第百九十三話:絡まれ、出会い
熱を持つ輝きにより、世界を覆っていた紫黒の光が剥がされ、高い外壁に覆われた街に彩りが出始める。実りの良い依頼を他人に取られまいと、冒険者ギルドに急ぐ冒険者。荒れた通りや家屋を補修すべく、愛用の工具を手にした大工。今ある物でも商売を続けんとする商人。立場は様々であっても、皆、普段の日常を取り戻すべく街に活気を宿らせていた。
「よし、さっさと行くか」
冒険者ギルドから宛がわれた宿屋の広間で雑魚寝していた俺は、陽が上るよりも少し前に目を覚まし、部屋で寝ている二人が起きる前に冒険者ギルドへ出発しようと考えていた。
宿屋が無償で提供されているとは言っても、まさか一人一部屋貰える訳ではない。一パーティにつき一部屋だ。それについてはべつに文句は無い。女二人に部屋を使わせて、俺は適当な空きスペースで寝ればいいのだから。
壁と屋根がある場所で寝れるだけ、駆け出しの頃よりずっとマシ……とは、手放しに言えないか。俺と同じ境遇の者も少なくないし、満室で部屋自体を貰えなかった者たちだっている。その者たちと一緒に雑魚寝をするのだから、相応の精神的負荷は感じる。わざとやっているんじゃないかってぐらい、いびき合戦が毎晩開戦されるので、必然的に眠りは浅く、睡眠時間は短くなった。
眠いが、抗いようのない眠気ではない。元の世界だったら間違いなく惰眠を貪っていただろうが、今はそんな状況ではないと脳も体も理解しており、徐々に活動を開始する。
起きて動こうと思えば出来るんだよな。元の世界の俺は寝すぎだったんだよ。などと考えながら、寝ぼけ眼の雑魚寝組を蹴らないように広間を出て、宿屋の出入口へ向かった時だった。軽快な足音と、ゆっくりとした足音の二つが階段を下りて来る。
嫌な予感しかしない。
「おはようございまーす!」
予感通りの聞き慣れた挨拶の声に、俺は溜め息を吐こうと息を吸ったが、なんとなくそれすらも煩わしくなり首を横に振った。
「……まだ寝ている人もいるんだから、大声はやめておけ」
言うほど大声ではなかったが、これくらいの文句は許してほしい。……いや、俺が勝手に出発しようとしなければ済んだ話か。
ともかく、このまま話し合いをしては迷惑になるので、ソラクロとプリムラへ外に出るよう伝える。
「…………早起きだな。休みなのに」
清々しい朝の風が通り抜けて行くのに、俺の気分は少しも晴れない。
「起きちゃいました」
えへへー、と笑うソラクロを直視できなくなり、プリムラに逃げ道を求めようとして……そのまま通り過ぎ、適当な風景へと落ち着かせる。
なんで懐かれてんだ? とか愚痴ったら「贅沢言うな」とボコボコにされるな。二人を俺に構わず休ませる画期的な言い訳は……思い付いていない。
「本当に、付いて来なくていいんだぞ。好きなことして過ごしてもらって……」
「レイホさんと一緒にいるの、好きですよ」
………………今日は朝から暑いな。あー、暑い暑い……。
「……プリムラと二人でいるのは好きじゃないのか?」
卑怯、卑劣、卑陋極まりない返し方だと自覚している。死んだら永遠の責め苦を味わうことになるだろう。
「え……え……そんなことないですよ」
「意地悪、言うの……」
慌てて俺とプリムラを交互に見るソラクロと、失望したように呟くプリムラ。
「…………悪かった。でも、本当に……」
付いて来なくて大丈夫だ。その言葉を飲み込む。二人は俺が一人で冒険に行くのを心配して同行を申し出ているんじゃなくて、単に付いて行きたいから付いて来ようとしている。
「あぁ……もう好きにしてくれ。ただ、代休は無いからな」
「はーい、好きにします!」
「だいきゅー、って何?」
諦めさせられた上に、せめてもの抵抗として放ったブラックジョークも効かないか……。
二人に見つからないよう、急いで依頼を受けに行く必要もなくなったので、代休について知識を披露しながら食料の配給場へと向かうことにした。
配給場——冒険者ギルドに併設された食堂で、変わり映えのしない、麦か米に類似した穀物を主としたスープをかき込み、ギルドの受付へと足を運ぶ。朝一の波は落ち着いたようで、広間には出遅れたか、混雑を嫌って時間をずらして来た冒険者がちらほらと居るばかりだ。
「ん~? お~い、おめぇ、ひょろっこいクセに女を二人も連れて……気に食わねぇなぁ! あ~?」
うわっ、変なおっさんが絡んで来た。こんな時期のこんな時間から酔っ払いに絡まれるってどんな日だよ。
おっさんは酒の入った陶器を持ったまま立ち上がり、凄い剣幕で俺に睨みを利かせてから、プリムラの方へ視線を移して鼻の下を伸ばした。
おっさんが俺を気に食わないと思うのも分からなくはないが、だかと言って野放しにはできない。視線を遮るようにプリムラの前に立ち、瞬く間に伸びた鼻の下を戻したおっさんと対峙する。首から下げた等級証には銅の星が五つ。
「……構うな。受付の方に行け」
よもや受付の前まで追いかけて揉め事を起こすまい。この場所も受付から見える位置ではあるから、仲裁してくれないかな……これくらいの難事は自分で解決しろって?
「受付ぇ? ははぁ、その女どもを依頼として出すのか? アレの世話をしますから金をください、つって! はっはっは……! そうだよな、おめぇみてぇな骨野郎に付いて行く女なんていやしねぇよな!」
一人で勝手に盛り上がっているので、無視して俺も受付に避難しようと思ったが……ソラクロがとても不満そうにおっさんを見上げていた。
「構うなって言ったろ」
ソラクロが何かを言う前に、透かさず間に入る。不快なのは分かるが、酔っ払いには関わらない、絡まれたら逃げる。これが最善だ。
「おい」
背後からおっさんに呼ばれたかと思うと、後頭部から鈍い音と痛みが響いた。
「って……!」
「レイホさん!」
おっさんに飛び掛かろうとするソラクロを押さえ付けることには成功したが、受付の方まで逃げていたプリムラが戻って来てしまう。
ああ、もう……人の心配している場合じゃないって分かってんのか?
俺の両手が塞がっているのをこれ幸いと、おっさんは俺の脇を抜けてプリムラへ手を伸ばす。が、その手は硬い鋼鉄によって阻まれた。
「ギルド内での暴力行為は懲罰の対象だよ」
注意……いや、警告をしているには不釣り合いの、明るく、聞き心地の良い声。しかし、彼女の表情は真剣そのものであり、薄紅梅の瞳は鋭く細められている。
おっさんの手からプリムラを守ってくれた彼女は、左手に鋼鉄の柩型の盾を携え、同じく鋼鉄製の防具を肩から胸にかけてと脛に装着していた。防具の隙間からは革の鎧下が見え、左腰には細身の片手剣が下げられている。
「あぁん? また女かぁ?」
弾かれた手を痛む様子も無く、標的を彼女へと変えたおっさんだったが、今度はその手首を、背後から伸びて来た手にしっかりと掴まれた。
「おっと、ヨハンネス、まさかリアに手ぇ出そうってんじゃないだろうな?」
またもや警告するには不釣り合いと感じる、どこか軽薄な男の声。今度は表情も相応しくない薄笑いで、おっさん——ヨハンネスの頭から顔半分を覗かせている男の目は形だけ笑っている。
「おぉ? 昼行燈のクセして……」
「酔っ払いだからって、看過できねぇぞ」
振り返りながら乱暴に手を払ったヨハンネスは男に難癖を付けに行くが、逆に男に凄まれて喉を詰まらせた。そこで機を見計らっていたギルドの職員が割って入り、ヨハンネスを奥の部屋へと連れて行った。最後に「揉め事はやめてくださいね。場合によってはあなたたちも懲罰の対象になりますから」と忠告を残していったのが、どうにも釈然としない。
「いやぁ、ごめんね~。ちょっと見てらんなくて、手出しちゃった」
残された俺たちの中で最初に声を上げたのは盾持ちの彼女で、右手を後頭部に回して薄橙のポニーテールを揺らしながら気の良い笑みを浮かべている。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
俺が礼を言ってから直ぐにソラクロが、一拍置いてプリムラが会釈した。
「そちらの方も、ありがとうございます」
男の方にも礼を言うと、背負った複合弓を揺らしながら麻色のマントの間から片手を出し、ひらひらと振られた。
ヨハンネスを止めた時から分かっていたが、男は長身で、茶髪から覗く切れ長の目は端整に紺鉄の瞳を宿している。マントの隙間から見えただけだが、防具は狩人装束といった具合で、硬さのある防具といったものは着けていない様子だ。
「男からの礼より、オレは女の子を紹介して欲しいなって」
先ほど見せた凄みはどこへやら、だらしなく顔を緩ませてソラクロとプリムラに歩み寄るが、盾に小突かれてたたらを踏んだ。
「いやぁ、ホントにごめん、ワタルのことは無視していいから」
「無視は良くないぞ~、無視は。仲良くしようとしただけだろ」
間の抜けた抗議をしている男を見やる。見て判別できるわけじゃないが、ワタルという名前を聞いて、異世界人だと思わずにはいられなかった。
「すみません。ワタルさんは、異世界から来た人、ですか?」
「女の子より先に男に名前を覚えられてもな……。まぁいいや、そうだけど?」
大きな街には多くの出会いがあるものだが、まさか昨日に続いて今日も同郷の人間と出会うとは思っていなかった。
参考までに。
現在のプリムラの能力値。
体力:313
魔力:250
技力:26
筋力:14
敏捷:20
技巧:10
器用:40
知力:55
精神力:44
◇アビリティ
属性耐性・火・水・風・土、詠唱破棄、移動詠唱、精神虚弱性、軟弱、妖精の祝福、妖精の呪詛
◇魔法
エレメンタル・セイバー(ショット、チェイス、バースト、レーザー、ガード、エンハンス、ボード)




