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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第三章【学び舎の異世界生活】
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第百五十四話:バックル家

 寒空の下であっても、生徒たちは訓練場に足を運び、己の魔法の腕を磨こうと研鑚に励む。

 魔法学校の生徒の一人であり、魔法使いの名家——バックル家の息女でもあるセレストも、当然ながら己の才を磨くべく訓練場へと足を運んだ。だが、その内心は純粋な向上心とは程遠く荒んでいた。

 魔法学校の生徒としても、四人組カルテットの一員としても相応しくない、あの男の訓練は休みにした。自分の特訓に集中したいから。もっと言えば、あの男の姿を見ていると、怒りでどうにかなってしまいそうだからだ。


 氷結の月、二十九日。この日の午後の授業は戦闘訓練が行われた。


 今月になってから、仮想戦場は複雑でより実戦的になった。出現する擬似魔物は変わらずゴブリンやスケルトンだが、地形を利用した不意打ちや罠が仕掛けられる事も少なくなかった。探査魔法で敵の位置は分かっても、リアルタイムな動きまでは捉えられないのだ。

 先月から戦闘訓練で下位だった四人組カルテットは苦戦し、上位だった四人組カルテットでも魔物からの攻撃に対し大勢を崩される場面もあった。

 幸いにしてセレストたちは訓練環境に適応する事ができ、今月は訓練結果で一位と評価される事も何度かあった。

 やる気が有るのか無いのか分からない、あの男が不意打ちや罠に動じる事なく反応するのは少し……いや、かなり意外だった。ただし、目敏さはカミラの方が上であり、相変わらず魔法ではなく剣やダガーといった物理に頼っているので、あの男への評価を改めようとは思わなかった。


 話は戻り、今日の訓練での出来事だ。

 魔窟内部を模した、発光する鉱石に照らされた洞窟でゴブリンを掃討するのが目標だった。一番手で、ゴブリンの出方も分からない状況であったが、それぞれが適宜対応する事で難無く目標達成できると思われた。

 洞窟の最深部でセレストが最後ゴブリンを仕留めた時だ。岩で巧妙に隠された横穴からゴブリンが飛び掛かって来たのだ。

 先に続く道が無いから最深部だと思い込み、あの男の申し出を蔑ろにして探査魔法を怠り、他の敵影が見えないから最後のゴブリンだと決め付けていた。そんな状態で魔法を放てば、無防備になることは自明である。

 セレストの無様を嘲るように醜悪な顔を歪めるゴブリンであったが、その手に持っていた棍棒が彼女を捉える事は無かった。

 自身に【バッファー】を付与していたあの男が二人の間に入り、左腕で棍棒を受け止めたからだ。

 セレスト含め一同が息を凝らしていると、あの男は右手の剣を振り上げ、ゴブリンの腹から頭までを縦に斬り裂いた。そこでバーリス先生からの目標達成のアナウンスが流れた。


 セレストは訓練の事を思い出し、集中させていた魔力が大きく乱れたのを感じた。


(あんな奴に助けられるなんて……あたしは何をやっているの!)


 乱れて漏れた魔力が、周囲の地面を揺らす。近くにいた生徒は揺れに気付いて何事かと不安がっていたが、直ぐに揺れが治まったこともあって、自分の特訓に戻った。


(あたしは躓く訳にはいかない……自分の為にも、母さんの為にも……!)


 魔力の流れを一度自然体に戻してから、再び集中し直す。

 魔力操作について、あの男に厳しく言ってはいるが、実はセレストも本格的に魔法を学び始めたのは今年になってからである。






—————————


 首都から離れた閑静な町で、セレストは母親と二人暮らしをしていた。物心ついた頃からその町で住んでいた為、産まれてから数年だけ過ごした首都や父親の姿など覚えてはいなかった。けれど、セレストにとっては興味の無い事だった。

 穏やかな母親と二人、町外れの小ぢんまりとした家で、果実を育てながら静かに過ごす。町の市場に行くには少しばかり不便に感じるが、母親と話しながら歩く時間は好きだった。

 町から一番近い魔窟は、慣れた冒険者でも片道三時間は掛かる距離であったため、町の近くに魔物が現れる事は少ない。オーバーフローはセレストが生きてきた中で一度も起きた事はない。


 やや退屈ではあるが、平和を享受してきたセレストに唯一懸念があるとすれば、時折、母親が寂し気な表情を見せる事だった。セレストの前では気丈に振る舞うが、原因が夫との離婚である事は雰囲気から察せた。

 若い内にセレストを産んだ為、母親はまだ三十そこそこ。セレストは努めて明るく振る舞って再婚を勧めたが、いつも「親の事より自分はどうなの?」と返されるばかりだ。まだ十五歳で、成人にも満たない事を盾にセレストは逃げるが、毎回そこで話が切れてしまう。

 両親の間でどんな理由があって別れたのかは知らないし、聞いても教えてくれないが、十年以上も経って尚、一人の男を想い続ける母親の姿を見るのは忍びないし、そんな母親を捨てた父親へは憤りを覚えた。


 そんなある日、二人のもとへ一通の手紙が届いた。

 聞き覚えの無い相手から、首都の屋敷への招待が書き綴られており、セレストは疑問符を浮かべるばかりであったが、母親が口に手を当て、目に涙を溜めているのを見た瞬間に、相手が父親である事を理解した。


 長い間、連絡も寄越さなかった癖に、こちらの身を案じもせず、命令にも近い固い文章で、自分の用件だけ伝えて来る男なんて、ろくな奴ではない。セレストはそう思った。

 母親は首都に行くかどうかは、セレストの意思を尊重すると言ってくれたが、感涙を流した姿を見て、どうして我が儘を言えようか。逡巡こそしたが、セレストは母親と共に首都へ向かう事を決めた。


 久しぶりの首都を満喫する間もなく、二人はバックル家の屋敷へと連れられ、父親、または夫との再会を果たした。

 再会を喜ぶ母親と、疑心を抱くセレスト。バックル家が選んだのはセレストの方だった。

 二人を呼んだ理由は、嫡男が魔法学校を退学になった挙げ句、家出をして行方不明になった為、セレストを嫡女として迎え入れる事だった。

 聞くと、他にも子は居るが、その中でもセレストは魔力量に恵まれ、土と闇の二属性に適性を持っている事から白羽の矢が立ったのだ。加えて、母親も呼んだ理由は「用は無いが、女というのは一緒に居させた方が良いのだろう?」という、血の通った人間とは思えない理由だった。


 母親の幸福の為になるならと来てみれば、用があるのは魔法使いとして見込みのある子供の方で、母親はついで。

 妻を、子を、家の為の道具としか思っていないような人物の言う事など聞けない。母親を説得して、あの平和な町に帰ろう。父親と再開して数分で決断を下したセレストだったが、その決断は母親の恭しい礼によって崩された。

 母親は選んだのだ。己を妻でも母親でもなく、バックル家の、そして家を継ぐセレストの従者となる事を。


 その場でセレストは激しく抗議したが、父親に人の言葉は通じず、母親の心には届かない。そして、腹の内の物を全て吐き出す前に、魔法によって眠らされた。


 目が覚めてからは口答えを挟む間も無く、魔法、魔法、魔法…………。父親の口からは、取り憑かれたかのように魔法の事しか出て来ない。食事の時も、風呂の時も、寝る時以外は魔力操作の練習を怠る事は許されなかった。


 毎日毎日やりたくもない事を延々とやらされて不満が積もったセレストは、父親が不在の時に見えないだろう、バレないだろう、と、魔力操作の練習を怠けた時もあったが、その際の叱責は想像を絶した。体罰こそ受けなかったが、精神を追い詰める事のみを目的とした言葉の数々に、セレストは言い様のない恐怖を感じた。

 そして後に、罰を受けていたのがセレスト自身だけでは無いことを知る事となった。

 いつも通り父親から魔法を教わり、食事の時だ。いつも通り配膳する母親の腕に痣が出来ていたのだ。

 久しぶりに揺れ動いた感情で母親の姿を見ると、屋敷に来た当初よりも窶れているのに、表情は晴れやかだったのだ。

 

 乱れた魔力を感じ取った父親に「どうした?」と聞かれ、セレストは答えに窮する。母親の事を言及したところで眉一つ動かさず、事実だけを答えられるだろう。なんでもないと言えば、何もなくても魔力を乱す未熟者として見做され、自分と、そして母親も罰を受ける事になる。されど、黙っていても更なる言及がなされるだけだ。

 焦るセレストの脇で、ほんの微かな、呼吸よりも静かな風が流れ、久しぶりに感じた母の匂いが鼻腔をくすぐった。


「なんだ?」


 父親の問いは正面に座る子に向けてではない。隣りで控えめに手を上げている母親に対してだ。


「お皿を間違えました。この子の苦手なカーロットがたっぷり入ったスープを置いてしまいました」


 酷く申し訳無さそうに、けれどどこか優しく告げられた言葉に、セレストは激しく動揺した。そんな子供騙しで目の前の狂人を納得させられるものか、と。けれど、セレストの心配を他所に、返された言葉は「さっさと代えてやれ」という何の変哲もないものだった。

 呆然としているセレストの前でスープの皿が取り替えられる。その数秒の間を使って、母親は「魔法以外のことは意外と緩いの」と耳打ちしていった。


 セレストには母の考えが理解できなかった。魔法以外に関心を抱かず、決して人としての愛を向けることのない男を、どうして慕えるのか。どうして離れ離れに暮らしていた時も、この男のことを想い続けていられたのか。

 母親への疑問と父親への憤りを感じながらも、セレストはやはり母親のことが好きだった。ずっと二人で暮らしてきた、唯一の肉親と言ってもいい相手をどうして嫌えようか。二人の時には見せなかった表情を見せるようになった母親を、どうして否定できようか。

 父親は魔法以外のことに関心を示さないが、感情が無い訳ではない。セレストの調子が良ければ満足気に頷くし、予想以上のことをやってのければ驚きもするし褒めもする。ただ、不出来だった時の厳しさが過剰なのだ。使用人から聞いた話では、嫡男が家出する前はもう少し人間らしさが残っていたと言う。後継ぎが家の名に傷を付けた挙げ句、失踪してしまったことで荒れ、より魔法に固執するようになったのだ。


 両親の様子と周囲の話を聞いてセレストは理解した。母親の幸福を守れるのは自分だけであり、その為には魔法を極める意外に方法は無いと。【高速詠唱】を所持していた嫡男と違い、魔法に関するアビリティを所有していない自分は、人より何倍も努力をしなければならないと。そして、平穏な暮らしを壊すきっかけを作った嫡男に罪を償わせねば、内なる怒りを鎮める方法はないと。




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