第百八十一話:スカーレット
「魔法の為に、市民の為に、命を散らしてでも一矢報いることが出来たなら、諸君らの名は歴史に刻まれ、後世に語り継がれるだろう。そして、人々は諸君らを尊信の念を込めてこう呼称するだろう。地上を魔の手から救った英雄、と。ならば死を、禁忌を恐れるな! 諸君らは英雄になるべく選ばれたのだ!」
禁断魔法と共に脳に刻まれた学校長の言葉を、生徒たちは微塵も疑っていなかった。太陽が昇れば明るくなる。時間が経てば腹が減る。それら、意識せずとも当然のことと理解している事象と同様に「学校長が言うのだからそうなのだ」と理解していた。
故に彼らは淡々としていた。魔力のみならず、体力を、命を吸い上げて漸く発動できる禁断魔法を放ち、魔獣を討つ。大物であるグレイブワームを討ち滅ぼした時も、彼らは一切の感情を表さず、自身が英雄となる為の獲物を探すのみであった。その中に、命を物ともせずに平然と投げ打つ者たちに恐怖し、萎縮する異端が居た。
「倒さなきゃ、倒さなきゃ……うちが英雄になれば、弟は不自由なく暮らせる。英雄に……」
一学年校舎の裏側に隠れ、震える体を抱いているのはアリスだった。彼女の頭の中には、タテキによって刷り込まれた常識と、自身の放った禁断魔法に呑まれて行く光景に対する恐怖が入り混じっていた。
「ならなくちゃ!」
死に対する恐怖を弟の笑顔で掻き消し、校舎裏から飛び出したアリスだったが、運悪く魔獣と鉢合わせしてしまう。体の小さいアリスでは抱えきれない大目玉が宙に浮き、まつ毛の様に伸びた複眼、主眼の下には閉ざされた口を持つ、イーヴィルアイだ。魔獣は全ての焦点を目の間の泣き出しそうな少女に合わせ、闇のマナを集中させる。
突然の会敵に足が竦み、「あ……」と漏らすことしか出来ないでいたアリスはイーヴィルアイの主眼が放った光線に溶かされる。
……筈だった。
飛来した矢がイーヴィルアイの主眼を横から貫いたことで射線がずれ、アリスは棒立ちながらも無傷で済んだ。そして、矢には火の【エンチャント】が施されており、イーヴィルアイは内側から燃やされることになった。
「アリス!」
矢と同じ方向から飛んで来た凛とした声に、アリスは「カミラさん」と呟いて腰を抜かした。対してカミラは左手にロングボウを手にしながら、周囲への警戒を怠らずにアリスのもとへ近寄った。
「無事か?」
「あ……うち、英雄にならなくちゃ……」
震える足で立ち上がろうとする少女の姿を見て、カミラは苦々しい表情を浮かべながら【スリーピネス】の魔法を唱えてアリスを眠らせた。それは単純にアリスを禁断魔法の犠牲にさせない為でもあり、同胞の到着を受け入れる為でもあった。
「はい、ご苦労様です。スカーレットさん」
男にしては高く、戦場に似つかわしくない弾んだ声に別の名を呼ばれたが、カミラは眠ったアリスを抱きかかえたまま振り返った。そこには小綺麗な全身黒づくめの服装の上から白衣を羽織り、垂れた青紫の髪に隠れがちな糸目を好意的に緩めた長身の男が立っていた。
「……弟の方はどうだった?」
「悪い方かつ可能性の高かった予想が大当たり、といったところです。なんて可哀そうに」
目の前でわざとらしい口調と動作で悲しむフリをされるが、カミラは静かに奥歯を噛み締めるだけだった。
「ですから、せめてこの少女だけでも救わなくては。ええ、ええ、お任せください、自分が責任を持ってアジトまで連れて行きますとも。貴女は当初の予定通りこの少女を、延いては前途有望なる少年少女を洗脳の呪縛から解放するべく向かってください」
「口数の多い奴だな。本当に任せていいのか?」
「人手不足を嘆く心中、お察しいたします」
作り物の笑顔を崩さず、他人事のように語る男をカミラは一瞬だけ睨み付けてから、抱きかかえていたアリスの体を受け渡した。
「はい、確かに。ではここで良いお知らせを。標的の居所は以前にお知らせした通り。土の席が番をしていますがこれも予想通りで、彼女ならば障害にならないでしょう」
「そうか。ではさっさと済ませよう。無駄な犠牲は一人でも少ない方がいい」
背負っていた矢筒を雑に投げ捨てるカミラへ、男は「差し出がましいことは承知してますが……」と声を掛けた。
「幹部連中がここまで状況を引っ張ったの、怒ってます?」
「……私が怒っているとしたら、若い命が失われたことと、その状況を作った元凶に対してだ。例え命令が異なれば犠牲者を減らせていたとしても、上官へ怒るのは筋違いだ」
この返答に対し、男は初めて素の笑顔で頷いた。
「流石は宝石を授かりし者のお一人。感服いたしました」
「|クラウン(田舎者)とはよく言ったものだ。所詮は小隊長程度の立場に過ぎない」
「自分から言わせていただければ、スカーレットさんも少女と言って差し支えないですし、その若さで役職持ちなら十分に出世組ですよ。あ、弓矢は回収しますか?」
「捨て置け。どうせここから借りた粗悪品だ」
言葉を置き、標的のもとへ向かうべく男の横を通り過ぎたところで「スカーレットさん」と呼び止められる。
「白紙に汚れた救済を」
「……汚れた救済を」
組織の名であり、理念であり、同胞を送り出す合言葉を交わすと、いよいよ二人は互いの姿を視界から外した。
カミラ、もといスカーレットの足音が完全に聞こえなくなってから、男は抱き上げている少女へと視線を落とした。
「マナの流れを視覚的に感知できる者なんて、そうそう居るものじゃありませんからねぇ。こんなところで消耗させるのは惜しい」
糸目を微かに開き、緋色の瞳を覗かせながら独り言つ男の名前はクライド・ゲラティ。普段は珍品奇品を取り扱う露店商として俗世に溶け込んでおり、其の実が汚れた救済の大幹部であることは組織の人間含めて誰も知らない。
「当初の目的であった禁断魔法書も手に入れましたし、不純物を取り除いたら自分たちの役目は終わりです。それでは皆さん、魔獣退治は引き続きよろしくお願いいたします」
戦乱に向かってクライドは丁寧に礼をすると、溶けるようにその場から消え去った。
枢要棟の最上階、学校長室の執務机の下に隠された階段を通り、突き当たった所にある昇降機を使用して地下に下りる。魔窟に直結していた洞窟よりもずっと下。地上の戦闘音すら届かない地下で昇降機は停止し、一本道となっている狭い通路の両脇には魔道具による灯りが点いていた。
スカーレットは腰に忍ばせていた二本のダガーを逆手で抜き取り、通路を進んで行く。
有事の際の隠れ蓑なのだろうが、昇降機を取り付けていては有事の際に下りて来られない場合もあるのではないのか、と疑問に思いつつも直ぐに意識を通路の先へと伸ばした。
岩肌が露出した通路には不釣り合いな合金の扉と、その傍らで椅子に座って船を漕いでいる少女、マイナが居た。
アリスを回収に来た男は障害にならないと言っていたが、まさか寝ているから大丈夫だと言いたかったわけではあるまい。何かしらの確信があっての発言だろうが、警戒を解く理由にはならない。
足音を殺しながら接近し、間合いに入る直前でマイナは首をもたげ、前髪に隠された両目でスカーレットを見つめた。
「あ~……学校長に何か用?」
「見ての通りだ」
起きる前に仕留められれば最良だが、起きてしまったとしても問題ではない。いかにマイナが【詠唱破棄】のアビリティを所有していようと、魔法名を言い切る前に喉を潰せる距離までは詰めている。それでも問答無用に襲い掛からずに言葉を交わそうと思ったのは、同胞の言葉があったからだ。
「ん~、好きにしたら? あい、鍵」
余っている制服の袖を振って放り出して来たのは、合金の扉に取り付けられた錠の鍵だった。
「どういうつもりだ? お前は護衛じゃないのか?」
「えぇぇ、説明すんのめんどい」
そう言ってマイナは両手を上げるが、スカーレットは落ちた鍵を拾おうとはしない。校章持ちは全員、タテキの勅命によって洗脳されている筈だからだ。
「も~、さっさとしてよ。学校長が代わって、皆おかしくなって、あたしだって迷惑してんだからさ~」
「……どういうことだ? お前は学校長の言葉が全て正しいと思わないのか?」
「知らないよ。学校長の話長いし興味ないから、いっつも寝てるし。あたしがここに居るのは学校長に連れて来られたのもあるけど、戦うのが面倒だからサボってんの」
上げた両手の袖を振り、両足をバタつかせて心底面倒臭そうに答えるマイナの姿を見て、スカーレットはすっかり毒気を抜かれてしまった。
勅命は言葉を媒介にして他人の意識に刷り込みを生じさせる類いの能力だ。効き目については対象の精神力によってまちまちだが、即効性はさほど高くないと調査報告を聞いていたが、学校長という立場を使えば生徒たちに耳を傾けさせることは容易である。校章持ちともなれば学校長から直接指示を受けることも少なくない。なので校章持ちは全員、タテキの傀儡と化していると踏んでいたのだが、それを居眠りで覆されるとは思ってもみなかった。
「おい、騒がしいぞ! 何事だ! 俺様の身は死んでも守れ! いいな!」
二人の会話が聞こえたのだろう。合金の奥からくぐもった怒声が響く。しかし、その程度でマイナが操れる訳は無く、標的の声を耳にしたことでスカーレットは任務を思い出す。
地面に落ちた鍵を拾い、錠を外す。中ではタテキが大慌てで何かを叫んでいるが、スカーレットの耳には届かない。
「お、おい! 何だ貴様は! ここは貴様のような一般生徒が来ていい場所じゃない! とっとと立ち去れ!」
重い合金の扉の先には、丁寧な板張りがされた小部屋が広がっており、椅子にも寝床にも使えそうな大型の毛皮のソファーが置いてあったり、観賞用の植物が置いてあったりした。肝心のタテキはソファーに座ったまま、直前まで読んでいたであろう書物を手にした状態でスカーレットから離れる様に尻で移動していた。
「死んでいるぞ」
「あ?」
「地上で、貴様の半分も生きていない若い者たちが、貴様の傲慢な言葉を信じ込まされて戦い、死んでいるぞ!」
「馬鹿言え! この世界では英雄と呼ばれるのが最も誉れ高きことなのだろう!? その為の道を、力を俺様が示してやったんだ! ならば俺様を元の世界に帰すことぐらいの見返り、求めても問題ではなかろう!!」
「黙れ。貴様が示したという道の先には貴様の栄華しか存在しない! 貴様の示した力の先には破滅しか待っていない! 大人が子の命を吸い上げて何かを得ようなど、恥を知れ!」
「何故それを糾弾されねばならんのだ! 他人を自己の利の為に利用する。それが合理的で正しいからこそ、俺様は他人を従わせる能力を得た! 得た力を使わぬ理由は無い。子が与えられるだけの存在だと言うのなら、それこそが傲慢だ!」
そこまで言い切ってからタテキは息を飲んだ。スカーレットが一瞬で踏み込んで来て、逆手に持ったダガーで首を挟まれたからだ。
「や、やめろ! この世界にだって法はあるのだろう? 俺様を殺したら、貴様は牢獄行きだぞ!」
「貴様に心配されるなど虫唾が走るが、気にするな。貴様を殺したところで私が裁かれることはない。その為に私たちは存在している!」
「ぐぅ……ま、また殺されるのか!? 嫌だ、やめろ、死にたくっ……!」
首を挟んでいた刃が閉じられ、タテキの喉は抗いの声を上げることも、悲鳴を上げることも出来ず、ただ鮮血を噴出させるだけだった。
「……貴様に“死にたくない”などと言わせる訳にはいかない。貴様の言葉に惑わされた者たちは、生物としての本能すら思い出せないまま逝ったのだから……!」
タテキの体から完全に血の気が引くまで、スカーレットは返り血に塗れたままで冷たく見下ろしてから小部屋を後にした。
「うわっ、マジで殺ったんだ……」
「……お前はどうするんだ? これで生徒たちは正気に戻っただろうが、魔獣が溢れ出る以上、戦いは続く。仲間が戦っているのに、まだサボっているつもりか?」
血に濡れた顔で光る赤橙の瞳に射抜かれ、マイナは全身を震わせた。
「わかったよ、わかったよ、上に戻るよ! どっちにしろ、死体の近くで居眠りなんてできないし!」
マイナが椅子から立ち上がるのを確認してから、スカーレットは地上に戻るべく歩を進めた。




