第二百五十四話:初心に返る
コデマリが調子を戻してからは特に問題らしい問題もなく一週間が経ち、冒険者として平凡な生活が続いた。変わった事と言えば、俺がコデマリから貰った魔法書で【エクシード】を覚えたくらいだ。だから————
「オレ、故郷に帰るッス」
冒険後の食事の時にエイレスがそんな宣言を口にした時は、思わず聞かなかったことにしようとした。
「あ、あれ、なんで誰も反応してくれないッスか? 無視ッスか? 無視ッスね!? オレ落ち込むッスよ!」
当然ながら話が流れる事はない。エイレスが料理の乗っている卓に身を乗り出し、一同の顔を見渡した。
「何かあったんですか?」
初めの宣言以降、誰が反応するのか様子を見ていたソラクロが小首を傾げて尋ねると、エイレスは暗闇の中で光を見つけたように安堵した表情を浮かべ、腕で目を覆って泣く振りをした。
「うぅ……反応されて良かったッス!」
「切り出し方が急過ぎんのよ」コデマリが溜め息を吐く様に言い、「で、故郷に帰るってどういう意味?」と続けた。
エイレスは直ぐさま泣き真似を止め、説明を始める。
「特に村で何があったとか、帰って来いって手紙が来たわけじゃないんスけど、まぁ……なんと言うか……ランドユーズで色々あったんで、一度初心に帰ろうと思った次第ッス」
ランドユーズでの騒動時、エイトがどこで何をしていたかは本人から聞いている。気に掛けていた少女は救えず、エイトが倒されたことでクラースも消失した。エイレスの中で色々と思うところがあっても不思議ではない。
「わたしたちとはお別れになっちゃうんですか?」
悲しげに眉を落とすソラクロへ、エイレスは両手を振って否定した。
「や、いやいや、ちゃんと戻って来るッス! ただ、故郷はちょっとばかし遠いんで、出発したら……早くとも戻って来るのは今月末になるッスね」
「そうですか! それなら良かったです」
「戻って来る頃には別の守備者が入ってたりして」
朗らかに笑むソラクロの傍ら、口元を隠しながら怪しく笑うコデマリ。
「えっ……そ、そんなことあるッスか!?」
コデマリの表情から冗談であることは明確だが、真に受けたエイレスは狼狽した視線で助けを求める。
エイレスの帰郷について話が盛り上がっている最中、アクトがこっそりと苦手な野菜を除けていたが、シオンに見つかって戻される。そんななんでもない光景を眼に映してから、俺は答えを取り出した。
「可能性が全く無い、とは言えないな。俺の所には妙な経緯で人が集まるようだし」俺の意思とは関係なく、な。
「え、ええ!? そんなぁ……」
俺の冗談か分からない表情で繰り出された冗談を、エイレスはまたもや真に受けて肩を落とした。
こうなることは予想できたので、直ぐに打ち消しの言葉を投げ掛けよう。そう思った俺の脇腹を突く者がいた。
「意地悪は良くない」
口を尖らせるプリムラに「む……」と唸りを返している内に、エイレスは自分で立ち直る。
「いや、仲間が増えるのは結構! 役割が被っているなら張り合いができて寧ろプラス!」
もう人が増える前提の考えになってるけど、べつに俺は人を増やすつもりはないぞ。冗談言ってる間に言う機会を逃してしまった感じがする……。
「故郷はどこ?」
「人間領の南にある、パロゥ村ってとこッス」
名前を聞いても心当たりが無いのか、プリムラは村の名前を口の中で何度か呟いた。
「知らなくても無理はないッス。農地以外はなーんも無いとこッスから」
「そう。…………思い出せるといいね」
「? 何をッスか?」
「初心?」
互いに首を傾げる様子は微笑ましいものだったが、長い時間は続かなかった。
「ああ、そういうことッスね!」
合点がいって大きく頷くエイレスに、プリムラは小さく頷いて返した。
「農村ってことは、飯は美味いの?」
食事を一段落させたアクトが会話に混ざる。目の前の皿の隅には野菜が寄せられており、シオンが半眼で見据えていたが、アクトは全く気にしていない。
「どうなんッスかねぇ……。特別美味い記憶は無いし、色んな料理がある分クロッスの方が隊長好みだとは思うッス」
「ふーん」
「あぁ、でもパンは美味い……かなぁ」
曖昧な記憶を思い出す口調とは裏腹に、表情は綻び緩んでいた。
「なんだか良い思い出がありそうだね。好きな女の子が焼いてくれてたとか?」
酒が入っているからか、シオンの口から、このパーティでは珍しいからかい文句が出て来て、見事にエイレスはクリティカルヒットを受けた。
「そ、そんなんじゃないッス! ただの幼馴染で……好きとか、そんなんじゃあないッス!」
「ふふ……そっかそっか」
自分の望む反応が返って来て満足したのだろう。シオンはそれ以上の追求はせず、ただ嬉しそうに頷いて酒を口に運んだ。
「大切な人がいるんじゃ、アタシらは一緒に行かない方が良さそうね」
コデマリはからかい足りないと言わんばかりに、シオンが作った話題を引き取りつつ話を進めた。
これまでの話の流れからして、エイレスが一人パーティから離脱するような感じだったが、べつに俺たち全員で向かう選択肢だってある筈だ。
「先生までそんな言い方しないでほしいッス!」
「あら、じゃあその幼馴染は大切じゃないの?」
「いや、まぁ……オレはこんな体質なんで、色々と世話にはなったッスけど……」
「なら恥ずかしがる必要無いじゃない。人間ってよく分からないわね」
年頃の男子を苛めるのはその辺にしてやれ。と、心の中だけで声を掛ける。何が取っ掛かりになって話が発展するか分からないし、下手に声を掛けて標的がこっちに映されたら面倒極まりない。
「うぅ……アニキ! さっきから黙ってないで、助けてほしいッス!」
おい、自分で爆弾の被害を広めようとするな。……仕方ない、強引に話題を変えてやろう。
「……くだらん話はそれくらいにしって!」
脇腹をつねられ、思わず身じろぐ。犯人は確認するまでもなくプリムラだ。
「そういう言い方、良くない」
プリムラが本人の意思で喋れるようになったのはいいんだけど、俺の発言を矯正するのはほどほどにしてもらいたい。
「……悪かった」
謝ると脇腹は解放されたが、つままれた感触は少しの間残ったままだ。脇腹をさすりつつ、改めて話題を変えようとするが————
「村へは一人で帰るの?」
アクトに先を越された。
「そッスね。個人的な用事なんで、皆さんを付き合わせるわけにもいかないッスし。南に向かう行商の護衛の依頼でも見つけて向かうつもりッス」
「そんな気を遣わなくても、あたいらは付き合うよ?」
「いえいえ、皆さんはアニキや姫様のために資金を稼ぐという重大な役目があるッス! それに……前のパーティのことも考えたいんで……端的に言えば一人になりたいッス。勝手を言って申し訳ないッスけど」
エイレスは軽く頭を下げて見せたが、彼を咎める者などいる筈がなかった。
「そこまで言うなら無理に付いて行こうとはしないよ。だけど出発までに何か必要なものがあったら、その時は協力するよ!」
「はい。その時はお声掛けさせていただくッス!」
「じゃあ、取り急ぎ……幼馴染ちゃんに気の利いたお土産を準備しないとだから、エイレスの故郷での話を聞かせて」
「姉さん……勘弁してください……!」
「にははっ! 冗談冗談!」
歯を見せて笑うシオンに、気疲れした様子のエイレス。二人を見てほほ笑むソラクロ、意地の悪い顔を隠すコデマリ、話を聞いていないようで聞いているアクト、俺の言動を監視するプリムラ。
魔物を討伐する毎日を送っているのに、この言葉を使うのが正しいかは分からないが……ここには平和な時間が確かにあった。
 




