第二百十八話:大切な人といる世界
投稿遅れ大変失礼いたしました。
突如立ち込めた濃い白煙にその場は騒然となる。誰かが誰かの名前を呼び、武具の揺れる音が聞こえる。
煙は濛々と広がり続けて辺り一帯を包んでしまったからなのか、発生源が複数あるからなのか、シュウに収納されることなく残り続ける。
俺とシュウは手の届く距離にいた筈なのに、今はもう互いの姿を捉えることすらできない。
どうする……ソラクロとプリムラを連れて逃げるか?
諦め状態だった精神からは、何とも覇気のない選択肢が浮かび上がる。が、直ぐにそれを捨て去る。
逃げたら追われる。自分の目的の為なら街中に魔物を持ち込むような奴だ。一度逃しただけでは諦めないろう。
ここで、今後俺たちに手を出しはいけないと理解させてやる!
武器は無いので自分の拳を握り込む。直前までのシュウの位置を頭に思い浮かべ、どれだけの踏み込みが適切か大凡の見当を付けた時だった。
「はぁぁぁぁっ!」
後方から飛んで来た雄叫びに道を譲る為、拳を緩めて横にずれる。
黒い風が目の前を通り過ぎて行ったと思うと、直後に逆風が訪れた。風力の差は比べるべくもない。逆風は分厚く立ち込めていた煙幕の悉くを撒き散らす程のものだった。
数秒ぶりに晴れた視界では、地を蹴ったソラクロがシュウの胴に跳び蹴りをぶち当てる所だった。蹴りが命中するよりも煙幕が晴れる方が早かったものの、シュウは【収納】を発動する間もなく吹き飛ばされ、自身が出現させた岩山に叩き付けられた。
「ぐあっ……あ゛ぁっ!」
背中を強かに打ち付けたシュウは苦悶の声を上げるが、まだ意識は保っている。ソラクロは跳び蹴りの勢いを残したまま着地すると、再び地を蹴って前へ跳んだ。
「シュウくん!」
意識を刈り取るべく放たれた回し蹴りは、岩山から飛び降りたララの大四角盾に阻まれる。鋼鉄の盾から上がった、悲鳴に似た衝突は山彦となって響き渡った。
「どいて……」
ソラクロの右手が発光する。攻撃スキル【レイド】だ。
「ください!」
光りの爪痕が刻まれたが、重量級の盾とその使い手はその程度では音を上げない。
ララがソラクロの進行を防いでいる間に、妖精体のエレムはこっそりシュウのもとに駆け付けて回復魔法を唱える。
岩山の上に残ったエルミニアは魔剣を鞘に戻しており、戦場を俯瞰しながら魔法の詠唱に入ろうとしたが、意地悪く飛来する矢に舌を打った。
突風から刃から、使い手の魔力を消費せずに風を自在に操れる魔剣であっても、その力は無限ではない。一定の力を行使した後は鞘に戻して休息が必要となる。
「ソラクロ! 加勢するよ!」
回復薬と回復魔法で傷を完治させたリアが、装備を賑やかに鳴らして駆け付ける。ソラクロは「はい!」と返事をしたものの、鋼鉄の盾を躱そうとはせず、正面から殴打を繰り返していた。正気ではあっても、冷静ではないのは明らかだった。
「エルぅ、助けてぇ!」
「分かってます!」
戻して間も無い魔剣を鞘から抜き放ち、岩山から飛び降りてリアと斬り結ぶ。風の刃を発生させることはできないが、不可視の剣としてはまだ健在である。
「あの可笑しな風は品切れ?」
鎧の隙間から風が入り込んで来ないことを確認し、挑発するように笑む。
「……あなたの為に用意した物でもありませんので!」
魔剣を押し込み、リアのサーベルを弾いて隙を作るが、剣戟は柩型盾によって阻まれる。
「ただの物理なら、盾持ちのこっちが有利!」
リアはそう勇んでサーベルを突きの構えに持ち、盾の裏側に突き付ける。盾の中央より上部に設けられた突起物が押し開けられ、刃が突き出された。死角からの一撃に、エルミニアは目を見開いたが、反射的に体を横にずらしており、左腕を浅く斬られるだけに止めた。
謎の煙幕から一転攻勢。ララはソラクロが押さえ、エルミニアはリアが押さえてくれている。ワタルは矢を番えたまま、いつでも双方の援護ができる体勢だ。プリムラは…………目が合った。
なんだ? 何を求めている? 何を期待している?
考えることから逃げるように視線を切り、ララを、その先で横たわっているシュウを睨む。
今なら叩きに行ける。手が空いている俺が行くしかない。
「行くな! 馬鹿野郎!」
思考を読まれたかのようなタイミングでワタルの怒声に背中を殴られた。
「お前が収納されたらこっちの負けなんだ! こっち来て大人しくしてろ!」
ワタルの言葉に従うのを一瞬躊躇ったのは、何もせずに見ていることが許せなかったからだ。何の取り柄も無いのは知っているが、だからって何もしないのでは、本当の役立たずになってしまう。……役立たずでいるのは構わないが、ただの護衛対象になってしまう事がどうしても我慢ならなかった。ソラクロやプリムラを護る為なら、俺が収納されようと殺されようと構わないが……。
「なんでシュウくんを嫌うのぉ!? シュウくんは世界を救うためにやっているんだよぉ!? あなたたちやぁ、大勢が生きる世界を!」
依然として攻撃を受け続けているララであったが、その声音には焦りが滲み出ていた。
「わたし……わたしにとっては、レイホさんがいる場所がわたしの世界です!」
蹴り上げた足は半透明の壁に一瞬阻まれたが、ガラスが割れるような音と共に再加速し、鋼鉄の盾を打ち鳴らした。度重なる衝撃に手が耐えられなくなってきているのだろう。ララは顔を顰め、盾を押し出してソラクロを退けようとしたが、盾の淵を掴まれて押し合いに突入した。
彼女の声を、その光景を見て、俺は奥歯を噛み締めて戦場から離れ、プリムラへと視線を合わせた。
「エンチャント! 全部、ソラクロに!」
コクリ。頷くと同時に四色の【エレメンタル・セイバー】が出現。
「エンチャント」
澄み切った声で告げられると、魔法剣は弾けるように消えて流水のようにソラクロの体に流れ込んだ。けれど、俺はその様子を最後まで見届けるより先に足を加速させて、足取りが覚束なくなったプリムラを支えた。
「……魔力切れ」
目眩でもするのだろう。微かに眉根を寄せ、目を閉じたままで告げられた。
魔力薬は持って来ていないが、直ぐに使わなければ命に関わるようなものでもない。プリムラには悪いが、座って休んでもらおう。そう思って背もたれに使えそうな木を探す俺の視界に、小瓶が放られた。反射的にそれを掴む。
「魔力薬だ。飲ませてやりな」
一体いつ取り出したのか。ワタルは矢を番えたまま、こちらを振り向きもせずに言った。
「……すまない」
感謝の言葉を出せなかったのは、劣等感に心を支配されていたからだろう。
その場にゆっくりとプリムラを座らせ、力の入らない体を支えながら小瓶の栓を開けて口に宛てがう。
「魔力薬だ。飲んでくれ」
俺の言葉に、プリムラは小さな口を微かに開けることで応えてくれたので、魔力薬を口に流し込む。
「やっあぁぁぁぁあぁぁっ!!」
思わず小瓶を落としてしまいそうになる雄叫び。その声からソラクロであることは分かったが、心中では妙なざわつきが起きた。
様子を確認すると、ララの手から奪い取った盾を掲げ……体ごと倒れ込むように叩き付けた。
いくらララの耐久力と防具が優れていても、ただでは済まない一撃だ。当たり所が悪ければ……。
ソラクロの無邪気な笑みや、惚けたような顔、驚いて目を丸くした顔が脳裏を過ぎる。
何者かに胸の中をかき混ぜられたかのような感覚に陥りながら、巻き起こった土煙が早く晴れるよう願う。
「ララ! シュウ!」
「あっ、ちょっ、ごめん、そっち行った!」
リアの位置取りは悪く、ソラクロの方に駈け出すエルミニアを止める事はできない。が、止める必要などなかった。振り向き様、ソラクロは【エクサラレーション】によって急加速。【エレメンタル・セイバー】による技巧向上も加わり、その速度は彼女が今はもう出す事が叶わない全力と同等だった。
けれど、エルミニアとて銀等級の冒険者だ。どうにか反応して魔剣を振るうが、二人の距離は既に得物を振り回すには近すぎた。エルミニアは裏拳で手首を打たれると、あっけなく魔剣を手放す。唖然とする彼女の首を落とす勢いで腕が伸びたかと思うと、体が持ち上げられた。
「ソラクロ!」
声を張り上げる。それしか出来ない。
ララたちの方の粉塵は既に晴れており、盾が意図的に外された事は確認できている。ただ、ララもエレムも、治療が終わったシュウも、腰が抜けたようになって動けないでいる。
「ぐっ……うぅ……」
首を掴み上げられているエルミニアは苦しみ、悶えてソラクロを殴打するが、手が緩められることは無い。
「や、やめろ!」
【収納】を使うだけの余裕が無いのだろう。シュウは情けなく声を上げるだけだ。……一応、立とうとはしているが、上手く力が入らずに苦戦している。しかし、ソラクロは容赦する気はないらしい。エルミニアの体を仲間の元に放り投げると、その隙に【エクサラレーション】で急接近、シュウを背後から掴み上げる。
「なっ……ぶぇっ!」
驚き、情けない声を上げるシュウであるが、その様を笑う気にはなれない。ソラクロによって顔面を岩壁に押し付けられているからだ。
「ワタル、プリムラを頼む」
ソラクロが暴走を止めに行かねばならない。というのに、ワタルは弓矢を下ろし、軽蔑とも見て取れる眼差しを俺に向けて来た。
「頼まれるのは構わねぇが、お前はどうするんだ?」
「ソラクロを止める」
「なんで?」
「やり過ぎだ。あいつらにはもう戦意が無い」
「じゃあ、いいんじゃねぇか?」
「いいって……なにが?」
察しの悪さにワタルは舌を打ち、地面を軽く蹴った。
「喧嘩売って来たのは向こうさんだろ? 戦意が無くなろうが知ったことじゃないね」
そう言って、ワタルは両手を空に向けて大袈裟に肩を竦めて見せた。それから、弓矢を扱っている時のような……いや、それ以上に鋭い視線を向けて来た。
「あの馬鹿がリアに手ぇ出して、オレが今のソラクロの立場にいたとしたら……へし折ってるだろうな」
何を、と聞くほど愚かにはなっていない。が、察してしまったからこそ想像してしまう。
「シュウくんを放して!」
「放せ! 放せ!」
「ごっ……ごほっ……やめて、ください」
武器も持たず、立ち上がることすらせず、三人は縋り付くように吠えるだけだった。彼女たちの中では、もう戦いは終わっているのだが、ソラクロの方ではどうだろうか。
「……嫌ですよね」
ほとんど抵抗の無いシュウを尚も岩山に押し付け、俯いたソラクロの口から言葉が零れた。
「あなたたちにとっては、シュウさんがいるのが……シュウさんといるのが……大切な世界なんですよね」
三者三様に同意の声が上がると、ソラクロは静かに顔を上げ、シュウの拘束を解いた。
「同じなんですよ……わたしも、あなたたちも! 大切な誰かと一緒にいたい。奪われたくない。妨げられたくない」
ソラクロの訴えに、地べたに座る三人も、岩山に凭れ掛かるシュウも沈黙を返した。
「世界の為だって言いますけど、そのためにレイホさんをわたし……たちから奪うなら……わたしにとってはあなたたちこそ世界を壊す存在なんです! だから…………もし、またレイホさんやプリムラさんを狙うようでしたら……その時はっ!」
籠められるだけの殺気を籠め、背を向けたままのシュウを睨み付ける。女性三人は反射的に腰を上げたが、その時には既にソラクロは背を向けて立ち去っていた。その背中が、何の気なしに揺れ、崩れた。
「っと。大丈夫?」
体が地面に叩き付けられる前に、リアが差し伸べた手に抱きかかえられる。
「あ……リアさん、ごめんなさい」
先ほどまで野生の獣の如き暴力を撒き散らし、人の少女の思いの丈を訴え、悪魔の如き殺気を放ったとは思えない、弛緩し切った笑みがそこにはあった。だから、リアに少しばかりの悪戯心が芽生えるのも仕方のないことと言えた。
「レイホじゃなくてごめんね」
「……あ、いえ、そういう意味のごめんなさいじゃ……」
「あっはは……! 分かってるって! それより、歩ける? 先に回復しようか?」
ソラクロは体の具合を確かめると、あちこちから鈍い痛みが押し寄せて来る。正直に言ってかなり辛く、流石に鋼鉄の塊と正面切って殴り合うのは無謀だったか、と反省する。そして、視線をある方向へ向けた。
心配しているような、不機嫌そうな、申し訳なさそうな……色んな感情が混じっているが、明るい感情はほとんど見受けられない表情でこちらを見ている。その彼に、満開の花のように綺麗な少女が寄り掛かっている。
「先に、ごめんなさいって謝らないとですね」
おどけた笑みを向けられ、リアは一瞬言葉を失ってから、有無を言わせずにソラクロの体を抱き上げた。
「ひゃっ! な、なんですか?」
「謝るなら、早いほうがいいもんね!」
鉄兜の奥で片目を瞑って見せ、リアは跳ねるように仲間のもとへと向かうのだった。
勝者と敗者、真逆の空気を漂わせるパーティを、森の中から一瞥する影が一つ。
「借りは返したからな」
誰かに向けられた言葉であったが、小さな呟き誰の耳にも届くことはなかった。影は足音ひとつ立てず、誰の【気配察知】にも気付かれなかったが、清涼な森の中に微かな酒精を残した。けれどそれも、誰かに気付かれることなく広い大気の中に消えて行った。




