第二百二十九話:ランドユーズの人々
「ええっ、じゃあ姫様は実家に帰っちゃったんスか!」
エイレスの言う姫様とはプリムラの事だ。
宿屋に程近い飲食店で朝食を待つ間、昨日の出来事を話すとエイレスは呆気にとられた。アクトとコデマリについては特に気にした様子は無いが、予想していた通りの展開だ。
「このまま実家で暮らすって言われたら、アニキどうするんスか?」
どうするも何もないだろう。プリムラは元から冒険者になりたくて村を出た訳じゃないんだし、俺が強制できることなんて何一つ無い。
「べつに、どうもしない。プリムラが決めた事なら受け入れるし、俺としてはその方が良いと思っている」
閉じた口をへの字に曲げて見せるエイレス。俺の返答が気に入らなかったのは分かるが、何が気に入らないのかまでは分からないので、何も言って来ないならば相手にする気は無い。早々に視線を切って会話を終わらせたつもりが、俺の隣りに座る空色の瞳が先回りしていた。
「それなら、一緒に来たいって言われた時も素直に受け入れるってことですよね?」
ソラクロからの問いを素直に受け入れられず、「む」と唸ったのを耳にするや否や、エイレスが介入して来る。
「そうッス、そうッス! わんこさんの言う通りッス!」
わんこさん、とはそのままソラクロのことである。ソラクロは特に気にしていないから俺がとやかく言う必要も無いが……もっと他になかったのか?
「どっちだっていいじゃない。料理来たんだし、食べるわよ」
「どっちだっていいって……先生、仲間が残るか居なくなるかって話しなんスよ?」
コデマリはエイレスには構わず、固い表情のまま、魚料理の身をほぐしている。
俺からプリムラの身に何があったのかは詳しく話していないが、他の二人から聞いたのだろうか。だとしたら妖精を身に宿すプリムラに対して、何か思うところがあるのかもしれない。
「隊長はどうッスか? 姫様がいなくなるかもしれない件について!」
仲間を増やしたいのか、話しへ加わらずに肉料理を頬張るアクトへと詰め寄る。
そいつにこういう話をしても、エイレスが期待する答えは返って来ないと思うのだが……。
「パーティの事に関しては……レイホと、本人に任せるよ」
エイレスには目もくれず予想通りの答えを口にすると、それ以降アクトは言葉を発さずに料理を次々と口に運んで行った。
「ぐぬぬ……姉さんは、勿論こっち側ッスよね?」
「まぁ……そう、だね」
プリムラ残留希望派が半数まで増えたことで一応の納得は得られたのか、エイレスは「よし!」と息を吐いて、豆や卵を中心とした栄養価の良さそうな料理を口に運んだ。
「エイレスは、どうしてそんなに……プリムラのことを気にするの?」
シオンからの問いに、エイレスは短い咀嚼を挟んでから嚥下し、答えを言い放つ。
「仲間だから当然ッス! 姫様に限らず、仲間がいなくなるのをそう簡単に納得なんてできないッス!」
これが世界の真理だとでも言うかのような堂々とした態度。
仲間が下した決定を尊重するのも、仲間の在り方だと思うが……どちらにせよ俺には関係の無い話だ。
「まだパーティを抜けると決まった訳じゃない。そんなに騒ぐな」
「そうッスけど……アニキたちの落ち着き払った態度を見ていると……こう、焦るんス!」
「焦ったってどうしようもないことは分かってるんでしょ。さっさと食べなさいよ。煩い」
俺とコデマリに窘められ、アクトは模範となるかの如く勢いで料理を平らげていく。
プリムラ残留どちらでも良い派からの反撃を受け、エイレスは「ぬぬぅ」と呻いた後に食器を手に取った。
「血となり肉となり、この身の糧となる命に感謝を!」
騒がしい敬礼をして、ようやく食事に集中し始めたエイレス。それをコデマリはつまらなさそうに一瞥してから、俺の方に視線を向けた。
「それで、今日はこの後どうする気? 全員で街を散策する必要はないでしょ」
俺たちはランドユーズに、ダークエルフの暮らしについて見学するために来た訳だが、コデマリの言う通り全員で街中をそぞろ歩く必要はない。冒険者として依頼を受けたければ好きに受ければ良いし、魔法書や武具など、何か見たい物があるなら見に行けば良い。
頭で考えた事をまとめ、口にしようとした瞬間、俺たちとは別の所で囂々とした声が上がった。見ると、会計の方で三人の男——まとまりのない装備をしている辺り、恐らくは冒険者パーティが若い店員を威圧している。
朝の清い雰囲気が一瞬にして不穏なものに変わった。
「ダークエルフが作った飯に金なんか払えるかよ!」
「さっき厨房で黒い人影が見えたぞ!」
「冒険先で不幸になっちまったらどうしてくれんだぁ、おい!」
男たちの言う通り、この店はダークエルフの料理人が腕を振るっている。俺たちは宿の従業員から話を聞いて来たのだが、知らずにダークエルフを嫌悪している者が入店したとしたら……いや、態度からしてあいつらも、ダークエルフがこの店で働いていることを知っている。知っていて文句を喚き散らしてるのだ。
会計を対応しようとしていた女性従業員は男たちに気圧されてしまうが、騒ぎが大きったお陰——と言っていいものか——で奥から温和そうな顔立ちの中年の男性従業員が現れて対応を交代した。男たちへの名乗りを聞いたところ、彼が店長らしい。
「お三方はこの街に来たのは初めてで?」
「あん? そうだが?」
「んなことより、どうすんだよ。ダークエルフが作った飯なんか食わせやがって!」
「呪われたらどうすんだ!」
会話しつつも、示し合わせたかのように騒ぐ男たち。それを前にしても店長は微塵も動じず、営業用の愛想の良い笑みを薄っすらと浮かべている。
「それではこの街、ランドユーズの決まり事を一つお教えしましょう」
「ああ? 決まり事だぁ?」
「それよりも」と言葉を続けようとした男へ、店長は無言の圧力を掛けた。体格も人数も装備も勝っている男たちであるが、それ故に、自分達の外見で相手が臆しない場合の対処方には疎かった。
「この街で人種差別、またはそれに準ずる言動を行った者は一万ゼースの罰金、または一年以上の投獄が科されます」
にこやかに、しかし否やを許さぬ圧を籠められて突き付けられた決まり事に、男たちは目を白黒とさせた。
「ふ、ふざけんな!」
一人がどうにか声を上げると、残る二人も野次を飛ばす。しかし、それは意味のある言葉ではなく、「そうだそうだ!」という同調。それと「脅そうったってそうはいかねぇぞ!」という、どの口が言えたのか呆れてしまう言葉だった。それを受けて、店長は初めて表情を変化させた。怒りでも呆れでもない、眉根を少し寄せた困り顔だ。
「私としては、大切なお客様を罪人としてしまうのは非常に心苦しいのですが……分かりました。お客様でないならば、遠慮する必要はありませんね」
店長の言葉の意図を察せなかったのか、察した上でまだごねられると判断したのか、一人が「ああん?」と凄んだ瞬間だった。店内の雰囲気が不穏なものから殺伐したものに変化した。その気配は男たちから発せられているものではない。逆だ。店長に向かって不平を垂れ流す男たちに向けられていた。
「お、おい!」
男たちの内の一人が、変化した空気に気付いたのだろう。店内を見渡したかと思うと、脅えた様子で仲間たちの肩を叩いた。
「んだよ? ……うっ!」
「な、なんだ、おめぇら!」
店内で食事を取っていた客、老若男女が徒党を組んで男たちを取り囲んでいたのだ。その包囲網に加わらない者がいるとしたら、俺たちのような余所者だけだ。
「店長の恩情にふいにしたからには、どうなっても文句は言うなよ」
客の一人が懐から取り出したのは、片手用の持ち手が付いた金属の筒状の物体だった。持ち手と筒状部分を繋ぐように輪が取り付けられ、輪の持ち手側には指を掛けるようなでっぱりが伸びている。
実物は初めて見るけど、あれ、拳銃だよな。……現代兵器を初めて見たのが異世界って、何かよく分からん状況だけど、そんなことは置いといて、だ。
客は取り出した拳銃を騒いでいた男の一人の額に押し付けた。男は何を押し付けられたのか分からないが、客たちの雰囲気からただ事ではないことは否が応でも理解できる。
「ひぃぃっ! な、なにをする気だ!」
情けなく悲鳴を上げる男に説明するのは店長だった。困り顔だった表情は温和なものに戻っている。
「領主様が考案した、火薬で鉛を撃ち出す武器です。人の頭ぐらい、簡単に貫きますよ」
「は、はぁぁ!? な、そ、はぁ?」
「ひ、人殺し!」
「ふざけんな!」
男たちとて冒険者の端くれだ。未知の武器を前に脅えながらも、各々の携えていた武器に手を伸ばす。しかし、その手は武器に届く前に止められる。客の構えた拳銃が、更に額に押し込まれたからだ。
「そうそう、言い忘れていました。街の決まり事に背いた場合、先ほどのような法的罰の他、民主主義に基づいた罰則も認められているのです。とはいえ、ここで執行されるのは困りますね。店の裏でお願いできますか?」
店長は、まるで上客に料理の説明をするかの如き穏やかさと丁寧な口調で言ってのけ、客もそれが当然のことのように首肯する。
この街の常識、どうなってんだ……?
「わ、分かった!」
「俺たちが悪かった!」
「金なら払う! だから命だけは!」
客の波によって店の出入口へと押される男たちは堪らず許しを乞う。流石に人の心は残っているのか、客の勢いは止まり、店長に判断を委ねるべく視線を向けた。
「ええ。きちんと料金を支払っていただけるなら大切なお客様です。お客様を罪人にするなんて、私が許しません」
淀みなく言い放つ店長は、誰もが納得する営業スマイルを浮かべていた。
騒動が沈静化し、客が何事も無かったかのように席に戻って行く。その足音に混じる音が一つ。遠く、遠くの方で発砲音のような音が窓から転がって来た。
意識は何かの聞き間違いだと思い込もうとするが、正常そのものの視界はソラクロの犬耳が微かに跳ねたのを捉えていた。
 




