第二百四十四話:夢持つ者
熱に蒸され、むせ返る死臭が立ち込める中、人々は救いを求めて逃げ惑う。始めは拳銃で対抗していた者も、数の暴力に押され、隣人が食い殺されるのを目の当たりにしては、もはや引金を絞ろうなどとは思わなかった。
大の大人が喚き立てる人の波の中に居て、毅然とした佇まいでグールを迎え撃つのは、可憐なドレスに身を包んだ少女。戦いに似つかわしくない装いでありながら、人の波を、グールの攻撃を避け、指先に集中させた魔弾を放つ。
「ああっ、もう! なんでまたグールの群れなんかを相手にしなきゃいけないのよ!」
コデマリは誰宛でもない不満を口にしながらも【マジックショット】を放つ手は緩めない。単純な威力は拳銃よりもずっと低く、マナ濃度の低下で連射性も落ちてしまっているが、それでも光属性を乗せて放つことでグールの足止めは可能だった。しかし、足止めが限界ということをコデマリ本人は強く理解していた。
「この一帯、どれだけ人が居るのよ……」
苛立ちはいつまでも終わらぬ住民の避難に……否、グールを倒し切るだけの魔法を扱えぬ自分自身に対してだ。
コデマリが居るのは商店が多く並ぶ通りであった。レイホらが出掛けた後少しして薬屋へと赴き、魔力薬の買い出しのついでに腹痛に効く薬を幾つか購入した帰り、グールの襲撃に遭ったのである。
コデマリ一人なら逃げるのは簡単だ。妖精体に戻って空を飛べば良いだけなのだから。けれど、混乱し、慌てふためく住民を見捨てて行けるほどの非情さは持ち合わせていなかった。今も妖精体ではなく、わざわざ魔力消費の増える人間体で対峙しているのも、グールの標的になるためだった。
光属性による目眩効果でグールの侵攻を止めていたが、大通り一杯に広がるグールはいよいよ邪魔な同胞を踏み潰し、新たな同胞を増やそうと侵攻を再開する。
「……引き際ね」
買ったばかりの魔力薬を飲み干し、容器を投げ捨てる。
夢中でグールと対峙している内に商店街から人気は無くなり、背後から聞こえるのは遠ざかる足音ばかりだ。
「大きい通りでこれだけ時間を稼いだのに、自警団も兵士も来ないって……何してんのよ」
口から不満を吐き出すことで冷静さを保った頭で考える。体調不良のこともあるので、先ずはシオンと合流したいが、流石にこの騒ぎでまだ宿に居るという事はないだろう。街の状況確認も含め、空から探すべきだ。
結論付けるや否や、妖精体に戻って飛翔の羽ばたきを一つ。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
近くで甲高い悲鳴が聞こえ、上空へ向かおうとしていた体を急停止、反転。悲鳴の聞こえた路地裏へと急ぐ。
「アァァァァ……」
逃げ遅れ、隠れていたのであろう幼き少女に、グールが緩慢な動きで迫る。
「ほんっとに、何してんのよ!」
グールの群れを飛び越え、路地裏に入り込んだコデマリの指から【マジックショット】が放たれる。それは攻撃を避ける思考を持たぬグールに直撃し、目眩を起こさせる。
「ちょっとあんた、こっち来なさい!」
「ぅえっ、えーーーん!」
今のうちにと、路地裏の更に奥へ誘導するが、少女は蹲って泣き叫ぶのみである。
「あっ、もう!」
少女を宥めている時間は無い。少女を担いで逃げる力は無い。そして、少女を見捨てて去る選択肢などあろうものか。
「マナよ、我が下に集いて走れ……バレット!」
【マジックショット】よりも一回り大きな魔弾が纏うのは火。目眩で標的を見失っているグールに着弾すると、瞬く間に全身へ燃え広がる。不幸中の幸いにして、周囲の建物は木造ではなく混凝土製だ。火だるまのグールが身を打ち付けたとて燃え移る事はなく、後続のグールに燃え移って炎の壁が出来上がる。
「ほら、今のうちに逃げるわよ」
「うぇぇっ、えぐっ……うっ」
呼び掛けても嗚咽しか返されぬ事態に、コデマリは焦れた。
火が燃えているうちはグールの侵攻を止められたなら、どれだけ心強いことだろうか。現実はいつも想像しているより厳しい。グールが炎を恐れず、踏み越えて来るまで、そう時間は掛からない。
グールの群れに対して時間稼ぎしか出来ず、少女一人満足に助けられないで、何が未来の大魔法使いか。所詮、成長しない妖精が主役になろうなど、夢物語に過ぎないのか。
違う!
強く、故郷を飛び出た時のように否定の言葉を胸中に打ち付け、コデマリは人間体へと変身する。
「お願い。立って」
こんな時、何と言えば小さい子供の気を引けるのか、妖精のコデマリには見当も付かなかった。だから可能な限り優しい声音で、手を握って頼んだ。
肌が触れ合うことで気持ちが通じたのか、少女は立ち上がってくれたものの、その足は震えている。
「よし、こっちよ!」
少女の手を引き、路地裏の奥へと進む。早歩きかそれ以下の速度ではあるが、コデマリは少女を急かすようなことはしなかった。背後から追って来始めたグールに注意を払い、路地から抜けようと狭い道を右へ左へと進み……ついに行き止まりになった。空き地で開けているわけでもなく、混凝土に囲まれた場所からは限られた空しか望めない。
「おねぇちゃん……」
歩いている内に少女の涙は治まったが、コデマリを見上げる表情は未だ泣いている。けれど、「大丈夫」と気休めを口にして少女を宥める余裕は無い。
混凝土の壁には窓が取り付けられているため、割れば建物の中へ逃げられそうだが、如何せん高過ぎる。コデマリが少女を担いでも、あと子供一人分足りないくらいだ。裏口などは無く、地下へと続く道も無い。
羽のあるコデマリはどうしても空を見上げ、奥歯を噛み締めた。自分は逃げられるが、それ以上の結果は得られない。助けを呼ぶにしても、救いの手は街中で必要とされている。知り合いか、偶然通りすがったかでない限り、手の届く者の救出を優先されてしまうだろう。
「オォォォ……」
足を止めてしまえば追い付かれるまでに時間は掛からない。地を這う唸り声が迫り、コデマリの左手が強く握られる。
理性も無駄な欲も無いグールは、追い詰めた獲物を嬲るようなことはしない。緩慢な動きを止めずに接近して来る。
「こんなところで……」
与えられた選択肢は三つ。少女の手を離し、唯一の逃げ道である空へと去るか。諦めて少女と共にグールに貪られるか。諦めずに最期まで抗ってからグールに貪られるか。
コデマリには夢がある。成長しない妖精の身でありながら歴史に名を遺すような大魔法使いになるという夢が。
コデマリには仲間がいる。自らが名付けた、ペンタイリスの仲間が。ここで少女を見捨てたとしても、彼らと冒険を続けることに何ら支障は無い。
コデマリには免罪符がある。既に大勢の避難を援護したのだ。少女一人が犠牲になったとて、誰が彼女を責められるだろうか。言ってしまえば、あと数秒早くコデマリがあの場を離れていたなら、今隣りにいる少女は認知されることなくグールに食い殺されていたのだ。コデマリに認知された為、少女の寿命が数分伸びただけのこと。
選択肢は三つではない。行き止まりに着いた時点で一つだ。
コデマリは少女の顔を見ずに手を離す。
二つに結ばれた桃色の髪を揺らし、小さく開けた口で何ごとかを呟く。次いで左手をグールへ向け、黄緑色の魔弾を三連射する。風属性によって誘導性を得た【ラピッド】は、不規則に揺れ動くグールの頭部に寸分違わず命中し、砕いた。
腐った脳漿を跳び散らして崩れ落ちるグールを、後続が踏み潰す。
下級魔法一発でグール一体。狭い路地裏に密集した群れを相手に、コデマリがどう足掻こうと勝ち目は無い。無いのだが…………
「諦められるわけないでしょ!!」
夢も、少女の命も。全て手にしてこそ大魔法使いというものだ。
ただし、意気込みだけで状況は打開できない。それが成長という観点において不変の妖精ならば尚更だ。この絶望的状況を打開するには圧倒的に可能性が足りず、その可能性を持つ存在が自分ではない事をコデマリは知っている。知っていたからこそ、自分にできる時間稼ぎを最期まで全うしようと考えたのだ。で、あれば、どうして可能性が応えずにいられようか。
「シェード、火!」
聞き覚えはあるが、珍しく張った声で短く放たれた言葉。コデマリは驚愕や歓喜の感情が湧くより、声の主を探すより先に少女の傍へ寄って言われた通りの魔法を発動する。
「マナよ、我が下に集いて迫る脅威を受け流せ……シェード!」
火の気流が生じて二人を包むと同時に、建物の上から一本の短剣が投擲された。短剣にしては分厚い刀身で、鍔との間に不自然な隙間がある奇妙な形。その切先がグールの群れの中心に突き刺さる。直後、鋭い破裂音と爆炎を生じさせた短剣は弾け、周囲のグールを吹き飛ばしながら無作為に切り裂いた。
「きゃあぁっ!」
コデマリは脅えて縋り付いて来る少女を抱き留めたことで、爆発を免れて間近まで接近していたグールの対処に遅れてしまう。【シェード】が受け流すのは魔法や爆発などの間接的な攻撃のみで、直接攻撃には無力である。指示を出した人間がそれを知らぬ筈が無く、二階から飛び降りたというのに掛け声の一つもないのは相変わらずと言うべきか。
落下速度を追加して振り下ろされたのは何の変哲も無い両刃片手剣だが、グールの頭部を両断するには十分な代物だ。
「無事か?」
魔法の効果が切れ、火の気流が消えた先から投げ掛けられたのは無感情な声。そして眼にした姿は、丈夫な革鎧を纏ってもまだ頼りないくらい線が細く、戦場にいることを知らないのではないかと心配になるような覇気の無い顔。つまりはいつも通りの彼だった。
「なんとか……お陰でね」
彼が普段通りだからこそ、コデマリも湧き上がる感情を溢れさせずにいれた。腰の抜けた少女の肩を一度抱き締めてから立ち上がる。
「助かったけど、下りて来て良かったの? まだ来るわよ?」
先の爆発で、路地裏は凄惨な状況に様変わりした。頭部を破壊されて動かぬ個体、足を吹き飛ばされて這いつくばる個体、腕を無くしてあらぬ方向へ歩き続ける個体。それらの個体を蹴散らして進んで来る、爆発を逃れた個体。
「良くはなかったが……べつに構わない。ここに居るのは俺だけじゃないからな」
彼の言葉の意味は直ぐに分かることになった。グールの力無い呻き声が徐々に近付き……そして、先頭を歩くグールの眉間から反りのある刃が生えた。
「まともなのは、これで最後」
眉間から刃を抜かれたことで崩れ落ちたグールの向こうに立っていたのは、飛び降りて来た彼に似て、抑揚の無い声と無表情を携えた少年だった。ただ一つ圧倒的に違うのは、秘められた思いが作り出す力強い瞳だ。




