第百九十六話:不穏な壁
先制で放たれた矢は狙い違わずオークの側頭部に命中し、頭蓋諸共に脳を貫いた。生を失ったオークの体が地面に倒れ伏した瞬間、ゴブリンが、オークが襲撃を受けたと喚き立てる。その時には既に三本の尻尾を軽快に揺らしたソラクロが、柩型盾を構えたリアが横穴から飛び出していた。
指示通りの相手に向かって行く二人を見て、俺も横穴から手ぶらで飛び出、倒れたオーク目掛けて全速力で駆ける。先行していた二人に気を取られていた魔物どもは、遅れて飛び出て来た俺に慌てた様子で対応しようとするが、その隙をソラクロの蹴りによって取られる。
思惑通りの展開の中を駆け、目的であったオークの死骸……もとい、そいつが装備していた両刃片手剣に跳び付いて回収しつつ体を戦場へと向ける。
竜魔兵用に借りて来た槍を、オークやゴブリンの血糊で鈍らせる訳にはいかない。能力値で劣るなら、せめて武器ぐらいは万全の状態にしておきたい。贅沢な考えかもしれないが、結果的に成功したのだから文句は言うまい。
向かって来ていたゴブリンの棍棒を躱しながら脇腹を斬り付けるが、仕留めきれたか微妙な手応えだ。けれど、二体目、三体目と迫って来られては確認している暇はない。
連携するわけでもなく振り回される棍棒の隙を突いてゴブリンの体を斬り付け、それ以上こちらに向かってくる個体がいないか確認する。それから地面で悶絶している三体のゴブリンにトドメを刺した。
ソラクロは今まさに自分が担当していたオークとゴブリンの小隊を倒し切ったところで、リアも残すはオーク一体のみだ。
「やぁっ!」
柩型盾の中央よりやや上部からサーベルの刃を貫通させ、盾ごとオークへ体当たりを仕掛ける。片手剣では鋼鉄の盾を打ち破ることは叶わず、肥えた体で押し返そうとしても盾から突き出た刃に刺し貫かれる。加えて壁際に追い込まれていたということもあり、オークはとうとう反撃の糸口すら見つけられぬまま絶命した。
「戦闘終了だな。お疲れさん」
ワタルは複合弓を手にしながらも、空いた手をひらひらと振りながら横穴から出て来た。それに続いて、縋る様に槍を持ったプリムラが俺の方に小走りで寄って来る。
「怪我、ない?」
「ああ、大丈夫だ」
槍を受け取りながら改めて全員の状態を確認する。幾らか返り血を浴びてはいるが、自分の血を流している者はいないようで安心する。
「そんじゃあ、ちゃちゃっと魔石を回収して先に行きますか」
ワタルはマントの下からダガーを抜くと、手近なゴブリンから魔石の回収を始めた。
槍を背負った俺も、ゴブリンの死骸に突き刺さっていた両刃片手剣を抜き、血糊を振り払ってから魔石の回収を始めた。
「あっ、ソラクロは魔物の死骸を集めてくれ」
「は、はい! わかりました!」
尻尾を跳ねさせながら返事をするソラクロの手には綺麗な両刃片手剣。
魔石を回収しようとしてくれていたのだろうが……気持ちだけ受け取っておこう。
オークとゴブリンの群れを抜けて歩いていると、いつしか洞窟は石畳の敷かれた通りへと変わる。整地だけされていて何も家屋が無いというのも妙な風景だが、ここは魔窟だ、奇妙な空間には事欠かない。壁や天井も地面と同様に石が敷かれているが、空間自体は広く、槍を振り回すぐらいは問題なさそうだ。
そうして周囲を確認しながら歩いていると、ソラクロの耳が頻りに動き出した。
「敵です! ……左右から!?」
直後、ソラクロの言葉が現実のものとなる。左右の石壁が音を立てて倒れ、次いで掠れたような声で「ハァァァァッ」という雄叫び。
「竜魔兵!」
リアの言葉が響く。
討伐対象を見つけられたのは良いが、状況はよろしくない。開いた壁の位置は、こちらの隊列の真ん中当たり……つまりは俺が最も狙われやすい。
「一旦下がるぞ! リアとソラクロは左右に分かれて迎撃を!」
道幅があったお陰で迎撃は間に合った。リアの柩型盾が長剣を弾き、ソラクロが長槍を弾いて竜魔兵を殴り飛ばす。
しんがりであったワタルはプリムラを連れて後退しており、それに俺も続く。リアとソラクロが下がって隊列が整ったら反撃だ。
しかし、俺の考えは見透かされていたようで、後退を阻むように石壁が倒れると竜魔兵が現れた。
「おおっと、こいつぁ厄介!」
ワタルは透かさず足を止め、複合弓に矢を番えて射った。狙う間も無かったかのように思えるが、矢は密集した竜魔兵のもとへ飛び、一体の片眼を抉った。けれどその程度で怯む相手ではない。各々が咆哮を上げ、得物を構え、襲い掛かって来る。
リアとソラクロは……先に出現した竜魔兵の相手に手間取っている。なら、こっちは俺が前を張らなくてはならない。
「プリムラ、魔法を使え!」
「うん」
槍を構えて前に躍り出ながら、視界の端で頷きを捉える。
竜魔兵を倒せば依頼達成で、挟撃をくらった状況だ。プリムラの魔力を気にしている場合じゃない。
一人で進攻を防ぐには広い道幅であったが、こちらの得物も長物であったことが不幸中の幸いといったところか。槍術の心得なんてものは無いので、とにかく相手を威嚇するように振り回し、竜魔兵を後ろへ通さぬように意識して立ち回る。
【生存本能】のアビリティが発動してくれれば、竜魔兵の攻撃の合間に反撃を入れられるだろうが、残念ながら俺の本能はまだ余裕があると判断しているらしい。
「おい! あんまりフラフラ動くな! 撃ちづれぇ!」
ワタルから怒声を受ける。まったくその通りだ。後ろに敵を通さないことを最優先に考えていたが、それは同時に味方の射線すらも防いでしまう動きだ。背後に居るのが非戦闘員の護衛対象であるならば俺の気張りも正しさを持つだろうが、今俺の背後にいるのは冒険者だ。
声に出して謝る余裕も、どっちを狙って欲しいか伝える余裕も無かったので、振り抜いた槍を振り上げながら右に跳ぶ。それだけでワタルは開いた左側に狙いを定め、これまで失っていた攻撃タイミングを取り戻す様に連続で矢を放った。
「逆、跳んで」
剣戟音の中を漂うには細く、綺麗な声。けれどその声を俺の耳は聞き逃さず、大きく息を切らしながら指示通りに左へ跳ぶ。そのすぐ後に、赤色と水色の光線が竜魔兵の群れに飛び込み、鱗の有無に関わらず、その身体を貫いた。光線を追って陽気な口笛が流れて来たが、気にする必要はない。
後衛の活躍によって竜魔兵の数は半分の……四体まで減った。このまま押し切るのも、そう時間は掛からないだろうが、戦場はこちらだけではない。
「後ろ……ソラクロたちはどうだ!?」
突き出される槍を跳ぶようなステップで回避するのは、傍から見れば不細工だろう。けれど、それを笑うことなくワタルは背後を確認し、直ぐにこちらへ向き直った。
「余裕!」
その言葉に力を貰った……のかは定かではない。恐らく偶然、突き出した穂先が竜魔兵の胸を貫いた。急所を捉えたのは良いが、深く刺さり過ぎてしまい、引き抜くのに手間取る。その隙を左から短槍が狙い、俺の右を二体の竜魔兵が通り抜けた。
思考は二分するが、出て来る言葉は悪態だけだ。かと思いきや、俺の手は槍を手放しており、地面を蹴って後ろに跳んでいた。紙一重で躱した穂先は虚空を貫いており、それを見た瞬間、俺の体は次の行動に出ていた。身を屈め、弾く様に前へ跳び、隙だらけになった脇腹に掌底を叩き込む。
「ハァァァ……!」
ギョロリ、と丸く大きな瞳と視線が合う。敵意と殺意に満ちた、悍ましい瞳だ。
あ……やっぱり、駄目……か。
掌底でよろけた隙に短槍を奪って反撃、なんて、素の俺じゃ無理か。
直後、俺の首は短槍に刎ねられる………………ようなことはなく、お手本とばかりに飛んで来た掌底が竜魔兵の頭蓋を砕き、体ごと吹っ飛ばした。
「お待たせしました!」
珍しく上から聞こえた声音に導かれるように顔を上げると、空色の瞳を細め、白い歯を覗かせる笑みがあった。
「今ので最後です!」
「……ああ、そうか。助かった。……そっちは無事か?」
ぎこちない動作で姿勢を戻していくが、ソラクロは一向に気にした気配なく、ただ元気に「はい!」と答えた。
「そうか……よかった」
「いや~、今のはちょっと冷やっとしたね~」
着込んだ鎧を鳴らしながらリアは緊張を解いた声を上げる。
「いや、ホント。プリムラの魔法があって助かった。どう? お礼に今夜食事で……いてて! リア、剣で突っつくのはナシだって!」
身を捩って剣先から逃げるワタルに対し、リアはサレットの奥で半眼になりながら「ほらほら、さっさと魔石を回収しなさーい」と追い立てて行った。
戦闘終了で訪れた、僅かなおふざけの後、竜魔兵の魔石を余すことなく回収する。その数、十四。今回の依頼は“何体討伐”といった数は決まっておらず、倒した数に応じて報酬が支払われる歩合制だ。
「思ったより多いな」と呟くワタルの表情には、どこか深刻な影が落ちていた。
「……何か気になることでも?」
「今回の奇襲、あれはオレらも初めて受けた」
「そうだね。普段ならその辺りをうろついている筈だもんね」
リアが腕組みをして考え込むのを見て、ワタルは表情から陰りを消して、「こういう時はさっさと退散するのが吉だ」と口にした。
ワタルの提案に俺たちも賛成し、隊列を組んで歩き出した瞬間だった。しんがりのワタルが「危ない!」と叫んだのは。
何が起きたか分からず振り返ると、そこにプリムラとワタルの姿は無く、この空間を作っている石壁と似た壁が出来ていた。
「おい! 二人とも無事か!?」
壁を叩いて声を張るが答えは返って来ない。急激に不安が込み上げ、拳を強く握り締める。しかし、その拳を叩き付けるより先に、俺の肩へ手が置かれた。
「この壁……嫌な予感がする。ここに留まるのはマズいから、一旦先に進も。大丈夫、ワタルはあんなんだけど、いざとなったら頼りになるから!」
サレットの奥で明るく笑んだリアは、最後にもう一度「大丈夫」と口ずさんだ。その傍らでソラクロは「えいや!」と壁を蹴ったが、ビクともしない。ここで俺がごねるても状況は好転しないどころか、時間の無駄にしかならない。
「……わかった。一旦先に行くとして、歩きながらリアの感じている予感について教えてくれないか?」
「うん、あたしもそのつもり。行こ」
リアは励ましに俺とソラクロの肩を叩くと、柩型盾を構え直して先頭を歩き始めた。
次回投稿予定は6月21日0時です。




