第百五十七話:悪足掻き
誰も硬直している俺には構わず、ヴォイドから校章持ちへ、校章持ちから禁断魔法部隊へと白銀のリンゴは手渡されて行く。リンゴは木から取っても直ぐに実が生るので、途中で足りなくなることは無い。
マズいマズいマズい…………。
今頃焦っても手遅れだ。考える時間も、行動する時間も十分にあった。それらを無駄にしたのは他ならぬ俺自身だ。
どうすれば良かったんだ……。プリムラには会えないし、会えても話を聞いて貰えない。校章持ちは全員タテキを信じ切っている。俺一人が声を上げたって意味を成さない。
違う。言い訳している場合じゃない。考えろ。状況を打開するには…………奴らの知らない力……情報を示すんだ。先ずは俺の声を届かせなければ……でも、何がある? 俺に……何が……。
「はい。レイホで最後かな」
視界に白銀が迫る。ヴォイドがリンゴを目の前に差し出して来たのだ。弾き飛ばして魔界侵攻を止めろと叫んだところで誰も耳は貸さない。
ゆっくりとした動作で銀のリンゴを受け取る。
どうする? 白銀のリンゴには毒があるとか言って脅すか? 回復専門の魔法使いがいるのに、毒なんか怖がる訳ないな。仮に不治の毒だとしても、魔界侵攻を果たせるなら命を投げ打つ奴だっているだろう。プリムラを攫って逃げるか? 二百人以上に囲まれたこの状況で、しかも化け物じみた魔法使いを相手に?
無力な自分が悔しくて、けれどそれを表に出す事もできずに胸元を強く握り込むと、服越しに固い楕円形の塊を掴んだ。
なんだ……あっ!
塊を服から出すと同時に思い出す。紫色の楕円形の石の中に髑髏が描かれたペンダントは、以前、魔界でハデスから貰った通行証だ。魔界に行く気は無かったが、一応持ってきておいたんだった。
「ケッ、本当にリンゴ食っただけで魔界に行けんのか?」
「食べてみれば分かりますよ」
校章持ちは魔力や体力を万全に整え、後はいよいよ魔界へと行くだけ。
画期的な策は思い付かない。ただの悪足掻きにしかならない。それでも、今足掻かなければ確実に失敗する。勝つ方法を考えるのは、足掻いた後に考えればいい。
「ちょっと待った!」
上擦った声を張る。
俺に集められた視線は不信を宿したものが殆どだけど、注目は集まり、白銀のリンゴに口を付ける者はいない。
「何か?」
細い眼鏡の位置を正しながらイライジャが訝しんだ。
焦るな。偽るな。けれど騙せ。……大丈夫、これから口にするのは提案だ。怪しまれようと、反感を買おうと、殺されはしない。
「白銀のリンゴを食べた場合、魔界のどこに転移するか知っているか?」
校章持ちはそれぞれ顔を見合わせたり、白銀のリンゴを見つめたりしている。
この場合の沈黙は否定ってことだよな。よし、知らないならいくらでも言いようはある。気を強く持とうとして敬語を忘れたけど、今更気にしていられない。
「実は俺も知らないんだ。リンゴじゃなくて穴から落ちて行ったからな」
「へっ! どこに飛ばされようと、アタシらなら問題ないっての!」
自信満々なパティが胸を張る。こういう奴が居ると話しが進めやすいから助かる。
「全員が同じ場所に飛ばされる保証だってない。校章持ちなら単独でもどうにかなるかもしれないが、そいつらはどうだ?」
親指で後方の禁断魔法部隊を差す。禁断魔法というのだから相当な魔法を行使できると予想できるが、禁断と呼ばれるのだから、気軽に使えるものではないのだろう。魔窟での戦闘を、主戦力となる校章持ちが引き受けていたこともあるし、使用に何かしら制限があるのは間違いないと見ている。可能なら禁断魔法の詳細も探っておきたいが、欲張るのはいけない。
「彼らとて、魔法学校では成績上位の者たちだ。そう簡単に遅れは取らない」
「魔界にいるのが魔物ではなく魔獣だとしてもか?」
反論されたことでイライジャは機嫌を損ね、眉間に皺を寄せた。
悪いが人の顔色を伺っている余裕は無いし、イライジャとばかり話す気はないので、何か言われる前に話しを進める。
「学校長の用意した貴重な戦力を無意味に消耗させる必要はない。それに魔界は広い。各々が無事だったとしても合流にはどうしても時間が掛かる」
「待ってください。全員が同地点に転移できない事はあくまで可能性の話しだった筈ですが、まるで確定したような物言いになっています」
む……ナディアの言う通りかもしれない。少し急ぎ過ぎたか。今のところまだ俺の話は聞いて貰えるようだし、焦りは禁物だな。けれど、せっかちな奴に話の流れを破壊される前に本題へ入ろう。
「すまない。べつに分断されると決めつけたい訳じゃない。ただ俺は、全員が同じ場所に転移できる方法を知っていると言いたかったんだ」
「当たりめぇだ。何のために案内役として連れて来たと思ってやがる」
流れを断ち切ってくるならサイラスだと懸念していたが、意外にも声音は落ち着いている。これないけるか。
「ああ。俺は全員を魔界へ案内する。だが、それは俺一人でしか出来ない」
首から下げていた紫色のペンダントを掲げて見せる。
「これは魔界の王から与えられた、門を潜る為の通行証だ。これがあれば、魔界側から地上と繋ぐ門を開ける事ができる。……いや、正しく言おう。向こうの住人に門を開けさせることができる」
「門が開いたらウチたちが、とつげきー! すればいいのだ?」
ローナの問いを肯定し、念押しの言葉へと繋げる。
「この通行証は個人を識別する。俺以外の人間が身に着けて魔界に行ったとしても門は開けてもらえず、孤立するだけだ」
そんな機能が備わっているかは定かではない。それっぽいことをでっち上げただけだ。
「相変わらず話し長いな~。それならさっさと行って、パパッと開けて来なよ~」
瓦礫に座り込んで寝ていると思っていたマイナが後押ししてくれたこともあって、この場の空気は俺が単独で魔界に行く事に賛成的になっている。
「行ってくる」の一言の後に白銀のリンゴをかじろうとしたが、刹那の差でヴォイドの質問が飛んで来る。
「ちょっと待って。門はどこに繋がるの?」
「この辺りに繋げてもらうさ。以前もリンゴの木の近くに転移してもらった。開けば分かるだろう」
「分かった。でも念のため、もしレイホが門を開けさせることが出来なかったら? どれくらい待てばいい?」
面倒なことを……。どれくらい時間があれば手を考えられる? 直ぐに番犬やハデスと話しが出来ればいいが、もし辺境に飛んだら?
「だんまりか。君、本当にボクらを魔界に案内する気はあるのかい? 逃げ出そう……いや、ボクらを待ち伏せしようなんて考えていないだろうね?」
考え込んだことでイライジャに不信感が芽生えさせてしまった。良くない流れだ。とりあえず余裕を持った時間を提示して、不満が出たら短縮していけばいいか。
「ウチらを騙して、後輩君になんの得があるのだ?」
「それは分からない。が、彼は学校長に対して否定的な言動が多い。反攻の可能性も考えるべきだ」
「ん~、なるほどなのだ。ウチの妨害魔法が効かなかったこともあるし、変人なのは確かなのだ」
簡単に納得させられるなよ。妨害魔法が効かない理由は俺だって知らない。
「ちょっと待て。俺の言動が気に食わないのは勝手だが、大した魔法使いでもない俺を案内役として学校に在籍させているのは他でもない学校長の判断だぞ。俺の案内に疑いを持つという事は、学校長の判断に疑いを持つ事と同じじゃないのか?」
あんな奴を盾にして身を守るのは癪だが……使い捨ての弾除け程度に考えておこう。
タテキを引き合いに出すのは正解だったようで、イライジャは忌々しそうに睨んで来るが、その口はきつく閉ざされていた。
「他に疑問が無ければ俺は行くぞ」
「待った。僕の質問に答えてない。いつまで待てばいい?」
「……九時間」
「はあ? 待たせすぎだろ! 九時間もありゃ、オレらなら魔物を全滅させられんぜ!」
やっぱり駄目か。これでも半日って言いたかったのを、だいぶ負けたつもりなんだが……。長期戦を見越して水や食料は運んで来ているんだし、戦いの大事な初動でしくじらない為にも時間を掛けるべき……なんて考えの奴はいなさそうだな。
「九時間で魔物を全滅させられるとは思っていませんが、もっと短縮できませんか?」
よし。ナディアの言葉に乗って、のらりくらりと言い訳をしながら少しずつ負けていこう。せっかちな奴とか、長話しを好まない奴とかが途中で音を上げてくれたなら、その波に乗り換え、ちゃちゃっと待機時間を提示してささっとリンゴを食べてしまおう。そんな画策を立てた時だった。
「思ったんだけど、僕が付いて行くのは駄目かな?」
うげっ……嫌な事に気付きやがった。
通行証は確かに一つしかないが、この通行証は魔界から地上に出る時に必要になる物だ。二人以上で魔界に行ったとしても、一人が通行証を見せて門を開けさえすれば、もう一人は魔界で待っていても何ら問題はない。通行証が一つで、貸与できない事を強調することにより、俺一人でしか魔界に行けないと決めつけさせる策が……。いや、仮に複数人で行けることに気付かれても、どこに転移するか分からないことを言い訳に躱せたかもしれない。だが、ヴォイドに気付かれたのがマズい。
「地上と魔界でマナの流れが違うかもしれないけど、僕ならゲートの魔法や、空を飛ぶことで長距離を移動できる。レイホと離れ離れになったとしても、探査魔法で探せる」
その通りだ。こいつの規格外の魔法なら、あらゆる事態に対応できてしまう。俺一人で行くのがベストだったが……まだ望みはある。ヴォイドは他の校章持ちと違って、タテキを信奉していない。俺と性格が合うとは思わないけど、話し合う事は不可能じゃない。
校章持ちの半数以上から称賛され、いい気になっている面は気に食わないが、素直に提案を受けるべきだろう。下手に断ったら状況を悪くするだけだ。
「……そうだな。門を開けるのは俺の役目だとしても、護衛が居た方が心強い」
「うん。任せてよ。皆、僕らが必ず門を開けるから、それまで待っていて!」
ヴォイドが付いてくると決まってからの行動は早かった。誰かに質問される訳でも不信感を向けられる訳でもなく、俺たちは白銀のリンゴをかじった。




