第二百四十五話:向かうべき場所へ
「それで? あんたらはどうしてここにいるのよ?」
部位欠損した個体含め、路地裏のグールを全滅させた後にコデマリが尋ねる。
「プリムラのところへ行く途中だ」
手短に済ませようと思ったが、コデマリと一緒にいた少女の体から強張りが抜けるまでもう少し時間が掛かりそうだったので、ここに来るまでの経緯についても話す事にした。
「俺たちはギルドの方で襲撃に遭ったんだが、冒険者の援護もあって一段落着いた。それからプリムラの様子を見に行く話になって、アクトとソラクロにはギルドの防衛として残って貰って、俺が単独で向かうことにした」
コデマリは「ふ~ん」と言いながらアクトの方を横目で見た。言いたい事は分かっていたけれど、俺が説明するより先にアクトが口を開いた。
「防衛なら慣れているから、おれにはレイホの道を開けに行ってほしいって頼まれた」
俺が出発して直ぐ追いかけて来たのを見た時は、ギルド前で話している時に提案してくれれば良かったと思ったものだが、ソラクロにも状況判断する時間が欲しかったのだろう。
「なるほどね。なら路地裏を出たらアタシはまた別行動ね。この娘を避難所まで送らないとだし、シオンも探さないといけない」
言いながら、蹲っている少女の前に腰を下ろして立てるかどうか尋ねている。
「……コデマリの方はてっきりシオンと一緒だと思ったんだがな」
二人が一緒で、エイレスはどこに出掛けたのか聞いていないから、居場所の分かっているプリムラの所に行こうと判断したんだが……。プリムラは親御さんと一緒だろうし、体調不良のことを考えるとシオンを先に探すべきか?
「買い物の帰りだったのよ。シオンは宿に残っていた筈だけど、この騒ぎじゃどこに行ったか分からないわ。ま、シオンとついでにエイレスは羽のあるアタシが探しておくから、あんたたちはプリムラのとこに行きなさい。心配なんでしょ?」
べつにそこまで心配している訳じゃないんだが……わざわざ否定する必要もない。
歩けるようになった少女の手をコデマリが繋ぎ、俺とアクトが前を歩いて路地裏から出る。合流地点を冒険者ギルド前に決め、それぞれが向かうべき方向へと足を向けた。
「また屋根に上る?」
「いや、薬草園が見えるってことは、もうすぐ建物の連なりも途切れる頃だ。このまま行こう」
「ん、わかった」
それらしい理由を言って納得させたが、道をグールが覆っていない限りは屋根伝いに走るなんてやりたくはない。高所にいると、どうも下に引っ張られるような感じがして苦手だ。ただ……というか、だからか、さっきコデマリを助ける為に二階から飛び降りた時、我慢していたことから解放されたような……とにかく悪い気はしなかった。
「この騒ぎ、いつまで続くんだ」
街中を駆けている間も、そこら中から悲鳴の声は響き、血や臓腑を撒き散らした死体が倒れている。アクトのように愚痴を零したくなるのも当然だ。だが、この騒ぎが以前のラビト村と同一人物——エイトによるものだとしたら、この街の住民全てが死者となるまで騒ぎは治まらない。
「元凶を叩くしかないだろうな」
質問された訳では無いが、俺の中の答えを口にした。すると、並走する闘気が強まるのを感じたので、走る足を微かに早めた。
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目覚めた時に感じたのは冷たく、硬い床、それと雑音めいて聞こえる人々の話し声だった。
「……生きてる?」
最初に目に映ったのは、一般的な住居では見られない高さの天井だが、それに何かを思うことはなく再び動かせるとは思っていなかった体を起こした。周囲には負傷して苦悶の声を上げる者が薄い布の上で横たわっており、簡易的に設けられた仕切りの向こうでは、板張りの大広間に住民がひしめき合っていた。
「オレ、撃たれて……それから……」
覚醒したての脳で記憶を辿っていると、誰かが歩み寄って来る気配を感じ、そちらへ視線を向けた。
「目が覚められたようですね。ご気分はいかが?」
その者は長く伸びた黄緑色の髪から長い耳が伸び、種族柄とも言える美貌を持った女性だった。彼女は手にした輝く銀の錫杖をできるだけ鳴らさない様にしつつ、柔らかくも済んだ鈴の音の様な声で尋ねた。
「あなたが助けてくれたッスか?」
名は知らぬが、その優れた容姿を一日二日で忘れることは難しい。エイレスは彼女が昨日、アドルフの私刑騒動の折に声を交わしたエルフの女性であることを思い出した。
「いいえ。ここに寝かせたのはわたくしですが、傷を癒し、この公館の前まで運んだのは別のどなたかです」
「そうッスか。でも、気絶している間、面倒を見てくれたならありがとうッス」
エイレスの礼にエルフの女性は朗らかな笑顔で応えた。それは特別な行為でなかったが、多感な頃の少年の心を揺さぶるには十分であった。微かに熱を感じた顔を逸らすと、自信の直ぐ隣の壁に鋼鉄の盾が立て掛けられていることに気付く。
「これ、誰かの忘れ物ッスか?」
目立つ意匠は無く、ごくありふれた凧型盾である。手入れは行き届いているようだが、それでも細かい傷が多く付いている。きっと使用者はこの盾を信じて戦いに赴き、長い時間を共に過ごしたのだろう。
「いいえ。その盾はあなたが所持していたものです」
「え?」
疑問符を浮かべながら盾を裏返し、そこでエイレスの心臓は強く鳴り、脳裏に一人の男の姿が映し出された。
盾の持ち手となる革のベルトには金属板が付けられており、そこには夢追いし心友たちの文字が刻まれていた。
エイレスは刻まれた文字を覆う様に持ち手を握り締め、勢い良く立ち上がった。
「急に動いては……」
エルフの女性の声を「大丈夫ッス」と遮り、機敏な動作で頭を下げてから避難所の出口へと急いだ。
「クラース……」
脳裏に浮かんだ男の名が口から漏れてしまい、それを戒めるために強く歯を噛んだ。
エイレスは彼を探さねばならない。彼の居場所は分からずとも、握り締めた盾が自分たちを引き合わせてくれると信じて。
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血に濡れた中心市街を離れ、荒らされた薬草園を通り過ぎ、住居がまばらに建った閑静な街外れ。ランドユーズの領地であるなら例外はなく、グールたちが跋扈していた。
「……全部は無理」
駆ける速度は緩めず、行く手を遮るグールを両断したアクトが言葉を漏らした。
全部とはグールを倒すことだろうか、それとも生きている人を救うことだろうか。……どちらだろうと俺の答えに変わりはない。
「寄り道はなしだ。最短を邪魔する奴だけ倒せ」
俺もアクトも熱波の中、広い市街を走り抜けてきたことで体力の消耗は大きいが、止まる気は毛頭ない。こちらに気付き、緩慢な動作で近寄ってくるグールを置き去りにし、悲鳴の上がる家屋を通り過ぎる。俺は救世主でも英雄でもない平凡な人間だ。出来ない理由には事欠かない。
両刃片手剣を握る力を強め、土を踏み締めて行くと、予想よりも早く目的の建物が見えた。
閑散と住居が立つ土地で、比較的大きく、珍しい二階建ての建物。二階の窓から張り出して作られた格子状の部位には植物の蔓が絡み付き、黄色の花が大きく開いている。
外見上は問題無さそうに見え、心の中に微かな安堵が現れる。だが、それは僅かな間のみで、二階の屋根の陰から伸びて来た糸によって全身に緊張が走った。
「アクト!」
回避を呼び掛けようとしたが、アクトは「見えてる」と答えると同時に空の左手を突き出し、【インパルス】を放った。手の平から放たれた衝撃波によって跳ね返された糸は、使い手によって引き戻される。
「あいつ、邪魔だな」
屋根に隠れたままの相手を睨み付け、背中に背負った鞘を抜き取った。
「あいつはおれがやるよ。レイホは行って」
返答を待たず、アクトは家の裏手に回り込む。その背中を止めることはしない。救えたかもしない命を見捨ててまでここに来たのだ。今更止まれるものか。
「雷に気を付けろ」
敵の正体は不確定だが、恐らくは以前戦ったことのある女性——ヴァイオレットとか言ったか——だ。糸を伝ってくる電流は厄介だが、アクトの戦闘能力を信じてプリムラの家へと駆け込んだ。
 




