第百六十九話:世界の選択
番犬の命を救え、プリムラも助ける事ができた。しかも、俺は死んだのに復活するという……都合が良すぎて後が怖い。タバサさんの観た未来が実はもっと先の話で、この後にまだまだ波乱があるなんてことは無いよな?
泣き疲れたプリムラをベッドに寝かしつけたところで、タイミングよくハデスに呼び出されて食堂へと向かった。
……多分、見られてたんだろうな。
番犬と共に食堂へ着くと、主賓席にはハデスが鎮座しており、その傍らには見覚えのある眼鏡を掛けた使用人が立っていた。
心配はしていなかったが、プリムラに斬り落とされた左手の指は元通りになっている。
「来たか。寝起きから随分な行動力だったな。感心したぞ」
「恐縮です」
やっぱり見られていたか……恥ずかしい。
「食べながらで構わん。状況について、ある程度理解は進んでいると思うが、レイホはこの後どうするつもりだ?」
使用人が持って来てくれた流動食に目を落としながら考える。
この後か……考えてないんだよなぁ。取り敢えずプリムラを連れてクロッスに帰って冒険者稼業を再開することになると思うけど、プリムラをどうするかなんだよな。冒険者をさせる訳にはいかないし、故郷にでも送り届けるか?
「クロッスに戻って、それから考えようと思います。プリムラも気持ちの整理とか、色々と必要だと思いますから」
「そうか。だが、地上も魔界も暫くは落ち着けそうにないぞ」
「……今回の戦いの影響ですか?」
あのタテキのことだ、一度の敗戦で諦めるとは思えない。戦力を整えてまた侵攻に来る筈だ。黄金のリンゴ持って行ったら大人しく現代に帰ってくれないかな。
「ああ。直にあのヴォイドが地上と魔界を繋ぐ門を作り、そこから侵攻して来るだろう」
「そんなことが可能なのですか?」
ハデスは肯定も否定もしない。組んだ手の奥で光る赤い瞳で、じっと俺を捉えていた。
思わず聞き返してしまったが、あいつならやってのけるだろうな。
「もし現状のまま大軍で攻められれば、たとえ我が全力を出したとしても勝敗は分からない。少なくとも此度のように不殺で戦う余裕は無い」
「俺に、戦いを止めろと?」
勘弁してくれ。もし、タテキに「戦いをやめろ」なんて言いに行ったら、その場で即座に殺し合いが始まるぞ。校章持ちとも敵対したし、誰も俺の言葉なんて聞かないだろ。
「フッ、流石にそれは荷が重すぎるだろう。それに、君が何か行動を起こさずとも連中は攻めて来れんさ。何しろ、もうじき大規模なオーバーフローが起きるからな」
「オーバーフローが?」
地上にマナと魔獣が溢れるってことなのは分かるが、大規模ってなんだ? 発生源は……まさか魔法学校の地下か?
「通常、魔獣が溢れ出た際は我や幻獣、特にそこのケルベロスが迎撃する。だが、今回は事情が違ってな……自らが生んだ災厄は自らで処理してもらい、代償も払ってもらう」
事情とやらはよく分からないが、助けを乞うことは出来ない。ハデスの重く輝く瞳によって、俺の口は堅く閉ざされてしまっていたからだ。
「ハデス様、魔獣はいつ頃地上に出るのですか?」
硬直する俺に代わって番犬が質問し、回答者もハデスに代わって使用人が請け負った。
「最短の所ですと三日後です。近い内に予兆も出るでしょう。その後は順次オーバーフローが発生します」
事務的な回答をしてくれたが、複数の場所でオーバーフローが起きるように聞こえたぞ!? 大規模とは言っていたけど、世界中でオーバーフローが起きるってことなのか!?
「その最短で発生する場所というのは、分かっているのですか?」
「聞いてどうする? 地上に帰って人々に知らせるつもりか? どこでオーバーフローが起るかも分からぬ状況なのだから、逃げ場などないぞ」
聞いたってどうにもならない事は分かっているが……無関係を決め込む事も出来ない。もし魔法学校の地下から魔獣が溢れ出たら、どれだけの生徒が犠牲になるか分からない。生徒だけじゃない、首都の市街にも被害は及ぶだろうし……最悪、首都が白紙化することだって考えられる。
「この城に居れば君とあの少女の身の安全は保障できる。一度地上に出たら、戻って来ることはできんぞ。それにあの少女、君の関係者ということで保護しているが、我らにとっては侵略者の一人でもある。君が地上に戻るとなれば、この城で保護する理由はない」
俺一人が地上に戻って危険を知らせ回る事はできないってことか。……プリムラを危険な目に遭わせる訳にはいかない。オーバーフローが治まるまで、ここで匿ってもらうしかないか。
…………くそっ、なんでパーティの連中や四人組の奴らの顔を思い出すんだ。
気持ちに迷いが出る前に話題を変えようと思い、ハデスへと向き直る。
「ハデス様、伺いたいことがあります」
「聞こう」
「何故、俺を助けてくれたのですか? 前回はそちらにとって利のある行動をしたからと聞きましたが、今回はただ迷惑を持ち込んだだけです」
「単純な話だ。我らにとっても、君に死なれては困るからだ」
どういうことだ? 深く聞こうとしたところで、先にハデスが言葉を続ける。
「君だけではない。この世界で失われた、神の存在を知る者……全ての転移者と転生者に言えることだ」
全く話は見えないが、厄介な事情が絡んでいることは間違いないな。
「君は奈落でアレを見たのだろう?」
確認されるが、アレが何を差しているのかは判断が付かなかったので、怪物と甲冑の人を見たことを告げる。すると、ハデスは組んでいた手をゆっくりと解いた。
「怪物の名は幾つかあるが……タルタロスと呼称することにしよう。奴は本来、姿を持たぬ奈落そのものであったが、訳あって現在はあのような姿をしている。そして、姿を手に入れたことで幾つかの権能を有した。神の使いを遣わす力、神を生み出す力、そして間接的ではあるが神を消し去る力」
話が思いがけぬ方向に走り出して茫然としてしまうが、ハデスは構わずに続けた。
「“遣わすには俗の魂を、生み出すには有の魂を、消し去るには無の魂を。神が住まうは地上に非ず。ならば作ろう。この喰い潰された世界を神々が住まえる土地に。空を落とし、地を白紙に、闇を掘ろう”」
……??
話に全く付いて行けない俺を見るハデスの赤が揺れる。
「フッ……失敬。話が逸れてしまったが、改めて君の問いに答えるとするなら……助けられたから助けた。と言わせてもらおう」
「はぁ……」
「我からの話は以上だ。ゆっくりと食べてから部屋に戻るといい。……ケルベロス!」
「はい!」
席を立ったハデスは番犬を呼びつけると、指を鳴らしてどこかへと転移した。いつの間にか使用人の女性もいなくなっており、広い食堂に俺一人だけが取り残された。
転移したハデスとケルベロスは、城の中庭に咲く花畑を並んで眺めていた。
「何のご用でしょうか?」
「一つ聞きたいことがあってな……」
言い淀むハデスに物珍しさを感じながらも、ケルベロスは次の言葉を待つことにした。だが、沈黙は思ったよりも長く続き、垂らした尻尾を揺らし始める。
「レイホが地上に帰る時、お前は付いて行きたいと思うか?」
彼の名前が出た質問の内容に、ケルベロスは思わず体を強張らせた。
「え……それは、オーバーフロー中に、ということでしょうか?」
普段なら絶対にしない聞き返しをしてしまうが、ケルベロス自身も何故そのような発言をしたのか疑問を抱いていた。
「……フッ。何でもない。今の問いは忘れてくれ」
「え? え?」
困惑するケルベロスの頭へ骨手が乗せられる。
「オーバーフローが落ち着くまで、魔獣の行進を止める必要はない。城の外には出せんが、希少な休暇だと思ってゆっくりとするがいい」
穏やかな手つきで頭を撫で終えると、ハデスは転移間際に「心配せずとも、今までサボっていた奴らに働かせれば問題なかろう」と言い残してから指を鳴らした。
そよ風に揺れる花々に囲まれながら、ケルベロスはハデスの問いに対する答えを探したが、遂に自分の納得する答えに辿り着くことはなかった。
流動食を食べ終えた俺は、広い廊下を客間に向かって歩いていたのだが……。
「迷った」
食堂まで来た時はケルベロスに付いて歩いていた上に、プリムラの説得で激しく上昇した心拍数を落ち着けるのに必死だったから、道順など覚えていない。
急いで部屋に戻る用事もないのだが、足腰の筋肉が衰えているからいつまでも歩き回るのはしんどい。
「すみません」
「どうされました?」
観念して声を出すと、即座にあの眼鏡の使用人が現れた。虚空から現れたようにしか見えなかったが、気にしても仕方ない。
「道に迷ったので、客間まで案内をお願いしたいです」
「承知しました。こちらです」
歩き出しから、俺が歩いて来た道を戻ることになった。
うん。助けを求めて正解だったな。
「…………あまり混乱されていないのですね」
「え?」
驚いた。まさか話しかけられるとは思っていなかった。
「ハデス様のお話の件です」
「ああ……なんだか複雑すぎて、逆に混乱のしようがないって感じです」
「左様ですか。……あの方も迷われているのです」
「迷っている……ですか?」
何に? と思った瞬間、結局ハデスは冥府の神と同一の存在ってことで良かったのか、疑問が残っている事に気付いた。
「ええ。自分の在り方、世界の在り方をどうすべきか……あれで結構、優柔なのですよ」
「王であるが故の苦悩というものでしょうね」
「いいえ。立場はあまり関係ありません。自分と、自分が生きる世界……環境と言い換えた方が身近に感じるでしょうか。それらをどうすべきか、どうしていきたいか、理性ある者ならば皆が抱く悩みです。あなたも、悩んでいるのでしょう?」
使用人は立ち止まったかと思えば寛雅な動作で振り返り、眼鏡の奥の切れ長な目と視線が交わった。
「正解は過ぎ去った時にしか分かりません。ならば正解を求めず、時間の許す限り悩み続けなさい。あなたは今を生きていて、未来に進むのですから」
「…………」
何て言い返したら良いか言葉を探していると、使用人は丁寧な動作で腕を横に出した。
「こちらがお客様のお部屋でございます」
「あ……ありがとうございます」
「いえ。またご用がありましたら、いつでもお呼びください」
畏まった表情のまま綺麗な礼をすると、使用人は景色に溶けるように姿を消した。
悩みか…………。
力の入り辛くなった両手で、可能な限り固く拳を作ってから客間の扉を開けた。
次回投稿予定は5月4日0時です。
話が壮大になりかけてますが、今月も例月と変わらぬ更新数になる予定です。




