第百五十二話:二つ目の魔法
「そろそろいいんじゃないの」
そんな言葉がセレストから出て来たのは、霹靂の月も最終週になった頃だった。いつも通りの特訓の後、今日もありがたいお言葉を受けて上がりだと思ったので、反射的に「え?」と返してしまった。案の定、セレストは姿勢を崩して呆れて見せた。
「魔力の扱いが言葉を話せる子供並にはなったから、新しい魔法を覚えても良いんじゃないの? って言ったの。無駄に喋らせないで」
「新しい魔法……」
直前に立てた氷柱へと視線を向ける。初めの頃よりも一回り大きく、形の良い氷が重なっている。生成してから維持できる時間も倍近く伸びているので、初めの方に立てた氷柱もいくつか残っていた。
三週間くらいか。用事があって特訓できない日を除いて毎日、暇があれば魔力操作を繰り返してきた成果が出て来たのか。案外早かったのは……教える側の能力だろうな。
「魔法を覚えるのなら、ボクが教えてあげようじゃないか!」
「あんたは引っ込んでて。特級魔法なんて、こいつには勿体ないわ。初級魔法で十分よ」
「問題ないとも! 初級相当の特級も心得ているよ!」
リゲルは性格同様、習得している魔法も全て特級という変わり者だ。魔法使いなのに、腕に刃を纏わせて接近戦をしたり、自動追尾する魔弾を放ったり色々だ。
「……どんな魔法を覚えるか、今ここで決めなさい」
「今?」
「なによ。まさかどんな魔法使いになるか考えずに漠然と特訓してたわけ?」
まずった。セレストの不信感を急上昇させてしまった。どんな魔法使いになるかは……正直考えていなかったんだよな。特訓に集中するので精一杯だったし、そもそも魔法使いを専門職にして生きていく気も無いし……。
セレストは怪しみながらも俺からの答えを待っている。
「防御魔法……にしようかな」
「ふんっ。それなら今週中に覚えておきなさい。覚えたらまた特訓よ」
思いつきで出た答えだったが、どれを覚えようとしても問題は無かったのだろうか。セレストは特に反対せず、長いサイドテールを跳ねるように翻して訓練場を立ち去って行く。
防御魔法にしたのは、四人組内で使い手がいないのもあって半ば思いつきだ。けど、魔法学校を出た後でも腐らない魔法ではあるか。俺自身に付与してもいいし、敵が多勢であろうと関係無しに突っ込んで行く奴いるし。
……兄妹なんだよな。ふと思い出した顔を、遠ざかって行く背中に重ねて見送った。
魔法を覚えること自体は魔法書を読むだけだから難しくない。魔法書は分厚いが、初級ということもあって、一頁当たりの文量は少ない。なので、魔法書を買った翌日の放課後にはもう【バッファー】を覚えることが出来ていた。
【バッファー】は、対象に物理攻撃で受けるダメージを一度だけ軽減する効果を付与する魔法だ。完全には防げないし、強力な攻撃に対してはあまり有効的ではないが、防具と合わせればそれなりの安心感は得られる。というのを、俺は身をもって体験することになる。
「ぐっ!」
【バッファー】を施した体であったが、与えられた衝撃に耐えかねて倒れる。
「情けないぞ! これぐらいの衝撃、耐えてみせろ!」
見上げる視線の先には棍棒を担いだカミラの姿。
防御魔法を覚えた後、セレストから新しい特訓をすると告げられたのだが、その内容は魔法学校の生徒とは思えないものだった。
「……これ、本当に意味があるのか?」
誰にも聞こえないように愚痴りながら立ち上がり、再度【バッファー】を掛ける。
「マナよ、我が下に集いて守り賜え。バッファー」
一瞬だけ体全体に薄水色の膜が現れるが、直ぐに消えてしまう。これでもきちんと魔法が掛かっているのは確認済みだ。
「よし、いくぞ。歯を食いしばれ!」
活力に満ちたカミラが棍棒を振り被るので、俺は両腕を前に出して受けの姿勢を取る。直後、固い根が肉と骨を打つ嫌な音と共に衝撃が訪れる。
今度は倒れることは無かったが、両腕に鈍い痛みが残る。
「いてぇ」
「大丈夫か? マナよ、我が下に集いて彼の者の傷を治せ。キュア」
服の上からでも、腫れ上がった腕が治っていくのを感じる。
新しい特訓は何も難しいことはない。俺が自分に【バッファー】を掛け、打撃攻撃を受けるだけだ。もし怪我をしても回復魔法であっという間に完治する。
この特訓は「防御魔法がどの程度有効か体に覚えさせなさい」というセレストの趣旨で行われている。最初はセレストが棍棒を振るっていて、俺に対する苛立ちをぶつけていたような気がしないでもないが、鍛えていない女子の腕力なので【バッファー】でほとんど防げていた。
セレストが疲れたからと交代したカミラだったが、まさかここで彼女が問題になるとは思わなかった。振りも踏み込みも素人のそれではないし、目つきは何だか喜々としていて怖い。
「怪我は治ったな。次、いくぞ」
「魔力の方がもう無いよ」
初級魔法であっても、俺の魔力量では十回と使うことができない。カミラは残念そうに少しだけ眉を落とした。
「そうか。では休憩するか」
氷柱を作る特訓と違って数分もあれば終わってしまう特訓なので、実は休憩している時間の方が長い。
「……カミラ、いつも付き合ってくれているけど、良いのか? 自分だって魔法の勉強とか予定があるだろう?」
「問題ない。私の中で優先順位は付けられている。シスイは己を高めることに集中するが良い」
「そうか」
訓練場から出て、観戦室の席に座りながら会話する。
初日以降、セレストは特訓をカミラに任せて顔を出さないし、リゲルは訓練場に居たり居なかったり、ふらふらとしている。
こうしてカミラと二人で居る時間は多いのだが、どちらも口数が多いわけではないので、休憩時間は他の生徒の訓練の様子を眺める時間がほとんどだ。
「カミラって、以前も今みたいに誰かの特訓したことある?」
自分が聞かれたくないから他人の過去は聞かない主義だが、つい言葉が漏れてしまう。沈黙が嫌だった訳じゃないし、知って何かに役立つこともない。今の特訓が始まって以降、気になっていたことではあるが、俺自身どうして聞いたのかは分からない。
「少しな。どちらかというと教わる時間の方が長かったと思う」
「ふーん」
ほら。中身の無い質問をしたから話を広げられないじゃないか。この場合の展開としては……。
「シスイは魔法学校に来る前……冒険者でもやっていたのか?」
予想通りこっちの過去を聞き返されたが、ブランクドでの過去ならそう悪い気分にはならない。
「ああ。やっていた」
「そうか」
現代でのことを聞いて来ない上に、冒険者の時の事を掘り下げて来ない。語れる武勇伝も無いから助かった。
再び訪れた沈黙にぼーっとしていると、今度はカミラの方から口を開いた。
「恐らく答えづらいとは思うが……校章持ちの教室や学校長室に出入りしている時は何をしているんだ?」
中々に突っ込んだ質問をして来たな……。前置きで答えづらい事だと言っているし、逃げても不自然に思われることは無いだろうが……適度に答えてみるか。
「校章持ちには、この学校のことについて聞きに行ってる。学校長室には呼ばれた時しか行ってないけど、どうも冒険者としての経験を必要としているみたいだな」
「そうなのか。……シスイは学校長のことをどう思っている?」
今まで訓練場に向けていた視線をこちらに向けて来る。
確か、四人組を組む時も同じ質問をして来なかったか? 正直に言ってしまえば気に食わないが……答えて大丈夫か? 校章持ちの連中みたいに手放しに信用している風を装った方が穏便に済むか?
ヴォイドとプリムラ以外の校章持ちの連中は、俺が学校長に対して否定的な言葉を口にするとあからさまに機嫌が悪くなる。魔法学校において学校長は絶対者なのかもしれないが、それにしてはタテキの功績がいまいちパッとしない。誰に聞いても、どこを調べても生活魔法科の廃止、禁断魔法の解禁、特殊訓練場の開設。これくらいしか出てこない。
寧ろ前任者の方が教育者らしい功績を残していて、学校内だけでなく冒険者や兵士と協力して魔物対策を講じたり、教育方針や昇級試験を再考したりと、色々とやっていたようだ。しかも若い頃は魔法使いとして活躍していて、いくつものオーバーフローを乗り越えてきた記録があった。
「快くは思わないな」
心にも無いことは言えないし、どっちつかずな返答をしては質問の意図は探れない。なので、愚直かつやんわりと本心を口にした。
多分、怪訝そうに見られるんだろうな。と思ったが、カミラは納得したように「ふむ」と頷いて視線を訓練場の方に戻した。
「それならいい」
いいのか? 一体何を気にしているんだ?
疑問が生まれるが、それを口にするよりも先にカミラが立ち上がった。
「よし、続きだ。一、二回くらいは使える程度に回復しただろう?」
「ああ……けど、二回なんて直ぐ終わるだろ」
「ならば攻撃を避けて構わん。バッファーの効果はもう十分に理解しただろうしな。実戦を意識して取り組むぞ」
「魔法の特訓にはならないんじゃないか?」
「むっ……シスイがそこまでつべこべと言うとは思わなんだ。だが、特訓を任されているのは私だ。ほら、立て!」
これから棍棒を振り回す手に掴まれ、俺は引っ張られるようにして訓練場へと戻るのだった。
次回投稿予定は4月7日0時です。
 




