第二百四十八話:生を与える者、死を与える者
空より降り注いだ無数の杭によって崩壊した家屋の二階。プリムラの部屋であった場所には、杭によって胴体と刺し貫かれたエイトの姿があった。杭の太さから、内臓の大部分を損傷し致死量の血を流してもおかしくはないのだが、エイトの体からは一滴の血も流れず、その表情には余裕が浮かんでいた。
「魂封じの串か。よくもまぁこれだけの数を用意したものだ」
杭——|魂封じの串に貫かれたまま見下ろす先は、柱の上に立ったマナブだ。
「オレの能力を使えば、そう大変なことでもない」
敵の頭を捕らえたというのに、大型銃で肩を叩きながら答える様は実に不敵だ。
「まったく、厄介な能力だよ」
魂封じの串から脱出を図ろうとするエイトだが、体は串と一体化してしまったようにぴくりとも動かない。
「そちらさんほどじゃない」
「よく言うよ。ボクの能力も既に“学習”したんだろ?」
エイトの問いにマナブは答えない。柱から跳び上がり、崩壊した二階へ、エイトの前へと降り立つ。
「オレはお前のような使い方はしない。死者を生前の記憶を元に蘇らせる。この能力は人々に救いをもたらす力だ」
マナブの宣言を、エイトは鼻で笑い、それから嘲るような視線を向けた。
「救い、ねぇ。それならボク以上に正しい使い方なんてないさ」
「無差別に死者を増やすやり方が正しいと思っている時点で、お前と理解し合えるとは思っていない」
「言ってくれるじゃないか。ボクも君が謳う平等とやらには疑問しかない。私刑に遭った人たちの嘆きを聞いた身としてはね」
「そんな恰好で随分と粋がるな」
「生憎と身動きが取れないだけで、不便なことは何もないからね」
言い切ると同時、マナブの背後に二体のグールを召喚する。グールは事前に準備していたような反応でマナブに躍り掛かるが、一瞬、銀の閃光を走ったかと思うと、首が刎ねて肉塊と化す。
「無駄だよ。そんな遅い動きの奴らを何体出しても、マナブには触れさせない」
いつの間にか、マナブの傍らには錨鎖剣を携えた少女が立っていた。
「ふっ……小さなお嬢さん、安心していいよ。本気で抵抗するのなら、もっと別の方法を取ったさ。今のは……実演だよ」
少女に微笑み掛けるが、返って来るのは可愛らしい見た目にそぐわない鋭利な殺意だけだ。しかし、エイトは意に関せず、再びマナブの方へ視線を向ける。
「ご覧の通り、ボクの動きは封じたようだけど、死霊術は健在だ。これからどうするつもりだい?」
エイトが魂封じの串に刺し貫かれても余裕でいられた理由はこれだ。エイト自身が身動きできずとも、呼び出した死霊に串を引き抜かせればこれまで通り活動できる。
「オレもそれが懸念だった。お前らが“死の集落”なんて呼ばれるようになってから、対策を考えてこいつを学習したが、封印するだけで倒す手段は見つからなかった」
圧倒的優勢でありながら、最後の一手を指せない。そんな状況であれば眉間に皺の一つでもできようなものだが、マナブは相変わらず自信に満ちた表情でエイトへ左手を伸ばし、視界を防ぐように頭部を掴んだ。
「……なんのつもりだい?」
マナブの不可解な行動に、さしものエイトも声音から余裕が消える。
「……お前にも人倫側としての目的があって、お前なりに考えて行動してたんだと思う。…………だけど、やり過ぎたんだよ、お前は」
「…………まさか」
あり得ない。死を超越した者を殺す事など出来はしない。それは覆しようのない事実だ。しかし、マナブの含みのある言動に、エイトの心の内で警鐘が鳴った。マナブを引き剥がそうとグールを召喚するが、召喚した次の瞬間には首が飛ばされてしまい、残るのは宙を自在に舞う錨鎖剣だけである。
グールではなく、元の人の姿で召喚すれば多少は攻撃を躊躇うだろうか。エイトは保身の為に浮かび上がった考えを即座に下種と断じる。
エイトが人々を殺め、死の恐怖から解放したのは捨て駒として使う為ではない。命の価値を正しく理解しているこの世界の住民を救いたいという純粋な願いは、如何なる理由があっても汚してはならない。
しかし、潔く諦める気もない。何か手はないかと思考を急回転させる。エイトの本体である魂を縫い留めている、魂封じの串さえどうにかできればどうにでも出来る……出来るのだが、腕力も魔法もなければ頼れる仲間もいない。一般的なグールとなる市民の魂は多く残っているが、召喚したところで、である。戦闘要員となる魂は全て召喚したが、大半が兵士や冒険者との戦いで敗れ、疲弊してしまっている。今街中に残っている者を一旦回収し、この場に再召喚するしか手は無いが……間に合うだろうか。
エイトが焦りと疑問を同時に抱いた矢先、視界を覆うマナブの手から光が放たれた。太陽が生み出す光のように熱なく、魔法で発した光のように眩くもない。
徐々に強さを増していく光に視界と意識を奪われ、全てが白で塗り潰されようとしたその時。
「がっ、ぼほぉ……!?」
口と喉に多量の液体が押し寄せ、一瞬にして覚醒した意識の先では赤い飛沫が散っていた。
水の中でもないのに溺れる感覚に疑問は持てど、思考は全く定まらない。呼吸を確保しようと、生きようとするために、気道に溜まった液体を吐き出そうともがく。
「あ……が……」
咳き込もうとしても体に力が入らない。力を入れようとしても、腹部が丸ごと消えてしまっているかのように言うことを聞かない。
自分の身に何が起きているか分からないまま、体の機能が本能のままに悲鳴を上げる。不死の身になってから、何度も体が朽ちることはあったが、そのどれとも違う感覚だ。
強まる痛みと苦しみに反し、意識は徐々に薄れて行く。その中でエイトは悟った。
この痛みや苦しみや恐怖こそ、肉体が滅ぶ感覚……死ぬことなのだと。こんなにも恐ろしいのなら、やはりこの世界の住民には死を超越した生こそが相応しく、元の世界の住民には死の恐怖を知らしめねばならない。
生きることを義務と捉えながら、生きていれば良いと定義し、堕落している事にも気付かず、気付かせず。自らが生きている世界の広さを想像もしないで権利のみを声高に主張する。奴らにこそこの苦しみを、恐怖を味わわせねばならない。
自分の目指した方向は正しかったのだ。自らが死の淵に立ったことで、それが証明されたのだ。
意識が消え去る寸前、エイトは自身の目的が正当なるものである事を再確認し、命を再熱させた。
マナブが如何なる手によって不死に終わりを与えたかは知らないが、ここで終わる訳にはいかない。【死霊術】で自分の魂を抜き取れば、再び不死に……。
「ぅ……」
内側から湧き出る血を吐き出す事も、まともに声を発する事も出来ない。体の感覚はほとんど消え去ってしまっている。
「しぶといな。けど、これで少しは分かっただろ。死にたくない、生きたいって思いは誰もが持つ、何よりも強い思いなんだ。…………いや、肉体をただの魂の入れ物としか考えてないお前には理解できないか」
魂は肉体と共に魂封じの串に囚われ、死霊術であっても逃れる事はできない。それを知ってか知らずか、マナブは大型銃をエイトの顎下に突き付け、一瞬の間の後に引き金を引いた。
轟音と共に弾け飛んだ脳症が、血溜まりに落ちて粘着質な水音を立てる。その数瞬後に、重量のある物体が二つ、血溜まりから激しい飛沫を上げて沈み込んだ。
「マナブ……?」
少女が瞬きを忘れた眼で足元を見やる。そこには、たった今、敵の頭を吹き飛ばした筈のマナブが、頭部から流血させて倒れていた。
「なんで倒れてるの? なんで血を流してるの? ねえ、なんで?」
崩れ落ちるように膝を着き、マナブの体を揺する。反応は無い。
「マナブ!?」
下で状況を注視していた女性が慌てて二階へ上り、回復魔法を唱える。効果は無い。
「ねえ、血が止まらないよ!? マナブ起きないよ!?」
駄々っ子じみた問い掛けに、女性は自らの無力さを痛感して唇を噛み締めた。
「……自分の魔法では……。エメラインなら……」
マナブがどういう状況であるかは、脳裏に残った冷静な部分では理解していた。けれど、自分よりも回復魔法に長けた仲間に縋りたい気持ちの方が圧倒的に大きかった。少女に希望を持たせる事が、駆け付けた仲間に絶望を口にさせる事が、どれだけ残酷な事なのか、考える余裕は無かった。
「エメは公館だよね。わたし、直ぐ読んで来るから、マナブのことちゃんと見ててね!」
言うが早いか、少女は軽い身のこなしで二階から跳び下りると、風のように駆けて行った。
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敵の頭と領主が共倒れし、緊迫した空気が流れる様子を、外壁に開けられた窓から照準眼鏡越しに眺める者が居た。
「狙い通り。エリの地図のお陰で位置取りに手間取らずに済んだよ」
満足そうに言って照準眼鏡から眼を離すのはアルヴィンだ。彼は手にしていた狙撃銃を、倒れている兵士の手元へ放り投げた。
「礼なんて言わないでよ。つまらない物がつまらない事に使われただけ。あたしには関係ない」
言葉だけでなく態度でも拒絶を示すべく、前髪で隠れている顔の右側をアルヴィンに見せるようにそっぽを向いた。
邪険に扱われたが、エリが普段通りの態度であるならば、アルヴィンが気を悪くする事はない。それよりも、とアルヴィンは駆け寄って来る足音と擦れる金属音の方へ視線を投げた。
「ちょっと、あなたたち、こんな所で何してんのよ? グールは突然消えちゃうし……」
現れたのは、領主の館で顔を合わせたことのある、橙色の髪を伸ばし、強気とも活発とも取れる顔立ちをした女性——クリスだった。金属音は、彼女が持つ両刃両手剣が床を擦ることで生じていたものだった。
「この辺りで何か不審な物が光ったように見えたのでね。確認の為に来てみたが、どうやら銃が反射していただけだったようだ」
白々しい。と口にしたいのを、エリは必死に我慢した。アルヴィンは胡散臭い男だが、彼のお陰でこちらの世界で自由に絵を描いて生きていられるのも事実であるからだ。
「ふぅん、そうなの。それより、グールが消えたみたいだし、マナブのところに合流しましょ」
銃の所有者である兵士が倒れているのに発砲音がしたことへ疑問はないのか。アルヴィンは自分たちのお目付役として遣わされたクリスの態度に拍子抜けし、【読心術】を使用してみるが、疑心の気配はなかった
「……そうするとしよう」
都合の良い状況を自ら掻き乱す必要はない。申し出に応じた二人は、駆け足で行くクリスの後を追った。




