第百七十九話:禁断魔法
マナの過剰放出により魔力消費量を平時よりも抑えられ、魔獣同士の潰し合いが行われることを利用すれば、熾烈な戦闘が繰り広げられる中でも魔法使いは非常に有用な戦力となり得る。しかしそれは外壁なり前衛の冒険者なりが魔獣との間に入ている場合の話しだ。内側から、自分たちの足元から出現した魔獣に対し、冷静さを欠かずに対処できる者がどれ程いるのだろうか。
隣人が、指導者が、親しくしていた者が、好意を寄せていた者が、敬慕していた者が、次々と血肉の塊、あるいは塊すら残さず果てて行く場面を目にし、絶たれる望みすら抱けぬまま自身もその後に続く。仮に精神を奮い立たせて事態に立ち向かったとしても、活路が生まれるかの保証はどこにもない。無数に湧いて出る魔獣にすり潰される可能性の方が圧倒的に高い。オーバーフロー発生時の混乱で一人の友を失うも、勇敢に戦い続ける少女三人組も例外ではなかった。
「キャロライナ様、あと少しで出口です!」
「安心してはいけませんわ。ここを出たからと言って魔獣の手から逃れられる訳ではありませんもの」
「心得ています。ですが、屋外であればキャロライナ様の魔法に他の生徒を巻き込む心配はありません。ステイプルズ家の名の下に、生徒たちを奮起させましょう!」
四階の大講義室から、時に魔獣と対峙し、時に身を潜めて枢要棟からの脱出を試みていたキャロライナ一行。血に濡れたエントランスを武装した竜人——竜魔兵が闊歩している様子を二階から確認し、一階に続く階段を下りている時であった。激震に見舞われて先頭の女生徒が足を滑らせて一階に転落してしまう。地震は竜魔兵にも影響を及ぼしているが、獲物を見つけた竜魔兵は「ハァァッ!」と雄叫びを上げながら突っ込む。
「マナよ、彼の者の下に集束し身を守る盾となれ。プロテクション!」
階段に残っている女生徒が防御魔法を展開して竜魔兵の槍から友を救うも、竜魔兵は一体では無い。地震で転びながらも次々と竜魔兵が押し寄せて来る。
階段から落ちた時に足を挫いた事を見越し、キャロライナは回復魔法【キュア】を施したが、女生徒は間近で武器を振るう竜魔兵を相手に足が竦んで逃げる事ができないでいた。
「キャロライナ様! 私のことは置いて先に!」
「そんな愚な発言をする者を傍に置いた記憶はありませんわ!」
攻撃魔法【ライフル】で竜魔兵の頭を撃ち抜いて仕留めるが、焼け石に水である。竜魔兵の激しい攻めに【プロテクション】は砕け散り、振り下ろされた刃によって悲鳴もろとも体を斬り刻まれた。
友が目の前で無惨な姿に変えられる様を目にしたキャロライナは、地震が治まったにも関わらず強い喪失感に襲われて座り込んでしまうが、彼女の腕を引っ張る存在があった。
「キャロライナ様、お気を確かに! 今は進むしかありません」
一人だけになってしまった友の声にキャロライナは気を取り戻し、強い怒りと共に立ち上がる。
「あいつら、氷漬けにしてやりますわ! プロテクションを張りなさい!」
標的を移してきた竜魔兵を強く睨み返し、怒りを魔力に籠めて特級魔法の発動準備に入る。詠唱に時間は掛かるが、【プロテクション】を張ってもらえば十分に間に合う。ところが、キャロライナの耳に入って来たのは両省の声ではなく、汁気の多い何かが潰れる、耳障りな音。そして髪や背中に何かが付着する感触と、背後から横切って行く何か(・・)の答え。
「あ……」
振り返らずとも直感的に何が起きたか理解してしまった。故に置いて行かれた思考が機能することはない。つい数秒前に奮い立たせた怒りも戦意も、この後、自身に訪れるであろう未来によって粉砕された。
全身から力が抜けて階段に座り込むキャロライナへ、竜魔兵が武具をはしゃぎ立てながら駆け上がり、背後からはトロールが獲物の体よりも太い腕を伸ばす。だが、キャロライナに訪れた未来は大きく裏切られる事となった。
初まりは自分の頭上を反転しながら通り過ぎて行くトロールの姿だった。巨体は竜魔兵を下敷きにして階段に叩き付けられ、激しく悶絶していた所に飛び掛かって来た男子生徒の拳で頭を砕かれて絶命した。
男子生徒はキャロライナの方を振り向かず、小声で「英雄になるんだ」と憑り付かれたように繰り返しながらトロールを蹴飛ばして一階に落とすと、倒れていた竜魔兵の首を片っ端から引き千切る。
人間離れした行動と狂気にキャロライナが震え上がっている内に、男子生徒は竜魔兵を全滅させる。
「……時間か」
そう呟いた男子生徒は軽い跳躍で階段を下り、外へと駆けて行くと……爆発音だけがキャロライナのもとに帰って来た。何が起きたか分からず、ただ命拾いした結果だけを与えられたキャロライナは、暫く階段で座り込んだままだった。
禁断魔法【イリーガル】対象の能力値を飛躍的に上昇させるが、その反動と代償は人の身にとってはあまりにも大きい。
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枢要棟から脱出したケネス・マクナイトとその仲間たちは、道中に合流した他の生徒たちと徒党を組んで魔獣撃退に当たっていた。
「焦んなよ! マナは腐るほどあるんだ、長期戦上等でやってやろうじゃねぇか!」
「仰る通り!」
「ケネス様こそ正義!」
「マクライト家の誇り!」
戦乱の最中でも堂々とした振る舞いと仲間のおだてと家名が重なり、ケネスは一学年ながらも三学年まで含めた徒党のリーダーになっていた。
野外での襲撃は主にガーゴイルやレイスといった飛行能力を持った魔獣であり、距離があると魔法攻撃が躱されてしまう。なのでケネスは防御魔法に重点を置き、校舎前広場を動き回りながらの戦闘を試みた。野外に出たばかりの時はバラバラに行動して戦死者が数人出たが、現在の戦法を取ってからは魔獣の討伐数こそ伸びないが戦死者を出さないでいた。
どこかに陣を構えて迎撃をすれば攻撃に手を回せる手を増やせるだろうが、グレイブワームを筆頭に魔獣がどこから攻めて来るか分からない以上、足を止めるのは危険と判断してのことだった。加えて、広場には校章持ちの中でも攻撃特化のパティと支援特化のナディアが居るので、ケネスらは動き回って敵の注意を引くだけでも十分に役目を果たせていた。
「弟の方は髪型含めっとサイラスより厳ついけど、性格はまるで逆だな」
ケネスらとは別で、時計塔前に陣取って攻撃魔法を連発していたパティが呟く。
「無駄口を叩く暇があるなら詠唱しなさい。彼らだって無敵ではないのです」
「へいへい」
言われた通りに詠唱を開始しようとすると、激震が走って体勢を崩す。
「うわわわっ! またかよ!」
「サーチ!」
慌てるパティに反して、ナディアは【魔法保持】で蓄えていた探査魔法を発動する。広場を探査するには効果範囲が心許ないが、水属性の特性で探査を持続させられるので、地下であろうと半径三十メートル以内に侵入した魔獣が居れば検知可能だ。
一際強い振動が起こると、枢要棟の脇で亀裂の入った地面が陥没していき、崩落した大地を巻き上げて岩盤の巨体——グレイブワームが姿を現した。
「出やがったな岩ミミズめ!」
「パティ、逃がさないでください!」
「言われなくとも!」と溌剌たる返事の後、魔力を集中させる。
「天より与えられし人の営みに添う揺らめきよ、一筋の軌跡を辿れ! ファイア・コメット!」
全力で放てば間違いなくグレイブワームを倒せるだろうが、同時に枢要棟も崩壊させてしまう。そう判断して【魔力調整】による魔力の追加は無しであったが、それでも火の彗星は小さな魔法使いから放たれたとは思えない規模を誇っていた。
火炎の尾を引いて飛ぶ【ファイア・コメット】は見事、地中から出て来たグレイブワームに命中して岩盤を溶かし、胴を焼き尽くして行くが、即死には程遠い。悶え暴れたことで枢要棟の壁があちこち削られる。しかし、それを気にする余裕はパティにもナディアにも無かった。たった今開けられた穴からも、グレイブワームの体を利用して無数の魔獣が出現したのだ。
「どいつもこいつもしっつけぇなぁ! まだ出てくんのかよ!?」
誰もが口にしたくなる悪態に答えるのはナディアでも、魔獣の鳴き声でもなく、空だった。砂埃に覆われた空から伸びた赤き閃光は途中で二回、段階的に拡散して雨となって地表に降り注いだ。連続して起こる爆発はグレイブワームとは別の揺れを起こしながら、出現したばかりの魔獣の大半を葬り去って行く。
禁断魔法【デストラクション】最大で二回拡散する赤い光線を射出し、着弾点に【ブラスト】級の爆発を起こす。その広範囲に及ぶ爆撃を人の魔力で賄うにはあまりにも少なすぎる。
「禁断魔法……ですが、グレイブワームはまだっ!」
見えている部分の半分以上の外皮が剥がれ落ちているが、未だ健在している姿を見て、ナディアは追撃を指示しようと喉に力を入れる。が、瞬時に言葉を失うことになる。
再び空から降り注いだ光線は白く、拡散もせず大人しいものだったが、地中に戻ろうとするグレイブワームの口に入ると、内側からその存在を消失させた。
禁断魔法【リムーバル】対象の上空から白い光線を照射し、触れた物全てを消失させる防御不能の一撃。その絶対性を顕現させるには人の魔力だけでは到底足りない。
次回投稿予定は5月23日0時です。
パティが高速詠唱してしまう都合上、公開するタイミングが(今のところ)無いのでファイア・コメットの詠唱全文を以下に載せておきます。本来なら第百六十一話の時点で載せておくべきでした……。
「天より与えられし人の営みに添う揺らめきよ。人の世、人の歴史、人の思い、その全てを薪とし天を駆けよ。薪が無窮なる空で掃かれようとも一筋の軌跡を辿るなら、我らの願い、ここに成就せり」




