第百六十七話:二人の時間
投稿時間遅れ大変失礼いたしました。
…………重い。なんだこれ? 圧迫感があるわけじゃないけど……んん?
脳は「動け」と指示を出しているが、俺の体は目蓋を僅かに持ち上げるだけで精一杯だった。
光だ……光? ずっと暗闇を彷徨っていたのに……。
記憶を辿ろうと頭痛がして、折角開けた目蓋を閉じる。
痛みがあるってことは、意識が肉体に戻って来た? 生きてる? なんで?
意識だけがハッキリしているもどかしさをどうにかしようと、大きく息を吸い込み、一瞬止めてゆっくりと吐く。取り込んだ酸素が血流に乗って全身を巡り、神経や筋肉を呼び起こす。
「ふっ!」
残っていた息を一気に吐き出し、筋肉を跳ねさせて体を起こす。体への負担は大きく、起き上がっただけで少し息を切らす。
ここは……?
「レイホさん!!」
状況を確認する前に飛びついて来る存在が居て、折角起き上がったのに押し倒される。背中は柔らかな感触に迎えられたので、怪我はしなかった。
「よかった……よかったです! 生きてます! レイホさん!」
強い抱擁と、顔をくすぐる犬耳から逃れたくなるが、全くもって力が入らない。というか……強い、腕の力が強いって……。
「あー……そっちも、生きててよかった」
掠れた声で告げると、俺の体へ掛かる負荷は更に増した。苦しい、苦しいって……。
「ぐすっ、うぇぇぇぇぇぇ……レイホさーん……!」
……これはアレだな。何も言わないで落ち着くのを待つのが最善だな。
可動域が制限されている両腕を番犬の背中に添え、時間が経つのを待つことにした。限られた視界からでも状況を整理しようと思ったが、伝わってくる番犬の感触がどうにも心地よくて、頭が上手く機能しない。
プリムラは助けられなかったけど、番犬が生きているなら、一先ずはタバサさんの見た未来は変わったのかな。
「えへへへ……ごめんなさい。いっぱい泣いちゃいました」
目を真っ赤に晴らしながら、はにかんだ笑みを浮かべる相手をどうしたら叱れるだろうか。
「いや」
「あ、お水飲みますか? 喉乾いてますよね?」
「ああ。貰う」
ベッドから下りた番犬は、客室内にあった水差しとコップを持って来てくれ、危なっかしい手つきで注いだ水を渡してくれる。
そういえば、鎖も拘束具も着けてないな。丘からずっと離れたハデス城に居るんだから、外すのは当然か。格好と言えば、俺は上裸だが胸の中心を覆うように包帯が巻かれている。回復魔法だけじゃ傷が塞ぎ切らなかったのか?
受け取った水を一気に飲むと、体中に冷たさが染み渡って細胞が活性化していく。
「……見てて楽しいもんじゃないだろ」
水を飲み終わってから、ニコニコと笑っている番犬へ言うと「楽しいです。嬉しいです」と返された。個人の感性に文句を言えるほど偉くはないので適当に受け流しておく。
「聞きたいこと、沢山ありますよね。ちょっと待ってくださいね。お茶を煎れてから、ゆっくりお話ししますね」
「ん、ああ」
水だけでいいんだけど……折角の好意だし、わざわざ断る必要もないか。
ガチャン。
「ひゃっ!」
「………………」
ガチャチャッ。
「や~~ん……」
「……………………」
ガチャチャチャンッ。
「ふぇぇぇぇ……」
……よっこいしょ。
怠さの取れない体をベッドから下ろすと、想像以上の衰えに崩れ落ちそうになったが、咄嗟にベッドに手をついて耐える。
「これは……酷いな」
自嘲気味に笑ったのが聞こえたのか、番犬は涙の枯れた泣き顔で振り返った。
「ごめんなさい~」
「あ、いや、そっちじゃないんだ。……悪いけど手を貸してくれないか?」
少し時間があれば自力で立てただろうが、その間に向こうの被害が拡大することは容易に想像できた。
俺の判断は正しかったようで、役目を手に入れた番犬は機嫌を直して肩を貸してくれた。質の良い長椅子の方に案内しようとしてくれたが、断って給湯スペースの方に連れて行ってもらう。
「お湯は沸かせているんだな?」
赤熱した石板の上に乗っている陶器の湯沸かしを指して確認すると、快い返事が返って来た。
で、肝心のお茶は……茶葉の掃除から始めないとか。
片手を机に着いて支えを作らないと足腰が不安なので、自由に使える手は片方だけだ。番犬に茶器等を持たせて更に散らかったら手間なので、俺が物をどかして番犬に机を拭かせる。ついでに、茶筒が開けっ放しになっていたので急須に茶葉を入れる。……濃い青緑色の茶葉だ。
「……これ、何て言うお茶なんだ?」
お湯が沸騰するまでの時間が暇になったが、長話になりそうな話題を避けた結果、目の前の疑問を口にした。
「ミン・ティーっていう、魔界特有のお茶なんですよ。スーッてするので、寝起きに飲むと頭が冴えるらしいです」
ふーん。……お茶に詳しくないから話を広げられないな。精々「茶葉を地上に持ち込んだら高値で売り捌けそう」ぐらいだ。
自分の心と知識の貧しさを恥じていると、番犬が「あれ? でも、気持ちを落ち着ける効能もあるから、お休みの前に飲むと良いって話も聞きましたね」と首を傾げた。
「いつ飲んでも良いってことか」
「そういうことですね」
他愛ない話をしているとお湯が沸いたようで、赤熱していた石板が白くなっていく。
お湯を急須に入れてどれくらい待てばいいか分からなかったので、適当な頃合いを見て二つの湯呑に量と濃さが均等になるよう煎れる。
お湯を先に湯呑へ入れて湯冷まし云々は面倒だから省いた。ミン・ティーの適温がどれくらいかも知らないし。
「こんな感じの色で大丈夫か?」
茶葉の見た目に反して、だいぶ鮮やかな青緑色だ。
「大丈夫ですよ」
……きっと青緑系の色だったら、濃かろうが薄かろうが同じ返事をしてくれるんだろうな。
俺が湯呑を持って行きたいところだが、足腰がまだ不安なので、盆に乗せて番犬に持っていってもらう。これはこれで不安があったけれど、無事にテーブルまで運んでくれた。
ふらつきながらも自力で上質な長椅子まで辿り着いて腰を下ろすと、番犬は当然のように隣りへ座ってきた。
久しびりの感覚に思わず口元が緩みそうになったのを咳払いして誤魔化すと、煎れたてのミン・ティーを口に運ぶ。
熱い。けど、清涼感がある。不思議な感じだ。冷やせばより強く清涼さを感じられるだろうが、下手に冷ましてぬるくなったら絶対不味くなるな。……というか、温度に関わらず俺の口にはあんまり合いそうにない。
番犬の方を見ると、一生懸命に「フーッ、フーッ」と冷ましている。
「火傷するなよ」
「はい。気をつけます」
熱いまま飲んで「熱いですー!」と慌てるところを見たかったような気がしないでもないが、危ないことはしないに越したことはない。
「熱いですー!」
「………………」
なんとも言えない気持ちになりながら、番犬の舌が落ち着くのを待っていると、番犬の方から「レイホさん、質問をどうぞ」と話を切り出して来てくれた。
聞きたいことは色々とあるけど、先ず確認したいのは……
「プリムラや、他の校章持ち(ライザクレスト)はどうなった?」
死んではいないと思うが、こうして番犬がのんびりしているところを見る限り、魔界侵攻は失敗したのだろう。
「プリムラさん以外は地上に帰りましたよ」
「ん? プリムラはどうしたんだ?」
気まずそうにする番犬の様子から、最悪の事態が脳裏を過ぎった。
「この城の中にいますよ。ただ、レイホさんを刺した事を強く悔いていて、わたしが怒り過ぎた事もあって……塞ぎ込んでしまっています」
「そうか……」
まだもう少し手を伸ばしてやる必要はありそうだが、取り敢えずは生きている事を喜ぼうと思った。
「拘束している訳じゃないんだよな?」
「はい。プリムラさんの意思で魔界に残っています。今は別の客室に居るはずですよ」
プリムラの意思で? 戦ってる最中は完全に対立していたから、一人で魔界に残るっていうのは何かしらの心境の変化があった訳だよな。俺を刺したことを悔いているとも聞いたし、これはもしかして俺が思っている以上の成果が出たのでは?
直ぐに会いに行くべきなのかもしれないが、ここまで世話してくれた番犬をほっぽり出して行くのは忍びないし、まだ確認したいこともある。
「そっちは怪我とかしなかったか?」
「掠り傷程度だったので、もう治ってますよ」
「そうか」
それは何よりだ。……番犬が俺の体を気まずそうに見ているな。
「痛みは無いんだが、この包帯を取ってもいいのか?」
「あ……はい。わたし取りますね」
「いや、自分でやる」と言い切る前に番犬に腕を制される。世話焼きだな……。
「……頼む」
「はい。……あの、実は胸の傷がどうしても消せなくて残ってしまっているんですが……」
「ふ~ん」
自分の肌に自信を持っていたわけでもないし、べつに気にすることでもないと思って適当な相槌を打つと、番犬がこちらの様子を伺いながら包帯を取って行く。あれ、もしかして傷が残ってるからそんなに気まずそうにしているのか?
番犬の心境に気付く頃には包帯は大部分が取り除かれ、胸の傷が露わになった。剣で刺された傷が二つ並んでいて、その傷に触れると心音が伝わって来る。
やっぱり、一回死んだんだよな。
丘で気を失った後に体験したことが何だったのか聞こうとすると、包帯と取り終えた番犬がベッドの脇から服を持ってくる。補修された魔法学校の制服だ。
「知っていたら教えて欲しいんだが、剣で刺された後、真っ暗な空間で変な化け物とか魔獣とか、甲冑の人? と遭ったんだ。訳も分からず逃げてたら誰かが俺を連れてってくれて……暫くしたらここで目を覚ました。変な話だけど、何か心当たりは無いか?」
着替えながら話していると、番犬は俺の直ぐ隣りに座り直し、ミン・ティーを静かに口にした。
「……教えられることだけ、教えますね」
「ああ」
知らないことは教えられないだろうが、わざわざ前置きするってことは込み入った話になるんだろうか?
「レイホさんが居た真っ暗な空間は深淵の中でも最も深い、奈落と呼ばれる場所です。魔界で命を落とした人は深淵へと落ちることになっています」
つまりはあの世って訳か。あそこで一部の感覚が無かったのは、俺が肉体を持たない亡霊みたいな存在だったからか。だとしたら、あそこで見聞きできたのは視覚や聴覚によるものじゃないかもしれないな。光源も果てもない空間で肉体の機能が役立つとは思えないが、そう深く考える問題でもないか。
「本来ならば深淵に落ちて意識を覚醒させることはできないのですが、ペルセポネ様の儀式によってレイホさんの意識を呼び起こしました。あ、儀式にはプリムラさんも貢献してくれましたよ」
「プリムラが……」
っと、聞き逃すところだった。ペルセポネってハデスの配偶者だよな。……やっぱり神様いるじゃないか。
「ただ、意識を覚醒させたとしても、自力で深淵から脱出することはほぼ不可能なんです」
だろうな。出口も何も無かったからな。
「だから……迎えに行きました。ぎりぎり間に合って良かったです」
無垢な笑顔を向けて来るのはいいんだが……いや、結構よくないんだが……顔が近い。そんなに詰め寄って来なくてもいいだろ。
身を仰け反らすとその分だけ詰め寄ってくるので、最終的に覆いかぶさる様な恰好になって肘掛まで押し込まれた。
「……あの、何か?」
聞いても機嫌の良い笑みだけが返ってくる。なんだこの状況? どうすればいいんだ?
「あー、えっと……どうして俺にそこまでしてくれたんだ? 俺が死んだところで魔界側にはべつに影響ないだろ?」
聞いてから気付く。先に助けてもらったお礼を言うべきだったと。
「それはこっちの台詞ですよ。レイホさんがわたしや魔界の心配をしてくれた方が先です」
「う……べつに……タバサさんの遺言だからな」
苦しい答えを咎めるように、番犬は腕の支えを取って俺と体を密着させた。
「お人好し過ぎますよ」
「「べつに」」
答えが読まれてしまっていて、声を被せられてしまう。
「む……」
耳元でクスクスと笑い声が聞こえる。
「もっと自分を大切にしてください。助けたい人がいるのは分かりますが、レイホさんが死んだら悲しむ人がいます。わたしだってその中の一人です」
…………大切にしたい自分なんていないし、こんな俺の命で誰かを悲しませたくないから友達とか仲間とか要らないんだが……こんなこと言ったって仕方ないよな。
悲しませたくない。けど助けたい。望んだ場所に辿り着いてほしい。なんて欲が深すぎるんだ。だから……「ああ。助けてくれてありがとう」というありきたりな礼を告げる。そうすることでようやく、番犬は俺から体を離し、満足そうに「はい!」と応えた。
解放されたことで安堵の溜め息を漏らすと、体に残った番犬の感触が、奈落で薄れゆく俺の意識を包んでくれていたものと同じだったことに気付いた。




