第百八十六話:持たざる者の一矢、齎されし者の万雨
更新が不安定で申し訳ありません。
一般的な二階建ての民家よりもずっと高く、市街全体を囲っている外壁の上に登ると、見晴らしの良い……地獄絵図が広がっていた。
地上から、離れた魔法学校から市街を見ていた時は、そこまで魔獣の侵攻が成されていないように見えたが、実際は全く異なっていた。人も、魔獣も、通りの真ん中だろうと家屋の玄関前だろうとお構いなしに血肉やら臓物を撒き散らしている。大通りに開いている穴の大きさから、市街にもグレイブワームが出現したようだ。
プリムラの視界を塞ぐように前へ立ちたかったが、魔獣の襲撃は続いているのでそうもいかない。
「頼む」
最小限の言葉であっても、プリムラは頷いてくれ、直ぐに【エレメンタル・セイバー】を展開してくれた。というのも、事前に外壁の上での役割を話していたからだ。
魔獣の飛行戦力魔獣はガーゴイルが主で、歩兵はゴブリンだ。ガーゴイルは魔物であったとしても、俺だったら一体相手するだけでも大変どころか、負ける可能性の方が高い相手だが、プリムラの魔法剣は石のような体表であっても容易く斬り裂いて行く。だけど、安心はできない。わざわざ狙われやすい高所に来る人間は少ないので、付近に居た魔獣がこぞって俺たちを狙って来る。
俺は早いところ砲台を操作したいのだが、ゴブリンの群れが邪魔をする。
「邪魔だ!」
道中で拾って来たロングソードを振ってゴブリンをまとめて斬り捨てる。それで少しでも臆してくれればいいのだが、ゴブリン相手に心理効果を期待するのは無駄だ。
人間なら横に二人、ゴブリンなら三体が並んで歩ける通路で、俺とプリムラは互いの背中を預け合いながら魔物を打ち倒して行く。
「エレメンタル……っ!」
ゴブリンの群れを斬り伏せ、地面に蹴落とし、砲台周辺の魔獣は粗方倒したところで、背後から息を飲む音が聞こえた。聞こえた瞬間には振り向き、直近の記憶に残っているプリムラとの距離を縮める為に必要な力を脚に籠めていた。
【エレメンタル・セイバー】は四属性の魔法剣を一本ずつしか出現させられない。つまりは一度に出せる最大本数は四。如何に【詠唱破棄】を駆使しようと、無防備になる瞬間は訪れる。その隙をガーゴイルが見計らったのかは不明だが、プリムラが隙を狙われたのは事実であり、彼女の危機を俺が守るのは当然でなくてはならない。
魔道具の盾を展開し、上空から縦に振り下ろされた戦斧の柄を受け、軌道をずらす。そんなスマートな捌き方は出来ない。武器の重量的にも、振りの速さ的にも俺の手には余る一撃だった。柄の部分を受けた時点で大きく体勢を崩されてしまい、押し潰されないように戦斧の下から抜け出すのが精一杯だった。それでも俺が割って入ったことでプリムラへの直撃は回避でき、魔法剣による反撃も間に合った。
「レイホ……」
謝罪か感謝か、下がり気味の声音からして前者である可能性の方が高いが、今はどちらも不要だったので、食い気味に「大丈夫だ」と返してから上空へ視線を向けた。
ガーゴイルはまだ浮遊しているが、考えなしに突っ込んで来る気配は感じられない。相手もプリムラの魔法剣の威力は察していて……恐らくは隙が出来るタイミングも解っているのだろう。
言葉は当然のことながら、習性もよく知らない魔獣だが、援軍を待っているとか強力な攻撃の予兆といったものが感じられない以上、俺の理解が及ぶ範囲で判断するしかない。
「こっちからは攻めなくていい。向かって来る敵だけ迎撃して、最後の一本を使う時は…………あー……」
【バースト】による魔法剣の爆発で時間を稼げば良いと思ったけど、爆発させたら視界が遮られるな。魔法剣は出現させられれば直ぐに斬り付けられるけど、爆風を突っ切って来られたら流石に危険だな。
プリムラが言葉の続きを待っている。ガーゴイルがいつ今の状況を好機と見なして仕掛けて来るか分からない。戦闘音を聞き付けたゴブリンや別の魔獣が、いつ駆け付けてくるか分からない。考えを広げるな。選択肢を増やすな。
「……最後の一本はできる限り距離を開けて、風のバーストにしよう」
風剣ならば爆発させても視界への影響は少ないそうだとか、四本目の攻撃を一つに絞ることで、魔法剣を使い切った合図にもなるだとか、小賢しい理由はあるけど一々説明している余裕は無い。それに、プリムラも理由を聞かずに頷いてくれてた。
改めてプリムラは上空へ、俺は砲台——大型弩砲へ意識を向け、それぞれの役目を果たすべく動き出す。
金属製の黒塗りの大型弩砲は頑強さを通り越して重圧を感じ、付着している赤の液体の存在もあって、思わず手を伸ばすことを躊躇いそうになる。けれどこれが、俺にとってフレアドラゴンへ対抗できる唯一の武器だ。使い方は今から調べるが、その前に魔法学校はどうなってる?
投げた視線の先では、校舎前広場の中央付近……今はもう見る影も無いが、元は時計台があった場所だ。そこでフレアドラゴンは……動き回る黒い影に翻弄されて足を止めていた。黒い影の正体が何かは考えるまでもなく理解でき、拳を握り締める。
校章持ちの姿は誰一人として見えない。
全滅したのか? にわかには信じ難いが、現状、戦線に加わっていないのは事実だ。発射準備を急がなければ。
大型弩砲と言っても形状は一般的なクロスボウを大型化した物で……矢は下から装填するようになっているが、どうやって持ち上げるんだ? まさか腕力で?
長さも太さも俺の腕より圧倒的に太い鉄の矢を持ち上げてマウントするのは中々な重労働だ。泣き言になるが、さっきガーゴイルの攻撃を防いだ時、魔法学校で受けた怪我があちこち開いてしまっている。
怪我への意識を、額から滲み出た汗と共に拭い去って大型弩砲の周囲を確認すると、矢が置かれている土台にペダルが付属していた。固いペダルを何度も足踏みすると、土台が上昇していき本体に矢が装填される。
次は弦……の前に大型弩砲の向きを魔法学校側に向けるか。大型弩砲が設置された台座には円形に切り込みが入っており、台座の外側にある、地面から垂直に立てられたレバーを倒して台座を回転させる。これまた固くて、脇腹から血が滲み出てしまうが歯を食いしばって耐える。
「こんな……もんだろ!」
痛みを消す為に言葉に出し、台座の向きを合わせるのを完了する。
弦は本体に取り付けられたレバーを回すことで引けるようになっており、前の二つよりは力を必要とせずに実施できた。弦が最大まで引き絞られたと思われる音がしたのでレバーから手を離す。
「あとは……照準と、引き金を……」
突然起こった風を感じてプリムラの様子を伺いつつ大型弩砲の後ろに回り、問題なさそうだったのでマウントレールに装着された照準器を目の高さまで下ろし、照準器越しにフレアドラゴンを捉える。上下左右の微調整は引き金の脇から伸びているレバーで可能だ。
集中しているからか、それとも怪我の影響か、自分の呼吸がやけに鬱陶しく感じる。手振れで狙いがズレるようなことはないが、視界が不快に揺れると、それだけで判断に躊躇いが生まれる。
距離は二百メートルか、もう少し長いか……大型弩砲なら十分に有効射程距離だろう。当たれば何かしらは吹っ飛ぶ……もし、番犬に当たったら? 直撃した場合は思考するまでもないが、至近弾であっても衝撃で吹き飛ばされる可能性は十分にある。番犬を意識した途端、ここからでも巨体に見えていた筈のフレアドラゴンが小さく見えた。全長と比較して細身な奴の身体を意識して、矢が外れる映像が脳裏を過ぎった。
「くはっ……!」
弾くように息を吐き、照準器から目を離す。
番犬は大型弩砲による狙撃を待っているんじゃない。ただ献身的に、フレアドラゴンを市街へ侵入させない為にあそこで戦っている。なんの打ち合わせもしていないのだから、合図を出したところで後退してくれるかは分からない。合図が邪魔になってフレアドラゴンの攻撃を避け損ねてしまうかもしれない。
突風が頬を叩く。
プリムラ……まだ無事か。けど、急がないと……いっそ一発外して番犬にこっちの意図を察してもらうか? その場合、フレアドラゴンにもバレることになって、最悪こっちに飛んで来る。矢はまだ転がっているが、装填する時間があるか? 二発目を撃てるかどうか……いや、飛行している相手に照準を合わせる事を考えると厳しいな。
人手が欲しい。一人で良い。俺の狙いを番犬に知らせに行ってくれるだけでいい…………っ!
「甘えんな!」
誰かに頼るな。番犬だってずっとフレアドラゴンに取り付いている訳じゃない。長い尾で攻撃された時や熱波が発生した時は大きく回避行動を取っている。番犬が離れた時を狙ってフレアドラゴンの頭をぶち抜いけば良いんだ。
再び照準器を覗き込み、【エイム】を発動して狙いを付ける。精神力に応じて精度が上がってくれればどの部位であろうと撃ち抜けるだろうが、残念ながら技巧依存だ。技巧が低くとも近距離であれば十分に効果を発揮するが、この距離だとどれくらい信用できる? 一応、アビリティのお陰で技巧もそれなりに上がっているが…………考えるな。タイミングだけを待て。
……………………まだか。
番犬とフレアドラゴンの攻防は常人どころか、多少腕に覚えがある戦士であっても圧倒されるものだった。
………………………………まだか。
フレアドラゴンの爪が地面を抉り取れば、番犬の爪は鱗を削り取る。フレアドラゴンの牙が空を噛むなら、番犬の牙は翼に穴を開ける。
……………………………………………………まだか。
フレアドラゴンのブレスが周囲を灼熱に変えるなら、番犬の蛇は体内に毒を注入する。フレアドラゴンが大きく息を……いや、マナを吸い込んで傷や毒を癒すと同時に熱波を放つ。それよりも数瞬早く番犬は後退し、それから一秒近く経ってから俺は引き金を引き終える。
引き絞られた弦が解かれ、柱のような矢が空気を震わせて射出される。当然、大型弩砲の体を着けていた俺にも相応の衝撃が伝わり、既に傷だらけだった体に追い打ちが掛かる。
一瞬意識が飛び、血を吐くが、視覚だけは集中を解かずに照準器越しに矢の行方を見届けていた。
「ジュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
矢が伝えた振動を返すように、フレアドラゴンの呻き声が空気を、地面を揺らした。
結果は命中したが失敗した、とでも言うべきか。いや、この場合はフレアドラゴンの生命力を称え、そして絶望すべきか。
放たれた矢は狙い通りフレアドラゴンの頭部目掛けて飛び、頭部の一部ごと両目を吹き飛ばした。しかし、即死級の損傷であるにも関わらず、フレアドラゴンは再びマナを吸い込んで再生したのだ。
「嘘だろ」という言葉が聞こえた気がするけれど、俺の周囲にはガーゴイルと対峙しているプリムラ以外、誰も居ない。もしかしたら俺自身の声だったのかもしれないが、それにしては妙だ。言葉に従うなら愕然とすべきなのに、今の俺は淡々と次弾装填を試みていた。
矢を転がして土台に置き、ペダルを踏んで本体に装填。レバーを回しながら標的の様子を確認する。地上の小賢しい番犬よりも大型弩砲の方を脅威と捉えたのか、番犬からの攻撃を無視して翼を羽搏かせ始める。どうやら飛翔するまで少しばかり力を蓄える必要があるようだ。お陰で弦を最大まで引き終えられた。
「ここに来て嬉しい誤算だな」
笑った…………と思う。笑う状況じゃないのは理解している。けれど頭の中は冷めているのに、胸の奥は感じた事がないほど熱くなっている。
「ジュゥゥゥ!?」
いよいよ飛び立とうとしたフレアドラゴンであったが、驚愕に首を振ったかと思うと押し付けられた様に地面に伏した。そして、その五体と尾を拘束するように大地が形を変えた。
視野をフレアドラゴンから少し広げると、校門前でこちらに向かって手を振っている少年と、彼に肩を貸している少女の姿が見えた。少年は体の半分に包帯を巻かれており、少女の方も頭と右腕に包帯を巻いている。
少年が一頻り手を振ると、二人はそれぞれの尻尾の様な後ろ髪と、毛先にクセの付いたサイドテールを揺らしながら射線から離れていった。
「ハッ……!」
思わずどっかの誰かみたいな高笑いが出そうになったのを噛み殺し、照準器越しに【エイム】を発動。フレアドラゴンの頭頂部に狙いを付け……ん? 番犬がフレアドラゴンの背中に乗ってこっちに合図を送っているな。翼の付け根よりも少し上、胸の辺り……魔石の在り処か?
照準を頭部から番犬が立っている所にずらすと、タイミング良く番犬はフレアドラゴンの背中から飛び降りた。
それにしても、まさかここで二人に助けられるとはな……。持つべきものは……………………
「フッ……」
余計な言葉が出て来てしまう前に引き金を引く。二回目の反動に俺の体は耐えきれず、結果を見届ける前に崩れ落ちた。
まだだ……フレアドラゴンを倒せたとしても、まだ魔獣はいるんだ。……あぁ、でも俺はもう無理かな。力が……どんどん……抜けてく。……大丈夫、だよな? 番犬なら……プリムラなら……二人とも強いし、きっと首都を白紙化から守ってくれる。……結局、誰かに頼ってばかりだな。
「俺に……仲間なんて……いない」
不出来で、不甲斐なくて、無価値な俺が……仲間や……友なんて……持つこと、許されない筈なのに……。弱いから、怖がりだから……直ぐに頼ってしまう…………あぁ、だったら…………!
立ち上がって戦おうとするが、体を転がして仰向けになるだけで精一杯だった。それでも弱い自分に抗いたくて、自分を許したくて空に手を伸ばす。
しかし俺が立ち上がる事は叶わず、空から八色の輝く雨が降り注ぐ光景を最後に、意識を手放した。




