第百九十五話:久方ぶりの討伐依頼
冒険者ギルドで依頼を受け、首都の北門から魔窟を目指す。魔窟のある森林までは開けた草原が広がっていたが、魔物討伐へ繰り出すには遅い時間なので、俺たち五人以外に冒険者の姿は見当たらない。
「折角の初冒険だってのに、なぁんか不穏な雲行きだな」
両手を頭の後ろで組んで空を仰ぎながら独り言つワタルに対し、律儀に反応するのはリアだった。
「暗影の月だからね。夜は暗く、昼間は雲が多くなりがちだけど……」
言葉を区切って鼻をひくつかせて空気のにおいを嗅ぐ。
「雨の気配はなさそうかなー」
「そうかい。ま、空が暗くっても、オレの周りは絢爛華麗だから文句ねぇけど」
組んでいた手を広げて軽口を叩くが、リアに「それは良かったねー」と棒読みで返された。
魔物討伐——竜魔兵の討伐にリアとワタルを雇ったのは、初めて足を踏み入れる魔窟に対して経験者を連れて行った方が良いだろうと判断したからだ。魔窟はその時々で形を変えるから、経験者もへったくれも無いと言われるかもしれないが、それでもこの土地で冒険者をやってきた者にしか感じ取れないもの……言わば経験から来る勘がある筈だ。それと、プリムラが付いて来ると言って聞かないので、手数や目が多くて困ることは無い。
二人が邪な考えを持って俺たちに近付いて来た可能性については、取り敢えずは考えないことに、けれど忘れない程度に留めておくことにした。依頼を受ける時、受付嬢——新米のあの娘ではない——に二人の評価を聞いたところ、特に不審な点は無いと言われたからだ。
「森に入る。隊列を」
これまで俺、リア、ワタルが横並びになって前を歩いて、ソラクロとプリムラが俺の後ろで横に並んでいたが、森の中では道幅も限られるし、魔物の襲撃も警戒しなくてはならない。
決してリーダーを気取りたい訳じゃないが、ソラクロとプリムラは俺に付いて来るだけで、リアとワタルからは「一応、被雇用者という立場だから指揮はそちらに任せる」と、出発する前に言われた。じゃあ、俺しかいないよね。
リーダー向きの人、誰か見つけるか? できれば男で年上。でも、「リーダー募集中です」なんて言って来る奴いるか? 来たとしても信用できるかどうか、そうやって見分ける? ただでさえ下心を持たれそうな女が二人と、頼りない男のパーティなんだから、余計な問題を呼び込むだけなんじゃないか? いやね、べつに健全な両想いになるなら、どうぞご勝手にお幸せにって、拳から血を流しながら後腐れなく見送れるけど……。
「むー…………」
森を前にして腕を組んで考え込んでいると、大きな手で背中を叩かれた。
「怖気づいたか?」
「……いや、余計な考え事」
本当に余計な……余計極まりない考え事だ。俺は一体何を想像しているんだ。
「そんなのは街に帰ってからにしとけ。隊列は事前に決めた通りで良いんだよな?」
「……ああ」
ワタルに言われ、事前に決めていた隊列、リア、ソラクロ、プリムラ、俺、ワタルの順で森に入る。
役割だが、リアとワタルについては本業のままで、ソラクロは攻撃者、プリムラは魔法使い、俺は遊撃者となっている。リアが回復魔法にも長けていることを踏まえると、バランスは良く思えるが、プリムラは魔法が使いづらく、俺は相変わらず貧弱な能力値なので、実質的な戦力は三人だけになる。それでも盾役、攻撃役、援護役と役割は分かれているし、能力値も申し分ないから、討伐推奨等級銅星三の竜魔兵にそこまで苦戦することはない……と思う。
装備については、流石に薬草採取の時の様な軽装では行けないので、俺は革製の鎧を着込み、武器は特別短くも長くもない、俺の身長よりも少し長い程度の、ただの槍だ。小丸盾も持てれば良かったが、武器の取り回しに支障が出そうだったのでやめた。武器を取り回し易い片手剣に変えれば良いかと言われると、今度は竜魔兵の特徴に懸念が残る。その名の通り竜が人間サイズになった魔物であり、体表を覆っている鱗には斬撃に対して耐性を持っている。加えて、武装している場合が多く、長物の武器を好んで使う傾向があるというのだから、片手剣だとかなり相性が悪い。
俺以外の装備としては、相変わらず防具嫌いのソラクロに頼み込んで打撃用のグローブを着けさせ、プリムラには闇のローブなるものを着させた。闇と聞くと呪われているんじゃないかと心配になるが、ここで言う闇とは闇属性の意味であり、闇属性の特性として気配遮断効果が付与されたローブという事になる。マナ濃度の影響でいつもより効果は薄れているようだが、それでも迂闊に敵の前に出なければ狙われにくくなる程度の効果はあるとのことだった。
空に浮かぶ厚めの雲を貫いて地表に届く陽光も、鬱蒼とした緑までは貫くことができず、森の中は昼間だというのに先行きが不安になる暗さが立ち込めている。リアは戦闘準備としてサレットを被っているので、より一層視界は悪いだろうに、困った様子もなく進んで行く。
ソラクロの【気配察知】があるので、奇襲されたとしても事前に察知できるが、初めて足を踏み入れる土地ではどうしても緊張で体が硬くなってしまう。それを見抜かれ、背後から複合弓で小突かれる。
「本番はまだ先だ。今から本気になってどうする?」
「ああ……分かっては、いる」
歩きながら首だけ後ろを向いて答えると、ワタルは「ったく」と呟きながら乱暴に頭を掻いた。
「つい最近のオーバーフローを思い出せ。あれから比べりゃ魔窟での戦闘なんて気楽なもんだぜ」
「……そう、だな」
同意してみたが、言葉だけだ。戦いで死ぬのに相手の強弱や状況は関係ない。どんなに能力値が優れていても、ちょっとした不幸を踏んでしまえば格下の魔物に殺されることはある。激戦を潜り抜けたからといって、油断を戦場に持ち込んでは呆気なく殺されるだろう。死というのは、驕りや油断といった感情に対して鋭敏なものだ。
「まぁ安心しろ。お前が下手打っても、女の子だけは守ってやるよ」
「……そうか」
変わり映えのしない反応に、ワタルはとうとう小さな溜め息を吐き、それきり話し掛けて来ることは無かった。
森林の中は草木や根が好き勝手に生えていたが、魔窟への道のりだけは冒険者がよく通るからだろう、不自然に草が踏み分けられていた。それでも、軽装なソラクロが草で脚を切ってしまわないか冷や冷やさせられたが、無事に魔窟の入口まで到着することができた。
「ひ~、やっと抜けた。細かい虫が多いのなんのって……プリムラ、大丈夫か?」
ワタルがマントに覆われた体を大袈裟に叩きながら聞くと、ローブのフードをすっぽり被っているプリムラは振り向き、無表情の顔を見せてから……
コクリ。
「あら、逞しいこって」
前に薬草園の手伝いをしていたからだろう、プリムラは野生に対しての抵抗感が薄い。この間も、俺が擬態していた虫に気付かずに薬草を採ろうとした時、何食わぬ顔で虫を取り除いてくれた。ちなみにその虫、俺としては出来る事なら触りたくない姿形をしていた。
「このまま突入するよー!」
「ああ、行こう」
俺の返答を受け、リアは大木の洞に出来た黒い靄へと足を踏み入れ、彼女の後に隊列順で続いて行った。
魔窟の中は見慣れた洞窟で、発光する岩石によって明かりは確保されている。入口付近には魔物の気配は無かったが、ソラクロが小刻みに耳を動かしているのが気になった。
「ソラクロ、何か感じるか?」
「はい……この先に、十くらい……人型の足音が聞こえます」
「へぇ、そこまで分かるのか。……初手で十の人型となると、オークかゴブリンか。まぁ、オレは弓兵なんで、前衛の皆さんの健闘に期待してますよっと」
数はこちらの倍になるがワタルは特に気にせず、寧ろ楽勝とでも言いたげに、複合弓ごと頭の後ろで手を組んだ。
「……進もう。プリムラは俺の後ろに、魔法は自衛以外で使わなくていいから」
コクリ。と頷いて隊列を変更するために擦れ違いながら、俺の耳元で「気を付けて」と囁いた。その奇襲で既に俺の心拍数は限界値に達しそうだったが、頭を振って平静を取り戻す。
「ワタルさん、当たりです。オークとゴブリンがいます」
先行していたソラクロは横穴の淵から戻って来て、目で得た情報を教えてくれた。
「おっと、混合だったか……数は、オーク三、ゴブリン七か?」
「すごいです。当たりです!」
ソラクロに褒められて気分が良くなったワタルは、左手で軽くガッツポーズをして見せた。
「もう数えきれないぐらい来てるもんね~。で、どんな作戦で行く?」
リアはサレットに開けられた隙間から薄紅梅の瞳を向けて来る。
「依頼目標は竜魔兵だ。ここは無駄に力を使わず、負傷せず、突破しよう」
全員に言い聞かせるつもりで発した言葉だが、この中で一番の不安要素は……言うまでもない。俺は槍を強く握り締めると、全員で横穴の淵へと移動するよう指示を出した。
横穴の向こうには変わらず岩壁に囲まれた洞窟が続いており、円形の広間ではオークとゴブリンが目的もなく歩いている……ように見えた。魔物が魔窟で何を考えて生活しているかを考えるのは、冒険者の仕事じゃない。重要なのは気付かれているか否かで、今回は首尾よく気付かれていない。
武器は……ゴブリンが棍棒……一体だけスリングショットを持っていて、オークは片手剣か。防具らしい防具は見当たらない。
「矢で奥のオークを仕留められるか?」
「どれどれ…………あぁ、行ける。けど良いのか? 一番槍が一番矢になっちまうぜ」
真剣味に欠ける笑みを向けられるが、俺はただ「頼んだ」とだけ返す。一々相手にしてられない。
「リアは手前のオークとゴブリンの注意を引いて、ソラクロは中央で……暴れろ」
「うん!」
「はいです!」
「さっき無駄に力は使うなって言ったけど、最優先は怪我をしないこと。危ないと感じたらスキルは渋らなくていい」
当たり前のことをさも重要事項のように告げるが、それを指摘する声は上がらなかった。
「はいよ。で、お前さんはどう動くんだ? ここでオレらの護衛でもしてくれんのか?」
「俺は奥のオークが倒れたらそっちに切り込む。……外すなよ?」
「ふっ……言うじゃん。任せとけって」
「ああ。一番矢の後の判断も含めて任せる」
複合弓による肯定の小突きが返ってきたところで作戦……と言えるか定かではない会議は終了。各々が配置に着く。
「そんじゃあ、前哨戦……始めますよっと!」
引き絞られた弦が放され、番えられていた矢が最奥のオーク目掛け一直線に飛んだ。




