第二百四十話:平等
参ったな。その言葉が口を衝いて出る前に冒険者ギルドの扉を開け、張り付くような熱気の中に逃げる。
亡くなった人たちの等級証を届け、南の森での出来事を報告し、ゴブリンの魔石を買い取ってもらった。正式な依頼でなかったことを除けば、大筋は普段の冒険と変わりない。俺を含め負傷した者はいるが、薬や魔法で治療し全員無事に帰って来れた。だというのに、心は晴れずに体の緊張は続いている。
「……大丈夫ッスかね?」
背後から聞こえて来たエイレスの心配が、今なおすすり泣いている少女へ向けられていることは全員が理解していた。
「ギルドの人が様子見るって言ってたから大丈夫でしょ。それより腹減ったから飯行こう」
「あんた……よく食欲出るわね」
未だ脳裏から離れない冒険者たちの死に様にげんなりとするコデマリであったが、アクトは小首を傾げた。
「冒険に出たら腹減るもんじゃないの?」
「あー……もういいわ。とりあえずアタシは遠慮しとくから」
「ん。皆は?」
誘いに頷く者はいなかった。暑いだけでも食欲は薄れるというのに、あんな惨状を目にしたのだから当然と言えば当然だ。
「悪い。ここで解散にしよう」
全員で行動する理由がない以上、俺の提案を拒む意思は現れなかった。
解散となったが、別行動を取るのはアクトのみで、他の五人は特に話し合う訳でもなく宿屋へと向かう。その途中、シオンが腹を摩ったのを視界の端が捉えた。
「痛むのか?」
治療は問題ないと思ったが、射られた場所的に何か後遺症があるのかもしれない。
「あ、大丈夫、大丈夫! 何となく気になっちゃっただけだから!」
シオンは白い歯を見せて笑む。どうやら強がっているわけではなさそうだ。
「あんたって案外心配性よね」
「アニキは無関心そうに見えて仲間想いなんスよ」
心配性に仲間想い? 冗談じゃない。
否定は頭の中だけに止め、別の話題が無いかと街並みを眺めていると、物々しい雰囲気で店から出て来る数人が視界に入った。
「おい、離しやがれ! わしがこの街の発展にどれだけ手を貸したか知ってんのか!? わしを私刑にしたらマナブの坊主が黙っちゃないぞ!」
がなり立てるのは、男たちに腕を掴まれ押されるようにして先頭を歩く、恰幅の良い小柄の男——ドワーフだ。立派な顎髭を蓄え、腰のベルトからは工具入れを下げている。
「いいえ、領主様は平等だ。この街に発展と平和をもたらしたその日から」
「その通り。多種族が集うこの街で平和を維持するためには、皆が平等である必要がる」
「であればこそ、種族を理由に不満不平を申し立てるなど、容認できない」
単純な腕力であればドワーフが人間に後れを取るなど、そうそうない話だが多勢に無勢となれば別だ。ドワーフは靴底で地面を擦る音を立てながら路地裏へと連行されて行く。民主主義的思想に共感した市民を増やしながら。
「ふざけんな! 雑な仕事に文句を言って何が悪い! ドワーフがエルフに文句言ったらいけねぇってのか!? それこそ不平等じゃねぇか!」
路地裏に連れて行かれた自身の末路が脳裏に過り、ドワーフは激しく抵抗する。逞しい両腕と体を暴れさせるが、後頭部に銃口が当てられたことで直ぐに止めることとなった。
「暴れるな。こっちはべつにここで罰を執行しても構わないんだぞ?」
私刑に場所と時間は関係無い。路地裏に運ぶのは、屋内や通りを血で汚さぬようにする為の配慮でしかない。
どうにか打開する方法はないかと、ドワーフは眼と脳を必死に動かし、そして冒険者風の五人組を見つける。
「……っ! お、おい、そこの! わしの無罪を主張してくれ! 五人いれば同数にならぁ!」
……もしかしなくても、俺たちに言ってるんだよな?
「レイホさん、助けてあげましょう」
ソラクロに手を引かれ、俺の足は抵抗が間に合わずに動き出す。
事情は知らんが、これ以上の死体は勘弁願いたい。どうせ宿までそう遠くないんだし、厄介事の一つくらい関わってやるか。
「どうしたんですか?」
ソラクロが尋ねると、路地の入口まで来た男たちは一旦足を止めた。
「このドワーフがエルフの装飾品に対し、種族を否定するような文句を言ったのです」
「エルフが営んでいる店に自ら足を運んでの行為。悪質極まりない」
「この街の平等の妨げになると思いませんか?」
男たちは代わる代わる状況を説明し、ソラクロは判断を委ねるように俺の方を見た。
「馬鹿野郎! あんなんで私刑の対象になってたらこの街にゃ誰も寄り付かなくなんぞ!」
「平等を守れる者だけの街。それこそ領主様の目指した街だ」
「けっ、あの坊主がそんな崇高な考え持つかよ! おい、あんたら冒険者だろ? わしは鍛冶の腕なら他のドワーフよりも自信がある。助けてくれたら必ず役に立つ礼をする! 頼むから助けてくれ!」
必死に助けを求められたら手を差し伸べたくなるのが人情というものだ。しかし、今回の被害者であるエルフがこの場にいないのはどうしてか。男たち曰く、種族を否定されたらしいが、その真偽は当人にしか分からない。
「あんた、実際には何て言ったのよ?」
コデマリの質問にドワーフは一度口をへの字に曲げてから答える。
「下手な細工で小銀貨一枚も取るなど、ぼったくりもいいとこだ。エルフは気位だけじゃなく値段も高くせんといかんのか? って言ってやったんじゃ」
ドワーフが言い終えてから少し待ったが、言葉が追加されることは無く、周囲の男たちも黙ったままだ。
これだけ、と言うのはエルフ側に申し訳ないが、私刑の対象にされるほどじゃないだろ。
「それだけならドワーフとエルフの間じゃ挨拶みたいなものじゃない。エルフの方だって言われっぱなしじゃないんでしょ?」
「その娘っ子の言う通り! 向こうもドワーフを馬鹿にしおって……」
「そちらが仕掛けなければ済んだ話だ」
反抗するドワーフの言葉を男が遮り、また別の男が口を開く。
「いずれにせよ、罰を受けるのは決定事項だ。仮に冒険者たちが反対してもこちらの方が多数派なのだから」
改めて数を確認すると、俺たちは五人、向こうも男たちは五人だが、店員のエルフを含めたら六人か。
「さっき、俺たちがいれば同数になると言ったのは?」
問うと、ドワーフは男たちの人数を数え……眼を見開いた。
「一人増えとんじゃねぇか! 卑怯だぞ!」
「常時参加可能なのだから、卑怯も何もないだろう。そっちだって通りすがりの冒険者を呼び止めたじゃないか」
「ぬぬぬっ……。お、おいあんたら、もう一人反対派を連れて来てくれ! こんなことで殺されちゃ、先祖に顔向けできん!」
助けてやりたいとは思うが、周囲を見ても目を合わせた途端に知らん顔されるばかりだ。
「決まりだな」
加勢が無いことを確認し、男たちはドワーフの体を強く押す。ドワーフががなり立てるのと、錫杖の鳴る音が響いたのは同時だった。
「もし、その方はアドルフさんではありませんか?」
澄んだ鈴の音に柔らかさを追加したような声が届き、その場に居た者全ての視線が一方向に集中する。
そこに立っていたのは、輝く銀の錫杖を手にし、女性的な肢体を法衣に似た薄い衣で覆った女性だった。手入れの行き届いた黄緑色の長髪から覗く、長い耳が彼女をエルフだと認めさせる。
女性は事態に似つかわしくない、柔らかな表情でこちらを見つめている。
「店の商品の質が悪いってエルフに文句を言ったら、処刑されそうになってるところッス」
一番近くに居たエイレスが手短に状況を説明すると、女性は垂れがちな眼を微かに丸くして「あらあら」と声を漏らした。
「お前さんは坊主んとこの……。 丁度いい、わしの無罪を主張しとくれ! このままじゃ殺されっちまう!」
「あら、やはりアドルフさんでしたね。ごきげんよう」
たおやかな笑みはドワーフ——アドルフに向けられたものだが、容姿端麗なエルフのその表情に男共は少し落ち着かない様子を見せた。
「挨拶は後にしろい! とにかく助けてくれ!」
アドルフは「エルフに助けを求めるのは癪だが」と小声でつぶやいたが、当の本人の耳には届いていない……エルフの聴力なら聞こえていても不思議ではないので、敢えて気にしないでいると捉えた方が妥当か。
「ええ。アドルフさんにはマナブ様が随分とお世話になりましたから。それで、わたくしはどうすれば?」
「事情はそこの坊主がさっき言った通りだ。とにかくわしの処刑に反対しとくれ!」
「はい。ではそのように」
ゆったりとした動作で頷くと、エルフは俺たちと合流するように並ぶ。隣り合ったシオンは居心地悪そうに体を捩ったが、エルフの方は特に気にした様子は無かった。
「おら! これで六対六だ! 同数の場合、執行は見送るんが多数決の規則だったよな!」
男たちに有無を言わせず、両腕を大きく振って拘束を引き剥がす。
「ぐっ……。エメライン様、同族が侮辱されたのですぞ! お考え直しを!」
「う~ん……人間の方々は考え過ぎなのです。わたくしどもはそういう間柄なのですから」
エルフの女性——エメラインの意を変えることは困難だと判断し、男たちはアドルフの包囲を解いて去って行った。
「…………」
終わったのなら宿に帰るとしよう。そう思って歩き出そうとしたが、アドルフの恰幅の良い体に阻まれてしまった。
「いやぁ、お前さん方のお陰で助かった。礼を言わせてくれ」
立派な顎髭をしごくのはドワーフなりに身だしなみを整えているのだろう。
「いえ。大したことはしていません。それでは」
通りすがりの関わり事に深く踏み込むつもりは無い。先を急ごうとすると、アドルフの無骨な手に腕を叩かれた。
「わしの工房は冒険者ギルドの裏手にある。気が向いたら寄っとくれ。ドワーフは受けた恩は必ず返す種族でな」
叩かれた腕を掴まれることはなかったが、アドルフの言葉はしっかりと耳に届いていた。
冒険者ギルドの裏か。無視しててもそのうち街中で出くわしたら面倒だし、早めに顔だけ出しておくか? 礼を受けるか否かは別として、矢で貫かれた防具は修繕しないといけない。
「あの~……」
考えながら道を歩いていると、店の戸口からエルフに声を掛けられる。騒動の発端となった装飾屋の男性エルフだ。
「どうしました?」
反応が遅れた俺に代わってソラクロが聞くと、エルフは外の様子を気にした風に視線を動かしながら口を開く。
「あのドワーフは?」
「そこに居ますよ」
恐る恐る戸から顔を出し、アドルフの姿を確認したエルフは溜め息を吐きながら直ぐに顔を戻した。
「良かった。確かに彼の言い方は頭に来たけど、何も殺す程じゃない。この街の人の価値観は妙だよ」
「あなたが止めても聞かなかったんですか?」
「うん。“種族を否定するような言動は重罪だ”て言って聞かなかったよ」
とんでもない連中だな。……いや、街全体がそうなのか。しかし、多数決の結果にそこまで不満があった様子ではなかったし、反対派になった俺たちに悪態を吐くこともなかった。良くも悪くも、この街の規則に従順過ぎるのか。何をどうしたのかは知らんが、領主の統治力が強すぎるのが原因だろうな。
…………異世界人、ろくな奴いないな。頼むから今回は首都の時みたいに絡んで来るなよ。




