第百七十六話:マナ越流
悴んだ手で回復薬の栓を開けて全身に塗布すると、体の痛みや疲労感は抜けて行くが冷えた体までは温まらない。直ぐにでも外に出て番犬とプリムラの様子を見に行きたいが……そういえば爆発音も戦闘音も聞こえないな。二人がそう簡単に負けるとは思わないが、だからといって不安が消えるわけではない。それに、目の前で縦横無尽に繰り広げられている戦闘からも目が離せない。
また無効化されるのを恐れてか、ハリソンは【アイスフィールド】を使用せず、局所的に床を凍らせて移動補助を行って間合いを詰めようとする。対するリゲルは風を操って移動に緩急を付けることに加え、浮き上がる動きも加えて翻弄している。
「マナよ、魔弾の塊となりてその場に留まり、我を援護せよ。バレット・ターレット!」
詠唱完了と共にハリソンの頭上を飛び越え、黄緑の球体を設置する。リゲルを追って見上げたハリソンの顔面に球体から魔弾が射出されるが、氷の長剣によって防がれ、【ウインド・ブレード】による攻撃は細剣で牽制されて届かない。
「小賢しいだけの魔法など、諸共に斬り伏せてくれる!」
「それは嫌だね。だからボクは逃げるとしよう」
後ろに飛んで逃げるリゲルを追うハリソンであったが、背後からの衝撃によって足を止めざるを得なくなった。
「アハッ! 引っかかった!」
ハリソンは無邪気に喜ぶリゲルを激しく睨み付けてから背後を確認する。すると、宙に浮いた黄緑の球体から三発目の魔弾が放たれた。寸での所で横に跳んで回避するが、風属性特有の誘導が掛かった魔弾は紙一重での回避を許さなかった。
「何発出るかはお楽しみってね。さて、追加だ。生み出されし時は同じなれど、撃ち放たれたるは始から終、終から始へと接ぐ反響の魔弾。ディレイ・バレット」
リゲルの正面に横並びで五つの黄緑の魔弾が出現すると、左から順次射出される。だが、弾速は右に行くほど速い。
背後からの攻撃はいつ来るか分からない。正面からは時間差。しかも全てに誘導が付与されている。これまで剣の間合いに入ることだけを考えていたハリソンが横に動いたのは、回避に集中する為に他ならない。
弾速の優れている【ディレイ・バレット】の一発目を走りながらの跳び上がりで回避し、着地際を狙って来た二発目と背後からの魔弾を回転斬りで打ち消すが、少し無理な動きであった為に体勢が崩れてしまう。それでも三発目は通常の【バレット】と遜色ない弾速で、二発目から少し間が開いていた。なので、崩れた体勢を無理に立て直そうとせず、流すような体捌きで回避が間に合い、同時に背後を確認する。そこで宙に浮いた黄緑の球体が消えていたので、背後からの攻撃は無いと確信する。体勢を持ち直したところで四発目が接近していたが、氷の長剣で斬り払って前進する。五発目は極端に遅いので、接近しながらでも斬り返しが間に合うからだ。
五発目を斬り払い、前後からの同時攻撃を捌き切ったならば、次はリゲルへ斬撃を見舞おうと考えていたところで、五発目の魔弾の影で軽い破砕音が鳴った。
「また小細工を……」
何かがぶつかったことで割れた魔弾は灰色の煙を瞬く間に広がらせ、ハリソンの全身を覆い、次第にエントランス中に広がって行く。
どうにか動けるまで回復した俺は、煙幕薬を投げた後でリゲルの腕を掴んで枢要棟から出る事を告げる。校章持ちと互角に戦えるリゲルは凄いが、だからこそこんな所で消耗してはいけない。小声でオーバーフローが起きる直前であることを伝えて出入口を抜ける。
「わあ、こっちは随分と派手にやったね」
オーバーフローの事よりも、目の前に広がる戦いの跡に興味が引かれるのも分からなくもない。そんな光景が目の前に広がっていた。整地された地面も、手入れの行き届いたる背の低い植木も、あちこち荒れてしまっており、広場の中央にある時計台の下には二人の女生徒が寝かされていた。
黒いセーラーカラーから校章持ちであることは間違いなく、赤髪のショートと、水色のロングヘアーからパティとナディアであると判別できた。
倒れているのが番犬とプリムラでなかったことに一先ずは安堵し、倒れている二人のもとへ駆け寄る。
「気絶しているだけか」
「一想いにやっちまうかい?」
穏やかな顔でぶっそうな物言いするのが一番怖いって、分かってやっているのか? ……深く考えるのは止そう。多分、こいつのノリだ。
「馬鹿言うんじゃない。一旦回復……」
このまま回復薬を掛けて、目を覚ましたらまた戦闘なんてこと……あり得るな。魔法で解かれる可能性は高いとも、身動きが取れないように縛っておきたいが……紐やロープなんて荷物の中にも入ってないし……仕方ないな。
「うわっ! 鬼畜! 外道! 意識を失っている女子相手に欲情したからって、そんな不埒なことはやめるんだ!」
「……お前の予想は裏切ってやるから、そんなに騒ぐな」
いきなり制服を脱いで肌着姿になった俺も悪いのかもしれないが、弁明するより行動で見せた方が早い。二人の両手を後ろに回して組ませ……ああっ! リゲルが変なこと言うから妙に意識してしまう! 無心だ、無心。
脱いだ制服で手を縛ってから回復薬を掛ける。この二人も大きな戦力だから、オーバーフローの時には全快でいてもらわないと困る。
ハリソンの言い分じゃ、近々オーバーフローが起きることは予見されているようだったし、俺がわざわざ伝えなくても問題ないよな。目を覚まして、魔界の手先だなんだと騒がれては面倒だ。冒険者ギルドへの報告は番犬たちに任せて、俺は一旦身を隠そう。着替えもしたいし。
次の目的地を寮に変更し、歩き出した瞬間だった。一際濃く、肌にへばりつくようなマナの流れを感じて足を止めた。
「なんだ……?」
「気分が悪くなるぐらいの濃さだね。魔法で集めたわけでもないのに、このマナの流れは異常だよ」
ドクンッ。揺れたのは果たして俺の心臓か、地面か、はたまた両方か。
「これは……明らかにヤバい雰囲気……だね」
立っているのも困難な揺れに、俺とリゲルは片膝を着く。流石のリゲルも、いつものヘラヘラとした雰囲気を維持することは出来ない様子だ。
嘘だろ……まだ半日とまではいかないまでも、時間は残って……否定したって何も生まれない。オーバーフローは時間が定められた試合や試験じゃない。言ってしまえば天災なんだ。こっちの予測や都合なんて構いやしない。
「ん……おわっ、なんだ!? ゆ、揺れ……縛られ……揺れ……!?」
「お。落ち着きなさい。魔界からの侵攻が始まったのです。先ずは、そう、わたくしたちを縛っているこの……これをどうにかするんです!」
「おおお、落ち着くのはナディアもだろ? へ、へへっ、お前の焦った顔が見れないのは残念だぜ」
こんな状況でも二人の関係に歪みは現れないのか。二人して身動ぎしながら懸命に口を動かしている。
こうなってしまった以上、二人を拘束している理由は無い。揺れに耐えながら体を向き直すと、二人も俺の存在に気付いたようだ。
「あっ! テメェ、こんにゃろ! この状況はテメェの仕業か!」
「魔界に与して地上の征服を目論むなど、馬鹿げた妄想から目を覚ましなさい!」
あー、煩い煩い。どうせ反論したってタテキのお言葉が優先されるんだろ。
うんざりとしながらも縛った制服に手を伸ばすと、興奮したパティが発火、俺の制服は瞬く間に燃えカスになってしまう。だが、それを嘆く間も無く、大きな崩落音と共に衝撃波が俺たちを襲った。
「くっ……。マナよ、この地に集結し邪気を払う聖域へと転じよ。我らが踏み入れる事を許し賜え。サンクチュアリ!」
地面に這いつくばって衝撃波に耐えていると、ナディアが防御魔法を展開してくれた。俺にも効果が表れたのは、一緒に守ろうとしてくれた訳ではなく、魔法の範囲内に居たから恩恵に肖ることが出来たに過ぎない。
【サンクチュアリ】に守られながらも激甚な地鳴りに成す術はなく、あれだけ騒いでいたパティも地面に這い蹲って耐えるのが精一杯といったところだった。だが、揺れを凌げば済む事態ではない。先ほど聞こえた崩落音の方へ視線を投げると、地面に大穴が開いており、校舎の一部が崩れ落ちていく。それだけでも茫然としてしまう光景だというのに、穴に飲み込まれて行く瓦礫を弾き返しながら這い出て来る存在があるのだから、無自覚の内に口が開いてしまうのも仕方のないことだった。
穴から這い出てきたのは、硬い岩盤に開けられた洞窟……ではない、鴻大かつ硬質な見た目に反して体を自由にくねらせているのは生物に他ならない。先頭に当たる部分に目や鼻と言った器官はなく、ぽっかりと開けられた口腔のみがあるだけだ。しかも、現れたのはそいつだけでなく、巨体に掴まって無数の魔獣が一斉に地上へと現れた。
「クソが! とんでもねぇの呼びやがったな!」
地面の揺れがいくらか治まってくると、パティは俺に向かって小さな火の玉を幾つか放って来た。
「俺と戦ってる場合じゃないだろ」
火の玉を辛うじて躱しながら訴える。俺の言葉なんて聞きやしないんだろうが、黙っていられるほど穏やかな精神状態ではない。
「校内に残っている生徒を退去させろ! 狭い室内で魔獣に襲われたら一溜まりもないぞ!」
「だからといって貴方を野放しにすることはできません。混乱に乗じて何を企むか分かりません」
パティと並び立つナディアを見て、舌打ちをせずにはいられなかった。一目で危機感が最大になるような状況を目の当たりにして、まだ人同士で争う気かよ。
「リゲル! とにかく強い風を起こせ!」
「お任せあれ!」
二人が戦闘体勢に入るより一瞬早く指示を飛ばし、間を開けずに従ってくれたお陰で、崩壊した地面から砂埃が巻き上がって目くらましを作り出すことに成功した。その隙に俺は荷物を担ぎ直し、リゲルと共に校舎へと駆け出す。
校章持ちは当てにならない。他の生徒も俺を敵と見なすかもしれないが、俺にとって敵でないならば見殺しにすることはできない。
次回投稿予定は5月15日0時です。




