 目の前の脅威に対し、大きく飛び退こうとする体を理性で押さえ付け、足が地面と離れる時間を限りなく減らした回避行動を取る。時間差で降り注いで来る針に、いつでも対応できるようにするためだ。

 俺の後退を先読みして降り注ぐ針に対しては横へ、横を塞いで来る針には再び後退を繰り返し、どうにか致命傷だけは回避して針の雨を凌ぎ切る。が、その頃には全身に細かな傷が付き、血が流れ出る。

 鎧が無くなり、肥大によって的が大きくなった相手ならばと、回避の傍らに投擲短剣スローイングダガーを三本ほど投げつけたが、残念ながら効果はなさそうだ。壁に激突したことから実体はあると思うのだが、命中した筈の投擲短剣は闇に吸い込まれたように消えてしまった。


「うぅ……う…………」


 ソラクロの呻き声が足元から聞こえて来る。敵の突進を回避したことで、図らずも近くまで来ていたようだ。

 この距離なら、と雑嚢から回復薬を二本取り出し、中身をソラクロの脚へかける。


「ひゃっ!?」ソラクロの体が一瞬跳ね、こちらを見上げる。


 表面の傷は粗方治ったようだが、骨折の方は殆ど回復が見込めない。


「レイホさん…………」


 俺の姿を認めたソラクロは驚き、安堵し、泣き出しそうになりながら、結局次の言葉は口から出て来なかった。


「悪い。話している暇はないっ!」


 旋回した暗黒の獣は俺を狙って再び攻撃を仕掛けて来る。俺が近くに居てはソラクロを巻き込んでしまう。

 部屋の中央に移動した俺を追って、暗黒の獣が瘴気を撒き散らしながら前足を叩き付ける。一撃一撃が必殺の威力を持つ攻撃だ。躱すのが精一杯……だが、躱しているだけじゃジリ貧だ。動けるのは俺一人。俺がどうにかして状況を打開しなくてはならない。俺一人で………………そういうのは望むところだろう?

 自問に嘲笑の笑みを返し、追い詰められた先の壁を蹴って転がり、暗黒の獣の前足を斬り付けながら距離を取った。攻撃の効果は相変わらず見られない。


「レイホさん! 部屋の奥の棺です! そこに本体があるはずです!」


 まだ脚の激痛が続いているだろうに、ソラクロは懸命に声を張った。それどころか、自分も何かしようと藻掻いて悲痛な呻き声を上げる。


「じっとしてろ! ……俺に任せろ」


 纏わり付いて残酷な死を見せて来る瘴気を振り払い、ソラクロの言う棺を確認する。幸いにして位置取りは俺に有利であったので、即座に走り込む。

 人間用にしては大きな棺。本体とやらが何か分からないが、何であろうと破壊する。両刃片手剣を握る手に力を籠めて、蓋が開いたままの棺を覗き込んだ。

 そこにあったのは一人の人間だった。だが、その一人を形作る為に何人の人間が使われたのか、想像したくない。

 棺の中に満ちた血、骨、肉、臓器、皮、毛髪、そのどれもが腐敗していながら、腐敗の度合いは別々であった。

 目にするだけで激しい吐き気が起き、意識が明滅する。

 全身から力が抜け、両刃片手剣を取り落としそうになる。それでも右手が柄を握り直し、両刃片手剣を振り上げられたのは、背後から暗黒の獣の足音が聞こえたから……ではない。遠のいた意識が完全に離れる寸前、俺の名前を呼ぶ誰かが居たからだ。もっとも、それは曖昧な記憶の中での出来事なので、本当に名前を呼ばれたかは定かではない。

 確かなのは、振り下ろした両刃片手剣から伝わる酷く不快な感触と、棺から噴き出した瘴気に全身が飲み込まれたことだけだ。



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