第二十五話:命の水
ゴブリン三体、マタンゴ十体、ワタマロ八匹の魔石を出した時、エリンさんは「信じられない」と目で語っていた。
「マタンゴのほとんどはゴブリンが倒したのを拝借してきただけです」
「それでもよ! 鉄等級が一人でゴブリン三体を倒すだけでも凄いのに……」
エリンさんは気持ちが昂って言葉が出ないのか、口をパクパクさせたり上を向いたりしている。初めて見る様子に、小さく笑ってしまう。
「とりあえず、先ずは報酬を支払うから待ってて」
「はい」
程なくして、大銅貨九枚と小銅貨二枚を入れた盆を持って来る。
「依頼達成と、魔石の買い取り分よ」
「ありがとうございます」
これで所持金合計は百三十五ゼースだったかな。もう少しで小銀貨一枚貰えたと思うと頑張りが足りなかった感じがするので、今後の目標にでもしておくか。
「作戦の内容は聞いていたけど、まさか本当に成功させるなんて……あぁ、ごめんね。レイホのことを低く見ているわけじゃないのよ」
そんなこと気にしませんよ。と思うが、口にする体力がない。空腹と喉の渇きで死にそうだが、エリンさんはまだ話したそうなのでもう少しだけ付き合おう。足も疲れてるから座っていたいし。
「怪我も……していないわよね? あの能力値、本当に合っているのかしら?」
「エリンさんが測ったくれた能力値ですよ」
真顔で言うと不満感が出てしまうので表情を崩して答える。
俺としても何かの間違いで能力値が間違っていて、スキルやアビリティも隠れていることを願いたい。
「良ければ明日……はあたしが休みだった。明後日、能力値を測り直してみない? 測定が正しかったとしても、今日の戦闘でまた能力値が上がってると思うから、更新しておいて不便なことはないわ」
「そうですね。明後日、依頼を受ける前にでもお願いします」
無料で、大した手間もかからないので断る理由はない。今回は一人で戦闘頑張ったし、エリンさんの言う通りいくらか能力値は上昇しているだろう。
「エリンさん。まだだとは思いますが、銅等級に上がるにはあとどれくらいですか?」
「そうね……鉄等級になってから依頼達成数が最低十は必要だから、レイホはあと二回の達成が必要だわ。その他の条件は、猫の集会とパーティを組めたし、ゴブリンも今日倒したから達成できているわね」
組んだことのない人と組んで依頼を達成する、だったか。自分から声を掛けずに達成できたのはありがたい。知らない人に話し掛けるのは苦手だ。
ゴブリンの討伐も条件だったとはな。討伐推奨が銅星一だから、妥当といえば妥当なところか。
「あとは依頼の数さえ達成すれば昇級ですか?」
「いーえ、そう甘くはないわ。銅等級以上に上がる場合、試験があるのよ」
「あ……」
そうだった。昇級試験があるんだった。むぅ……そう簡単には上に行けないな。
「昇級試験というのは、どんな内容なんですか?」
「一応、対象者以外には教えちゃいけないことになっているけど……魔窟で討伐になる傾向が高いわ」
手招きされたのでカウンターに身を乗り出すと、エリンさんは顔を近付けて「傾向って言うより、あたしが働き始めてからこれ以外出たことないわ」と小声で教えてくれた。伝え終わったエリンさんは顔を離してウインクして見せた。後ろで冒険者連中がざわついた気がするが気のせいだろう。
「試験を受けられるようになったらあたしから声を掛けるから、今まで通り依頼を熟してくれれば大丈夫よ」
「はい。ありがとうございます」
座ってそれなりに休めたのでそろそろ出よう。
受付の脇に立て掛けておいたゴブリンの剣と鎌を持って冒険者ギルドを後にする。ギルドを出るまで、視線がいくつか刺さった気がするが、気のせいってことにさせてくれ。
ちなみに、お世話になった棍棒は、あの戦闘で思いのほか痛んでしまったので廃棄した。
剣と鎌を売りに出そうと思ったが、エディソン鍛冶屋に行く前に食事処兼酒場イートンが目に入る。森から帰ってそのままの格好なので、血やら体液やらが革のシャツとズボンに付着して汚れているから入るのは気が引けるが……。
腹に手を当てると、背中とくっ付きそうなくらいへこんでいる。
窓から店内の様子が見えたけど、結構混んでそうだな。そういえば、夜になると酒場になる感じだったし、もしかしたらもう食事は終わっているのか?
空を見るとぎりぎり夕方……人によっては夜と言うかもしれない。……聞くだけ、聞くだけ行ってみよう。
店の扉を開けると、ほぼ満席なくらい人が座っており、客のほとんどが冒険者風の格好をしている。どのテーブルにも小さな樽みたいな見た目の杯が乗っている。客達は陽気に笑っているし、もう酒の時間になってしまったのか。
酒のツマミぐらいの食べ物はあるだろうが、腹に溜まる物にはありつけないか。
猫背になって腹を押えている俺の所に店員さんが接客しに来てくれた。ケアリーではなく、大人の女性だ。
「すみません。食事を頂ければと思ったのですが、時間帯が悪かったですね」
「お食事ならご用意できますよ。一名様ならば直ぐにご案内できますが」
えっ、食えんの? シメの麺とかご飯物か? 何でもいいや。別の食事処を探すのも面倒だし、ある物を頂こう。
店員さんに案内をお願いすると、カウンター席に案内された。両脇には俺より圧倒的に体格の良い男が座っていて妙に圧迫されているように感じるが、食事する分には問題ないので気にせずメニュー表を見て注文することにした。
メニュー表はやはり酒とツマミがほとんどだったけど、ちゃんとした食事もあった。流石に種類は少なかったが、なんと、いつの日か食べた肉塊もあった。量の多さは知っているので間違いなく空腹は満たされるだろうが、折角だから別の物も食べてみたい。
……名前を見ても分からんな。こうなったら店員さんに聞くか。
「すみません!」
声を張ったつもりが、周りの賑やかな声に掻き消されてしまう。腹に力が入らない。だが、手を上げていたお陰で店員さんが気付いてくれて助かった。
「えっと、ご飯物というか、これ以外で量の多い食事をお願いしたいです」
「それでしたらこちらのフライド・ワィートゥがお勧めです。麦をお肉とお野菜と一緒に炒めた物になります」
ワ、ワィ? 発音が上手く聞き取れなかったが、炒め物なら大丈夫だろう。
「じゃあ、それをお願いします。あと、水を貰えたらお願いします」
「はい。それではフライド・ワィートゥとお水で合計十一ゼースになります」
あ、注文した時にお金払うのか。そして水もお金かかるんだな。
日本と勝手が違うことに戸惑いつつも大銅貨一枚と小銅貨一枚を渡した。
「ありがとうございます。お水は直ぐにお持ちしますが、お料理は出来るまでお待ちください」
店員さんは店の奥、厨房と思わしき所へ行き注文を通したかと思うと直ぐに水差しとコップを持って来てくれた。
念願の水を目の前にすると、喉の渇きが一気に騒ぎ立てた。水差しから杯に注ぐのも煩わしく感じたが、水差しから直で飲むような行儀の悪い事はできない。しかし、欲は強くなるばかりだったので、杯の半分くらい水が溜まった所で一気に飲む。
命を感じた。自分が生きているのだと。
喉を通り胃に落ちて全身に行き渡る水が細胞の一つ一つに教えてくれているようだった。
ただの水が何よりも美味しく感じる。こんな感覚は、学生の頃に徹夜で試験勉強をした時以来か? 始業から休憩無しで残業した時もあったけど、あの時は水の尊さより、仕事から解放された事への喜びの方が強かったな。
過去を思い出しながら水を次々と飲み干していくと、あっという間に水差しが空になってしまった。飲み過ぎたと反省するが、お陰で喉の渇きは癒えた。が、まだもう少し飲みたかったので店員さんを呼んで水のおかわりを貰った。
水のおかわりをチビチビ飲んでいると、お待ちかねのフライド・わ……わいとぅ? ええい、もう発音は知らん。飯が来た。
見た目は……炒飯だ。でかい皿に炒めた麦が山のように盛られていて、肉と野菜が岩のように転がっている。これも凄い量だな。そう思いつつも嫌な気はしない。
ようやくありつける飯にして、久しぶりに串焼き以外の料理に期待しつつ、匙で大きく一口頬張る。
美味い。その一言に尽きる。
味付けは塩胡椒に似た感じのシンプルなものだが、炒められた食材の香ばしさを阻害するものがないとも言える。多めに使用された油は普段なら重たく感じるだろうが、空腹状態だった胃は「もっとよこせ」と猛っている。
戦うと異常なくらい腹減るけど、それで稼いだ金で食べる飯は最高だな。
大食いでも早食いでもない俺でも、料理を食べ尽くすのにそこまで時間はかからなかった。我ながら凄い食欲だと思った。
「ふぁ~。ごちそうさまでした」
水差しの水も飲み切ると間抜けな声が漏れたが、気にしない。店内はもう隣りの席の人と話すにも声を張らないといけないくらい賑やかだ。
こんな風に仲間と一緒に笑い合えたら楽しいんだろうな……。
店内を眺めていると、自然とそんな事を思っていた。いけない、腹が満たされて気が緩んでいた。急がないとエディソン鍛冶屋が閉まってしまう……もう閉まってるかもしれないけど、とにかく急いで行こう。




