第百六十三話:闘諍/レイホ
校章持ちとハデスらが戦う必要なんてない。プリムラと番犬が戦う必要なんてない。タバサさんの見た未来が今だって言うなら、俺が別の未来を引き込んでやる。
「……邪魔しないで」
腰の両脇に二本ずつ、魔法剣を停滞させているプリムラに対し、俺は疾斬を鞘に納め、小太刀と共にその辺に放り投げた。スローイングダガーもシースごと腰から外して投げ捨てる。
戦いの場でいきなり武装解除する俺を見てもプリムラは眉一つ動かさず、奥で戦っているハデスか番犬に意識を向けている。
障害にならないなら構わないってか……。意識を向けてもらうために、どれか一つくらい武器を残しておけば良かったか? いやいや、何かの間違いでもプリムラに怪我をさせるわけにはいかない。それに、向こうの魔法剣を実体剣で受けられるか定かではない。ハデスの魔法障壁だって斬られたんだし……避けるしかないなら、少しでも身軽な方が良い。俺の能力値で避けられるのか? なんてことは考えない。今考えること、成すべきことは……
「俺は……プリムラ、君を助けたい」
遂に言ってやった。自分に何ができるのか、プリムラの身に何が起きたのか、疑問を解消する期間は過ぎた。拒絶されたら、不快に思われたら、相手の顔色を伺う弱さは捨てろ。
“他人を助けるという行為は、哀れみや情けなど生半可な気持ちではなく、相応の覚悟が要求される行為なのだから”
全くもってその通りだ。いつも他人を哀れむ程の情報が得られるとは限らない。いつも情けを掛けられる程の余裕があるとは限らない。それでも誰かに助けを求められたなら、誰かを助けたいと思ったなら……。
「君を……助けに来た」
周囲の非難や相手の戸惑いがあろうと、それら全てを突き破って手を差し伸べるしかない。格好のつく言葉が言えず、相手を理解した言葉も言えないなら尚更だ。
「助け……」
プリムラの意識をこちらに向けさせる事には成功したが、次の瞬間、俺は伸ばした右手を引くことになった。
「つっ……」
火剣が掠ったことで手の甲や指に火傷を負うが、怪我の程度を確認する間も、回復する間も無かった。
「いらない」
見えない鞘に納められているように漂っていた魔法剣の切っ先が、一斉に俺の方へと向けられた。
助けがいらない? なら用はない。さよなら。
魔法学校に来たばかりなら薄情にもなれたが、もう引き返せない所に来ている。ここで下がったら番犬が死ぬかもしれないし、何より俺の気持ちが治まらない。腰を上げるのは遅くても、一度上げたらそう簡単に下ろさない性格だからな。悪いけど、独善的な救済に付き合ってもらう。
「タテキの命令に従って戦う事が救いになったとでも言うのか!?」
風の流れを感じて身を屈めると、頭の直ぐ上を風剣が通り過ぎて行く。攻撃はまだ終わではない。低くなった視線に合わせるように水剣の切っ先が向けられる。身を捩って直撃を避けるが、魔法耐性のあるマントがただの布切れの様に斬り裂かれた。
ハデスの指を奪ったこともあるし、魔法防御は無視して来るのか? だったら、いつまでもマントを着ている必要は無い。
捻った身を地面で一回転させ、マントを脱ぐために手を掛けた所で、プリムラの周囲から土剣が消えていることに気付く。
「ぐっ!」
予感と反射に頼って転がる様に前へ跳ぶと、地面から土剣の刃が突き出して来たのが見えた。串刺しは免れたが、跳ぶ際に最後まで残っていた右足の踵を抉られた。
痛みに顔を顰めるが、腱が切れた訳じゃない。痛みは脳内麻薬が消してくれる。動くし力も入る。
一通りの攻撃を凌いだことで一旦間が空くも、プリムラとの敵対関係は変わらない。両腰に戻った魔法剣の切っ先はこちらに向いている。
かなり危なかったけど躱せる。ハデスの指輪のお陰か? そういや、マントには体力と魔力の自動回復とか敏捷上昇の効果もあったか。
「学校長は正しい。だから私も、皆も従う」
四本の魔法剣の内、左右一本ずつ、風剣と土剣の切っ先が俺から外れて斜め上空を向いた。
「あいつが正しいものか!!」
「言うことを聞いていれば、怖い思いも、痛い思いをしなくて済む。邪魔をするなら……死んで」
魔法剣が一斉に射出される。上空の二本の軌道が気になるが、正面の攻撃から目を離すことは出来ない。
後ろに退いても無駄だと判断し、右へのサイドステップで射線上から逃げるが、誘導して来ないとも限らない。火と水の魔法剣が自身の横を通り過ぎて行くのを視界に入れながら、上空へと意識を向けた時だった。左耳を炸裂音が襲ったかと思うと、細かく冷たい刃が全身を襲った。
「うっ!」
何が起きたか視線を向ける訳にはいかない。顔を向けたら目を潰される。
左腕で耳を覆う様にして顔を守ると、無数に襲い掛かる刃の内、外れた物が視界を横切って行く。霧雨のように細かく、けれど確かな鋭さを持った刃だった。
火剣を炸裂させて水剣を砕いたのか?
見えない中でも状況を予測しているが、受けた攻撃を呑気に考えている場合ではない。上空から破砕音と共に、不揃いな大きさの岩石が降り注いで来る。
妙に熱い左半身を気にする間も無く後ろに跳び退くが、降り注ぐ岩石は地面に落ちる寸前に軌道修正し、再度俺へと飛来する。
防ぐ術は初めに自分で捨てた。避けるしかない。
地に足が着いた瞬間、横へ跳ぶつもりだったが、右足が悲鳴を上げた。脅えた体が意思に反して右足から力を抜いた結果、俺の体は横へ倒れ込む。
結果的に岩石を避けられたが……まだだっ!
やり過ごしたと思った岩石が旋回して三度、襲来する。よく見れば岩石の先端は尖っており、当たり所が悪ければ一撃で致命傷になりかねない。
倒れた体勢から絶対に回避しなければならないが、体を起こしていては間に合わない。そう判断した俺は、両腕にありったけの力を籠めて軸を作ると、左足で地面を強く蹴って体を回転させ、頭と足の向きが逆になったところで軸となっていた腕を地面から離す。支えの無くなった体は僅かな滞空の後、地面へと落下する。胸を打った衝撃で息が乱れるが、地面を抉った岩石を目の当たりにしては安いと思わざるを得ない。
我ながら凄い避け方をしたもんだ。けど、アビリティで筋力やら敏捷やらが跳ね上がっている状態ならやれないことはないと思ったし、実際やれた。……自慢は後だ。二度としなくたっていい。俺にできることは回避と、プリムラに言葉を届けることだけだ。
「不安を抱いたまま、あいつの言いなりになっているんだろ!? だから、俺が助ける! あの夜、俺に助けを求めた君ごと、全部!」
「邪魔!」
話し合う気は無いと言わんばかりに、既に魔法剣は四本とも準備されていた。切っ先を俺に向けているのは同じだが、今度はプリムラの前で横並びになっている。
「助けなんていらない……助けなんて来ない!」
魔法剣がそれぞれの色に発光したかと思うと、一斉に光線を放った。魔法剣本体での攻撃ではなかった為、予想外と言えば予想外の攻撃だが、プリムラの戦いを見るのはこれが初めてだ。元より予想の付きようがない。
今度は右足が言う事を聞いてくれたが、光線の速度からは逃れられずに脇腹を抉られた。
「がぁっ……くっ……」
食らったのが火属性だった為、傷口が燃えるように熱い……いや、実際に燃えている。これは無理だ。
制服の内ポケットに入れておいた回復薬を二本取り出し、脇腹へ塗布した。
マントが邪魔になったけれど、回復薬は傷口全体に染み渡り、どうにか延焼は治まって傷口も塞がった。
「誰も助けてくれないなら、自分の力で守るしかない! 強い人に従うしかない!」
魔法剣を再出現させて声を荒げているプリムラを見て、俺は何故か安心した。「誰も助けてくれないなら、自分の力で守るしかない」という言い分に共感したから、では勿論ない。
初めは感情の無い人形だったが、今は感情が表に出ている。それはつまり、俺の声が聞こえているということだ。完全にタテキの支配下に落ちていないなら引き上げようはある。……落ちてても引っ張り上げるけどな。
ぼろ切れになり始めたマントを脱ぎ捨て、右手を差し出す。
あの夜、差し出された手を握っていたら何かが変わっていただろうか……。差し出された手を握って貰えないのって、こんなにもどかしいんだな。……後悔は止めろ。過去は救えない。けれど、過去を経て今があるというのなら……この瞬間に目の前に居たのなら……。
「今からプリムラを助けに行く」
そう、助けに行くのだから拳は握らない。両手を開いたまま地面を蹴ってプリムラに接近する。身を守る様に展開された魔法剣のことなど知ったことか。
【インバリッド】で魔法を無効化できたら本当に無視できたんだが、間に合わなかった事を嘆いても仕方ない。
「来ないでよ……今更!」
今更……か。やっぱり待ってたんだな。
「前に“何て思われても、何て言われても謝ることしかできない”って言ったからな。わざわざ謝り直さないぞ!」
嘘だ。事態が落ち着いたら謝る。
【闘争本能】と【生存本能】により、自分でも制御し切れるか分からないぐらい上昇した能力値でプリムラに接近することは出来たが、あと少しのところで手が届かない。
個人的には、近距離で振るわれている四本の魔法剣を躱せていることを称賛したいところだが……過程を褒められるのは他人の特権だ。自分で自分を認めていいのは、目的を果たした時だけだ。
不思議な状況だ。攻めているのも、優勢なのもプリムラで間違いない筈なのに、下がるのは彼女の方で、前に出るのは俺なのだから。……でも、そう長くは続けられないぞ。能力値が上がっていても回避だけでは限界があるし、脇腹の傷は治っても右足や左半身の傷はそのままだ。回復しても良いが、体力を回復させると【闘争本能】による精神力上昇の効果が下がって、精神力が下がると【生存本能】による能力値上昇の効果も低下する。能力値が低下すれば……言うまでもない。
「これ以上、待たせたくないんだよ!」と言いつつ、後退する。回避で体力を限界まで使用したが、それでもプリムラに手は届かない。残念ながらアビリティを最大に活用しても、正面から四本の魔法剣を掻い潜ることは出来ないようだ。
「もう期待させないで!」
車輪の様に回転させた風剣は、周囲に暴風を撒き散らして行動を妨害する。その中で俺は大きく息を吐く。
期待したら、その分、裏切られた時が辛いもんな。
風の流れを読み、出来るだけ足を地面から離さないように横へ移動する。移動量が間に合わなくて右足の脹脛が削られる。
「期待なんてしなくていい」
元々期待されるような人間じゃない。
「……っ! なら……」
プリムラは言葉より先に火剣を飛ばす。上空から角度を付けて射出された火剣の下を潜り抜けると、爆風で背中が焦げて前のめりに倒れそうになる。それを左足で踏ん張り、顔を上げる。プリムラに手が届くまではあと……五歩くらいか。
「安心させるためだ。今から、この先ずっと」
「は……?」
プリムラの動きが止まる。残った魔法剣を飛ばす事も、消えた魔法剣を再出現させることもない。好機だが急がない。慎重に崩れた体勢を戻し、困惑した眼差しを受け止める。
「俺が前に進む理由で、プリムラを救う方法だ」
一歩。
「誰かに脅えることもない。何かに怖れることもない」
二歩。
「平和に笑える場所があることは知っている筈だ」
三歩。
「諦めなきゃいけない程、遠ざかっていたんじゃない。手を伸ばせば届く距離まで来ていたんだ」
四歩。
「プリムラはよく頑張った。よく耐えてくれた。よく……生きていてくれた。あとは……」
五歩。
手が……届く。
「マナよ、彼の下に集いて鬱悶なる夢を見せよ。ナイトメア」
虚空から詠唱が聞こえたと思うと、闇色の球弾がプリムラに命中する。
「あっ……あ…………いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「なっ!?」
ここまで来たのに、何をするんだよ! どこの誰で、何が起きたか分からないが、慌ててプリムラの手を握って抱き寄せようとして……全身から力が抜けた。
「ごはっ……」
息をしたつもりが大量の血が噴き出る。
やば……プリムラに掛かった。せっかく、手が届いたのに……これじゃ、逃げられる。強く、握らなきゃ。そんで……謝らなきゃ。待たせた分も……含……め、て…………。
胸を貫いていた二本の魔法剣が消失したことで傷口からは夥しい量の血が噴き出、握った筈の手は滑り落ちる。
魔法の効果が切れ、混乱状態から解放されたプリムラの足元には、決して戻る事はない、一つの命が満ちていた。




