第二百六話:歩いて歩いて
研究所——魔法科学研究所は、飾り気の無い白亜の建物で、魔法学校程ではないが広い敷地を有していた。どこか神秘性を感じる外観に、ただの冒険者がふらっと訪ねて良いものか不安になったが、結局それは杞憂に過ぎなかった。なんと、受付で等級証を見せて書類に署名をするだけで、渡された見取り図の範囲内ならば自由に見学が可能だった。
魔力研究室、マナ研究室、魔物・魔獣研究室、魔道具開発室と順繰りに回ったが、特段不審なところは無かった。魔物・魔獣研究室で熱心な研究者から魔獣について質問を受けた時、ソラクロが魔物との相違点を個体ごとに述べて場を熱くしたり、魔道具開発室で頭のネジが外れてそうな研究者によって、実験に強制参加させられたりしたが、害意は感じられなかった。
各部署で、それとなく妖精粉についての研究室はないか尋ねたが、誰も彼も「自分の研究室以外のことは知らない」という旨の回答ばかりだった。
見取り図を見間違えたふりをして通行禁止区画に入ろうとしたが、案の定、守衛がいたり施錠がされていたりした。守衛に、「この先に何があるのか」と尋ねても「一般人は立ち入り禁止だ」の一点張りで情報は得られなかった。
施錠については物理的なものではなく、魔法的なものが付与されていたので俺とソラクロではお手上げだ。恐らく、下手に開錠したら通報される。
結局、研究所は見学を満喫しただけで、昼飯時には受付に見取り図を返して建物を後にすることになった。近場にあった屋台で軽食を買い、食べながら研究所の外周を一周して見たが、正面以外は塀に囲まれて満足に中を確認することはできない。
怪しい、と思うのは、俺が研究所を怪しんでいるからだ。世に出す前の物や、魔物を研究所しているのだから、外部への漏洩を対策するのは当然といえば当然だ。寧ろ、一部でも自由に見学できた事に意外性を感じるべきだろう。
次に向かうべきは魔法学校…………の前に、歩き疲れたので、通りの脇に設置された木の長椅子で小休憩を取ることにした。
「ふわぁ……沢山歩きましたね」
気の抜けた声を上げて座るソラクロは、足を投げ出すようにして体を弛緩させた。
それほど狭い通りではなく、通行の邪魔になっているわけでもないので、窘めることはしない。それよりも、だ。今の言動は疲れたからゆっくり休みたいという意図だろうか。いや、意図がどうであろうと、疲れたことと、休みたいことは確実だ。
「……先に帰って休んでいいぞ」
「レイホさんはどうするんですか?」
「魔法学校に行く」
「プリムラさんの件で、ってことですよね?」
「ああ」
「なら、わたしも行きます。……ん?」
犬耳が横を向き、その後を顔が追い、更にその後を俺の視線が追う。
通りの少し離れたところで人混みが出来ており、その中心には竪琴片手に滑舌の良い声を張る男が居た。男は竪琴で音色を奏でると、その調子に乗って物語を謳っているようだった。
強大なるものに立ち向かう英雄譚に、立てる耳はない。それどころじゃない状況が目に映ったからだ。
ソラクロの頭が、体が、長椅子の外に流れようとしては既の所で持ち直のを繰り返している。その振り幅は、吟遊詩人の竪琴が鳴る度に大きくなっていく。
長椅子から落ちないように肩を抱き留め、一先ず俺の方に寄り掛からせると、安らかな寝顔が向けられた。
……………………どうしたものか。宿屋に送ってベッドで眠ってもらいたいが、下手に動かして起こすのも悪いしな。……起こしても、寝ていたことを指摘して強制送還するか? 強めに言えばきっと聞いてくれる……よな。
緩み、隙だらけの寝顔を一瞥し、空を仰ぐ。蒼穹がどこまでも広がるばかりで、答えは見当たらない。太陽は燦々としているが、降り注いでくる日光はほのかに暖かさを感じる程度だ。
…………連れ帰るにしてももう少し待って、眠りが深くなってからにしようと思ったが、このまま何もしないで座っていると俺も寝てしまいそうだ。
寄り掛からせたソラクロの体を静かに動かして背負い、宿屋へと向かう事にした。
宿屋までの道中、幸いにもソラクロは起きることなく熟睡してくれていた。
女将さんに頼んで部屋の鍵を開けてもらい、ベッドに寝かせても、ソラクロの睡眠が妨げられた様子はない。安心したと言えば間違いではないのだが、無理をさせていたことが証明されたようで申し訳ない。
「若いからって、あんまり無理するんじゃないよ」
部屋から出、施錠をしながら女将さんに一言をいただく。返す言葉が無いので「すみません」とだけ答えると、女将さんは遠慮の無い視線を向けて来た。
「あんた、分かってるけど聞く気ないだろ」
「……いえ、次があった時は、無理矢理にでも寝かせる気でいます」
「はぁ、分かってもいないね。無理するなってのは、あんたにも向けた言葉なんだよ」
む……それは気付かなかった。てっきりソラクロに対しての言葉だと思っていた。
「……まぁいいさ。それより、もう一人の娘はどうしたんだい?」
いつまでも部屋の前にいるわけにはいかない。階段を下りる女将さんに付いて行く。
「……はぐれてしまって……今、探しているところです」
「はぐれたぁ!? なにやってんだい!」
想像以上の怒鳴られ方をして、危うく階段から滑り落ちそうになったが、手摺にしがみ付いてどうにか耐える。
「若い娘二人も連れて……いい気になってばかりいないで、しゃんとするんだよ!」
いい気になった覚えはないんだが……。
頭の中で反抗したのがバレたのか、女将さんは即座に「返事は!?」と凄んで来て、俺は反論の余地なく「はい」とだけ答え、一階の出入口から再び外へ出た。
念願の一人行動になった訳だが、浮かれる暇は無い。宿屋から魔法学校まで結構距離があるし、急いで向かうとしよう。
首都の西部に位置する宿屋から、東の端にある魔法学校までは予想通りの長旅となった。半分も行かない内に、足とか尻とか腰が常時痛みを訴えて来たが、「あと少し進んだら休もう」を永遠に繰り返して結局は休み無しで着いてしまった。装備の無い身軽さがこんな時に活きるとは思わなかった。そして、魔法学校に着いても思いがけない出来事に出くわした。
市街と違って復興が思うように進んでいないこと?
違う。
敷地内の中央に建てられていた枢要棟が跡形もなく取り壊され、大穴が開いていること?
違う。
「なによ、あんたまだ首都にいたの?」
校門前で、知り合いに向けるものとは思えない冷ややかな視線を向けられたことだった。……話しかけられず、完全に他人のふりをされないだけ、まだ温かいのかもしれない。
「竜車が動いてないからな。……セレストはここで何を?」
魔法学校の状況が分からないし、校門という場所も相まって予想が付かない。しかし、セレストは呆れを隠しもせず息を吐いた。
「出入りする以外で、ここに何の用があると思うの?」
ごもっともな話だ。つまり、学校から出ようとしていた?
セレストから視線をずらすと、他の生徒たちも校門の方に歩いて来るのが見える。
「下校時間?」
「そうよ。……寮を代理で教室として使うようになったから、自宅に帰れる生徒は自宅から通うようになったのよ」
端的に答えても質問が続けられると悟ったのか、セレストは面倒臭そうにしながら教えてくれた。
もう授業が再開しているのか……。復興作業はどうしているんだ? 前に来た時はヴォイドがやる気に満ち溢れていたようだけど。
疑問符を浮かべていると、セレストは「相っ変わらず質問の多い奴ね」と悪態を吐き、姿勢を崩すと同時に片手で長いサイドテールを払った。
「オーバーフローの発生源が魔法学校の地下だってことが判明して、冒険者ギルドとか兵団がずっと調査してんのよ。校章持ちの連中は随分と詰問されてるみたいだけど、知ったことじゃないわね」
「そうか……地下の魔窟はどうなったんだ?」
「残ってたら呑気に授業なんてしてないわよ。相変わらずボケてんのね。……フレアドラゴンの出現で崩れたんじゃないかって言われてるわ」
なんだかんだ嫌そうにしながらも教えてくれるのは相変わらずのようだ。
「じゃあ、今、校章持ちに会うのは難しいか」
状況的にも、プリムラに手を出せるような感じじゃないし、ヴォイドは無関係か?
「やめといた方がいいわ。あんた、前に校章持ちと関係があったんでしょ? 難癖付けられて面倒事に巻き込まれるのが落ちよ」
珍しい素直な忠告に一瞬言葉を失っていると、セレストは苦虫を嚙み潰したような顔でそっぽを向き、「まぁ、あたしには関係ないけど」と吐き捨てた。
「……あんた、校章持ちに会って何する気なのよ?」
おや、てっきりそろそろ話しを切り上げられるかと思ったが、まだ話したいらしい。
「プリムラ……あー、四元の席って言った方が分かるか?」
「どっちでも分かるわよ。あんたがあたしを馬鹿にするなんて、百回生まれ変わっても足りないわよ!」
失言に対し「悪かった」と軽い謝罪をしてから、話しを戻す。ぐずぐずしていたらまたお叱りを受けてしまう。
「プリムラが姿を消してな……手掛かりが無いか、関わりのある所を回ってる」
「ふーん。だったらこっちは関係ないと思うわよ。あんたが愛想を尽かされたって考えた方が、可能性としては大いにあるわ」
「そうか……」
「普通に納得してんじゃないわよ、馬鹿」
個人的にはヴォイドが怪しいと思ってたんだけどなぁ。……コボルトを手引きした動機は分からないけど、状況を作る力はある。
「対象を転移させる魔法って、どれくらいの難度だ?」
「さぁね。校章持ちでも、これから研究して、生きている内に使えるようになるかどうかってくらいじゃないかしら?」
「それって尋常じゃなく難しいってことだよな」
「そう言ったつもりだけど、今のが理解できない、あんたの頭の中を研究する方が難しそうね」
首都広しと言えど、転移魔法を扱える奴がヴォイド以外にいるか、かなり微妙なところだな。もちろん、セレストの主観を聞いただけで結論を出す気はないが……。
「……話し疲れたわ。あたしはもう帰るわよ」
俺からの質問が出ないのを待って……というのは自惚れか。セレストは返答も待たずに、さっさと俺の横を通り過ぎて行った。
「ああ。色々教えてくれてありがとう」
去って行く背中に投げた礼は、跳ねて揺れるサイドテールに叩き落とされないで届いただろうか……。
次回投稿予定は7月10日0時です。
↓
7月11日0時になります。
 




