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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第三章【学び舎の異世界生活】
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第百七十話:大丈夫ですよ

 朝か夜か判別のつかない空が続いている上に、客間には時計が見当たらないので、時間の管理が全く出来ない。地上でオーバーフローが三日後に起きると知っている事もあり、どうにも落ち着かなかったので使用人に頼んで日時を教えてもらい、時計の代わりになる物を持って来てもらった。


 地上時間では今、無月の十七日、日後3時を過ぎたところで、時計の代用品である砂時計が一つ反転した。この砂時計、しなだれた木版に吊り下がるような形で三つ並んでいるというだけでも奇妙なのに、砂が落ち切ったタイミングで木版ごと回転したり、砂時計単体で回転したりして自動で時間を計り続けてくれる。

 説明では、三時間経過する毎に砂時計が一つ回転するが、九の倍数の時間が経過した場合は木版ごと回転するんだったな。見た感じでは機械的な構造ではないので、魔法が付与されているのだろうが...不思議なものだ。


 砂時計は一つ三時間なので細かな時間までは分からないが、これでも無いのと有るのとでは全然違う。何しろオーバーフロー発生まで残り二日と六時間を切っているんだからな。


 一人分にしては広過ぎる客間で、机に置いた砂時計をじっと観察する人生……嫌いじゃない。が、ただの現実逃避であることは理解している。


 直ぐにでも地上に戻ってオーバーフローの規模を伝えるべきか、魔界で我関せずで居るか……答えは決まっている筈なのに、どうしても自分の気持ちは一つになり切れない。

 病み上がりで、魔法学校と敵対している俺が地上に出てどうする? 各地でオーバーフローが起きると騒いだところで、聞き入れて貰えるのか? オーバーフローに乗じて始末される可能性だって考えられる。クロッスであれば信じてもらえるかもしれないが、こんな体でオーバーフローを乗り切れるのか? 万全な状態でだって、死ぬ可能性の方が高いだろ。俺が知らせなくても予兆はあるんだし、何の手立てもなく壊滅させられることはない筈だ。

 しかも、地上に帰る場合は俺だけじゃない。プリムラも一緒だ。正気に戻って初めての体験がオーバーフローなんて不幸過ぎるだろ。彼女だってこの数日、碌に食事も睡眠も取れていないんだし休ませるべきだ。そうでなくても、これまで苛烈な生活を強いられて来たんだから、戦いから遠ざけて平穏な日々を過ごさせてあげたい。

 そもそも、だ。俺が魔界で生きていて、大規模オーバーフローの発生を事前に知っていた、なんてどれだけの人間が知っている? オーバーフローが終息した後で帰ったって誰も文句は言えないだろ。俺自身がオーバーフローを見過ごす事に納得できれば何も問題は無いんだ。


 何度目か分からない同じ結論に、思わず溜め息を吐いた。

 首都は大丈夫。校章持ちライザクレストだけでも相当な戦力だし、冒険者や兵士だって質も量も十分な筈だ。俺が心配する事なんて……。

 ふと湧き出た嫌な予感が心臓を握った。

 戦力が機能するのは、敵と対峙出来た時だ。奇襲を受け、力を発揮できずに死んでしまっては、どんな強靭な戦士であろうとどんな優秀な魔法使いだろうと意味が無い。

 オーバーフローの予兆としては、主に魔物の出現数とマナの放出量の増加だが、もしこれが周知されなかったとしたら? 魔窟の入り口が巨大施設の地下にあって、予兆の観測が遅れたら?

 魔法学校には、目標を持って入学した者がいる。家の名を背負って入学した者がいる。故郷の期待を受けて入学した者がいる。才能を見込まれて入学した者がいる。

 例え、長が生徒を妥当魔界の戦力としか見ていなくとも、生徒にはそれぞれの夢がある。その夢が無惨に蹂躙されるのを黙って見ていられるのか? 生徒の中には、まだ十代前半の子供だっているんだぞ。

 魔法学校が壊滅したら……駄目だ!


 拳を握りしめて、負の方向に倒れた意識を立て直す。

 悪い方向に考えるのは幾らでもできる。オーバーフローが起きるのはもう止められないのだから、ある程度の被害は避けられない。全部を救うことなんて出来ない……特に、何の力もない俺にはな。

 無能は無能らしく、状況が過ぎて行くのを見ていれば良いんだ。それで救える人が居るなら尚更だ。


 関わらなくて済むなら関わらない。いつも通りで良いんだ。それが正解なんだ。

 思考を放棄すべく、長椅子に横たわる。

 このまま眠って時間を過ごして、オーバーフロー直前にならないかな……。行動できる時間が無ければ、悩む必要なんてなくなるのに。

 残り二日と少しというのも大分差し迫っているとは思うのだが、脳内で知り合いの顔が浮かんでは消えてを繰り返している。


 いっそ誰かに決めて貰いたい。

 そんな甘えた考えが出始めた時だった。控え目に扉を叩く音が聞こえて体を起こす。


「レイホさん、お話し、いいですか?」


 番犬の声に、特段喜びも憂いも感じなかった。立ち上がって扉を開けるのが億劫だったので「開いてるぞ」とだけ答えると、番犬は穏やかな笑みを浮かべながら入って来た。

 少し元気が無さそうに見えるのは、俺自身がそうだからか?


「あ! なんだか面白そうな物がありますね!」


 奇妙な形をした砂時計なので、興味を惹かれるのは分かる。使用人から聞いた説明をそのまま教えてやると、番犬は「お~」と声を漏らしながら砂時計を眺めていたが、回転するまではまだ遠いので、そのうち飽きて長椅子に座った。

 適度な距離感で座る番犬に物珍しさを感じたが、近寄って欲しい訳でも無いので口には出さない。


「……話って?」


「あ……えーと、元気ですか?」


「あんまり」

「べつに」


 ん?


「あ、あれ? 外しちゃいました。ははは……」


 様子が変だな。座ってるから分かりづらいけど、三本の尻尾がモゾモゾと動いている。


「どうかしたのか?」


「……えぇとですね、レイホさんは地上に戻るんですか?」


 今それを聞きに来たのか…………。

 思わず溜め息が出そうになったが、既のところで我慢してゆっくりと息を吐いた。


「いつまでも魔界には居られないだろ」


「それはそうですけど、オーバーフローはどうするんですか?」


 不安気な瞳で見つめられたが、直ぐに視線は外した。多分、今の俺は機嫌の悪い顔をしている。


「考えている」


 考える余地も時間も無いのは分かっているから、指摘してくれるなよ。もし分かったような口調で指摘されたら、苛立ちを抑えられない。

 俺の懸念は現実のものとならず、番犬は小さく「そうですか」と呟くと、椅子の上で膝を抱えて座り直した。


「…………レイホさん」


「……なんだ?」


「前に地上に戻ってからこれまでのお話を聞きたいです」


 今その話を求めるか? 俺の考えなんて知らないだろうから単なる好奇心なんだろうが……勘弁してくれ。


「悪い。今は……」


「あ…………すみません」


 膝を抱えて座っているからか、番犬の姿がやけに小さく見える。何か困っているのかもしれないが、他人の悩みを聞く余裕は無い。


「……何を悩んでいるんだ?」


 余裕が無くても気になって仕方がなかった。この質問はべつに番犬の悩みを解消する為じゃなく、俺の気を満足させる為のものだ。番犬が丸い目で見つめて来たのは、俺の自分本位な考えを察したからではない……と思いたい。


「…………ダメですね、わたし」


 伏し目がちに呟いたかと思うと、体を伸ばして椅子から下り、俺の正面に来ると腕を伸ばして来た。


「ん……?」


 座った状態で番犬に抱き締められたので、普段は下に来る番犬の顔が上にあり、俺は頭から包まれるような形になった。


「レイホさんだっていっぱい考えることがあるのに、どうして頼っちゃったんでしょう」


 頼った? いつ? 脳が追い付かない。恥ずかしいから離れようと体に力を入れてみるが、番犬は放してくれない。


「何の話か分からないが、放してくれないか?」


 この体勢じゃ、俺が番犬に頼っているようにしか見えない。室内には他に誰も居ないが、あまり長い時間を記憶に残したくはない。


「オーバーフロー中に地上に戻るか、ここに留まるか迷っているんですよね?」


 話しを聞いてくれないが、無理矢理に引き剥がすのもな……。さっき膝を抱えて悩んいる姿を見せられた後では、あまり強い言動は取れない。


「迷う必要なんてないだろ。俺が地上に行ってどうなる? プリムラだって居るんだから、安全な場所に留まる以外の選択肢なんてない」


 頭を抱える両腕に少しだけ力が込められる。女性の体にこれだけ密着したら、いつもなら変な汗と動悸に見舞われるのだけど……どうしてか番犬とこうしているのは悪くない気分だった。


「ありますよ、選択肢。レイホさん一人なら助かる確率が高かったのに、その道を捨ててわたしを助けて出してくれた時のように」


「……あの時とは状況が違う」


「そうですね。わたしがいます」


「………………」


「わたしがレイホさんとプリムラさんを守ります。だから、レイホさんはレイホさんが望む選択をしてください。レイホさんの“選択肢がない”は、後ろ向きな言葉じゃありませんから」


 やめてくれよ。折角、番犬が生き残ってプリムラも助けたっていうのに……なんで危険な場所に行かなきゃいけないんだ。


「大丈夫ですよ」


 俺に期待するな。何の取り柄も無いのは知っているだろ。俺はもう十分過ぎる成果を出した。地上は地上でどうにかするだろ。


「大丈夫です」


 俺の為に何かをしようとするな。俺の為に割いた時間が、労力が、気持ちが勿体ない。俺は一人でいいんだ。仲間も友も必要ない。


「一人じゃありませんよ」


 さっきからなんなんだよ。番犬も人の心が読めるって言うのかよ。


「……俺たちを守るって言ったって、魔界からは離れられないだろ」


「大丈夫ですよ。レイホさんはそんなこと気にしなくて」


 苦し紛れの反論じゃ効果がないな。


「……プリムラが起きてから話しをさせてくれ。そこで決める」


「わかりました。でも、きっとプリムラさんもレイホさんの選択に従うと言ってくれますよ」


 ようやく体を離してくれたと思ったら、直視できそうもない優しい笑みが目の前にあって……俺は何も言えずに俯くだけだった。



次回投稿予定は5月6日0時です。

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