第二百四十六話:死霊術
玄関を開けて目に飛び込んで来たのは荒らされた室内。椅子も机も倒れ、折れた足と共に家具の破片が幾つも散らばっている。
「プリムラ!」
名を呼び、階段を駆け上がる。プリムラの部屋がどこにあるのか知らないが、窓に格子状の棒が取り付けられた部屋がそうなのだと、直観的に悟っていた。
二階に上ったところで床に血痕が落ち始める。踏むと、赤い液体は飛沫を散らせて靴底に付着する。
血痕は点から直ぐに一筋の線となり、辿るに連れて線は太くなっていく。そして、半開きになっている扉を蹴破る勢いで叩き、中へと入る。
びしゃり。液体を踏み、足元が濡れる不快な感触が伝わる。
室内には割れた鉢や花瓶が散乱して赤い池に沈んでおり、詰められていた植物もまた同様だった。部屋の中央には、頭部を割られた男女の死体が抱き合うように倒れている。下になっている男が着込んでいた鎧には小さな穴や破損が多数あり、肩口には噛み千切られた痕がある。男の上で倒れている女性に細かな傷は見当たらないが、胴体を剣が刺し貫いている。
倒れている男女の生前の顔が脳裏に過りそうになったのを、大袈裟に頭を振って払い、寝具の脇で眠る様に倒れているプリムラの姿を見つけた。
二人分の血液と、散乱した土で汚れている体を起こし、首筋に手を当てる。
「……生きてる」
一先ずは胸を撫で下ろす。が、問題はここからどうやって離れるか、この事態をどう終息させるかだ。前のラビト村の時は向こうの気まぐれで見逃してもらえたが、どうやったらあいつの考えを改めさせられる? どうやったら死者を倒せる?
「面倒な横槍を捌いたと思ったら、今度は人攫いかい? こっちの勧誘を邪魔しないでほしいな」
部屋の出入口から掛けられた声。見たくは無いが無視する訳にもいかないので、ゆっくりと視線を向ける。
黒髪に黒い瞳を携えた、外見上は特出したところの無い平凡な少年。もし初対面の者が今の街中で彼を見かけたなら避難誘導を行ったことだろう。
「……何の用だ?」
敵意を隠さぬ問いに、少年——エイトは一瞬のみ疑問符を浮かべたようだが、直ぐに小さく頷いた。
「君はラビト村で会った……レイホだよね。また劇に参加してくれるとは嬉しいね」
エイトが緊張感の無い足取りで近付こうと来たので、咄嗟に両刃片手剣の切っ先を向けて牽制する。物理的な牽制が奴に対して意味を成さないことは承知の上だが、何もせずに接近を許す訳にはいかない。
「彼女を渡してくれないかな? あぁ、体の方に用は無いから、レイホが魂を解き放ってくれても構わないよ。都合よく気を失っているようだしね」
「断る」
考えるまでもない。
「そう言われて諦める気はないよ。なんせボクも初めて見るんだ。一つの体に全く別の魂を宿して」
「プリムラはお前の探求心を満たす為にこの体になったわけじゃない」
全く望んでいない、それこそ死んだ方がマシだと思うような目に遭って、それでもまだ生きていたいと思ったからこそ今日まで生きて来られたんだ。……本人から直接「生きたい」とは聞いていないが、自暴自棄になってもいない。
「その通りだけど、母親からの頼みでもあるからね。ボクも簡単には引き下がれない」
母親の頼み? 口から溢れそうになった言葉を押し込め、両刃片手剣を構えたまま、プリムラを寝かせて立ち上がる。
村の為にと、断腸の思いで奉公に出した愛娘が、富裕層に奴隷扱いされ、研究所で玩具にされ、権力者の人形にされたのだ。深く暗い嘆きの一つや二つ、漏らしてしまうのが親というものだろう。その嘆きが、子の望まぬ物であったとしても他人が親を咎めることはできない。親とて子と同じく人間なのだから、子が是と認めるものだけを考えて生きてはいけない。
自分なりに納得は出来ているんだが……心の狭い俺は、どうにも捨て切れないんだよな。今は俺の考えなんてどうでもいい話か。
「頼みが有ろうと無かろうと、この世界人間全てを死者にするまで引き下がらないんだろ」
「勿論だとも。この世界の善良なる人々を死の恐怖から救い、現実世界でのさばっている愚民どもに死の恐怖を教えてやるまで、ボクは止まる気は無い!」
エイトの宣言と同時に屋根がけたたましい音を立てて崩れ落ち、黒い影が銀の煌めきを突き出した。
突然の事に、エイトは驚愕の表情を浮かべたまま見上げるだけで精一杯だった。落下してきた銀の煌めきは首元に突き刺さり、胴体を経て脇腹から突き出た。
「アクト!」
屋根から落下して来た姿は所々が焦げていたものの、大事に至りそうな負傷は見当たらない。ヴァイオレットの方とは決着がついたのだろうか。
「こいつを殺れば、他のグールは消えるの?」
いつも通り、抑揚の無い声での質問。自分と同じか年下くらいの少年に太刀を突き立てている者の態度とは思えない。
「殺れたらな……。一旦離れるぞ。プリムラを避難させ……っ!?」
今度は俺とアクトが驚愕し、硬直する番だった。なんと太刀に刺し貫かれたエイトの体が音も無く消失し、何事も無かったようにアクトの背後で立っていたのだ。その手にはつい先程まで死体に刺さっていた剣。
「残念だけど、ボクも、ボクに従ってくれる人々も殺す事は出来ないよ」
突き出された剣は鋭さも力強さも無い、素人の攻撃だった。普段のアクトなら回避し、振り向き様に反撃出来る。
「いっ……!」
振り向くアクトは片眉をしかめ、一瞬だけ動きを止めてしまう。ヴァイオレットとの戦闘でくらった電撃が残っていたのだ。防具を着けていない薄着のアクトに刃を防ぐ術は無く、切っ先が背中を捉えた。
「あ゛あっ!」
体に流れる電流を、体を刃に貫かれる未来を振り払うべく声を荒げ、がむしゃらに太刀を振り払った。
血溜まりの床に滴り落ちる血流は……二本。
「ハハッ、ハハハハ! 凄いな……凄い生への執着!」
胴体を深く袈裟斬りにされながら、それを一切気にせず歓喜に震えるエイトと、深く抉られた脇腹を片手で押さえて睨み付けるアクト。
「いつ見てもこの世界の人々は綺麗だ! 素晴らしい命の輝きで満ちている! ハハハハハハ……ガフッ!」
無邪気に笑い続けるエイトの傷口を抉るように蹴り飛ばし、部屋の出入口への道を作る。
「逃げるぞ!」
致命傷を与えても即座に復活する奴など構うだけ無駄だ。もっと早くに気付いていればアクトが負傷することは無かった。何を勝手に“致命傷を与えれば復帰に少しは時間が掛かる"と考えていたんだ。
両腕でプリムラを担ぎ上げてアクトに呼び掛けると、脂汗を流した苦悶の表情で頷きが返って来る。
冒険に出る訳では無いからと、防具を修繕に出すからと、回復薬は一つしか持っていなかったし、それも冒険者ギルド前の戦いで使ってしまった。ベッドのシーツを拝借して止血だけでもしたいが、エイトが目の前にいる状況では……あれ? 蹴り飛ばした筈のエイトがいない?
「ボクの【死霊術】は能力の一つとして死者を、魂が記憶している姿で現実世界に出現させることができる。つまり、肉体がどれだけ傷付けられても、魂が無事なら何度でも、どこにだって現れる事が出来るのさ」
背後から声を掛けられた瞬間、反射的に振り返ろうとした体を足の踏ん張りで耐える。プリムラを担いだまま振り返ったら、エイトに差し出すようなものだ。かと言って、この得体の知れない奴を相手にいつまでも背中を向け続けていたくはない。俺の取れる行動は一つだった。
部屋の出入口へ向けて足を踏み出す。
窓の外の格子状の柵に、刃の付いた鎖が絡み付く。
アクトが片手を血で濡らしながらも俺の背中を守ろうとする。
逃げる俺たちを悠長に眺めながら、エイトが高く笑う。
格子状の柵の向こうで、軽装の少女が踊るように飛び上がり、絡み付かせた刃付き鎖を器用に解きながら室内へ着地。
新たな侵入者に、室内全員の注意が向いた時、既に宙には一筋の赤い線が引かれていた。
「ハハ……ハゥッ!?」
エイトは笑い声を中断し、眼元を押さえる。少女は伸ばした錨鎖剣を引き戻しながら、エイトの両眼を斬り裂いたのだ。
「こっち」
少女は幼く高い声で俺たちを呼ぶと、侵入して来た窓からさっさと飛び降りてしまう。「早くしないと死んじゃうよ」という言葉を残して。
飛び降りろって言うのか? プリムラを担いだまま? 脇腹を抉られたまま?
迷っている時間は無い。エイトは視界を奪われたとしても再出現すれば傷は完治してしまう。それに、早くしないと死ぬらしい。
「アクト、行くぞ!」
「……っ、ああ!」
流血に顔をしかめながらも快諾を返してくれる。ならばもう進むだけだ。
格子状の柵は頑丈な造りであったが、戦闘や流れ弾などで破損しており、二回も蹴り付けると接合部が悲鳴を上げる様に折れて道が開ける。
柵と、それに巻き付いていた植物の残骸と共に二階から飛び降りると、直ぐに柔らかな浮遊感に包まれる。かと思えば浮遊感から滑り落ちるようにして地面へと着地を果たした。魔法による着地補助だが、これは先ほどの少女によるものか、それとも隣に立つ凛然とした女性によるものか。こちらに視線を向けている辺り、恐らくは後者だろう。
「治療をします。動かないで」
着地と同時に座り込んだアクトへ女性が告げると、詠唱の後に【ヒール】を発動した。風属性によって漂う癒しの風はアクトだけでなく俺の体力をも回復した。
「助かった」
突然現れ、わざわざ俺たちを助ける動きをした彼女たちは一体何者だろうか。
「礼は不要です。どうしてもというのでしたら、領主であるマナブへ」
領主の指示ということか? 脳裏にぼんやりと領主の顔を思い浮かべていると、地を割ったような轟音が目の前で響いた。音に仰け反らされながら、状況を把握すべく音の発生源であるプリムラの家の方を見ると、人間ほどもある大きさの杭が無数に突き刺さっていた。
無機質な杭と巻き上がる粉塵によって廃墟と化した家屋の中にあって、もはや何も支える物が無くなってしまった柱の上に、いつの間にか一人の若い男が立っていた。
こちらに背を向けている若い男は、はためく黒い外套の隙間から輝く銀の剣を覗かせ、右肩に大型銃を担いでいた。立ち姿に威風がある訳でも、体つきが屈強な訳でもない、どこにでもいる平凡な見た目の男だが、どうしてか妙に自信に満ち溢れた声を放つ。
「待たせた。後はオレに任せろ!」
 




