第百八十五話:知らない魔法
討伐推奨等級銀等級星一程度の相手ならば一撃で葬れる力を持つ校章持ちが総力を挙げてフレアドラゴンと対峙するが、状況は劣勢から動こうとしなかった。……いや、ヴォイドとプリムラを抜かしても一人足りないが、七人の力を結集しても時間稼ぎが関の山であった。
フレアドラゴンの討伐推奨等級は金等級星四であるが、正直なところ金等級以上とされている魔物は出現率の低さから、その評価は酷く曖昧である。しかも、冒険者ギルドが設定している討伐推奨等級は魔物を準拠としたものなので、魔獣化しているとなればその戦闘力は未知数である。魔獣化した場合、おおよその傾向としては二つ上の等級相応となるため、それに習って魔獣フレアドラゴンの討伐推奨等級を表すなら、金等級星五の更に上、英雄級の相手となる。
文字通り化け物を相手にしつつも、未だ絶えぬ魔獣の出現にも対処せねばならない。魔獣の処理については戦闘経験を積んでいる教員や四学年の生徒が主体となって当たっているが、如何に戦闘慣れしていようと体力が底を尽いてしまってはどうしようもない。最後には距離を離すことも逃げることもできず、数の暴力に圧し潰されてしまう。教員や上級生の死は下級生の精神に甚大な被害を与え、頼みの綱である校章持ちもフレアドラゴンを仕留められずにいることで、絶望は瞬く間に伝染して行く。
戦場にはためくセーラーカラーの数が次第に減っていることに、ケネスは気付いていた。オーバーフローの初期から徒党を組んでいた者が一人、二人と欠けていくことで残された者の戦意が大きく削がれていることにも気付いていた。けれど、ケネスは退く訳にはいかなかった。
飛来する魔獣を討ち落とした隙に横目でフレアドラゴンを……実兄のサイラスを見やる。その胸に嫉心や劣等感は無く、誇らしさで満ちていた。マクナイト家の嫡男として恥じない雷の使い手であり、自分にも他人にも厳しく魔法の探求に打ち込んで来た。荒々しい物言いは時に他人を傷付けるが、それも今の状況を見れば致し方ないと感じる。現実に……戦場に甘やかしの心は必要ないのだ。あの時もう少し自分を追い込めていれば……鍛錬を積んでいれば……そんな後悔をした時点で全て手遅れなのだ。
ケネスとて兄に置いて行かれぬように、兄のようになるために魔法を探求して来たつもりだが、才能の差というのはどうしても埋められなかった。マクナイト家としては珍しく雷と火の二属性に適性を持っていたが、それだけである。抜きん出た魔力量も無ければ、【詠唱破棄】のようなアビリティもない。そんなケネスが、求めたのは…………仲間だ。
一騎当千たる兄でも……いや、一騎当千であるが故に必要としなかった仲間を、ケネスは自身の最大の武器にしようと考えた。気の合う仲間、得意とする魔法の傾向が噛み合う仲間、欠点を補える仲間。
家名が邪魔して、全くの対等という訳には行かないように見えるかもしれないが、仲間がケネスを「様」付けで呼ぶのも、異様に持ち上げるのも仲間としての一つの在り方であった。
だから、その仲間の内の一人が、徒党を組んだ仲間の幾人かが弾け飛んだ時、ケネスは頭の中が真っ白になった。阿鼻叫喚とする仲間たちの声も聞こえない。旋回して再度強襲して来るワイバーンの姿を追う事すらしない。
「それ以上はっ!」
ワイバーンの装甲を纏ったかの如き翼がケネスに届く前に、黒き影が飛び蹴りを見舞い、回し蹴りから蹴り落としの連撃でワイバーンの片翼をへし折りながら地に落とした。
「ギシャァァァァァ!」
地面で藻掻くワイバーンであったが、追撃で見舞われた踵落としで頭部を砕かれて絶命した。
「間に合いませんでした……ごめんなさい」
人間離れした体捌きでワイバーンを容易く葬った獣人の少女は、余裕のない謝罪を残して次の誰かを助けに行った。
枢要棟と三学年の校舎の間の広場でフレアドラゴンと相対していた校章持ちは、皆一様に疲労の色を浮かべていた。
「あぁぁぁあっ! クソ! クソ! オレの超火力魔法が使えれば!」
校舎や瓦礫の影に隠れながら、やけっぱちになったパティが地団駄を踏んで見せるが、いつも何かしらの反応を返してくれるナディアですら肩で息をするだけであった。
フレアドラゴン。その名の通り火を操り、火を纏う竜。火属性の魔法は当然ながら効果が無い。勿論、それだけなら他の属性で攻撃すれば良いだけの話であるが、幾ら鱗を削ろうと、幾ら傷を与えようと、周囲のマナを吸収して回復してしまうのである。マナを吸収している際は隙だらけになるが、回復した際には強力な熱波を生じさせるので、不用意な攻勢は反って身を危険に晒すことになる。実際、ハリソンとヒューゴは熱波を至近距離で食らって全身に火傷を負った事がある。火傷自体は直ぐにイライジャとナディアによって回復させられたが、全力の攻撃で蓄積させた傷を数秒で無にされては精神が削られるというものだ。
「おい! 暴れてる元気があんなら、てめぇの魔力全部、俺の防御に回せ! どうせ雑魚処理ぐらいにしか消費してねぇんだろ!」
「あんだよ、サイラス! なんか策があんのかよ!?」
「あいつのブレスの瞬間、口ん中に雷をぶち込むだけだ!」
「馬鹿かお前!? 流石に死ぬぞ!」
「うるせぇ! 俺らが負ける訳にはいかねぇだろうが!」
パティとサイラスが言い合いをしている間も、他の校章持ちはそれぞれの得意とする魔法でフレアドラゴンの注意を引いている。しかし、幾ら消費魔力が押さえられているからといって、魔力の自然回復が早まるわけではない。その内、誰かが魔力切れを起こせば注意を引くことすらままならなくなるだろう。
フレアドラゴンが如何に強靭であろうと体の内側までがそうだとは限らない。如何に超回復力を持っていようと、体内の魔石を砕くか首を刎ね飛ばせば殺せる。
サイラスの作戦は賢くは無いが間違いではない。捨て身の攻撃になる為、決行するには並々ならぬ覚悟が必要となる。それと同時に、ブレスを防ぎ、フレアドラゴンを体内から破壊するだけの魔力も必要になる。体力的にも、魔力的にも、精神力的にも、そろそろが限界点だった。
「白熱しているところ悪いが、パティ、仕事だよ」
「ああん!? ったく、うっぜぇな!」
イライジャの声に視線を向けると、懲りもせずに魔獣が接近して来ていた。パティは苛立ちをそのまま詠唱に乗せて【ファイア・ブラスト】を発動して魔獣を全滅させる。そこで前衛組が引き返して来る。ブレスが来るのだ。
遮蔽物を利用し、全力で防壁を張ることで漸く耐えられるが、それでも無傷という訳にはいかない。至る所に火傷を負い、回復が必要となる。
「マナよ、我が下に集束し彼の者の傷を治し、不浄を打ち払う水と……うっ…………」
初めて魔力が枯渇して膝を着いたのはナディアであった。回復と防御魔法に特化した彼女は、フレアドラゴンと戦う前から広場で魔法をフル稼働させていた。それに加えて、常に万全を期すべく魔法に手を抜かない彼女の生真面目な性格が消耗を早めたのだ。
「ナディア、君はもう下がるんだ」
「ま、まだいけます。わたくしが倒れたら……立て直しに時間が掛かってしまうでしょう?」
「強がってんじゃねぇよ! ほんっとに頭ガチガチ女だな!」
イライジャの冷静さにも、パティの罵声にも応じずに立ち上がろうとするが、ふらついて倒れかけたところを袖に隠れた両手が支えた。
「マイナ!」
これまで姿を見せなかった、八人目の校章持ちの名が一斉に呼ばれる。
「この居眠り女、今までどこに行っていやがった?」
「ヒッ、ヒヒ……寝てた?」
サイラスに凄まれ、ヒューゴにからかわれるが、マイナは答えずに「ん」と言ってナディアの体をイライジャに預けた。
「ケッ、まぁてめぇがどこで何していようがどうだっていい。ギリギリだ、てめぇの力を貸せ」
サイラスが言う力とは防御魔法のことだ。校章持ち随一の防御魔法の使い手の登場により、彼の中の覚悟は強く燃え上がっていた。けれど、肝心のマイナは口をもごもごとさせているだけである。
「おい、聞いてんのか!?」
「は~い! そんじゃあ、あたし本気だすよ~!」
言葉を被せ、上を向いて普段発しない声量で宣誓する。その間にも、様子を見に来たフレアドラゴンの重厚な足音は近付いて来ている。サイラスが「出すなら早くしろ!」と怒鳴れど、マイナはやはり口をもごもごとさせているだけで【詠唱破棄】による魔法名の宣言すらしない。そして、誰かが彼女の名を呼ぼうとした時である。上を向いたまま、大きく息を吸い込み、開口した。
「大地よ、我らを支え、世界を構成する大地よ。危局に瀕する我らであっても、未だ大地にこの身を置くことを許すならば、どうか我らの世界を守り賜え。我らに害する者よ、よく覚悟せよ。貴様が挑みしはその足先を支える闊大なる大地、其れ則ち世界そのものである。ビヨンド・ザ・グラウンド!」
そこにいる者全てが驚愕した。あの極度の面倒臭がりなマイナが、【詠唱破棄】せずに詠唱を唱えたこともそうだが、何より、誰も唱えられた魔法を知らなかったのだ。
その驚愕の所為で誰も気づかなかった。詠唱したマイナの声が震えていたことに。
「……特に変化は見当たらないね」
「てめぇ、何しやがった?」
詰問ではなく単純な問い掛けであったが、それにすらマイナは答えない。今度は俯いたまま押し黙っている。
「ジュゥゥゥゥゥ……」
焼けるような声と共に、フレアドラゴンが長い体を目一杯に伸ばして様子を伺って来る。ある者は驚愕し、ある者は死を覚悟し、ある者は助けを求めた。しかし、フレアドラゴンは何も見つけられなかったように首を捻って方向転換して行く。
「見逃された……?」
パティが口を開けたまま茫然としている横をサイラスが足早に通り過ぎる。
「阿保が。何だか知らねぇが、奴を仕留める好機だ。行く……あぁ? これ以上進めねぇぞ!」
彼らが立っている場所は変わらず半壊した校舎裏であるが、ある一定の距離以上には進めない。
「おい! 魔法の説明は後でいい、さっさと解除しろ! あの野郎を逃がしちまうだろ!」
「……逃がしちゃえばいいよ」
「ああっ!? なにふざけたこと……」
俯いたまま呟かれた言葉であっても聞き逃すことはなかった。不満で眉根に深い皺を作り、声を荒げてマイナに詰め寄るが、二人の間にハリソンが割って入る。
「無理だよ。あたしらじゃ……あいつには勝てないんだよ!」
マイナの言葉にサイラスはもはや何も言わず、額に青筋を浮かべたが、ハリソンとイライジャによって押さえられる。
「皆よくやったよ! けど、無理なものは無理なんだよ! もう皆で逃げようよ! 逃げるだけなら、隠れるだけなら、守るだけなら出来るんだから!」
「ん~、その意見には賛成なのだ!」
緊迫した空気を読まずに挙手するローナに、一同は鋭い視線を突き刺さした。
「寝てばかりの役立たずだと思ってたが、どこまでふざければ気が済むんだ。てめぇ、それでも校章持ちか!! 逃げて腰抜け呼ばわりされるなら死んだ方が……」
「嫌だよ!!」
サイラスの言葉を遮って放たれた叫びに、誰もが目を丸くしてマイナを見た。長い前髪で隠れた双眸からは大粒の涙が頬を伝い、地面に落ちている。
「嫌だよ……折角、皆元通りになったのに、直ぐお別れなんて……嫌だよ!」
涙の訴えに誰もが言葉を失っているが、唯一、サイラスだけは動いた。相変わらず不機嫌そうに眉根を寄せているが、自身を押さえている二人に「放せ」と小声で言ってからマイナの前に立った。
「お前が腰抜けなのは分かった。だがな、校章持ちは最強の魔法使いだ。俺らが逃げる訳にはいかねぇ」
前髪の奥の涙で濡れた双眸と視線を交わしてから、サイラスは乱暴に頭を掻きながら背を向けて舌を打ち「俺ら、じゃなくて俺だけか」と呟いた。
「逃げるなら勝手にしやがれ。俺は戦う」
「嫌だよ!」
落ち着いたサイラスの苛立ちが再熱し始めるが、マイナは溢れる感情を抑えきれずに言葉を繋ぐ。
「あたしは皆が好きなんだよ! ぶっきらぼうなサイラスも、騒がしいパティも、何考えてるか分かんないヒューゴも、堅いナディアも、小言の多いイライジャも、空気の読めないローナも、無口なハリソンも……皆と、八人で居る空間が好きなんだよ! 魔界の話ばっかじゃなくて……ぐすっ、元の、みんなと……うっ、一緒に……やっと…………」
余った袖で顔を覆って泣き始めるマイナはそれ以上言葉を繋げることは出来なかったが、彼女の想いは全員に伝わっていた。
「お~よしよしなのだ。まさかマイナがウチらをそんなに好きだったなんて思いもしなかったのだ。でも素直に喜べないのは誰も褒められてないからなのだ?」
「……ケッ!」
「不満そうにしながら座るのかい? 流石のサイラスも今のは効いたのかな?」
「うるせぇ。そいつが泣きじゃくってたら魔法の解除なんて無理だろ。内側から破壊できるとも思えねぇし、待つしかねぇなら待つさ。あのクソドラゴンをぶっ倒す光景を思い浮かべながらな」
「……仕掛ける時は共に行こう」
「ヒャハッ! ハリソン、似合わない」
「煩いですよ、男子」
「そうだそうだ! デリカシーってもんがねぇぞ!」
直後に流れた沈黙は「お前に言われたくない」という言葉を全員が飲み込んだことで出来たものなのだが、それに気付かないパティは「オレのお陰で静かになったな」と、間違いではないが正しくない介錯をして頷いた。
マイナが作り出した、現実であって現実に無い空間で校章持ちは束の間の休息を得たが、阻むものが居なくなったことで闊歩し始めるフレアドラゴン見て、魔法学校の生徒たちは一つの事実を突き付けられることとなる。校章持ちが全滅したという、誤った事実を。




