第百四十五話:波紋
魔窟には討伐推奨等級銅星四から銀星一までの様々な魔物が出現したが、校章持ちの連中が魔法を見せ付けるためのかませにしかならなかった。
「ヒャハハハハハ!」
甲高い笑い声を上げ、飛来するガーゴイルの背中を飛び移りながら不可視の刃で切り裂いて行くのは風の席、ヒューゴと呼ばれる男だ。戦いが始まる前までは他の校章持ちの影に隠れていたが、魔物の姿を見た途端に豹変した。
ガーゴイルからガーゴイルに飛び移って山岳地帯を昇って行き、最後のガーゴイルを切り殺すと一際高く飛び上がった。
「天、下、業、全界を流浪し、悠久を巡る原初の息吹。其れはいかなる障害にも阻まれず、いかなる意思も受け付けぬ絶対の摂理。ここに顕現し、現存する万物を消し散らせ。サイクロン!」
魔物の巣でもあったのだろうか。山頂どころか山の半分を覆う巨大な竜巻を発生させ、その余波は麓にいる俺たちにも襲い掛かった。
「マナよ、この地に集結し邪気を払う聖域へと転じよ。我らが踏み入れる事を許し賜え。サンクチュアリ」
ナディアを中心に魔方陣が展開されていき、暴風から俺たちを守ってくれた。流石に部隊全てを保護することは難しいのだろう、後方では強風にマントが煽られているようだった。
味方の魔法から身を守るために防御魔法を展開するって……凄く無駄だよな。初めは超強力な魔法に驚愕したが、長期戦になった時のことを考えると不安になって来る。交代で魔法を行使しているようだが、見た感じ消費魔力の方が圧倒的に多い。もしかして、今までどんな魔物も一撃で倒してきたから加減が分からない系?
「ヒューゴ、いつも言ってますが、やりすぎです。貴方の後ろにも人はいるのです」
「う……ご、ごめん。戦いになるとどうしても全力しか出せなくなるんだ」
風魔法に乗って高空から下りて来たヒューゴはすっかり大人しくなっている。どうやら目に入った魔物は掃討完了したようだ。
ナディアに小言を言われた後、ヒューゴは身を隠すように校章持ち達の中に入って行った。
山岳地帯を抜けると、今度は湖畔に出た。空間の大部分を湖が占めていて、外周には陸地があるものの、一列でなければ湖の中に足を入れる事になりそうだ。
絶対、湖の中に魔物いるよな……。小型だったらいいけど、鮫みたいに大型だったり、蛇みたいに細長いのは苦手だ。
足取りが重くなる俺を置いて、ローナが弾むような足取りで湖へと近付いた。
「ちょっと探るのだ! マナよ、我が下に集いて近傍を教えよ。エクスプロレーション!」
魔力の波動のような物がローナを中心に広がって行く。湖の直径は三十メートルを優に超えているが、ローナの探査は湖を越えた先にある、次の区画への穴まで行き届いた。
「ふんふん、シーサーペントが五体ってとこなのだ!」
一仕事終えたローナが湖に背を向けて歩を進めた時だった。大きな水柱を立てながら、五体のシーサーペントが姿を現した。獰猛な瞳はローナと、その先に居る俺たちを睨み付け、突き出た口を開くと一斉に水弾を射出してきた。
「リフレクション」
後方から気怠げな声が転がって来たと思うと、ローラや部隊を守るように薄茶色の障壁が展開された。障壁に弾かれた水弾は、それぞれ射出したシーサーペントに命中して頭部を激しく揺らした。
「はぁ……疲れた。イライジャは暇でいいよねー。みーんな補助魔法なんて掛けなくても魔物倒しちゃうし、みーんな怪我しないから回復魔法だって使わない」
「暇ではないよ。マイナをおぶるという重要な役目がある」
「おー、それは大義である」
声の主を探して振り返ると、品の良い顔立ちにスマートな眼鏡を掛けた男——イライジャの背中から、茶髪で両目が隠れている少女——マイナが顔を覗かせていた。
なんでおぶられているんだ?
「大体さー、あたし今朝帰ってきたばっかなのにさー、なぁんで魔界に行かなきゃなんないのさー」
「マイナ、いくら君でも学校長の意思に反する言動は見過ごせない」
「そいつは失礼。今から寝るから、寝言が先行したと思って許してぇ……」
……え? 寝た? この状況で寝れんの?
「後輩くん、ちょっといいのだ?」
「あ、はい。なんでしょう?」
ローナに呼ばれて正面に向き直ると、五体いたシーサーペントは全て水面で力無く浮かんでいた。この短時間で倒されたのだが、もう驚かないぞ。
「さっき探査した時、湖の底の方で変な反応があったから見てほしいのだ」
「見てほしいって……潜ってですか?」
嫌だ。魔物は倒したんだろうが、細長い死骸が浮かんでいる水場になんて近付きたくない。
「潜る他ないのだ。魔界への入り口があるかもしれないのだ」
「……魔界に行く為には銀のリンゴが必要です。湖の底になんて……」
「うだうだぬかしてんじゃねぇ! いいから見てこい!」
「サイラスの言う通りだ。男ならバッと言ってザッと帰って来い!」
攻撃的な二人に詰め寄られるが、押し負ける訳には行かない。魔界には出来ることなら行きたくないし、行くとしてももっと後だ。
「案内役は俺です。俺が不要だと思った所に行く必要はありません」
「本当に?」
俺の心臓が脅えたのは、目の前の二人が一層険しい表情をしたからではなく、背後から掛けられた平坦な声が原因だった。
首だけ振り返ると、無機質な視線と出会う。
「本当に行く必要はない? 魔界へは繋がってない? 穴に落ちて魔界に行ったことがあるのに?」
「お、今日は珍しくお喋りじゃん」
パティが茶々を入れるもプリムラは一瞥すらしない。俺の心の中を見透かそうとじっと見つめて来る。
あぁ……そうだよな。俺が魔界に行った経緯は冒険者ギルドに全部話したんだから、魔法学校に伝わっていても不思議じゃない。
「…………」
「答えて。学校長の意思にそぐわないなら……許さない」
左手を握って来たかと思うと、背後にきつく回される。腕の可動域が限界に達し、痛覚が悲鳴を上げる。が、痛みよりもプリムラがタテキの側に立った発言をしたことの方が衝撃だった。
「おい案内役、そいつに下手言うと本当に折るぞ」
サイラスの声音から、脅しではなく忠告であることは分かった。だが、どうする? 水底に潜って確認すると言えばこの場の拘束は解けるだろうが、実際に銀のリンゴや魔界への道が見つかったら……。道が続いているのだとしたら、「こっちは違う」等と言って誤魔化せるかもしれないが、銀のリンゴがあったら致命的だ。
「……行く必要はない」
肩から伝わる痛みが強くなるが、まだ折れてない。いってぇ……いつまで疑ってんだよ……痛みで少しずつ苛立ってきたぞ。
「そんなに信用できないなら、自白させる魔法でも使えばいいだろ。銀のリンゴがあれば正解だって分かってるんだから、自分たちで潜って確認すればいいだろ」
一拍の間を置いて口を開いたのはイライジャだ。寝ているマイナを背負ったままこちらに近付いて来る。
「いつまでも時間を掛けている場合ではない。ローナ」
「う……わ、わかったのだ。後輩くん、すまないのだ」
ローナは申し訳なさそうに俺の右肩に手を当てると詠唱を開始する。
「マナよ、彼の者の下に集束し嘘を暴き真実を語らせよ。コンフェンション」
触れ合った部分を通じて何かが流れて来る…………が、特別何かが変わった気配はない。
「ん……んん?」
「ローナ、どうした?」
「どうしてなのだ!? 魔法が掛からないのだ!」
肩から手を離し、驚愕したローナの感情は周囲にも伝染する。
「君、抵抗してもいい事はないよ」
「ご覧の通り、無抵抗のつもりです」
いい加減、左腕は解放してくれないかな。
「……連れて行く」
心の中の要望は悟られず、プリムラは俺の背中を押して歩き出した。
結局こうなるのか……けど、プリムラと二人ならまだいい。要はプリムラを戦いに巻き込まなきゃ、あの未来は回避できるんだろう。なんて言えばプリムラはあの日の事を思い出す? 求めていた助けが何なのか教えてくれる?
考えている内にプリムラは魔法を唱え終えており、球体状の障壁に包まれて湖へと入水した。
「あの二人を行かせてよろしかったのですか?」
ナディアが湖畔に残った他の校章持ちに問うと、イライジャが「止めて聞くと思うかい?」と聞き返される。
「……いえ。少なくともわたくしは、プリムラが学校長以外の指示を聞いたところを見たことはありません」
「だよなー。学校長からの伝令ぐらいでしかオレらともほとんど喋らねぇし」
「ちょっと、いない仲間のことをそういう風に言うのはやめようよ」
ヴォイドに咎められて二人はバツが悪そうに黙ったが、代わりにサイラスが口を開いた。
「けっ、突然やって来たと思ったら校章持ち入りして専用の席まで用意されたんだ。不満の一つや二つ言いたくなんだろ」
「そんな言い方ないだろ。それに、立場的には僕だって同じだ。不満があるなら聞こうじゃないか」
「ヴォイドはオレたちや学校の皆と仲良くやってるじゃ……」
自身を庇おうとするパティを手で制し、「これは男同士の話しだから」と言い放つ。
「不満なら今言った通りだ。ぽっと出て来た奴が校章持ちの中でも特別扱いされてんのが気に食わねぇ、それだけだ」
「そうか。でも僕は学校長から与えられた立場を振りかざして何かをする気はない。魔物を倒して、平穏な学校生活を送りたいだけなんだ」
「そうかよ。……他所の世界から来たクセに、よく言うぜ」
サイラスが蹴り上げた砂の幾つかは水面に落ち、小さな波紋が生じた。
次回投稿予定は3月23日0時ですが、0時に投稿が無かった際は3月25日0時の投稿予定となります。




