第二百五十八話:変わる世界
オレたちの王がやって来た。
敵と同じ姿をしながら、物知りな王だ。
この世はオレたちの物だと知っている。
オレたちの王がやって来た。
愚者と同じ姿をしながら、知恵のある王だ。
この世は空に浮かぶ色の所為だと知っている。
オレたちの王がやって来た。
暴君と同じ姿をしながら、聡い王だ。
喰われる者を喰う者へと変えた。
オレたちの王がやって来た。
世界を取り戻す為に。
オレたちの王がやって来た。
汚れに彩られた世界を白紙に戻す為に。
オレたちの王がやって来た。
侵略者を排除する為に。
オレたちの時代がやって来る。
土塊の月、一日。
乾いた空気の空には、黄金とは違う、濃い黄色の月が煌々と浮かんでいる。雲が少なく、深さの変わらぬ闇が広がる空を、地面諸共に色付けている。
地に住まう者たちは空を見上げ、毎月の通りに月が替わったことを確かめて各々の生活へと戻り、月が頭上を越える頃には寝床に就く。
いつもの月、いつもの日々だ。
夜闇に紛れ、空を覆う槍が月を突き刺し、深い闇の顎が月を飲み干したとしても、人々は気付かない。朝になり、月の残光が消えた後も、各々の生活を始めるのだった。
武具の音を荒々しく鳴らして森を駆けるのは、パーティ全員が銅等級になったばかりの若い冒険者らだ。クロッス東部の森に出現したゴブリンの討伐依頼を受け、首尾よく標的を見つけだして追い立てている。
「足場が悪くて中々追い付けねぇ! おい、魔法で狙えないのか?」
先頭を駆ける剣士が、追い付けぬ不満を後方の魔法使いにぶつける。
「詠唱で足を止めている間に遮蔽物に隠れられる。無理だ」
直線的な魔法しか使えぬ魔法使いは、ぶつけられた不満を、強い語気で跳ね返す。
「じゃあ弓は?」
「できるならもうやってるって!」
弓使いは悲鳴にも似た声を上げる。数撃てば当たるかもしれないが、技術は未熟、金銭的な余裕は無い。となれば矢の一本も貴重な財産だ。
「あいつを倒せば依頼達成なのに……」
剣士は残るもう一人の仲間へ視線を向けるが、何も言わずに視線をゴブリンへ戻した。槍使いは剣士同様、近接戦しか心得が無いのだから。
小柄ながら器用に草木を躱しながら「グギャグギャ」と鳴いて逃げるゴブリンだったが、不意に右腕を振り上げて進行方向へ何かを投げ、転がるようにして方向転換する。
ゴブリンが何かをした。それを目にして、理解したとして、一体どれ程の冒険者が警戒するだろうか。強力な魔物が棲まう森ならばいざ知らず、この森に棲息する魔物は小物ばかりだ。故に冒険者たちは走る速度を緩めずにゴブリンを追い、そして低い音で空を切る巨大蜂——キラービーの群れに出迎えられた。
「うわっ! こいつ!」
剣士は出会い頭に一太刀を浴びせてキラービーを倒す。銅等級星一と言っても、まともな武器があればキラービー程度に後れを取る事はない。
「厄介なところに逃げられたわね」
槍使いの鋭い突きが、剣士の隙を補う。
「ねぇ、どっちかゴブリン追わないと、逃げられちゃうよ!」
「いや、奥の岩場を見ろ。ここは大規模な巣だ。一旦退いて体勢を整えるべきだ!」
後衛がそれぞれの意見を口にするので、前衛——特に剣士——にとっては余計な情報を詰め込まれたと感じる。
「うるせぇ、うるせぇ! キラービーもゴブリンも倒す、稼ぎ時だ! 援護しろ!」
拗ねた子供のような物言いだが、剣士はこのパーティのリーダーで、ゆっくりと意見交換している状況でもない。後衛の二人はそれぞれの武器をキラービーへと向けた。
「マナよ、我が下に集いて立ちはだかるものを討て。ラピッド!」
詠唱を終え、魔法使いの杖から黄色の魔弾が三つ射出される。魔弾はそれぞれ別のキラービーへ命中し、地に落とした。しかし、魔法使いは魔法発動の瞬間に感じた、脱力感に近い違和感に首を傾げる。
魔法を使用したのだから魔力を消費するのは当然である。だが、下級魔法一回で脱力感を覚えるなど、よほど魔力が少なくなければ有り得ないことだ。
疑問は残るが、今は戦闘の最中だ。魔法使いは次の魔法を発動すべく、意識を集中させた。
「ぐっ……!」
集中した意識が霧散し、背中に激痛と灼熱を感じる。倒れながら振り返ると、みすぼらしい体躯の上に醜悪な笑みを携えた緑の小人がいた。魔法使いは、そいつが振り下ろした物が手斧であると認めた瞬間、この世の者ではなくなった。
魔法使いが倒れたことに気付き、彼の名前を叫ぼうとした弓使いであったが、不運なことに開けた口めがけて石が飛来した。
握り拳ほどの石は弓使いの前歯をへし折り、共に地面へと落ちた。
「っ……!」
冒険者をやっていても経験することが少ない口内の負傷。動転した弓使いは悲鳴を上げることも出来ず、弓矢を取り落として膝から崩れ落ち、両手で口を押さえることしか出来なかった。
「ちょっと、大丈夫!?」
キラービーとの戦闘の合間、後方からの援護が途絶えたことを不審に思った槍使いが、膝を着く弓使いへと駆ける。
どこからか湧いた数体のゴブリンがいるものの、槍で牽制してやれば臆病なゴブリンは散らせる。槍使いは槍を長く持ち、両腕に力を籠めたが、予想外の展開に体を硬直させた。
「グギャァァ!」
槍を持った冒険者が突っ込んで来るというのに、短剣を持ったゴブリンは逃げるどころか弓使いへ掴み掛かって喉元に刃を当てがった。
「こいつ!」
仲間を人質に取られた槍使いは怒りに震えるが、返ってくるのはゴブリンの醜い笑と、その後ろで仲間の弓矢を奪ったゴブリンが矢を番える姿だった。
「グギャ、グギャギャグギャ!」
短剣を微かに押し込み、弓使いの首に血が流れる。一息に突き刺さないところから、槍使いに対して「動けばこいつを殺すぞ」と脅しているのだろう。
槍使いはキラービーと戦っている剣士の名前を呼ぶが、返事は無い。首が転がってくるだけだ。
「あ……」
剣士の虚ろな眼と視線が合った途端、槍使いは自分が……自分たちがここで終わるのだと悟った。
前方ではゴブリンの嘲笑。背後からはキラービーの羽音。何故かキラービーが魔獣化していることなど、もはやどうでも良かった。
「はっ……はは……」
絶望の中どうして最期に笑ったのか。外見と内面が乖離する槍使いを、矢は諸共に貫いて葬った。それから間もなく、弓使いの番だ。短剣の刃がこぼれがちだったり、ゴブリンの筋力が足らなかったりと、弓使いは必要以上に苦しめられたが、最終的には仲間たちと一緒になった。
土塊の月、二日。この日は世界中で多くの冒険者が命を落とした日であり、月の消失が発見された日ともなった。そしてもう一つ、世界には大きな変化が起きていたのだが、それを知覚した者は存在しなかった。世界から街としての姿も歴史も消え去ってしまった白紙の地。ならばその地で何が起きようと、初めからそうだったと認識する以上のことは起こり得ない。




