第百五十九話:神か王か
ハデスは魔法学校の目的も、直ぐ近くまで校章持ちが来ていることも把握していた。俺は事情を説明しながらも、説明する必要性を感じ取れずにいたが、ハデスは言葉を挟む事なく黙って耳を傾けていた。……いや、説明を聞いていたというのは正しくない。骸骨だから傾ける耳が無いとか、そんなつまらないことではない。待っていたんだ。事情を話し終えた先にある、俺の言葉を。
「ケルベロスを逃がせ、と。そう言いたいのだな?」
「はい。もしくは、白銀のリンゴを食べても魔界に来られないようには出来ませんか?」
タバサさんの未来予知では“プリムラに俺の言葉が届かなかった結果、番犬が死ぬ”となっていた。今のプリムラの様子は、控えめに見ても俺の言葉が届いているとは言えない。なら、番犬をプリムラに近付けさせる訳にはいかない。根本的な解決にはならないが、今はその場凌ぎでも良い。
「レイホ、今の提案は僕らと対立する気があるように聞こえたけど?」
今まで黙って成り行きを見ていたヴォイドが会話に入って来る。
ちっ、黙ってろよ。とは言え、そっちの立場としちゃ、当然の反応か。
「考えてもみろ、魔獣がどうやって生まれてくるかも分からないのに、殲滅なんて無理な話だ。魔界で死ぬまで戦い続けるつもりか?」
「そっちこそ考えなよ。分からないなら僕らで調べればいいだけの話だろう? まさか校章持ちの力を知らないなんて言わないよね?」
誰かが調べなきゃいけないのも、校章持ちの実力も知っている。だけど、それなら冒険者ギルドの言う通り、魔界側と協力して実行するべきだろう。
言い返したい言葉を我慢する。ヴォイドと言い争いをしに来た訳じゃない。
「ハデス様、どうでしょうか?」
改めて聞くと、ハデスは少しだけ考え込んだ後、「白銀のリンゴの効果を変えることはできない」と否定から入った。
「ただし、ケルベロスを退避させることは問題ない。我が城に居れば安全であろう」
それで十分だ。戦いに巻き込まなければ死ぬことはない。
「わたし、どちらかと言うと守る側なんですけど……」
大人しく話しを聞いていた番犬の寂し気な呟きが、やけに長く耳に残った。
「……すまない」
「いいえ。ありがとうございます」
向けられた力無い笑みを見ていられず、思わず目を逸らす。
納得しているとは言い難いが、理解はしてくれていると判断して問題ないだろう。地上で一緒にいた時から聞き分けは良かったからな。
一先ず番犬の安全はクリアしたとして、後は校章持ちの方だな。魔界に来るのは防げないとして、どうやって地上に帰すか。恐らく、奴ら学校長の命令通り、魔獣を殲滅するまで帰ろうとはしないだろう。
「ハデス様、魔獣がどこから生まれるか教えてはくれませんか? 魔獣の殲滅はそちらにとっても損のある話ではない筈です」
「……教える事はできん」
「……理由を伺っても? このままでは、魔界全土を巻き込んだ戦いが起きるかもしれません」
「校章持ちと言ったか。多少は魔法の腕が立つようだが、奴らでは無駄死にするだけだ」
魔物ではあるが、討伐推奨等級銀以上の相手でも一方的に倒せるあいつらでも無駄死にするって、どれだけヤバイのが居るんだよ。
「一体、何を企んでいる?」
特別高くも低くもない、声変わりは済ませた少年の声に俺たちの注目は奪われる。けれど、声の主は「なに?」と言わんばかりに目を丸くしている。
「あ、あれ? もしかして口に出ちゃってた? はぁ……考え事に集中すると口に出ちゃうのは悪い癖だな」
賑やかな独り言を前に、俺たち三人はどう扱ったら良いか分からず視線を交わし合った。
「聞こえたのなら隠す必要もないか。魔界の王、いや、冥府の神ハデスを名乗る者よ、あなたは一体何者なんだ?」
最初はハデスの圧に脅えていた筈なのに……俺たちが話している短い間にどんな心境の変化があったんだ?
「我は魔界の王であり、それ以外の何者でもない」
泰然とした返答にヴォイドは数瞬の間を置いて視線を横にずらした。
「……ケルベロス」
「は、はい!?」
「君の弟の名前はオルトロスで合ってる?」
番犬が返答の許可を求めて見上げたのを察して、ハデスはゆっくりと首を縦に振った。
「はい。合ってます」
「どちらも僕の居た世界じゃ神話に登場する獣の名だ。偶然とは思えない」
ヴォイドは何が言いたいんだ? ハデスが魔界の王ではなく神だとしたら、ここは冥府ってことになるが……それで何が不都合でもあるのか? 冥府であることを隠して何か意味があるのか?
首を捻っていると、ヴォイドが「気付かないのかい?」と聞いて来た。
「……気付かないな」
「おかしいんだよ。ブランクドの世界に神は存在しない筈なのにハデス……冥府の神だけがこうして存在するのは」
神が居ない? 初耳だな。あれ、じゃあ教会は何を信仰しているんだ? タバサさんの葬儀の時は他に色々と考えてたから気付けなかった。でも言われてみれば、誰も神の名を口にしないな。
「……そもそも、魔界はブランクドとは別世界の括りじゃなかったか?」
正直、神が居ようと居なかろうと興味は無い。……もし居たら、どうして俺は転移者なのに無能力なのか聞きたい気はあるけども。
「そこは問題じゃないよ。元の世界でのことを思い出してみなよ。神は人間と同じ地上には居ないよ。空間的には地上に存在している神もいるけど、人の目に映らない以上、別次元、別世界に存在していると考えるべきだよ」
んん? 一般人の俺には理解し辛い話になって来たな。
地球での話として、神の存在は信じられていたが、それらが存在しているのは天国だとか地獄で、地上から見れば異世界だってこと? で、ブランクドから見て魔界は異世界だけど、地球人である俺たちの言葉で例えるなら魔界は地獄だから神が存在していても不思議じゃないってこと……か? それで、冥府の神と同名のハデスが魔界の王を名乗っていることに不信感があると?
「神が王を名乗る。それはブランクドに神が存在しないことと何か関係があるんじゃないかな? もしそうなら魔界の王、あなたは何を企んでいる?」
仮説や疑問点ばかり口にしてないで、ヴォイドが何を予測し、懸念しているのか言ってくれ。理解が追い付かん。
番犬はとうに理解可能な範囲を越えてしまったのだろう。大人しくしてはいるが、大量の疑問符を浮かべている。
自然と集中する注目をハデスは物ともせずに肩を震わせた。
「ククククク……何を企んでいる、か」
膨れ上がる絶対者の波動に、俺とヴォイドは反射的に距離を取って身構えた。
「謀計無き王に嚮後無し! 大望抱かぬ王に威光無し!」
両手を広げ、天を仰いだハデスから声が発せられた筈なのに、その音は鼓膜よりも心臓を劈き、衰える事なく魔界全土へと轟いた。
「何を……!」
ヴォイドが突き出した右手には、可視化できるほど圧縮された光が渦巻いている。その気になればいつでも強力な魔法を放てる状態だ。
おい、せっかく番犬を逃がすことができそうになったってのに、争いは勘弁だぞ。
「我は王だ。この地に住まう民のために企て、理想を謳うことに何の不思議がある? そして、我が考えを貴様のような浅短なる者に語らねばならぬ?」
「この地に住まう民っていうのは、生きた人なのかい? ここに来るまで幾つか集落を見たけど、まるで生活感が無かったよ?」
「おい、やめろ!」とは言えなかった。両者が高まらせる魔力に、もう俺が入れる余地は無い。せめて番犬を連れてこの場を離れようと手を伸ばして……止めた。
細い腕に不釣り合いな重々しい枷と鎖。いつ始まってもおかしくない魔力の応酬と同様、俺にはどうしようも無い物だ。
奥歯を噛み締める。ビビってる場合じゃない。戦いに発展する前にどうにかしないと!
「民の為の王だと言うのなら、僕らの協力を受け入れて魔物の根源を討伐すべきなのにそれをしない。魔物を利用して何かを企んでいる可能性があるなら、見逃す訳にはいかない。たとえ冥府の神、ハデスが相手でも!」
「人や世界の在り方は様々だ。己の尺度でしか推し量れないならば、貴様の限界はそこまでと言う事だ。全能なる魔法を得ていながら……度し難いな」
「人はどれだけ力を得たとしても不完全な存在だよ。だけど、だからこそ誰かと手を取り、完全よりも先に行ける!」
ヴォイドの勇み声に呼応して、薄闇の空から爆撃が降り注ぐのを、俺は成す術なく見ているしか出来なかった。




