第二百二十一話:目的地は故郷
四度のオーバーフローを受けてもクロッスの市街部への被害が少なかったのは奇跡とも言えた。首都と違ってドラゴンだとかグレイブワームだとか大型の魔獣が出なかったから、というのは要因の一つにしか過ぎない。指揮者の采配、前線で戦う冒険者、後方支援者の献身等々がなければ成し得なかっただろう。
ただ、当然ながら被害が全くなかった訳ではない。町民総出で対処に当たったこともあって、個人規模、小さな集団規模の不幸といったものは数え切れない。そして、残念ながらペンタイリスにも不幸は訪れていた……。
下流区に借りていた家が、魔獣との攻防によって全壊したのだ。借家ではあるが、家具等の内装は自前だ。主に俺の手作りだ。【死の恐怖】で冒険に出られない間に工作したとは言え、自分の作った物が影も形も無くなっているのは……少し悲しかった。
しかしながら、パーティにソラクロとプリムラが加入するのであれば拠点を変える必要があった。その点においては……都合が良かったと前向きに解釈しよう。
また借家を契約しても良かったが、絶対に俺と同じ家に住むと言ってくる連中ばかりだからな。六人——エイレスは個別で宿を取って寝泊まりしている——で一つ屋根の下で暮らすとなると……色々と労力が掛かる。きちんと部屋が分かれていて、設備もしっかりしているのであれば一考の余地はあったかもしれないが、下流区にそこまで上等な借家は無い。そんな訳で下流区の宿、エイレスが泊まっていた場所に幾つか部屋を借りることにした。
俺が居ない間に四人は昇級するか、新しいスキルやらアビリティやらを習得する等、想像以上……と言うと侮っているように聞こえるかもしれないが、とにかく大きく成長していた。俺抜きの銅等級六人パーティとして考えるなら、結構破格の戦闘力を有していると思う。ただ……残念ながらと言うべきか、嬉しいことにと言うべきか、一応俺にも役目はあるようで……。
ペンタイリスが四人で活動していた時はコデマリが指揮者として立ち回れていたが、七人パーティともなると流石に一人では個人の把握が難しくなる。四人でも一人勝手なのがいると思考の限界、とは本人談だ。よって、コデマリが後衛の指揮者、俺が前衛の指揮者となった。前衛寄りのパーティだとか、俺は戦術に長けているわけじゃないといった疑問は話の流れで葬り去られた。
その後の冒険で特に大きな問題なく魔物討伐を熟してしまったものだから、この体制はパーティ内で定着してしまった。
冒険に失敗しないことは良いことなのだが……ううむ…………変に役割を持ってしまうと、パーティを抜ける時の手間が増えてしまう。アクトは指揮とか取りたがらないし、ソラクロかエイレスに任せてみるか? パーティ人数が多いということは、全員が集まって冒険に行けない時もそれなりにある。個人の予定や体調なんかは人の数だけあるのだし、その辺りを上手く言い訳に組み込んで……。とか何とか考えたが、まず基本的に俺が居ない時が無い。なんたって自分から進んで人付き合いをしに行かないからな、予定の立てようがない。体調についても免疫力が高いからなのか、健康そのもので崩れやしない。異世界に来たばかりの時に野宿しても崩れなかったのだから、これからもちょっとやそっとじゃ風邪なんて引かないだろう。
一人で色々と考え込みながらも、ペンタイリスとしての活動は順調に進んで行く。特に目的も無いのに、毎日のように魔物を討伐しては冒険者ギルドに報告し、喧騒に混じって夕餉を囲む。死と隣り合わせであっても、それが日常となれば人の心は慣れてしまうものだ。寧ろ人間の……目的と意識を持った異世界人の介入が無い分、魔物と切った張ったの生活の方が平穏とさえ言える。
「ランドユーズに行きたい」シオンからそんな言葉が出たのは、光耀の月も後半に差し掛かった頃だった。
独立市街ランドユーズ。ほとんど忘れかけていたが、以前ネルソンさんから教わった地名だ。多種族が出自や思想に関係なく平和に暮らすことを目標として掲げた都市。
シオンが突然そんなところに行きたいと言うからには何か訳ありなのだろうが、十中八九は種族が絡んでいるのだろう。クロッスでもオーバーフロー発生後から、ダークエルフに対する偏見が強まったことは聞いている。だから、深く理由は聞かずにランドユーズ行きを承諾した。ただ一つ気になるとすれば、ランドユーズの統治者が異世界人であるということだ。……嫌な予感しかしないが、俺一人の予感でシオンの希望を潰すことなんてできやしない。
「場所がどこかは知ってるのか?」
空になった食器を囲みながら問うと、シオンは頷いて雑嚢から丸まった羊皮紙を一枚取り出した。それを見て、誰ともなく卓上の食器を端にまとめて中央を空ける。アクトは察しが付かなかったのか、動く気が無かったのか、食器を片付けようとしなかったのでコデマリの不満を買っていた。それを日常風景として視界の端に追いやり、卓上に広げられた地図に意識を集中する。人間領内の地図のようだ。
「聞いたところによると、この辺り! 行商に行く人も多いから、護衛ついでに乗せてってもらえると思う」
シオンが指差したのはクロッスよりもずっと北。地図の隅に書かれたドワーフ領の近くだった。
「……そこ、わたしの、故郷の近く」
誰が予想したか、真っ先に反応を示したのはプリムラだった。
思い返せば、人間領の北部、ドワーフ領の近くが故郷と言っていた気がする。確か名前は……
「故郷は何て名前?」とシオンが問うと、プリムラは「レフォム村」とだけ答えた。
「…………えっと、ごめん」
地図から指を放し、バツが悪そうにしながらシオンは謝った。
何だかとても嫌な予感がする。
「どうして、謝るの?」
察しているのか否か、表情の変わらないプリムラからは読み取れない。
謝った以上は隠す気は無い、シオンは間も開けずに、けれど後ろめたさからだろう「聞いた話だけど」と前置きしてから答える。
「ランドユーズはレフォム村と近隣の村を統合して出来た市街なんだ。だから、レフォム村……プリムラの故郷の名前はもう、無くなっている」
視線を落とすシオンを、プリムラはじっと見ている。怒っている訳ではない、悲しんでいるのとも違う……喪失感による放心状態だ。
たった数か月だけだが、付き合いのある俺やソラクロはプリムラの沈黙の意味を察することが出来る。けれど、まだ半月程度の付き合いしかない者はどうだろうか。アクトは黙って成り行きを見守っており、シオンとエイレスは何て声を掛けようか思考を巡らせる。そしてコデマリは口を開く。
「べつに故郷が白紙化したわけでも、廃墟になったわけでもないんでしょ? 名前が変わったことってそんなに重要?」
はっきりとした物言いは、聞く者によってはプリムラを責めているように感じるだろうが、違う。コデマリは妖精の価値観から、人間のプリムラないしは俺たちに単純な疑問として言葉を投げ掛けたのだ。ただし、それが分かったとしてもどう答えるのが適切だろうか。まさか俺が「いや、大したことないな」なんて言える訳はないし……プリムラにパスを投げるべきか。
「プリムラさん、コデマリさんは……その、えっと……悪気があるわけじゃ……」
俺がパスの角度を考えている内に、沈黙が伸びるのを嫌ったソラクロが口を出した。が、言葉をまとめきれておらず、たどたどしい。
ソラクロはコデマリとの付き合いが短い筈だが、相手の心境や意図を察知する嗅覚は獣人——正確には幻獣——ならではのものか、ソラクロ個人の性格からか。
「なんでアタシに悪意があると思われなきゃいけないのよ?」
ソラクロの言葉使いが癇に障ったのか、今度の質問には少し眉根が寄っていた。
まずいな、場が悪い方向に進んでしまう。口数が多くなっても仕方ない。場を落ち着かせよう。
首都に居た時に似た状況に陥った時なら、俺が焦りながらも口を挟んだだろうが、ここはクロッスで俺の他に六人もいる。
「そうやって直ぐ怒るからじゃないの?」
まだ食い足りないのか、アクトが食事のメニューを眺めながら呟いた。こうなると、コデマリの標的はアクトに映る。
「べつに怒ってないわよ。疑問と不満が合わさっただけよ!」
「へぇ。あ、注文いい?」
狙いたければ狙え。噛み付きたければ噛み付け。そもそも自分はお前に興味が無い。そんな感じでアクトは適当に相槌を打つと、女給を呼び止めて注文をした。
「せ、先生、そう怒らず注文いかがッスか? ほら、意地張るより頬張れって言うッス!」
「しないわよ! あと、そのことわざの使い方違うわよ!」
「あ、あれ……? 流石先生、よくご存じで!」
「……馬鹿にしてんの?」
言葉の響きだけで言っただろ……。確か、腹が減っている時は意地張らずに食べた方がいいって意味だったか。そんなことよりも、と視線をシオンに向ける。
「いつもこんな感じなのか?」
「え? あぁ、大体……ね」
苦笑と共に返された答えを受け取る。まだプリムラの故郷のことを引き摺っているようだ。種族やこれまで受けて来た仕打ちがあるから仕方ないとは思うが、対人関係において少し神経質過ぎるんだよな。当のプリムラは、ソラクロに気遣われて「大丈夫。少し、驚いた、だけ」と返しているから、もうシオンが気にすることなんてないのに……。
「ああ……ランドユーズに行く件について話を進めたいんだが、いいか?」
結局、こうして進行を促して話をまとめるのは俺の役割らしい。
次回投稿予定は8月16日0時です。
 




