第二百二十八話:家族
プリムラ本人じゃないって……じゃあ、今目の前にいるのは? 彼女は魔法学校で話した時、首都で話した時、俺の知っているプリムラと同じ記憶を持っていた。……研究所が用意した別人だとでも言うのか?
「どういうことだ?」
今し方まで上機嫌だった父親だが、既に赤ら顔は消え去っていて、力のある視線をプリムラへと向けている。
動揺の中にあって、唯一落ち着き払っているプリムラは、真っ直ぐに顔を固定したまま説明を始める。
「この肉体は、間違いなく、プリムラ、本人のもの。だけど、内側は、心? 魂? は、ばらばら」
どういうことだ? 父親が先ほど口にした言葉と同じ言葉を頭の中に浮かべる。聞いているのが俺一人なら、パーティ内での話しなら沈黙で先を促せただろうが、今はそうじゃない。成り行きで一緒にいる俺たちでは決して変わる事が出来ない位置にいる者、親が目の前にいるのだ。
「プリムラは……どうしたんだ? どこにいるんだ?」
「この、肉体には、まだ……」
全てを言い切る前に、父親がプリムラの両肩を掴んだ。
「まだ? まだってどういうことだ? これからどうなるって言うんだ!?」
掌で覆えてしまうような細い肩を揺らす父親を、母親が制止する。けれど、詰め寄られた当人は特段様子が変わることなく、薄い唇を動かした。
「このまま、だと、プリムラの、魂は、いずれ、完全に、破壊される。あの、館で、研究所で、随分と、擦り減り、砕かれた、から」
言葉は区切られたが、父親は両手で頭を抱え、母親は娘の肩を抱いたまま沈鬱な表情を浮かべている。
聞きたいことはあるのだが、この状況下で俺が声を発していいものなのだろうか。ソラクロとシオンに視線を向けても、二人してどうしよう、と静かに焦っている。……視線が合った。そんな助けを求められても、俺だって困っている。
「この、言葉は、この、身に起きた、ことを、話そうとする、意思は、プリムラ、本人の、もの。この、肉体に、取り込まれた、私たちが、魂を、繋ぎ止めて、話してる」
俺としては、その私たちが何者なのか知りたいのだが……やはり口を挟むには空気が重すぎる。
その内、冷静さを取り戻したのか、父親は頭を抱えていた両手を離すと、自らの一言一言を確かめるように尋ねる。
「…………君は何者なんだ? 娘の体で、今話している君は?」
「妖精。人の手によって、捕らえられ、命を絶たれ、この肉体に、取り込まれた、妖精の、集まり」
「何を……」
父親はそこまで口にしてから、唇を噛み締めるように閉口して俯いてしまう。その沈黙は悔恨か瞋恚か、はたまた双方によるものなのか……いずれにせよ俺には理由が分からなかった。
母親の方は抱いた娘の肩に縋るようにして静かに嘆いていたが、プリムラはそれをものともせずに話を続ける。自身が故郷を離れてからのことを…………。
それは被虐の日々だった。
それは凌辱の日々だった。
それは穢悪の日々だった。
それは支配の日々だった。
それは絶望の日々だった。
顔は正面を向けながら誰とも視線を合わせず、淡々と、眉一つ動かさず告げられる事実。両親が止めても聞かないものだから、彼らの矛先はこちらに向く。
「お前たち! 娘に何をしたんだ!」
何もしていないのだが、それをそのまま口にしたところで信じてもらえそうにない。
「……」
悪い癖が出た。信じてもらえるか否かは別として、直ぐに何かしらの返答をしなければいけないのに回答を探してしまった。言葉にせずとも、ソラクロやシオンの様に首を振って見せれば良かったのに、俺はそれすらも怠った。
「お前!」
自分と見るからに太さの違う腕に胸倉を掴まれ、乱暴に席を立たせられる。掴みを外す筋力も技術も無い俺には、怒号と拳を覚悟するくらいの事しかできない。今から必死に弁明したって、逆に怪しまれる。
ソラクロとシオンが立ち上がって止めに入ってくれようとしたが、二人の手が伸ばされるより先に、プリムラの「村を、守る、ためだって」という言葉が父親の腕から力を奪った。
「堪えて、堪えて……壊れて。旅に、付いて、来たら、村は、無くなってて。私は、何の、ために、村を出たの?」
独白に似た問いかけに答える者は誰もいなかった。
村側の事情を知らない俺が慰めの言葉を言える訳がないし、両親を庇う言葉なんて出るものか。ただ、この場を膠着したまま放置するのは忍びない。
「……説明を、してあげたらどうでしょう? 村が変わった理由を」
「ああ……そうだな」
さっきの怨敵に向けるような形相はどこへやら、父親は俺の提案に頷いて椅子に座り直し、プリムラが村を出てからのことを語り出した。
プリムラがパストン家で奉公を始めた頃、パストンの命を受けた大工たちは外壁工事の為にレフォム村へと向かっていた。だが、村へ到着する直前で魔物の襲撃を受け、護衛と大工、総数の半数以上が死傷した。全滅するのも時間の問題となった時、偶然近くを通った冒険者パーティが救援に入り、魔物を退けた。半壊した大工の一団を村に送り届けた冒険者たちは超が付くほどのお人好し集団だったようで、村の外壁工事のみならず発展までを約束した。
冒険者パーティの頭目である少年は異世界人で、この世界にない知識と技術を持っていた。そこにドワーフの協力を取り付け、見る見るうちにレフォム村は発展を遂げて行った。魔物の脅威に脅えていた近隣の村とも合併し、人間領内でも大都市と化した後、主導となった冒険者たちによって村は独立都市ランドユーズと名前を変えた。独立するまで人間領やドワーフ領の役人と色々とあったそうだが、それも冒険者たちの機転によって丸く収められたそうだ。そして、冒険者パーティの頭目は領主となった。
ランドユーズが建都されてから、機会があって両親は領主に娘の事を話したところ、善性の塊のような領主は仲間と共にクロッスへと赴いた。が、既にパストン家は絶えており、どうにか手掛かりを経て向かった研究所ではプリムラが居た形跡も、その後の足取りも見つけられなかったと言う。結果、両親の中でも元村民の中でも、プリムラは行方不明として扱われることとなった。
事の顛末を語り終えた後、居間には張り付くような静寂が漂った。
兵士長として村の中心人物だった父親も、大きな変化のうねりに立ち会えば一市民にしか過ぎず、そのうねりが善性のものであったのなら、どうして抗う気が起きようか。ただの主婦である母親が、魔物蔓延る世界に飛び出て娘を探す無謀を冒せるだろうか。
両親がどれだけ娘を心配しようと、人間ひとり、ふたりだけでは出来る事よりも出来ない事の方が多い。両親が娘を見つけられないのも、探しに行けないのも仕方のない事だ。
だから、心配なんて無意味なんだ。
思わず口に出てしまいそうになった言葉をどうにか飲み込むと、プリムラが相変わらずの態度で口を開いた。
「ばあちゃん、は?」
その言葉に真っ先に反応できたのは母親だった。
「ばあちゃんって、薬草園の、だよね?」という確認の言葉にプリムラが頷きを返すと、母親は随分と言い難そうに何度も口を開き直していた。
「お前が村を出て少しして、亡くなったよ」
いつまでも言葉が出ないのを焦れて、ではないだろう。恐らくは母親を庇って、父親が平静を繕った声音で答えた。
親しい間柄だった者の訃報であっても、プリムラは顔色を変えない。微かに口を開けたまま固まっている様は、言葉を失っているとも言えるだろうが……彼女の中身は本人の魂を読み取り、言葉を作っているだけなのだろう。
「やっぱりあれは……」
聞こえるか聞こえないかの声。静寂のお陰でどうにか捉えられた声。それが今まで話していた声と違って聞こえたのは……俺だけか?
「プリムラの、魂が、治る、可能性が、あると、すれば……」
そう言ってプリムラは俺に視線を合わせて、重ねるように握った両手を胸に当てた。
「あなたが、現れた、時。あなたと、居る、時。内側で、人の、熱を、感じる、時が、ある」
……冗談は止してくれ。
首を振った俺の視線は、奇しくも両親と合ってしまう。
「あなたが娘を助けて、ここまで連れて来てくれたものね……」
おい。これ以上の冗談は勘弁だぞ
「頼む。娘が元に……元気になるなら、一緒に居てやってくれないか」
おいおい。ふざけた流れになったぞ。何で俺が……。家族と再会したし、後は一緒に暮らします。っていう流れになるんじゃないのか?
「……妖精は、どうしてプリムラを助けるんだ?」
両親の頼みから逃げて質問する。
「プリムラも、被害者、だから」
………………。
待てども言葉が続けられる事はない。薄い唇は閉ざされたままだ。
「それだけ?」
コクリ。
いくら何でも単純過ぎるだろ。けど、嘘つく必要は無いしな……人間が複雑過ぎるだけか?
「お願い。このまま心まで壊れたら、この娘が不憫でならない」
涙ぐみながら頼み込む母親と、岩のように動かず頭を下げる父親。それを見て俺は舌を打つのを抑えられず、けれどそれを聞かせるほど堂々とも出来ず、音を立てて席を立った。
娘の為に涙を流し、頭を下げる。それはきっと良い親の姿なのだろう。けど、他の方法は考えないのか? 俺は今日会ったばかりの冒険者だぞ。村を発展させ、一人の娘の為に別の町まで赴く領主の方が信頼も可能性もあるんじゃないのか?
「今日は、色々と話があって混乱していると思います」
俺だって、プリムラがどんな目に遭って来たのか、初めて聞いた。
「俺たちは暫くこの街にいますから、家族三人で、ゆっくり話し合ってください。同じ家で暮らせるんですから、急いで事を決める必要はないと思います」
返答を待たずにソラクロとシオンを呼び、ご馳走になった礼を告げて玄関へと足を向ける。
寄り掛かるような礼や謝罪を背に受け、俺たちは家を出た。外だというのに籠った熱気に迎えられ、思わず顔を顰める。
「……優しいんだね」
「え?」
聞こえなかった訳じゃない。シオンの言った言葉の意味が分からなかった。
「あたいとしては、あの場で直ぐ、引き受けますって言うより、ずっと誠実に感じたよ」
熱でシオンの頭がおかしくなってしまったのだろうか?
「レイホさんらしいですね」と、にこにこ笑って同意するソラクロはいつも通りだ。
べつに気遣った訳でも優しくした訳でもない。単純に……俺は家族というものが嫌いなんだ。
誰よりも近くに居る存在なのに、何も理解しない。理解しようとしない。近くに居るから、いつも顔を合わせるから、だからこそ気を遣う。そして、都合が悪くなれば自分を理解しろと、近くに居るのだから助けろと喚く。
分かってる。家族だって自分にとっては他人で、人間なんだ。感じるものが違くて当然。思う事が違くて当然。理解が出来ないのは、いつも言葉や話す時間が足りないだけ。
分かった上で、俺はやっぱり家族が嫌いだ。
「家族の時間っていうのは、俺たちじゃ作れないものだからな。大切な時間を、わざわざ奪う必要はないだろ」
心にも無い事を言えるのは、もう自分の家族の顔が思い出せなくなったからだろうか。
 




