第二百十話:不可視の剣
運び屋の連中に誘われるがまま、リッチの討伐に協力することになり、プリムラが囚われていた場所でもある西の山岳地帯にやって来た。
今回の装備は上下に革鎧を纏い、いつか使ったことのある、特別短くも長くもない槍。
疎らに生えた木々の間は一見身動きがしやすそうに思えるが、自由に伸びた枝がいつ何時障害に変わるか分からない。
荒く削れた岩壁からは、見るだけで重圧を感じる岩石の塊が顔を覗かせている所も多々あり、迂闊な行動が予期せぬ結果を招く可能性を感じさせた。
運び屋たちの後を付けるように山道を進んでいる間、プリムラの身に異変が無いか注意していたが、頻繁に目が合うくらいの事しか起きなかった。
「全員、警戒を。魔物の気配があります」
潜めながらも凛とした声は、先頭を歩くエルミニア——仲間の二人からはエルと呼ばれている——からの喚起だった。彼女は人より尖った、けれどエルフより短い耳を揺らし、腰の剣に手を掛けた。
疑っている訳じゃ無いが、半ば癖でソラクロの方に顔を向けると、犬耳を動かしながらエルミニアの言葉を首肯してくれた。
ソラクロと同等の範囲を【気配察知】できるのか。獣人の多くが【気配察知】のアビリティを所有しているという話は聞いたことがあるけど、エルフの血を持つ者も同様なのだろうか。
疑問を口にする雰囲気でも、間柄でも無いので、頭の隅に追いやって槍を構え、足元にこれまで以上の注意を払って進む。
木々の間隔が広くなり、伸び放題であっても枝の向こう側が見えるようになると、エルミニアが手で行進を制止させ、岩陰に隠れるよう指示を出した。
「見つけました。……ですが、あれは一体……」
岩陰から顔を覗かせているエルミニアが訝しんだので、邪魔にならないように俺も顔を出して見る。
横穴の奥は薄暗く、魔物の正確な数は分からないが、密集して蠢いている中に魔法使いのローブを纏った骸骨——リッチを確認した。
「あそこ、魔物の巣だったのか……」
俺と同じように顔を覗かせていたシュウが呟いた。
「……なあ、プリムラが捕まっていた場所っていうのは……」
「想像通りだよ」
言葉を待たずに肯定され、俺は今一度、横穴の方に視線を伸ばした。
リッチが何かの目的でプリムラを攫った? 浮かんだ可能性を即座に切り捨てる。
シュウたちがプリムラを見つけた時、周囲には人も魔物もいなかったと言う。リッチが犯人だったとしたら、何故直ぐに目的を果たさなかった? 特定の日を待つ必要があるのだとしたら、どうして見張りも罠も用意しなかった?
考えれば考える程、リッチがプリムラを攫ったとは思えないけれど、魔物の巣を見つけた以上、冒険者がやることは一つだ。
「アタシが奇襲を仕掛けますので、前衛の三人はリッチを狙ってください」
「ゴーストとレイスが多いみたいだからぁ、魔法使いはそっちを優先して狙ってねぇ」
銀等級の二人から、というのはあまり関係ないか。単純に反対する理由は無いので素直に受け入れる。
俺は攻撃魔法を使えないが、憑依への抵抗力は高いことを言うべきか迷ったけど、ソラクロも精神力は高いし、銀等級の二人も相応にはあるだろうから、特別役に立つ情報でも無いと思って黙ることにした。
相手は魔法使いと、飛行能力を持った非実体の敵。数は不明。こちらは攻撃者二、遊撃者、魔法使い、運搬者がそれぞれ一。随分と前衛型だが、エルミニアは魔法の扱いも長けていると聞くから、バランスは取れているか。
主戦場となる、横穴付近は木々が無く平坦で開けているが、少しでも後退したら岩石が転がっていたり、木の根が這い出ていたりして足元が不安定だ。登って来た時に確認したところ、俺から見て右方向に進むと崖になっている。左方向は暫く高低差の無い道が続いているようだが、木がそこかしこに根を張っていて戦うことも逃げることもできない。
「退路のことなら心配ないよ」
……俺に言ってるんだよな。なんで分かった? ……あちこちに視線を向けていたら臆病にも見えるか。
「どんな場所だって、おれが道を拓くからさ」
そう言って、シュウは近くにあった木を一本消滅……いや、収納して見せた。木が抜けたことで地面に穴が開いているから躓く危険性はあるけど、文字通り木を根こそぎ収納しているから、移動のしやすさは比べるまでもない。
「……随分と弱気ですね。何か懸念でも?」
言葉遣いこそ丁寧だが、エルミニアの瞳には蔑みにも近い色が宿っていた。
「……べつに。性分だ」
視線を外して答えると、エルミニアは何か言おうとして口を開いたが、一度閉じて言葉を改めた。
「なら、行きますよ」
「は~い。仲良くねぇ」
戦闘前にする返事ではないが、誰もララを指摘することはなかった。
そして、エルミニアが腰の鞘から刃の無い剣を抜き放ち、横穴まで飛ぶように駆けて行ったことで戦闘は開始された。
なんだあの剣……。
一目でただの剣ではないことは分かったが、出て来た疑問は酷く凡庸なものだった。そんな俺を笑い飛ばすかの様に、振り下ろされた刃無き剣によって起こされた暴風は、横穴内部を激しくかき乱した。
風の……魔剣? そう思うと、エルミニアが手にした柄からは薄っすらと、向こう側の景色がぼやけるような形で刃が伸びていた。
「来ます! 前へ!」
たった今目にした暴風の威力から、魔物が死に絶えるまでエルミニアが魔剣を振り続けていれば、簡単に討伐完了するのではないかと思ったが、横着は良くない。それに、無制限で魔剣が振るえるとも思えない。
後衛へ交代するエルミニアと擦れ違い様、魔剣へ視線を落とす。
両刃剣に類似した形の刃は片手剣よりも幾分か長いが、両手剣や長剣よりも短い。重量がどうなっているのか知らないが、取り回しは良さそうだ。
「は~い、注目ぅ」
盾を構えて先頭を駆けていたララが声を上げる。その声は魔剣に気を取られた俺……ではなく、横穴から湧き出て来たゴーストとレイスに向けてだ。
ゴーストもレイスも青白い半透明で宙を漂っているが、人の形が剥き出しになっているのがゴースト、頭からローブを纏ったような見た目をしているのがレイスだ。
ララはスキル【アテンション】を使用し、魔物の注意を一身に引き受けた。
「こっちは、うちが引き受けるからぁ、中お願いするねぇ」
魔法攻撃は盾で防ぎ、憑依を誘いつつ絶妙な距離感で躱しながらも、ララの口調に焦りは全く感じられなかった。
いくら相手が討伐推奨等級銅星二、三の魔物だとしても、数は十を超えている。それらの攻撃を一人で捌けるのだとしたら、それは経験によって培われた実力に他ならない。
「頼まれた」
ララを手伝おうにも、霊体どもは俺に興味を持たないし、憑依して来ないなら俺から攻撃する手段は無い。リッチに向かうしか無い。
ソラクロと目配せして横穴に突入しようとしたが、プリムラを孤立させることに強い不安を感じた。
リッチの相手をソラクロに任せ、俺はプリムラの傍に居るべきか? それとも逆? 俺一人でリッチを倒せるか? マナ濃度の影響は魔物にも有効なのだから、魔法使いであるリッチは弱体していると考えられるし……。
戦闘中だからか、いつもより活発に働く脳。けれど、戦闘中に戦闘以外の事へ思考を巡らせていたら死に直結するわけで。
「レイホさん!」
呼ばれると同時に、体が左側に強く引かれた。直後、脇腹の数センチ横を黒い光線が駆け抜けた。
既に横穴へ、リッチとの戦闘は始まっている。ごちゃごちゃ考えている暇があるなら、一秒でも早く敵を倒してプリムラのもとに帰れという話だ。
気持ちを切り替えるべく、先ずは助けてくれたソラクロに感謝を告げようとしたが、言葉が喉に詰まる。ソラクロの片足が、沼地化した地面に呑まれていた。妨害魔法【スワンプ】だ。
「大丈夫です! これくらい……」
俺の腕から手を離したソラクロは、スキル【エクサラレーション】による加速で沼地を無理矢理に突破し、そのままの勢いでリッチに飛び掛かった。




