第二百十二話:時を漕ぐもの
嬉しそうに表情を緩めたソラクロを横切り、外にプリムラの姿があるか不安になりながら、自分の愚かさに後悔しながら、横穴の出口を目指し…………俺の全ては暗黒に呑まれた。
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嬉しそうに表情を緩めたソラクロを横切り、外にプリムラの姿があるか不安になりながら、自分の愚かさに後悔しながら、横穴の出口を目指し…………
「待て」
男性特有の低い声が背後から掛けられた。
誰だ? 横穴の中には俺とソラクロ、それと倒したリッチしか居ない筈だ。
走る足を止めて反転すると、そこには見知った、けれど意外な人物が立っていた。
「ワタル? どうしてここに?」
「今になるまで、まったく気配がありませんでした」
知り合いだからといって油断はできない。ソラクロの【気配察知】に感知されずにこの場に現れたのだとしたら、誰にも気付かれずに人ひとりを連れ去ることだって可能だからだ。
驚きと警戒を含んだ俺たちの反応に、ワタルは慣れたように短く息を吐いた。
「……細かい話をしている時間はねぇ。オレは敵じゃない、信じろ。そして言うこと聞け」
突然現れて何だと思うが、伸びた前髪から覗く紺鉄色の瞳からは有無を言わせぬ圧を感じた。
ワタルを信じる、信じない。言うことを聞く、聞かないは別として、用件は聞く必要があった。俺は沈黙によって先を促し、ワタルはそれに応えた。
「プリムラを攫ったのも、外壁に穴を開けたのも、街中にコボルトを入れたのも、全部シュウのやったことだ」
「どういうことだ?」
「質問は無しだ。答え合わせはこの後、本人の口から聞けんだからな」
ワタルが話す度に疑問ばかりが増えて行く。
シュウがプリムラを狙った動機は? どうやって攫った? どうやってコボルトを街中に入れた? あいつの能力じゃ、生き物は収納できないって話だ。なぜワタルは俺たちに教える? なぜシュウの行動を知っている? この先の展開を知っている?
「この後、お前らは二人一緒にこっから出ろ。シュウの目を睨みながらな。それであいつの能力を防げる保証はないが……まぁ多分うまくいく。そしたら、ソラクロは穴の入り口前で待機してこいつを地面に投げ付けるんだ」
俺たちの理解を置き去りにして一気に説明するワタルは、ソラクロに濁った液体と灰色の砂が入った薬——煙幕薬を渡した。
「こいつが広がったら俺とお前で森ん中に入る。……男と手を繋ぐ趣味はねぇから、しっかり付いて来いよ」
言うだけ言うと、ワタルは俺たちの背中を押した。
焦った様子は怪しくも、必死にも見える。ワタルの言っていることを信じていいのだろうか。もし、ワタルがシュウを貶めようとしているのだとしたら……。けれど、本当なら……シュウが生き物も収納できるのだとしたら……動機は分からないが、一連の騒動を実行することは可能だ。
どうする……どっちを信じる? 僅かな時間で、どうやって確かめる?
「……ソラクロ、リアとは友達になれたのか?」
「え? 友達がどういうものか分かりませんけど、リアさんとは仲良くさせてもらってますよ!」
「そうか」
十分な答えを貰えたところでワタルに視線を向ける。すると、ワタルは苛立ちを隠さずに舌を打った。
「お前、本当に性格悪いな。オレがリアを裏切るわけないだろ……言わせんな」
「……わるかった。信じよう」
ワタルのリアに対する気持ちなど、わざわざ言わせなくても分かっていることだし、言わされた側としてはこれ以上ない屈辱だろう。けれど、その屈辱に耐えて答えてくれたのなら、これまで告げられた言葉に信用を乗せられる。
「一段落したら全員で飲みに行くってリアは言ってたが、お前だけは連れて行かねぇことにした」
「そうか」
一人の時間を過ごせるなら願ったり叶ったりだ。
俺とワタルの関係性は悪化したが、交わす視線には人の熱が混じるようになっていた。
「行くぞ、ソラクロ」
「はい!」
信用する側が決まったのなら、後は行動するのみだ。
二人並んで横穴を出て、敵意までは出さないまでも鋭くシュウを睨む。シュウは少し離れた所で、身を隠せる程度の大岩を背にしながら、待ち構えるようにこちらを見ていたが、いきなり二人に睨まれたことで物怖じしたのだろう。瞬く間に視線を泳がせていった。
俺とソラクロは互いの身に何も起きていないことを確認すると同時に頷き合い、ソラクロは両手で大事に持っていた煙幕薬を地面に投げ付けた。
濛々と広がる灰色の煙に、シュウらは動揺の声を上げるが、俺の耳はワタルの「こっちだ外道」という言葉を聞き逃さなかった。
随分と嫌われたものだが、付いて行かない訳にはいかない。煙の中に浮かぶ影を追って走って行くと、横穴前の広場から脇に逸れ、森の中に入る。そこで先行していたワタルと、待機していたリアと合流する。
「やほ! 上手くいったみたいだね」
鉄兜を持ったままの右手を上げ、気さくに話しかけられたので、挨拶でも返そうかと思った矢先、ワタルに肩を掴まれる。
「談笑する時間が惜しい。リア、戻るぞ」
「うん、許可する。負けないでよ」
太陽のような笑みにワタルが「はいよ」と応じるのを最後に、俺の意識は遠のいていって…………完全に落ちる直前……いや、一瞬だけ落ちてから直ぐに復帰した。
場所は変わりなく森の中、ワタルに肩を掴まれ、鉄兜を外した鎧姿のリア。あまりにも変わり様がないので何が起きたのか見当も付かないでいると、掴まれていた肩を回す様に押される。
「さぁ、答え合わせの時間だ。潜伏の範囲外に出たら気配察知されるからな。熱くなっても飛び出すんじゃ……あぁ、お前とは無縁の話だったな」
【潜伏】は発動してから一定時間、一定範囲内にいる者の気配を遮断するスキルだ。
俺だって熱くなって考えるより先に動くことだってあるのだが、そんな訂正よりも重要な事が森の向こうから聞こえて来る。
俺が居なくなったと慌てふためくソラクロ、ララに抱きつかれるように拘束されているプリムラ。不敵な態度で口を動かすシュウと、彼を護るように立つエルミニア。
「転移者、能力を持たぬ者、目的を持たぬ者……神秘の側に立たず、人倫の側にも立たぬ、中立ならざる者」
俺のことを言っているようだが……何のことだ? 目的を持たぬ者とは大きなお世話だが、神秘? 人倫?
ソラクロも心当たりがない様子だとしたら、余程この世界の奥まった所にある事情なのだろう。ハデスなら知っているだろうか。
「おれたち異世界人は皆、特別な力と共に役目を与えられてこの世界に来ている。この世界の行く末を定める為に。その中に一人、イレギュラーな存在が混じったとしたらどうなると思う?」
そんな御大層な役割があるなら勝手にやっててくれ。俺みたいな障害にもならない無能のことはほっといてくれ。……その役目とやらがどんなものか知らないが、ヴォイドやタテキの理解しがたい行動ってのも、そいつの所為な部分があるのか?
「こんな正直にやる必要はなかった。街中で、魔窟で、草原で、人知れずレイホを収納して、君たち二人に協力するふりをして取り入ることもできた。時間を掛けてもっと別の方法を取ることもできた。けど、駄目だ。この間のオーバーフローに関わっていると知った以上、悠長なことは言っていられなくなった」
俺を収納ね……どうやらワタルの言った通りらしいな。生き物も収納可能で、シュウは嘘を吐いていた。その確認できただけで答え合わせは殆ど終わったようなものだ。
「こうして正直に話しているのは、おれなりの誠意と思って欲しい。おれが目的を果たし、人倫が勝利し……白紙化を防げたなら、レイホは自由だ。彼の為にも、おれに協力してほしい」
人質を取る奴が誠意を持てるなら、この世に悪性なんて概念は存在しないだろう。
シュウが面倒な奴だってことは分かったし、これ以上隠れて見ている必要はないな。そう思って動こうとするが、ワタルに止められる。
「……もう十分だ」
ソラクロとプリムラがシュウに屈服するか否かを見届けろと言うのなら……それこそ性格が悪いだろう。けれどワタルは「まだ先がある」と言って俺の肩を押さえ付ける。
「大切な人を盾にする人が、他人に協力を頼む権利なんてない。自分の目的すら話さない人の言葉を、信じる義理はない」
怒気と敵意で紡がれた言葉が、プリムラから発せられたものだと気付くのに数瞬を要した。怒るとしたらソラクロの方だと思っていたというのは、ソラクロなら俺の為に怒ってくれる、とかそういう気持ち悪い期待からじゃなく、単純に感情の起伏の大きさから考えた可能性に過ぎない。
意外な展開に驚いていると、更に驚愕する言葉が飛んで来る。
「おれの目的……それは、ハーレムを作ること! 各種族から最低一人以上の相手を見つける。嘘だと思うかもしれないけど本当だし、おれが目的を達成させれば、どんな形であれ人倫側が有利になるのは約束されている」
……………………は?
「本当はプリムラの方から来てほしかったし、そうなればレイホは見逃してもいいと思ったんだけど、中々難しそうだし、まだるっこしいのは男らしくないと思ったから、こうして正面切ったってわけさ。好感度が最低から始まる娘も一人くらい居ても良いしね」
………………あ?
これまでの事件が思い出される。
プリムラをコボルトから助けたのはシュウだった。誰にも気付かれず街中に侵入し、ギルドの屋根から襲撃して来たコボルトに反応できたのはシュウだけだった。……自分の能力で出現させたのなら、反応出来て当然だ。外壁の綺麗に刳り貫かれた穴は……偽装工作か何かだろう。
魔窟から離れた山岳地帯でプリムラを見つけたのはシュウだ。収納なら音も気配もなく、人を収納してしまえる。あとは帰りの他の冒険者たちに交じって魔窟から離れてしまえばいい。捜索依頼が出されたら、適当な場所で囚われていた風を装えるように収納を解除すればいい。
見事な“美少女を救う主人公”の出来上がりだ。窮地の演出がお粗末過ぎるがな……。
考えがまとまってくると、丁度いいタイミングでワタルの手が離れる。
「さぁて、答え合わせは終わった。どうする? 貸し出し中の手は……偶然あるぜ?」
振り返ると、含み笑いを浮かべながら手をひらひらと振って見せるワタルと、無言だが既にやる気に満ちて鉄兜を被っているリアが瞳に映った。
「ああ……。今から情報料の支払いと出演料の取り立てがあるんだ。手を貸してくれると助かるな」




