第百七十四話:開戦
転移魔法により飛ばされた先は人工的に刳り貫かれた洞窟であった。そこがどこかを思い出すよりも先に、背後から膨大なマナが流れ出ていることに気付いて振り返る。
そこには黒い靄が渦巻いているだけで、危害を加えて来るような気配は無い。魔窟の入口が佇んでいるだけだった。
「ここは……魔法学校の地下だな」
焦りを誤魔化す為に言葉に出して確認すると、プリムラが首肯した。
いつも整列している禁断魔法部隊が今はいないので、地下空間の広さを初めて認識することが出来た。天井も壁も整備されているお陰で障害物は無く、見た目では待ち伏せや罠があるようには見えないが、どうも嫌な静けさを感じる。単純に俺が神経質になっているだけなら良いのだが……。
【サーチ】じゃ端から端まで探査するのは無理か。番犬の【気配察知】ならどうだろうか?
横目で視線を向けると、無言ではあるが微かに頭を傾けて「どうしました?」と聞いて来た。
「見た感じ何もなさそうだけど、何か気配は感じないか?」
「んー……特別何も感じませんねぇ。ただ、わたしが分かるのは存在している生物とか植物の、気配のあるものだけなので、目に見えない物や発動前の魔法は……ごめんなさい」
そういえばそうだったか。
プリムラは探査魔法が使えないので、結局俺の【サーチ】で確認することになったが、範囲内では驚くほどに何も検知しなかったので昇降機まで歩いて行けた。
この間までは魔窟の監視を行っていた筈だけど、それがされていないということはヴォイドの転移魔法とやらを当てにしているからか? それともオーバーフローの異変を察知して対策に動いている? 後者なら魔窟から出て来た魔獣用に罠を設置していてもいいと思うが……持続の問題か?
考え事をしていると昇降機が上昇を止めて体に慣性が掛かる。この昇降機は地下と学校長室にしか止まらない為いきなりタテキと対面することになるが、オーバーフローなんて大事はどの道タテキに知らせなくてはならない。あんな奴でも学校長だからな。俺たちが脅威を知らせ回るより、あいつの一声の方が伝達性は良いだろう。問題はタテキが素直に俺たちの言葉を信じるか、オーバーフローに対応してくれるか、だが……。
二人の目もあるのでグズグズ考えている間を取らず、扉を開けて学校長室に入る。
「いない?」
あの不機嫌さと傲慢さを全面に出した顔が見当たらず少しだけ安心したが、どこに行ったのだろうか? 室内にあった豪勢な掛け時計を見ると、針は日中の四時前を差している。校内には間違いなく居る時間だが……出張とか無いよな?
「学校長の居場所に心当たりはあるか?」
「ここに居ないとしたら、禁断魔法の授業中。案内する」
早速歩き出そうとするプリムラを呼び止める。タテキと会わないなら、それはそれで面倒が一つ減ったと考えよう。元々、まともに話しを聞いて貰えることは期待していない。敵対して校章持ちと戦闘にでもなったらとんでもない。
「一旦、エントランスまで下りよう」
オーバーフロー発生予測まで後一日も無いんだ。マナの放出量の異変を検知しているなら、校内の雰囲気に明確な変化が起きていることは間違いない。もし日常のままだったら、急いで知らせないと……。
体が妙に緊張していることを悟られないよう、平静を繕って昇降機に乗って一階を選択する。
「二人とも、一階に着いたら魔法学校を出て首都の冒険者ギルドに行ってくれ」
昇降機が一階に到着するまでそこまで長い時間は掛からないが、黙っていると嫌な想像ばかりが浮かび上がって来る。伝えなくてはいけない事もあるし、ここで話しておこう・
「オーバーフローを知らせにって事ですよね?」
「ああ」
「二人も必要? もし既に知っていたら無駄足になる」
「首都で発生することは知っていても、多方で発生するとは思っていない筈だ。それを知らせた後は住民の避難誘導をして……」
この後の言葉を口にしたら多分にして揉める事になると思うが、言わなければいけないことだ。
「二人も避難してくれ。こっちに来る必要はない」
背中越しに、怪訝な空気が二つ発生したのを感じるが振り返ることはしない。俺の中で、これは相談ではなく指示……命令だと思っている
「やだ」
「わたしもです!」
「地上に戻って来たのは俺の勝手だ。二人が……」
「危険な目に遭う必要はない」なんて言える口は持ってない。いや、持てるわけがない。けど、二人を戦わせるわけにもいかない。
俺が言い淀んでいる内に昇降機は一階、エントランスに到着した。後ろの二人の不満を感じながら様子を見るが、広い円形のエントランスに人通りは無く、中央に帯刀した一人の男子生徒が腕を組んで立っているだけだ。人気が無いのは昼前だから納得できるが、あんな奴——校章持ち(ライザクレスト)氷の席、ハリソンがあんな所にいるのは謎だ。
「来たか、魔界の兵」
魔界の兵ってなんだよ。
頭の中で思わず突っ込んでしまったが、足元に冷気が集束していく気配を感じ取ったことで、意識は一気に戦闘へと傾いた。
「散らばれ!」
言うが早いか、二人は左右に跳び、俺も前方へと跳んで氷結から逃れる。その所為でハリソンとの距離は俺が最も近くなり、相手は既に右手に氷の太刀を生成し、左手には鋼鉄の細剣を抜刀していた。
「何の真似だ? オーバーフローが近付いているのに、こんなところで戦っている場合か?」
「これは戦争だ。地上と……いや、魔法学校と魔界のな」
「……また学校長に変なことを吹き込まれたか?」
瞬間、冷気が急速接近する。いつでも疾斬を抜ける状態ではいたが、想像以上の剣速だった。
「ガード」
疾斬で受けられるかどうかの瀬戸際で、落ち着いた声音と共に土剣が間に入って来る。鋭い衝突音と共に土剣は砕け散るが、攻撃を防がれたことでハリソンも体勢を崩しており、次撃が来ることは無かった。
「四元の席……一度戦ってみたいと思っていたが、まさかこんな形でとはな……」
「なら相手してあげる。チェイス」
プリムラ、そんな性格だったか? クロッスで会った時とは別人になっているのは前々から感じていたことだけども。
魔法名を唱えられた火剣がハリソン目掛けて射出される。速度はあるものの直線的なので、見られている状態では簡単に躱されてしまう。しかし、標的を通り過ぎた火剣は慣性を殺しつつ反転、再度ハリソンを狙った。それを躱すのは有効ではないと判断し、今度は氷の長剣を横薙ぎにして火剣を掻き消す。霧散した火剣と、健在している氷の長剣から、どちらの方が魔法のランクや質といったものが上かは容易に判断できた。
「レイホさん!」
戦闘体勢の番犬に名を呼ばれる。戦うか否かの判断を仰いでいることは分かる。人同士で戦っている場合でないことも分かっている。分かっていることが全て思いのまま、現実に反映出来たらいいのに。
「こいつに構うな! 二人はさっき言った通り冒険者ギルドに行け!」
プリムラが飛ばす魔法剣の切れ目を狙ってハリソンに接近し、威嚇の為に疾斬を振るう。戦闘に入ったことで【闘争本能】が、強敵と対峙したことで【生存本能】が発動し、疾斬の斬撃速度上昇も加わったことで、威嚇と言うより魔法剣を捌いた隙を突いた一撃となってしまった。結果的にはハリソンの制服の袖を裂く程度に終わったが、本気で敵意や殺意を持って攻撃していたら深手を負わせることになったかもしれない。
慣れない能力値の急上昇や、予想外の結果に驚く暇はない。昇降機でのやり取りが尾を引いているのか、二人とも素直に立ち去ろうとしてくれない。
「ここで戦っていても無意味だし、こいつの様子じゃ都市部の方に情報が伝わっているか怪しい」
標的をプリムラから俺に変えたハリソンは二刀流を軽々と操って攻め立てて来る。細剣は間合いから離れて回避し、氷の長剣は疾斬で受け流す。が、氷の長剣と少しでも接触すると、刀身を通じて冷気が流れ込んで来る。俺も適性属性は氷で、多少の耐性は付いている筈なのに……。
堪らず左手で小太刀を抜刀してこちらも二刀流で立ち向かうが、ただの時間稼ぎにしかならない。左右の手を交互に休ませようとするも、ハリソンの攻撃の方は苛烈で休む暇などない。
指示に従いたくとも、防戦一方で不甲斐ない俺を心配して踏ん切りのつかない番犬。指示に従う気が無いのか、新しく魔法剣を生成するプリムラ。
違うだろ、こんな戦いをしに来たわけじゃないだろ。
「早く行け! 俺は首都の白紙化を防ぐために来たんだ! 戦力を消耗させに来たわけじゃない!」
「……ギルドに伝えたら、直ぐに戻って来ますからね! プリムラさん!」
「私は行かな……あっ!」
どうにか俺の意思を尊重してくれた番犬が、プリムラの手を引っ張って出口へと駆けて行く。
戻って来ること以外は俺の望んだ通りの行動をしてくれたことに感謝するのと、建物の外から爆発音が聞こえたのは同時だった。




