第二百四十七話:生者のための世界
駆ける。
魑魅魍魎が跳梁する道を、彼の者の名を叫びながら。
探す。
三つの村を併合して出来た広大な市街を、当てもなく。
押し通る。
ありふれた、しかし特別な鋼鉄の盾で攻撃を弾き、道端で拾い上げた故も知らぬ両刃片手剣を振るう。
「っ……クラーーース!」
切れる息を無理矢理に整えて叫ぶ。
体力には自信のあるエイレスだが、全力で動きながら全力で叫んでいては体力の消耗は瞬く間というものだ。しかし、当の本人は手も、足も、声も緩めるつもりはない。銃弾に倒れた自分を治療し、盾を託した理由を聞かなくてはならない。
「うわぁぁぁぁっ!!」
人を探しているとは言え、近くで上がった悲鳴を無視することはできない。急ぐ足の向きを変え、家屋の陰でグールに襲われている冒険者の助けに向かう。
間に合うかどうか……追い込まれている冒険者の粘り次第だ。
少しでも注意を引ければと、雄叫びを上げるべく息を強く吸い込んだ時だった。エイレスとは反対側から宙を駆ける衝撃波が放たれ、グールの群れを一掃した。
「た、助かった。すまねぇ……」
九死に一生を得た冒険者は、額に浮かんでいた冷や汗を拭って大きく息を吐いた。
エイレスは途中まで駆け寄っていたが助けは不要だと判断し、踵を返そうとしたところで信じられない光景を目の当たりにした。
「ぐっ……なっ、なんで…………」
たった今、救われたばかりの命に鋼の刃が突き立てられたのだ。
冒険者は困惑の後、失われていく命に恐怖しながら屍と化した。
助けた相手を自らの手で葬るなど、狂人の類いに他ならない。その狂人がエイレスの探していた人物であるならば、どうして驚愕せずにいられようか。
「クラース!」
彼の名を呼ぶと、クラースは冒険者の胸から両刃剣を引き抜き、虚ろな目にエイレスを映した。
「……エイ、レス…………エイレス。あぁ、僕はもう駄目みたいだ」
端正な顔は疲れ果て、人当たりの良かった雰囲気は陰気なものへと変貌しており、重厚な銀の鎧ばかりが目立った輝きを放っている。エイレスの記憶に無いクラースが、そこには居た。
「駄目ってなんだよ! 何でオレを助けた!? 何で盾を置いて行った!?」
冒険者を手に掛けなければ気遣いの心も生まれただろうが、今エイレスの心の大半を占めているのは憤りだ。見るからに弱っているクラースへも容赦なく疑問をぶつける。
「分からないんだ。もう……何も。人は生きているべきなのか、死んでしまうべきなのか、それさえも……」
「そんなこと、生きているべきに決まってるだろ!」
「なら、僕らはどうすればいい? 死んだ筈なのに他人の力でこの世に留まり、死者を……同族を増やすために街を戦場に変えてしまう」
「エイトを……元凶をぶっ倒す以外に選択肢なんてない!」
死者を蘇らせ、操っているエイトを倒せばクラースら、この世に留まっている死者がどうなるかは想像に難くない。それでも、この世は生者のためのものでなくてはならない。
「人は生きるべきであり、その為にはエイトを倒す。本当にそれが正しいだろうか?」
即答すべき問いであったが、生前見たことのない虚ろな瞳に見つめられ、エイレスは言葉を詰まらせた。
「生が尊重されるのは、死が終わりであるからだ。だけど、死の後があったとしたら? 僕らのように意思を持ち、行動することができたら?」
「意思を持っている? 冗談を言うな! グールになって人を襲う奴らに意思なんてない!」
「あれはエイトなりの気遣いだよ。同族を増やすためには一度殺さなければならないが、理性を持ったまま殺していては魂が擦り切れてしまう。亡者であれば人を襲うことに躊躇いはなくなるし、記憶も残らない」
エイレスは両手の武具を強く握り締めた。
これ以上は聞きたくない。これ以上は見たくない。憧れ、追い掛けた相手の、こんな腐った姿などは。
「エイトは生者を襲う時こそ狂気に堕ちるが、普段は僕らを生前の姿のままで自由に過ごさせてくれる。もし、襲うべき生者が居なくなり、この世界に生きた死者だけが存在するようになったら……」
全てを聞く我慢はできなかった。深い踏み込みからの斬り下ろしによってクラースの言葉を止める。
「みんなが等しく死ねば、世界は平和になるとでも言いたいのか! だったら……だったらどうしてオレを殺さなかった!? どうして避難所まで運んだ!?」
「それは……それは…………」
言い淀むクラースを、鋼鉄の盾で殴打する。不意を突いて詰めた間合いが開いてしまうが、それはエイレスの望むことであった。そして、更にエイレスは鋼鉄の盾をクラースに押し付けるようにして手放した。
当然、そんな行動をすると思っていなかったクラースは鋼鉄の盾を受け取れずに地面へ落とす。石畳と鋼鉄がぶつかり、けたたましい音が鳴り響く。
「答えられないならオレが言ってやる。クラース、あんたは本当に何もかも分からなくなっちまう前に、オレに継がせたかったんだろ。夢追いし心友たちを、消したくはなかったんだろ!」
宣告し、先ほど倒れた冒険者が手にしていた木の盾を拾い上げる。
「拾いなよ。あんたの中にまだ、夢追いし心友たちのクラースとしての正しさが残っているなら……その盾を構えてオレと戦え!」
クラースと戦う為に探した訳ではない。戦っている場合でもない。けれど、エイレスは今のクラースが最後の記憶として残ることを許せなかった。
「…………」
地面に落ちたままの、鋼鉄の盾の持ち手を見つめるクラース。かつて自身と仲間たちで名付けたパーティ名を目にしている内に、虚ろだった瞳には微かに光が灯る。それは夕暮れ時の空模様の様に闇を伴う光であったが、クラースは自らの意思で鋼鉄の盾を握り締めた。
「……有り合わせの装備だろうと、本気で行くよ」
片や重厚な銀の鎧に両刃剣と鋼鉄の盾という万全の装備。片や私服に両刃片手剣と木の盾。加えて能力値もクラースに分があり、エイレスは魔力無しであるが故に魔法に弱いという明確な弱点すらある。
「冒険者の質は装備が全てでないってことを示してくれたのは、クラースだろ」
まともに戦っては勝ち目が薄いというのに、エイレスの表情は活力に満ちている。例え、自分が敵より劣っていたとしても、初めから戦うことを放棄するなど守備者にはあり得ないことだ。
「……ああ、そうだったね。行くぞ!」
一瞬にして、クラースの纏っていた空気が闘志となって弾ける。同時に発光させた両刃剣を地面へ叩き付け、地面を這う衝撃波を放った。宙を駆ける衝撃波を放つ【アサルト】の応用技であり、クラースの得意技でもある。
鋭い衝撃波を近距離で回避することは困難であったが、エイレスは横に跳んでその困難をやり遂げて見せた。もし、回避を諦めて盾で防ごうなどと一瞬でも頭に過らせていたら、今頃は衝撃波に吹き飛ばされていたことだろう。
「マナよ、我が下に集いて其の力を分け与えよ……エンチャント・シャイン」
エイレスが回避することを見越して、クラースは既に補助魔法の詠唱に移っていた。妨害しようと駆けるエイレスであったが、一瞬早くクラースの両刃剣にはスキル発動時よりも眩い光が宿った。光属性によって効果上昇の追加効果を得た【エンチャント】は、他の属性よりも武器に付与された魔法攻撃力が上昇している。
「くっそ……」
魔法攻撃力が付与されたとなれば、木の盾で正確に攻撃を受けたとしても致命傷を防ぐくらいが関の山だ。エイレスは早急にクラースの防御を弾いて攻勢に出たいのだが、クラースは巧みに両刃剣を操ってそれを許さない。
「そこだ!」
鍔迫り合いの軍配はクラースに上がった。エイレスの右腕は両刃片手剣と共に下へ弾かれ、無防備な姿を晒してしまう。そこへ光り輝く刃の突きが差し込まれる。
「いっ、痛ぅ……!」
効果が薄いと分かっていても、直撃を甘んじて受け入れることなど出来はしない。左手に握った木の盾で突きを受け、両刃剣の軌道を上へと反らした。
たった一撃受けただけで左腕の間隔は麻痺し、木の盾を取り落としそうになるが、気合でもって耐える。
「どうした、やっぱり普段と違う武具では全力を出せないかい?」
「うるさい! 腑抜けたあんたを倒すには、これくらいの装備で十分だ!」
強がりをそのまま武器へ籠める。発光した両刃片手剣から放たれるのは【クラッシュ】のスキルだ。このスキルを付与された一撃は、武器、攻撃方法に関わらず破砕属性の一撃が追加される。つまり、振り下ろされた両刃片手剣は、今や剣でありながら鎚であるのだ。
エイレスの渾身の一撃を無力化するスキルをクラースは持っていた。しかし、敢えて鋼鉄の盾で受けることを選択する。
金属同士が激しく衝突し、市街に残響する。
「昔よりだいぶ重くはなったが……しかし!」
全身に力を籠め、左腕ごと鋼鉄の盾を振るい、両刃片手剣ごとエイレスの体を弾き返す。
「まだまだ力不足だ!」
エイレスは体勢が整う前に接近を許してしまい、連続で斬り込まれる事となる。後ろに下がりながら、盾、剣、盾と交互に使ってどうにか攻撃を防ぐ。もし、クラースの武器に【エンチャント】が付与されていなかったのなら、持ち前の器用さを活かして攻撃を掻い潜り、反撃に転じることも狙えただろう。
「守備者がそんな逃げ腰で良いと思っているのか? これがパーティでの戦いなら、戦線はとっくに瓦解しているぞ!」
叱責を飛ばしながらもクラースは違和感を覚えていた。後退し、受ける攻撃の威力を減らしているとはいえ、こうも連続で魔法属性の攻撃を受けているのだから、エイレスの体力は限界を迎えていてもおかしくはない。少なくとも、先ほどまともに攻撃を受けた左腕は盾を握っていられない筈だ。
クラースの読み通り、エイレスの体力は既に殆ど削り取られてしまっている。しかし、エイレスが尚も攻撃を防ぐ事が出来ているのは【限界突破】のアビリティが発動しているからに他ならない。
【限界突破】体力が一定値を下回った時、且つ精神力が最大値以上だった場合、精神力に比例した時間、体力の消費を無くすアビリティだ。このアビリティ自体はそれほど珍しいものではく、クラースも知識としては知っている。だが、クラースが違和感を覚えるのも当然だ。何せ、クラースの知っているエイレスは未だこのアビリティを取得していなかったのだから。
「くそ……くそ、くそ!」
返す言葉が見つからないエイレスであったが、一筋の勝機だけは確かに見えていた。一対一の戦いでまともにやり合って勝ち目が薄いのならば、意表を突く以外に方法は無い。
斬り。
違う。両刃片手剣で捌く。
斬り返し。
これも違う。盾で受け流す。
突き。
これだ! 本来なら両刃片手剣の番だが、左腕を酷使して木の盾を力の限り突き出す。
「なにっ!」
急に突き出された木目に驚愕したが、突きを止める事はできない。加速し合った二物の衝突により、両刃剣は木の盾を貫通したが、その先に持ち主は居なかった。
木の盾と両刃剣が衝突した瞬間、エイレスは姿勢を低くしながら左足を軸に体を時計回りに回転させ、クラースの右側へと回り込んでいた。狙いは突き出した右腕によって空いた脇腹。
自ら生んだ遠心力によって取り落としそうになる両刃片手剣を両手で握り締め、【クラッシュ】を発動させる。
「くらえぇっ!」
エイレスの思惑通り、破砕属性を得た刃は重厚な銀の鎧の上からクラースの脇腹を叩いた。……かのように見えた。両刃片手剣の刃は、鎧の外側に出現した半透明の壁によって遮られていた。
「なっ……」
驚愕するのは一瞬だけだ。
エイレスは知っていた。クラースが如何なる攻撃をも防ぎえるスキルを所有していることを。それでも意表を突けば、スキルを発動させる前に攻撃を叩き込めば、と考えていたが……憧れの守備者はそう甘くはなかった。
【イージスフィールド】発動者の全方位に、全属性の攻撃を一定値まで防ぐ半透明の防壁を展開する。【死霊術】によって蘇った身では、生前のようにミノタウロスの斧の一撃を防ぐことは叶わないが、エイレスのスキルを防ぐことは容易い。
「流石に硬いな。けど、オレは諦めねぇぞ! どんなに強力なスキルだろうと、いつかは解けるし、技力が無くなれば発動はできない! このエイレス・クォールビット、あんたが知っている頃と同じ体力だと侮ってもらっちゃ困る! たとえ地平線の向こう側に太陽が沈んでも、オレはあんたに剣を振るい続ける! 覚悟しろ!」
相手の攻撃は全て弱点属性で、こちらの攻撃は通じない。そんな状況であってもエイレスの心は折れない。勝機も撃つ手も無いただの強がりだとしても、エイレスは生きている限り退くことはない。剣を交えることで、クラースの瞳に正気が戻りつつあるのだから。
「参ったな……そんなにしつこいのは、死んでもごめんだね」
「オレの諦めの悪さを忘れたとは言わせないぞ!」
「そうだね。パーティの誰よりも未熟なのに、誰よりも諦めが悪い。シモンやテュコがよく呆れていたっけ」
どれほど前かは思い出せないが、確かに記憶に残っている生前の記憶。
「エーギルやブルーノは賛同してくれて、クラースが落とし所を見つけてくれるのがいつもの流れだった」
「うん。楽しかったなぁ」
クラースは言葉尻に「あの頃は」と付け加えようとして、一つの真実を悟った。そして、エイレスを一瞥し、静かに頷いた。
【死霊術】によって死後の生を与えられたとしても、それは生者が過ごす時間とは本質的に違うものなのだ。
寿命か病か争いか、または別の何かによって必ず終わりが訪れる人生。生者は皆、無意識の内に人生が有限であることを理解している。でなければ、どうして他愛ないと思えることにも一喜一憂できるだろうか。生者にとって絶対の恐怖の対象である死を超越してしまったら、生前と同様に執着できることはあるのだろうか。本気で自らの感情や思いを表すことはできるだろうか。仮にできたとして、それは生前の自分の真似事に過ぎない。
つまり死後の生とは、生者の人生が未来に向かっているのに対し、生前の魂を元に過去を引き延ばしているだけなのだ。
だからこそ、クラースは懐かしんだ。夢追いし心友たちの仲間を全て死者にし、「またあの頃に戻ろう」だとか「あの頃の続きをしよう」という、先を見た言葉が直ぐに出て来なかった。
「僕は……僕らは、もう終わっているんだ」
そう呟く頃には、これまで纏っていた闘志は消え去り、両腕をだらけさせて戦闘体勢を解いていた。
「クラース?」
エイレスが疑問を口にしたのは、クラースが戦闘体勢を解いたからではない。その体が徐々に薄れているからだ。
「ああ……最期に思い出せて良かった。最期に会ったのがエイレスで良かった」
「な、なぁ、どんどん薄くなってるけど、どうしたんだ?」
「エイレスの言う通り、僕は君に継いで欲しかったんだ。世界一でも人間領一でもクロッス一でも、規模はどうでもいいから、自他共に認める最高のパーティを作るという目標を。その目標を初めに掲げた人たちの思いを」
エイレスの言葉は聞こえていないのか、クラースは独白気味に語るのみだ。
「どうやら術が切れたみたいだけど……これは、いつもの解除とは違うな…………解放か」
「おい、クラース。さっきから一人でなに納得してるんだよ!」
「誰がどうやってかは知らないけど、僕らはあるべき所に帰るようだ。……さようなら、エイレス。君ならきっと最高のパーティを作れるよ」
エイレスの理解を待たずに、クラースは安らかな笑顔を残して消え去った。両刃剣に突き刺さっていた筈の木の盾が虚空から落ち、軽くもよく響く音だけが市街に残った。
 




