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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第一章【始まる異世界生活】
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第一話:靴が欲しい

 夢を見ていた……気がする。どんな夢だったかあまり覚えていないが、自分が生きている世界とは全く違う世界で、誰かが戦っていたような、旅をしていたような夢だ。


 電車の揺れを感じながら、霞む目をどうにか開けて意識を保とうとする。しかし、窓の外で流れる景色から差し込んでくる朝日に視覚を強く刺激されて思わず目を閉じた。

 まぶしいな。こっちの席は日光を正面から受けるんだった。座席の端が空いていたから、何も考えずに座ってしまった。


 朝日の所為で目は開き難いが、刺激のお陰で意識は覚醒してきた。と、同時に車内放送が流れる。丁度良く次が降りる駅だった。


 夜勤明けと寝ぼけて鈍っている頭を動かそうと深呼吸を一つし、意を決して目蓋を持ち上げて立ち上がる。

 軽いリュックを背負って、止まりかけの景色を眺める。降りる駅のホームは疎らに人がいる程度だが、線路を挟んだ向こうのホームは、黄色の点字ブロックの内側を歩くのも困難なほど通勤、通学の人々が並んでいる。


 いつもと変わらぬ景色に何かを思う事もなく電車を降り、階段を下って改札を抜ける。

 これから一日が始まる人混みに逆らって駅を出て、徒歩一、二分程度のところにある二十四時間営業のスーパーで食料を調達する。


 店員の機械的な「いらっしゃいませ」の声に「朝早くから、お疲れ様です」と心の中で挨拶を返す。二十四時間営業に思う所がないわけではないが、現在進行形でありがたみを感じているのも事実だ。


 時間が時間なので弁当の類いはほとんど出ていないが、他にも食料はある。カップ麺とかカップ麺とか、カップ麺が。

 体に良くないのは分かっているが、家に帰って料理する気にはならないし、下手に何かを作るより美味いんだ。カップ麺。

 栄養について自分の体に言い訳する為に野菜サラダを買い、お茶も買い、他に何か買う物がないか一通り見て回る。


「ん?」


 レジ近くに位置していた成果物コーナーを通った時に思わず疑問符を口に出した。積まれたリンゴの中に一つだけ黄金色のリンゴがあったのだ。

 これ買ってもいい物なのか?

 特別な表記は無いが、リンゴ山の目に着く場所に置かれているから何かの拍子に紛れたとも考え辛い。

 食事の種類がローテーション化してきて若干の飽きが出て来ていたところなので、目新しいという理由だけで黄金のリンゴをカゴに入れてレジに持って行く。


 レジでは何事も無く精算された。黄金のリンゴ、税込み百円。レシートの商品名の所ににはただ「リンゴ」とだけ表記されている。


 商品をレジ袋に入れてスーパーを出て帰路に着きながらスマホで「黄金 リンゴ」と検索してみるが、品種は見当たらない。伝承やら神話に出て来る果実だということぐらいしか分からなかった。


 食べて良いのか?店員が何事も無く売ってくれたんだし、大丈夫だよな?視覚的にはあまり美味しそうじゃないけど……。

 繰り返される日常の中の小さな変化に微かな興奮を覚えながら、アパートに着く。


 俺こと志水 玲穂しすいれいほは学校を卒業してから上京して就職。特別何かがやりたかった訳ではなく、成り行きで行きついた結果として、それなりに大きな会社に就職することはできた。

 ただ、会社が大きくとも不況の影響は受ける。まだ勤続年数の短い俺はあまり関係ないが、ベテランの域に達している先輩社員の給料はさして上がらず。超長時間の残業をすることで稼ぎを得ているような状況だ。

 残業代が出ているだけマシと思いたいが、そういう問題で片付けてはいけないとも思う。


「あー……やめだ」


 独り言が言い放題なのは独り暮らしの特権の一つだと思う。家族のように何か言ってくる存在がいないから精神的にも落ち着く。

 そこまで考えて俺は首を振った。仕事終わりで疲れた脳ではどうしてもネガティブに寄ってしまうので、別の事を考える。今日は丁度、良いネタがあるのだから。


 買い物袋をキッチンに置いて、手洗いうがいを済ませる。働き始めて一番痛感したのは健康の重要さだ。ただでさえ休みが取りづらい雰囲気の職場に、体調不良で休むなどと連絡をしたくはないし、病院に行ったり薬を買ったりで出費がかさむと、悪い事尽くしである。


 健康の重要さを思いながらカップ麺に使うお湯を電気ケトルで沸かす。

 お湯が沸くのを待ちながら、買い物袋から黄金のリンゴを取り出す。改めて見ても不思議な物であるが、水洗いして一口かじってみる。


 食感は何の変哲もないリンゴであったが、味は水っぽかった。最初の一口を飲み込み、二口目に進もうとしたところで、視界が真っ暗になった。


「……」


 なんだこれ?そう思っても口に出す事はできない。それどころか口を動かせている感覚もなかった。口だけじゃない。手も足も目蓋も動かせない。意識だけが残っている状態だ。

 自分の状況に疑問に思ったが、不安には感じなかった。直前の状況から、あの黄金のリンゴが毒物だった可能性が浮かんだが、それならそれで構わない。俺の人生がここで終わるだけだ。


 茫然と暗闇の中を彷徨っていると、くぐもった音が間隔を開けて数回鳴った後に、甲高い音が一つ響いた。

 五感が戻る。体が末端から感覚を思い出していく。足の裏から感じる地面の感覚や、肌を撫でて行く少し湿っぽい風に違和感を抱きながら、徐々に視界が明るくなっていった。


 どういう訳かは知らないが、自室ではなく野外にいることは明らかだった。青々とした芝生が地面に広がっていて、周囲は緩やかな丘が続いている。建物どころか人の気配もなく、俺の立っている脇に朽ちた切り株が一つあるだけだ。当然、この場所に見覚えはない。


 暫く茫然としていたが、先程まで持っていた黄金のリンゴがどこかに消えていることに気付く。

 やっぱりあのリンゴ、ただものじゃなかったんだな。

 服装は着ていた物がそのままだが、靴は脱いでいたからか、靴下しか着けていない。リュックや買った物も持っていなかったが、ズボンのポケットに入れてあったスマホと財布はそのままだった。


 スマホの画面をつけると、半分より少し多いバッテリー残量と帰宅した頃の時間が表示されるが、電波は圏外を示していた。なんだか嫌な予感がしてきたな。そう思いつつも心臓の鼓動は強まっていくのを感じていた。まるで自分の予感が的中することを望んでいるかのようだった。

 自分の予感が正しいのか、間違っているのか、確かめる為にスマホの中に初期から入っていたコンパスのアプリを起動させる。スマホを回したり傾けたりするが、一向に方位は定まらない。


 往生際の悪い俺はスマホの調子が悪い可能性を考え、電源を切る。再起動するまで少し時間がかかるので、体が向いている方向に進んでみる。

 芝生は妙に尖っているし、小石は硬くて痛いしでほんの十数メートルの移動も苦労する。

 靴の偉大さを痛感しながら丘の上に立つと、俺はもうスマホの電源を入れることも忘れていた。


 緩やかな丘を下った先には青々とした森が広がっており、地形を正確に確認することは難しいが、森の先には人工的に建設された壁が多角形を模ってそびえ立っていた。壁によって全貌は窺い知れないが、中心地は高台になっていて、故郷であった日本ではあまり見ない趣の建物が建ち並んでいた。


 胸の鼓動に急かされ、体を回して周囲を見渡す。建造物のある方角を北とするならば、東には平原の先に山脈があり、南には森の中に大きな湖が見え、西には丘陵が続いていた。

 体を一周させてから空を仰ぐと、見慣れた青空に高々と昇った太陽が輝いているが、陽の光を浴びながら翔ける影に見覚えはない。そこでようやく、意図的に意識しないようにしていた脳裏の言葉と、受け入れることを急かしていた鼓動を受け入れた。


 異世界。


 早とちりかもしれないが少なくとも異国であることは間違いないだろう。国内に壁に囲まれた町があるなんて聞いたことないし。

 現代人らしくゲームやアニメに興味を持っていた身としては、突然見知らぬ土地に飛ばされた事に興奮を覚える。だけど、俺が今立っている場所のせいもあって、素直に見の前に起きたことを喜べない。

 城とか怪しげな施設で召喚されて、豪勢にもてなされたとなれば小躍りの一つ踊りたくなるが……踊らないけど。

 町外れで一人、ぽっと出て来たのでは不安を抱かずにはいられない。とりあえず町に、人が住んでいる所に行こう。水も食料もない状況で、いつまでも丘の上に留まるわけにはいかない。

 町に向かうべく、足を踏み出したところで小石を踏み付け、痛みで顔を歪めた。


 あぁ……靴が欲しい。





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