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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第五章【生と死の異世界生活】
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第二百四十九話:騒擾の後

 その日、エイト率いる死の集落は突如として現れ、混乱と狂気を振り舞いた後に独立市街ランドユーズ領主マナブと合い討つ形で消滅した。日暮れ前までの数時間足らずの出来事であったが、住民も兵士も冒険者も皆大きく疲弊し、多くの人々が犠牲となった。

 平等を掲げ、多種族の活気に満ちた顔で溢れていた通りは見る影も無くなり、飛び散った血と臓腑によりどこも等しく陰鬱な空気が漂っていた。

 領主が死に、隣人が死に、家族が死んだとて時は流れて行く。市街全体で見れば建物の損壊は軽微であったが、人が生きる為には清掃が必要だ。炎火の月によって地表は燃え、生物は急速で腐敗して行く。放っておけば伝染病によって二次被害が発生する可能性が高い。だが、信仰の対象とも言えた領主の訃報は住民たちから気力を奪ってしまい、まともに動けるのは旅人か冒険者くらいなものだった。


「今戻った。…………入るぞ」


 一日の清掃作業を終え、宿に戻って手早く衣類や体を拭いてから向かう先は、プリムラの部屋だ。


「……」


 部屋の中に居る筈のプリムラから返事は無いが、いつもの事である。なので俺もいつも通り少しだけ間を置いてから部屋へと入る。

 一人用の部屋の中は天幕によって締め切られ、日が落ちたこともあって殆ど視界が通らない。

 扉の近くの壁へ手を伸ばし、探り当てた突起物を押して電灯を点ける。空調機が冷風を吐き出す音だけが聞こえる部屋で、彼女は寝台の上で静かに座っていた。整った容姿と、顔に浮かんでいる双眸が虚ろなことから人形と間違えてしまいそうだ。

 視線が合ったことで急に狭く感じた室内を、わざと多めの歩数を取って寝台の横の椅子へ向かう。


「調子はどうだ?」


 お決まりの挨拶を口にするが、返って来るのは小さく横に振られる首の動きだけだった。衰弱した精神状態で両親の死を目の当たりにし、気を失い、目を覚ましたら両親の亡骸は跡形もなく消失し、家は崩壊していた。これだけのことが起きたというのに、二、三日で調子が元に戻る方が難しい。いや、今こうして言葉は無くとも反応を返してくれるのは、プリムラの中に妖精の魂が宿っているからであって、プリムラ本人だけであれば正気を失っていたかもしれない。傷付けられ、弄ばれた際に宿った魂によって今なお正気を保っていられるとはどんな皮肉か。


 助けると言いながら……助けた気になっておきながら、俺と会ってからプリムラの状況は悪くなる一方だ。中途半端に手を出して、両親に預けて終わらせようとして罰が当たったのかもしれない。罰が罪を犯した俺でなく、助けを必要としているプリムラに向けられるのだから、この世界の因果はよく出来ているとしか言いようがない。

 それなのに、今回の出来事に対して謝罪することすら許されない。俺が謝ったところで何が変わる訳でもないし、謝罪……許しを乞うという事は許す側に相応の精神的余裕を要求することだ。言葉を発することすら叶わないプリムラに、これ以上の精神的負荷は掛けられない。だとしても他人から「謝っておけ」と言われるかもしれない。プリムラ本人は「謝ってほしい」と思っているかもしれない。他人の言葉は知らんが、プリムラが俺に対して謝罪を求めているのだとしたら、それは望むところだ。謝罪を求めるということは、少なからず俺に責があったと認識していて、俺に対し不満や怒りの感情を抱いていることに違いない。そして、負であったとしても感情というのはいつだって人を動かす原動力になる。プリムラが自分の意思で動き、話せるようになるのだとしたら、いくらでも怒りの矛先に立つ。……と考えるくせに、憎まれ役らしい行動を起こさないのが実に俺らしい。第三者から見れば何がしたいのか理解できないだろう。


「…………ああ、悪い。考えごとをしていた」


 自分から会いに来て早々に考えごととはなにごとか。そんなお叱りの言葉も無く、プリムラはじっとこちらを見つめたままだ。


「今日の作業は……」


 何を話して良いのか分からないので、その日あった事を報告するのが日課になっている。取り留めのない話を装飾する話術も愛想も持ってないので、事実の羅列でしかない。


「相変わらずアクトとエイレスがひと騒動起こしてさ。エイレスが夢中で掃除してたら隣の担当区域の方まで行って、出会い頭に人とぶつかったんだ。そしたらその人、運悪く使い終わった掃除用具を持ってて……綺麗にぶちまけて掃除したところがまた汚れたよ」


 綺麗なのに汚したとはこれ如何に。自分の言葉選びに疑問を浮かべながら話を続ける。


「騒ぎを聞いたアクトが手伝いに来てくれたんだけど、余計に汚れが広がったんだ。あいつ、掃除は結構細かくやるのに自分が汚れてることに関しては無頓着だから」


 笑い話なのだからせめて自分は面白そうにしようと思った結果、鼻で笑って少し肩を竦めるだけに終わった。人間、できないものはできないし、できなかった後の切り替えが肝心だ。


「そうそう、コデマリが騒動の時に助けた女の子から手紙を貰って喜んでて、ソラクロが共感したら……照れ隠しの勢いだろうな、そんなに喜んでないって怒ってた。落ち込んだソラクロのことはシオンが慰めてたな」


 騒動の間、シオンのことは見かけなかったが、人命救助のために市街を奔走していて、コデマリは少女を避難所に届けた後、意外と早く合流できたそうだ。本人曰く、腹痛については戦っている内に勝手に治ったと言っていて、恐らくはゴブリンから受けた毒の後遺症が残っていたのだそうだ。

 話を続けようと頭の中で言葉を組み立てていると、扉を叩く音が転がって来た。


「レイホさん、いますか?」


 ソラクロの声だ。


「ああ。どうした?」


 椅子から立ち上がって扉の方へと向かうが、ソラクロは遠慮しているのか扉を開けずに待っている。


「悪い、また後で来る」


 プリムラの首肯を受け取り、心の奥で安堵しながら部屋を出る。廊下では普段と変わりなく柔らかな雰囲気を漂わせたソラクロが立っていた。


「レイホさんにお客さんです。受付の方で待ってますよ」


 客? 誰だ?

 疑問符を浮かべた事に感付いたのか、ソラクロは客人の名を口にした。「アルヴィンさんです」と。


「アルヴィンが?」


 何の用だ。と考えると同時に心当たりは見つかっていた。俺たちがランドユーズに滞在できるのは長くとも炎火の月の七週目までだ。月末までにはクロッスに帰り、借りた竜車を返さなければならない。今は六週目の終わりだが、街の方が平時とは違うので、早めに帰りのことについて話しておくべきだとは思っていた。


「……わかった。会って来るから、プリムラと一緒に居てやってくれるか?」


「はいです!」


 快諾と見送りを受けて受付前の待合場へ向かうと、いつもの黒い法衣姿のアルヴィンを捉えた。同時に向こうも俺を見つけ、椅子に座りながら片手を上げて見せた。


「やあ、いきなりすまないね。少し話せるかい?」


「ああ。大丈夫だ。そっちこそ時間はあるのか?」


 答えながら、促された通りに対面の椅子に座って顔を見合わせる。細いレンズの奥に潜む切れ長の目が微かに細められた。


「問題ないよ。彼女らは立ち直った……と言うと少し語弊があるか。一旦、悲しみを後回しにして街を再起させることに集中するようだ」


 騒動の終結時、領主であるマナブはグールと化した兵士による銃撃によって命を落とした。マナブを慕っていた住民は勿論、仲間である女性らも酷く動揺し、大きな悲しみに包まれた。セイナの【奇跡】による蘇生が強く望まれたが、【奇跡】は使用者の精神力に依存する能力らしく、血塗れの街並みを見ただけで失神するセイナが住民全員の暴力的とも言える期待に耐えられる筈もなかった。

 信奉していた領主が亡くなり、生きながらにして死んだ街と化す寸前でアルヴィンが立ち上がった。詳細は知らないが、上手いことを言ってマナブの仲間たちを立ち直らせ、今の清掃活動が行われるようになった。


「見事なものだな。奇跡が使えないとなった時は罵声の嵐を受けていたのに、最終的には街の中心人物をまとめ上げた」


「なに、これでもユニオンのリーダーだ。非難を受けたからと言って、成すべきことを見失うような軟弱者ではない……と、自信過剰になっても許されるだろうか?」


 知るか。


「ククク……冗談だよ。私は人々の隠し切れない感情を受け止めただけに過ぎない。マナブの仲間である彼女らは、上流階級のお嬢さんだったり、かつて兵隊の小隊長だったり、パーティのリーダーだったりした者たちだ。私が口を挟まずとも、少し時間を置けば自力で立ち直っただろうさ」


 ふーん。うろ覚えの彼女らの顔を思い浮かべ、誰がどの立場だったのか組み合わせてみるが……遊んでいる場合ではない。この考え事もアルヴィンには筒抜けなのだから。


「それで、だ。街のことはこの街の者に任せ、私たちは近い内にクロッスに戻ろうと思うが、どうだろう?」


「どうもこうも、月末までに竜車を返す必要があるんだろ。二、三日後くらいには出発しないと、道中で何かあった時、期限を過ぎてしまう」


 商人の足を借りているのだ。一日、二日遅れただけでも多大な損失が発生するのは深く考えなくても分かる。金銭的な損失も重要だが、商人のアルヴィンに対する信用を損なってしまっては俺が弁償するのは不可能に近い。


「こちらに気を遣ってくれることは大変嬉しいが、そっちの事情はどうなんだい? 随分と辛い目に遭った仲間がいるんだろう?」


「……竜車に乗って移動するくらいなら問題ない」


 自由に動いたり話したりはできないが、意識を失っている訳でもなければ熱がある訳でもないのだから、プリムラ一人を竜車に運ぶのなんて難しいことじゃない。

 事実を口にしたつもりだが、アルヴィンは表情を硬くして眼鏡の位置を直した。


「本当かい? いや、気を悪くしないでもらいたいのだが、聞く所によると彼女は外側と中身が複雑な状態なのだろう? 話すこともできない今、こちらの判断だけで故郷を離れては悪影響にならないかね?」


「……一人にはできない。身寄りもなくなったんだし」


 故郷とは言え景観は大きく変わり、家も両親も失ってしまった。この街にはプリムラが頼るべきものは残っていない。


「だからレイホくんが面倒を見ると? 責任を感じての結論だろうが、どうして君がそこまで彼女の事を気に掛ける必要があるんだい? そもそも、君が責任を感じる必要はあるのかな?」


「どうしてって……放っておけないだろ。全く知らない他人でもないんだし……」


 歯切れの悪い返答に、アルヴィンは暗い紫の髪を掻き上げながら息を吐いた。


「先の話をしよう。レイホくんはこれからも冒険者を続けると、当然顔見知りが増える」


 同意を求めるように黒い瞳が向けられたので、一先ず素直に頷きを返す。


「ある日、オーバーフローが発生し、二人の知り合いがそれぞれ窮地に立たされたとする。周りは全員自分のことで手一杯、助けに行けるのはレイホくんだけだとする」


 どっちを助けるかって聞きたいのか? 知り合いに対する情報が少なすぎて答えなんて出せないが……。


「いや、質問はもう少し先だ。レイホくんは状況判断で片方を無事に助け、もう片方の知り合いはどうにか自力で生き残ったが、残念なことに体の一部を欠損してしまい、冒険者稼業は疎か日常生活にも支障をきたすようになってしまった。さて、君はどうする?」


 どうすると聞かれても……助けに行かなかったことを詫びることは出来るが、自分の判断を償って一生面倒を見ることは出来ない。いや、それだとさっき俺の言った「放っておけない」という言葉に矛盾が生じる。現状に当て嵌めて考えると、ただの知り合いには貸せない手をプリムラには貸そうとしている。その理由は…………。

 アルヴィンが提示した状況は、俺の手の及ばない所で他人に不幸が訪れた場合を想定したものだ。“そこに居合わせた”以上の責任が発生しない状況で、俺が他人——プリムラに手を貸そうとしている理由、それは…………。

 あと一歩が足りず答えを見つけられないでいると、アルヴィンは視線を落とし、静かに口を開いた。


「……一人の人間が救えるものというのは、ごく限られている。君がもし今後も、誰も失いたくないと思うのなら、誰かの幸福を願うというのなら、“誰か”とは一体誰なのか、括る必要がある」


 当然の事だ。知り合った全員を助けることなんて不可能だ。今回プリムラの命を拾えたのは運が良かっただけだ。あと少し駆け付けるのが遅ければ……マナブたちが来なければ、プリムラの命は手から零れ落ちていた。


「レイホくんは、パーティの皆のことをどう思っているんだい? 冒険者なのだから、魔物が蔓延る世界なのだから、死んでも仕方ないと思える程度の相手と見ているのかい?」


 そんなことはない。ないのだが……


「あんた、俺に何を言わせたいんだ?」


 睨むように尋ねると、アルヴィンは口端を上げることで愉快さを表現した。


「君が意図的に避けている言葉さ。願わくば、その言葉を君が無意識で口にするところを見てみたいものだがね」


「……願い事っていうのは、大体が叶わないものだと思うがな」


「おや、夢の無い話じゃないか。なら、現実主義者のレイホくんへ一つ助言をしておこう」


 薄ら笑いを浮かべながら顎を引き、位置を直した眼鏡を通して俺を見据える。その瞳には狡猾さが滲んでいるように見えたが、それは一瞬のみで、直ぐに知性的な風貌へと変化した。


「君が言葉にしようがしまいが現実は変わらない。しかし、君が言葉にすることで人は変わる」


 俺の言葉で人が変わる? そんなことあるわけないだろ。人は誰しも自らの意思でのみ自己を決定することができる。その決定に他人の言葉が入り込む余地なんてありはしない。


「フッ、その信念めいた考え方は君だけのものだよ。彼女は……いや、君と同じパーティの者たちは君の言葉を待っている。なぜなら彼女たちは君のことを…………」


 中途半端なところで言葉を切り、閉ざした口の端を持ち上げて鼻で笑う。


「これ以上は、同じパーティではない者が言うべきではないな」


 アルヴィンは軽く首を横に振ると「話し過ぎてしまったな」と呟いて席を立ち、俺を見下ろした。


「出発は二日後の日中前にしよう。ただ、すまないが、この炎天下で病人を連れて行くことは許可できない。もしプリムラくんの容体が戻らないなら、彼女一人を残すか、誰かが一緒に残るか決めておくように」


 去り際に重要な条件を言い出すなよ。


「……わかった。そっちに面倒は掛けないつもりだ」


 ここで食い下がったところで条件が変わることはない。それはアルヴィンの断定的な口調からはっきりと分かった。ならば受け入れた上でどうすべきか考えるのが最善だ。……どうすべきか、深く考えずとも答えはほとんど見えているようなものだが。


「それでは、私は旅の準備などやることがあるのでね。失礼するよ」


「ああ」


 法衣の裾を翻し、アルヴィンは宿を出て行く。

 一人残った俺は、なんとなく直ぐに席を立つのが億劫に感じ、意味もなく握っては開いてを繰り返す両手へ視線を落とした。

 俺がプリムラを……皆を気に掛ける理由……アルヴィンと話している間は見えない振りをしたが、本当は分かっている。言葉にしてたったの三文字で言い表せ、恐らくは大抵の人間に受け入れられる理由。でも、だからこそ気軽に口にすべきではない。易々と認める訳にはいかない。その言葉を、関係を軽んじれば、報いを受けることは必至だからだ。


 手の平に爪の痕がついたのを見て意識は現実へと戻る。

 ここに居ても仕方ない。プリムラのところに戻ろう。


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