第百五十六話:最強の魔法使い
無月。その名の通り、夜空に浮かぶ月は存在しない。されど闇は広がらず。空には無数の星々が煌めくことで昼間とは違った明るさを地上に与える。
夜空の賑やかさと、一年の終わりの月ということが相まって、各地で祭りが執り行われることも多い月だ。人間領首都ウィズダムも例外ではなく、日没後だというのに大通りを行き交う人々の数は減らない。
賑わいを辿って行くと、町の北部に位置する巨大な円形競技場が現れ、中からは激しい剣戟や破砕音と共に地鳴りを伴う歓声が轟いた。
武闘大会の予選だというのに、一万人を収容できる競技場は満席に近い。それもそのはず。武闘大会の出場資格はユニオンに所属していること。
幾つかのパーティを一つの組織として束ねるだけでも困難だというのに、冒険者ギルドで依頼の達成率、普段の素行、住民からの評価、主要となるパーティの知名度などの査定を受け、認可されなければ結成できないユニオンに所属しているだけで、参加者の実力はある程度の保証がされている。どこぞの馬の骨が、一攫千金目当てに暴力を振り回すのとでは、戦いの質が違うのだ。
普段、目にすることが無い冒険者たちの戦いぶりに、人々は大いに興奮し、時間も忘れて歓声を上げ続けた。
首都全体が熱気に包まれている中、魔法学校の枢要棟の最上階で、質の良い椅子に腰を埋めた男はつまらなそうに口を曲げた。
「ふん! この世界の人間は戦いをスポーツか何かと勘違いしているのか? 野蛮で愚かしいことこの上ないな。人間同士で争っている暇があるなら、魔界侵攻を手伝うべきだろうに」
競技場から魔法学校までは距離があるので、歓声が常に聞こえるという訳ではないが、最高潮の盛り上がりを見せると学校長室にも声は届く。今もタテキの耳には雑音めいた歓声が聞こえていた。
「気に食わん! 本来、称賛や喝采を浴びるべきは俺様の方なのだ! 現場の者など、所詮はどいつも能無し! 必要なのは指導者であり指揮者なのだというのに……ああっ、クソ!」
肘掛けを激しく叩きつけるが、柔らかな緩衝材によって衝撃は吸われ、立てた音は広い室内に響く事なく消え去る程度だった。
「チッ……あの愚図め……さっさと魔界へ案内しろというのに……!」
再度叩きつけた拳は先ほどの比では無く、緩衝材に包まれた肘掛けをへし折った。
「全くもって気に食わん……! 言いたいことも言えない無能なクセに、全てを知ったような目で俺様を見やがって!」
肘掛けが折れた事を気にする余裕もなく、タテキは握り込んだ拳で当たり散らした。
三度目の魔界侵攻。相変わらず校章持ちの連中は圧倒的な魔法で魔物を倒して行くので、命が危険に晒されることはないのだが……嫌な予感が止まらない。
月が替わった影響か、魔窟の構成が変わったということで召集を受け、拒否権がないので魔窟へ降り立った。
初めは広大な湿地が広がり、サーペントを主にした爬虫類系の魔物が多く出現したが、パティの魔法によって瞬く間に荒野へと変えられた。
次は隆起した大地に挟まれた街道を通る事となり、トロールやゴーレムなど重量級の魔物に行く手を阻まれたが、マイナの魔法で地形の一部に変えてあっさりと通過した。
その次は、まさかこんな場所まであるのか、と言いたくなった。空には太陽らしき光体が浮かび、照らされた地形……いや、建造物は民家のようなものから、いくつもの尖塔を繋ぎ合わせた城のようなものまであった。地面に敷き詰められた汚れ一つない石畳が、この空間の異様さを際立たせていた。
明らかに普段の魔窟と様子が違う。このまま進んでいったら、銀のリンゴの所に……魔界に着いてしまう。
「おい、なに止まってやがる! さっさと歩け!」
サイラスの厳しい視線と言葉を向けられても、俺の足は中々動こうとしない。
「えーい、なのだ!」
背中をローナに押され、よろめきながら一歩、二歩、三歩と進む。
「なんだか凄い所だけど安心するのだ! 魔物の軍団が現れてもあっという間に片付けてやるのだ! ヴォイドが!」
「えっ! 僕!?」
「当たり前なのだ! ウチは妨害と補助以外は平凡なのだ」
「ローナに賛成します。こうも建物が多いと、サイラスやヒューゴでは建物ごと破壊してしまい、わたくしたちの進行の妨げになりかねません」
「そうだぜ。こういう大暴れできない……なんつーの? 細かい戦いはヴォイドが得意だろ?」
「そりゃあ、上空から敵だけを狙って攻撃するのはできるけど……まぁいいや、もし敵が現れたら僕が相手するよ」
女子に囲まれるヴォイドは何が不満なのか、溜め息を吐きながらも彼女たちの信頼に応えるようだ。そんなのはどうでもいいとして、だ。視線を動かしてプリムラを確認する。
送れずに付いて来てはいるが、他の校章持ちが話しかけることは無く、孤立状態で居る。にも関わらず顔は正面に向けて堂々としている。
「……早く進んで」
無感情な言葉を投げて来たかと思えば、こちらの反応を待たずに視線を正面へ戻す。最近はずっとこうだ。
これ以上つっ立っていたら、どんな文句を言われるか分かったもんじゃない。城下町の大通りを、城目掛けて歩き出す。
プリムラは普段、魔法学校のどこにいるかは分からない。校章持ちの連中に聞いても「知らない」と返されるだけだ。だから俺から会いに行くことは出来ないし、向こうも氷結の月から一度も会いに来なかった。二回目の魔界侵攻の呼び出しに来たのもローナだったし、侵攻中に話しかけても取り付く島が無い状態だった。
「ガーーッ!」
「ゴォォォォォォルッ!」
魔物の咆哮に思考を中断し、声の主を探して上空へ視線を向けると、石のような体表に、一対の巨大な翼を生やした魔物——ガーゴイルが全身に光の矢を受けて落下して来た。
「意外だった。敵の方が上から来るなんて……けどっ!」
意外という割には驚いていないヴォイドは、空に向けて手を伸ばしたまま光の矢を射出した。先のガーゴイルを倒した物と同じではあるが、射出した数が尋常では無く、一本一本の速度も速すぎて目が追い付かない程だ。見えたのは遥か彼方……城の尖塔付近で目標に命中し、チラチラと光りながら落下して行くところだった。
「遮蔽物の無い空のから来てくれた方が狙いやすいよね」
「はー……すっげぇ。あんな遠くにいんのも見えんのか」
パティが両手で目の上に庇を作り、小さな背を賢明に伸ばしているのを見てヴォイドはくすりと笑った。
「見えた訳じゃないけど、先に飛んで来ていたガーゴイルと同じ魔力反応を持つ相手を索敵したら、あの辺りに居るなって分かったんだ。まぁ、魔法で視力を伸ばすこともできなくは無いけど」
「ご託はいい。敵は全部倒したのか?」
「そう急かさないでよ、サイラス。ガーゴイルだけなら……うん、全滅した」
「他は?」
「索敵する? べつに気にする必要ないと思うよ。仕掛けて来たら分かるし」
「……チッ! おい、案内役、さっさと行くぞ!」
仲間内で空気悪くなるのは勝手だが、八つ当たりはしないでくれよ。
自分の為にもサイラスの機嫌を損ねるのは良くないと感じ、言われるがまま歩を進めることにした。
その後も武装したオークの軍団やらリッチを筆頭にしたアンデッド部隊が出て来たが、ヴォイドの魔法によって何もさせてもらえずに地に伏せる事となった。
ヴォイドが主体となって戦うところは初めてみたが、はっきり言って規格外だ。他の校章持ちも十分にデタラメな魔法使いであるが、ヴォイドの魔法を見た後では“一芸ある”くらいにしか感じられなくなる。けれど忘れてはいけない。全属性適性有り、【詠唱破棄】、【移動詠唱】を所有しているヴォイドが異常なだけだ。そして、後先考えずに魔法を放っているように見えるが、消耗した様子もなければ回復している様子もないから、まだ特殊なアビリティを有していると考えた方がいいだろう。
こっちは毎日毎日地道に氷を作って魔力や知力を上げているのに…………他人と比べたって仕方ないか。俺は持っていない。ヴォイドは持っている。それだけのことだ。それよりも、こんなふざけた奴を魔界に連れて行く訳にはいかない。これじゃ、例えプリムラをどうにかできたとしても“あいつ”は…………。
首を振って悪い考えを消すのと、重々しい稼働音と共に城門が開かれるのは同時だった。
「自動なんだ」
「開くのおっせーな! ぶち壊してやろうぜ!」
「無駄な魔力消費は抑えよう。何が来るか分からない」
「えー、ヴォイドはどうせ魔力尽きないんだろ? だったら無駄も何もないじゃんかよ!」
煩い会話を流し聞きながら城門が開き切るのを待っていたが……ちょっと待て、魔力が尽きないってどういうことだ? 言葉通りの意味だっていうのは分かるが、どうやったら魔力無限になんてなったんだ?
疑問が渦巻く中、城門は開き切り、中で待ち構えていた巨大な人骨を目にした途端、直前まで抱いていた疑問はすっかり忘れてしまった。
成人男性三人分くらいの体長に、頭蓋骨からは二本の角を生やし、肩だけでなく背中からも一対の腕が伸びており、それぞれの手には巨大な武器が握られている。
忘れもしない、その圧倒的な姿。
俺とソラク……番犬が東の魔窟で遭遇し、命を落とす寸前まで追い込まれた相手……。
「ブレードナイトか……よし、皆は手を出さないで」
戦慄している俺を他所に、ヴォイドは軽い足取りで城門を潜り、ブレードナイトの大剣によって地面ごと叩き潰された……訳が無い。
舞い上がった粉塵を晴らすように大剣を振り上げるが、崩壊した石畳に人肉は見当たらない。
「こっちだよ」
ブレードナイトの頭部の横。振り上げた大剣から声が発せられた。ヴォイドは攻撃を躱すと同時に魔法の剣を大剣の腹に刺し、それに掴まっていたのだ。
なんの意味がある行動か分からんが……大剣を躱したのは魔法じゃないよな? もし魔法を使わずに紙一重で避けたのだとしたら……どんな技量と度胸を持っているのだろか。
ブレードナイトは大剣以外の三つの武器を器用に使いこなしてヴォイドを攻め立てるが、片手剣ほどの刃渡りのしかない魔法の剣に簡単に捌かれ……根元から斬り落とされた。
足場にされている大剣以外に武器を失ったことでヴォイドに掴み掛かるブレードナイトだったが、三つの手は虚空を掴むのみだった。
「まぁこんなもんか……よっ、と!」
大剣から飛び去り、ブレードナイトが手を伸ばしても決して届くことがない空中で、ヴォイドは両手から発生させた魔法の大剣を振り下ろした。その刃は圧倒的質量を持つ大剣を紙の様に、強堅な骨を果実の薄皮のように斬り裂いた。
そして、標的を葬った勢いのまま、超火力の魔法の大剣は地面に接触し大爆発を引き起こした。咄嗟にナディアとマイナが防御魔法を唱えたので俺たちに被害は無かったが、防御魔法が遅れたら間違いなく惨事になっていた。
「ヴォイド! てめぇ、やりすぎだ!」
サイラスが怒号を撒き散らすと、立ち込めていた土煙が一斉に晴れ、白銀に光る物体を手にしたヴォイドが笑顔を向けていた。
「ごめん、僕もやり過ぎだと思ってる。けど、ほら、見つけたよ」
付近に建っていた尖塔の幾つは半壊していたが、その全ての室内では白銀のリンゴの木が生っていた。
背筋が凍り着くだけでなく、体温すべてを奪われる感覚だけが俺の中を巡っていた。
次回投稿予定は4月14日0時です。




