第百六十五話:花
「そちらの指導者に伝えておけ。この世の底は貴様が思っているよりも深い、とな」
丘で戦闘不能となっていた校章持ちをヘルゲートへと集めた後に放った言葉は、ハリソンとマイナへと向けられたものだった。この二人は拘束魔法で捉えられていただけで外傷は無く、拘束魔法が解除された今は、他の校章持ちの引率者代わりとなっている。
「あ~い。ハリソン、よろしく~」
「…………」
敗走する者とは思えぬ間延びした声で返事するのはマイナだ。伸びた前髪で目が隠れているので表情が読み取りづらいが、余っている制服の袖を回して、禁断魔法部隊に気絶した仲間を運ばせている所を見る限り、恐らくは何も企んではいない。逆に、寡黙なハリソンは未だ戦意衰えずといった様子でハデスを睨んだまま、身動ぎ一つしない。
「疲れた。ハリソン、ん!」
仲間を運ばせ終えたマイナは小さな子供のようにハリソンへ両手を伸ばす。何をして欲しいか一切口にしていないが、校章持ちならば誰しも、彼女が何を求めているかは理解できる。
「…………このままでは終わらん」
静かに告げてから、ハリソンはマイナを脇に抱えてヘルゲートを潜り抜けた。重々しくとも、神々しいとも見て取れる明度の違う白の大門が静かに閉じられようとした時だった。ハデスは強力な魔力の反応を感じて空を見上げる。
「……やってくれたな」
空に出現した無数の【ゲート】からは赤き光線が放たれ、それらは空中で二回拡散してから着弾し、魔界の地を広く爆散させた。
「ハデス様」
ケルベロスともプリムラとも違う、落ち着いた女性の声が聞こえたかと思うと、ハデスの前に光が集まっていき人の形を成した。
白い肌に金糸の衣を纏い、輝くような金髪はシニヨンにして纏められており、切れ長の目には瑞々しい赤が宿っている。
「ペルセポネ、来たか。早速だが……」
「存じております。ハデス様は被害状況の確認と鎖の解除と転移の用意を」
言葉を食われた上に幾つもの指示を出され、ハデスは思わずたじろいでしまうが「承知した」と返答し、爆撃を受けた魔界の状況確認から開始することにした。
「ペルセポネ様……」
アビリティを解除したことで元に戻った空色の瞳で見つめ、絞り出すように名を呼ぶケルベロスの頭を柔らかく撫でてから、プリムラの方へ視線を投げる。
「その者に言うべき言葉があると思うのなら、連れて来なさい」
それだけ告げると、ペルセポネは現れた時と同じように光に包まれて姿を消したが、先程と違いペルセポネが消えた後も光が残っている。
「…………」
言葉は理解できている。けれど、プリムラの脳は取り入れた情報を元に自身の行動へと移す判断力を失っていた。座り込んだまま、地に伏して動かなくなったレイホの体へ視線を落とすばかりだった。そんなプリムラの姿を見かねたケルベロスは手をきつく握り締めたが、それは一瞬のみだった。ゆっくりと手を開きながらプリムラの傍へ歩み寄り、しゃがんで視線を合わせる。
言いたいことは多くある。怒りも悲しみも溢れ出しそうだった。それでも自分を抑えられたのは、記憶があったから。
失敗しても穏やかに見守ってくれ、敗北しても生きていることを安堵してくれ、自分が辛いクセに他人に優しくする。そんな人を助けたいと心の底から思ったから、ソラクロはプリムラの右手を取り、両手で可能な限り優しく包んだ。
「……レイホさんのこと、助けてください」
手の力は抜けても表情は笑顔を作れずに強張ってしまう。もっと強く頼み込みたかったのに、言葉を増やしたら自制の箍が外れてしまいそうだった。
自分の不甲斐なさに苛立たしさすら感じるケルベロスであったが、彼女の瞳に秘められた思いも、手に込められた思いも、プリムラには確かに伝わっていた。
「…………!」
声は突っかかってしまったので代わりに大きく頷いて見せ、ケルベロスの手から右手を放してもらうとレイホの体を抱き起した。
「……約束」
ようやく出てきた声は呟くような大きさだったが、ケルベロスの耳にはしっかり届いており、光に溶ける背中を「約束です!」と押した。
光を潜ったプリムラが辿り着いたのは、無色の石の柱が六角形の頂点を位置するように立てられ、それらに囲まれるようにして台座が設置された空間だった。天井はどこまでも続いており、見渡した限り出入口となる扉はない。
「その者をこちらへ」
台座の前で立っていたペルセポネが短く告げると、プリムラは言われた通りにレイホを台座へと寝かせた。
「あなたにはもう一つ役目があります。そちらの光の先で花を一輪だけ摘んで来なさい」
必要最小限の情報だけ伝えると、これ以上言う事はないと言わんばかりに口を閉ざす。それに対し、プリムラは特に不満や疑問を口にする事はなく、言われた通りに光を潜り抜ける。
初めに感じたのは、爽やかな甘さを伴う風だった。その後で光の刺激から解放された視覚が色を付け始める。
いつの間にかプリムラは城壁に囲まれた中庭の中心に立っており、木で出来た円形の足場の回りでは白と黄の花が咲き誇っていた。そこで初めてプリムラは迷う。
一輪だけ摘んで来るよう言われたけど、果たして色はどちらが良いのだろう。と。そして悩みを解消しようと花を凝視すると、色が同じでも花弁の形が明らかに違う物もあることに気付く。
二択だと思った問いが三択、四択と増えていくに連れ、次第に心の中に不安の陰りが現れる。
時間は指定されなかったけど、遅くて良いことはない。
不安に急かされるが、間違える訳にはいかないと慎重に花を見定める。
色は白か黄。花弁の数はどれも内側に三枚と外側に三枚。副花冠は黄色で統一されているが、椀のような形のものと、細長い筒状の物の二種類がある。
どれだけ見ても花は答えを教えてくれない。
見た目の違いがあるだけで、どれを摘んで行っても問題ないんじゃ? と楽観的に考えようとして手を伸ばしても摘む勇気までは出てこない。
「くっ……」
何も決められない自分を悔やみ、唇を噛んで目を閉じる。
助けたい、助けたい……助けなきゃ!
「プリムラちゃんの明るい笑顔に、村の皆は力を貰っていたんだよ」
突如聞こえて来た声にハッとして目を覚ます。
「おばあちゃん……?」
もう何か月も聞いていないが、今しがた聞こえた声は故郷の薬草園の老婆のもので間違いなかった。
いる筈がないと分かっていても周囲を見渡し、誰も居ないことに少なからず落胆する。が、改めて花へ視線を移すと、正面に咲いている黄色の花は明るく綺麗な色合いをしており、花弁は背伸びをするようにピンと張られ、副花冠は控え目だが大切な何かを受け止めるように咲いていた。
直感的に目の前の花を摘むと、この場所に来た時と同じ、爽やかな甘い香りが鼻孔をくすぐった。
光を潜ってペルセポネが待つ部屋に戻ると、レイホが寝かされた台座を中心にして幾何学模様が浮かび上がっていた。
「それで良いのですね?」
「……うん」
黄色の花を手渡すと、これまで無表情だったペルセポネは微かに口角を上げた……ように見えたが、直ぐに背を向けてしまったので真偽は定かではない。更に、「離れていなさい」と言われたため、顔を覗き込むようなことも叶わなかった。
ペルセポネは、プリムラが摘んで来た花をレイホの胸に手向けると、果ての無い天井に向かって両手を伸ばした。
「深く、深く、深奥の果てにて漂いし魂よ、我が声が届くならば応えよ。汝が在りし場所を。汝が宿りし場所を。汝が至りし場所を。暗く、暗く、暗黒の淵を這いし魂よ、我が声が届かぬならば応えよ。汝が求めし星霜を。汝が欲する刻下を。汝が望みし昔歳を。魔界の女王の名において命ずる。深淵の檻に囚われし彼の者を目覚めさせよ。エレウシス!」
次回投稿予定は4月28日0時です。




