第二百五十話:謝罪と許し
席を立って廊下を歩いて行くと、プリムラの部屋の前でソラクロが立っていた。
「あ、レイホさん!」
いつもと変わらぬ人懐っこい笑みを見て少しばかり安堵する。何か問題があって部屋の外に立っていたわけではなさそうだ。
「どうして立っているんだ?」
「えっと……さっきまでは部屋の中でお喋りしていたんですけど、プリムラさんがレイホさんと二人で話したいそうなので、外でレイホさんのことを待っていました」
「プリムラが俺と話したいって言ったのか?」
「はい」
ここ数日、一言も声を発していなかったというのに、何がきっかけとなったのだろうか。
「……わかった。話してみるから、ソラクロは自分の部屋に戻っていいぞ」
「はい……えっと、レイホさん……」
扉の取っ手に手を掛けたところで、ソラクロに歯切れ悪く呼び止められた。
「ん?」
「その……先にこれだけ言わせてください。ごめんなさい!」
「え?」
何に対しての謝罪なのか、記憶の中から心当たりを探しつつ質問しようと口を開いたが、言葉が出るより前にソラクロは深く頭を下げ、逃げるように去って行った。
何だ……? 追いかけて理由を聞きたいが…………先にプリムラと話そう。
部屋に入ると、閉め切った室内では空調機が風を吐き出す音だけが漂っており、プリムラは置物のようにベッドの上で座っている。
変わったところは見当たらないが……。
「プリムラ、俺に話って?」
俺の問い掛けを待って、プリムラは伏し目がちな視線を持ち上げた。儚げな碧眼は今にも砕けてしまいそうで、薄く形の整った唇は言葉を発そうとして震えるばかりだ。誰の目から見ても平静でないことは明らかだったが、ここで俺が慌てたらプリムラも更に動揺してしまうだろう。
湧き出る疑問、込み上げる言葉、乱れる心音、それら全てを可能な限り無視し、いつも通り寝台横の椅子に腰かけた。
「……無理に話そうとしなくていいんだぞ。急ぐ必要はないんだ」
気遣いの言葉は強く振られた首によって霧散し、循環する冷風の一部となった。
掛ける言葉を間違えたか。
「……め……なさい……。ごめん、なさい。ごめんなさい!」
崩れ落ちるように頭を下げ、縋り付いたシーツに濃い皺を作りながら謝罪の言葉を繰り返す。
さっきのソラクロといい、俺は何を謝られているのだろうか? 聞きたい衝動は腹の底に沈めるとして、慰めの言葉を掛けるべきか、物理的に寄り添うべきか……。
「……気にするな」
悩んだ結果、許すことにした。何か迷惑を受けた記憶は無いので、何を許すのかという疑問は残るが……プリムラが俺に許しを請うのなら望みを叶えてやろう。べつに、実害を被ったわけでもないしな。
しかし、俺の許しはプリムラの予想から外れたようで、困り顔を浮かべながら頭を上げ、寝台から身を乗り出して来た。
近い……。体重を後ろに掛けてそれとなく距離を取る。
「何も聞かないの?」
「……話したければ聞くし、聞いてほしければ聞く。どっちでもないなら聞かない」
「……なら、聞いて」
「ああ」
頷くと、プリムラは乗り出した身を引き、祈る様に両手を組んだ。
「私、本当は何でもなかったの。意識が戻った時から話せたし、自由に体も動かせた」
「そうか」
「だけど、怖かったから……。もし、私が普通に生活できたら、また置いていかれるんじゃないかって……独りにされちゃうんじゃないかって……。だから、話せない振りをして、動けない振りをして……そうすれば、レイホは傍に居てくれると思ったから」
「そうか」
プリムラの心が壊れていなかった事については安堵して良いよな。ただ、置いていったというのはいつの事だろうか? 実家の事だとしたら、プリムラは帰る事を望んでいなかった? 両親と不仲だったようには見えなかったが……。
「……ソラクロから聞いたよ。近い内にこの街を出て行かないといけないけど、病人は連れて行けないって」
街を出発する日の話なんとソラクロとした覚えはないが……アルヴィンが何か吹き込んだか。ということは、さっきソラクロが謝ったのは、アルヴィンの策に乗ったことに対してか。
鋭くも端整な顔に薄ら笑いを浮かべた奴の顔が脳裏に映ったが、視界の中心に白く細い腕が伸ばされたことで意識を目の前に集中させる。
「お願い。私も一緒に連れてって。ちゃんと、動けるから……騙したことは謝るから…………お願い」
無理をせずとも手が届く距離だというのに、プリムラは伸ばした手を俺の胸の前で止めている。
「独りにしないで。もう、何もかも無くしちゃって、私…………」
村の為に身を差し出し、実験に使われ、強制的に戦わされ、帰って来た故郷は思い出の姿を失っていて、実家を無くし、両親を亡くした。
いっそ自分も失ったものの中に混ざろうと考えても仕方ない境遇だというのに、プリムラはまだ望む事を捨ててはいない。必死に手を伸ばし、願っている。ならば、どうしてプリムラの願いを蔑ろに出来ようか。伸ばされた手を避けられようか。
血が抜かれたように白く、脅えたように震える手を、少し躊躇ってから握る。空調の利いた部屋に閉じ籠っていたこともあるだろうが、小さく柔らかい手はやけに冷たく感じた。
「独りにはしない。もし、アルヴィンたちと出発する日になっても、プリムラが自由に体を動かせなかったのなら、俺はこの街に残るつもりだった」
そして、俺が残ると言ったら多分他の皆も残ると言い出すだろう。
「そうだったの?」
「ああ…………」
控えめに握り返される手の動きを可愛らしいと思った途端、心の奥底から羞恥が湧き上がった。
状況的に仕方ないとはいえ、何で手を握ってんだ? いやいや、状況的に仕方ないのだから仕方ない。っていうか、騒動の最中は必死だったから考えが向かなかったけど、プリムラの体を担いでいた時に変な所を触ったような……いいや、これは気の所為だ。羞恥が見せる幻想であって俺は無実だ。それよりも、今まで気にしてなかったけど薄い寝間着姿のプリムラは危険だ。見た目の良さというのは、それだけで特定の人種に対して暴力になる。……凄い勝手な言い分なのは重々理解しているし、プリムラに触れたのは今回が初めてでもないから慣れろという話なんだけど…………。
「レイホ……!」
内側で勝手に狼狽する人間のことなど誰が構うだろうか。プリムラは歓喜で目尻を滲ませながら俺と向き合うように体の向きを変え、両手で俺の手を強く握った。
「ありがとう……ありがとう!」
何度も感謝の言葉を口にしながら、プリムラの体は脱力して行き、最終的には俺に寄り掛かる様にして泣き出してしまった。
「……ああ」
プリムラを受け止めるために無心でいるよう努めるも、ぼんやりとだが抑えようのない考え事が浮かび上がる。
悲運を背負いながらも誰かに当たる事なく、自暴自棄になる事もなく、生きようとするプリムラは……強いな。プリムラに限った話じゃないが、みんな目的を持って一生懸命に生きている。当然個性はあるが、パーティの……仲間としてお互いを認め合って生きている。本質的に、なんて付けるまでもなく、みんな良い奴なんだ。異世界に来て、適当な理由を付けて冒険者になった俺が後ろめたく感じるぐらいに。
どうしてあいつらの中に俺が居るのか……どうしてあいつらは俺の所に集まったのか……。理由なんてどうだっていいんじゃないか? 理由を聞いたって否定する理由を探すだけだろうに。もう一人にはなれそうにないし、集まってきた連中に対し、俺は何ができるのかを考える方がよっぽど生産的だ。
…………何も無いんだよな。何も無いまま生きて来た俺が、他人に何かを与えられる訳がない。
……わかってる。このままじゃ駄目なことくらい。何も持たない俺がこのままパーティに居たら、きっと奪う事になってしまう。
ぼんやりとしている内に、俺は空いた手でプリムラの背中を摩っており、プリムラは安心し切った顔で俺に体を預けていた。
俺は安心してもらえるような人間じゃないし、本来なら俺の方が謝らないといけない。けど、今謝ってしまえばプリムラは色々な可能性を考えてしまうだろう。この安らかな顔が崩れてしまうだろう。だから、俺は天井を仰ぎながら、声には出さず唇だけを動かす。「ごめん」と。
ああ、そうだ。後でソラクロも宥めてやらないとな。
これにて五章【生と死の異世界生活】完結です。
ここまで読んでくださった皆様に最上の感謝を。
話の流れというか、章としての形はだいぶ前から出来ていたのですが、累計文字数が百万を超えた辺りで燃え尽き症候群が発症して更新速度がかなり低下してしまいました……。
本来ならエイレスの出番とかマナブ側の描写がもっと多い予定だったのですが、場面ばっかり変わって時間が進まないのも苦しい気がしたのでカットしました。その結果、“生きることとは”“死ぬこととは”といったテーマの深掘りが出来ず、取り留めのない章になってしまいました。
いつものことと言えばいつものことか…………。
最近は殺伐とした話が多かったので、次章は平穏な話にしたいと思います。
これからも皆様のお時間が許す限り、お付き合いいただければ幸いです。
長くなりましたが、これにて後書きを以上といたします。




