第百四十三話:勅命
今日も今日とて座学中心の授業が行われた。名家の方々どころか一般入学者でさえも授業の内容に飽きた様子だが、バーリス先生へ意見する者はいなかった。入学初日から一貫して“面倒なことはやらない”と主張されては、たった一週間しか経っていなくとも意見するだけ無駄だと判断を下すのも難しくはない。かと言って、既知の情報を延々と話される授業を生徒が真面目に受ける訳ではない。参考書だか魔法書だかを自分で持ち込み、自主学習に励んでいる。セレストとリゲルも自主学習組の一人だ。…………リゲルは帳面に風景画らしき物を描いている時もあるから、本当に勉強しているのか分からない。ちなみに、絵は少し見入ってしまうぐらいには上手い。
入学早々自習空間となってしまった九組の教室であるが、バーリス先生は注意などしない。当然だ。だってそんな面倒なことするはずがない。ただ、初めから黙認していた訳ではなく「俺は学校側から指定された授業を勝手に進める。授業を受けるも受けないもお前らの勝手だ。強くなれるなら文句は言わん。強くなれなかったら置いて行く」と、教員としての方針を口にした上で現在の環境が成り立っている。
俺は魔法知識なんてさっぱりなので、少数派の授業を受ける組なのだが、明らかに基礎を知っているであろうカミラも姿勢を正して授業を受けていた。
平穏に授業が終わると、俺は鞄も持たずにさっさと教室を出る。学校長から呼び出しを食らったことは朝の内にセレスト達へ伝えてあるため、呼び止められることは無かった。
早歩きで渡り廊下を通り、枢要棟の昇降機に乗って最上階を、学校長室を目指した。
「レイホ・シスイです」
勢いで扉を開けそうになってしまったが、寸での所で踏み止まってノックをした。危ない危ない、このまま部屋に入ったらまた怒鳴られる所だった。
中から野太い声で「入れ」と言われたので、「失礼します」と断って部屋に入る。
室内にはタテキの他に十名の生徒が集まっており、羽織っている灰色のマントには例外無く金糸で校章が刺繍されていた。
プリムラとヴォイドとローナ以外は初対面だが、こいつら全員、校章持ち……魔法学校の上位十人ってわけか。
「集まったな。それではこれより諸君は魔界へと赴き、人類を、この世界を脅かす元凶たる魔物を殲滅せよ! 本来ならば冒険者ギルドと協力して当たるべき作戦だが、奴らは魔人との交流や共闘を優先するばかりで当てにはできん。だが、案ずるな! 諸君は魔法学校が誇る最強の魔法使いだ! 冒険者の戦力が如何ほどのものであろうと、及び腰の戦力など足手纏いに他ならない! この時の為に禁断魔法を習得させた生徒も、既に魔窟の入口で待機させている。さあ! 今こそ魔法学校の威光を世界に示す時! 諸君が英雄となる時だ!」
ご大層な演説に、校章持ちの連中は拳を突き上げ、咆哮で応えた。プリムラだけがボーッとしていたら、隣りに立っていたヴォイドに手を握られ、無理矢理に拳を上げさせられた。
俺はただの案内役だし魔法学校の威光も英雄にも興味は無いので、腕を組んでいたらタテキに物凄い剣幕で睨まれた。知らん。
士気が盛り上がったところで一々俺を叱って来ない辺り、タテキも単細胞ではないようだ。
学校長室に反響した咆哮が落ち着くと、タテキは右腕を伸ばして部屋の奥を指差した。
「さあ、行け! 奥の扉を開き地下の特別訓練場で禁断魔法部隊と合流し、魔界へ侵攻するのだ!」
校章持ちが一斉に右を向いたところで、俺は空気を読まずに挙手した。
「ちっ、なんだ?」
「武器の持ち込み許可をいただきたいです」
もっと別のタイミングで聞くことはできたと思う。だが、このままでは流れに流されて手ぶらで魔窟に入ることになる。流石に他の連中が護衛してくれるとは思うが、魔法の適さない状況が出て来る可能性だってある。着ているのだってただの制服だし、オークの体当たりでも当たり所が悪ければ命に関わる。流石に防具兼私服へ着替えさせてくれ、とまでは要求しないが、武器ぐらいは携帯させてほしい。
「こんな時に……だから貴様は愚図なんだ!」
はい、ごめんなさい。
「てめぇ、案内役のクセにオレらの力が信用ならねぇってのか!?」
赤髪の少年……いや、少女か。前屈みになりながら凄んで来た。
信用も何も……初対面だし。校章持ちだから実力はあるんだろうけど、その実力を俺は知らない。知らないものを称号だけで信用する方が無理なんじゃないか? 口にしたら掴み掛かってくるか、魔法を叩き込まれそうだな。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。彼が少しでも自衛できるようになれば、その分、僕らは攻撃に集中できるだろ? 武器を取って来る時間くらい待ってあげようじゃないか」
ヴォイドがへらへらと笑いながら仲裁に来てくれた。第一印象とか、今の態度とか気に食わない所はあるが、今は助かったと礼を言おう。
「ただ、あんまり待つのも士気に関わるし……三分で戻って来て」
指を三本立て、目の前に押し付けて来る。
近い近い。目潰しされるかと思ったぞ。っつーか、三分って全速力で走っても寮に着くことすらできないぞ。
俺が意見するより早く、ヴォイドは指を鳴らし、虚空に黒い楕円形の穴を出現させた。
「ほら、このゲートを使えば寮の目の前まで行けるよ。開けたままにしておくから、帰りも使うといい」
「はぁ!? お前、またとんでもない魔法を作ったのかよ!? 空間移動なんて……も、とんでもねぇぞ!」
赤髪の少女が俺の言いたいことを大袈裟に代弁してくれた。他の校章持ちも少なからず驚いている様子だった。
「魔界侵攻の話が出てから必死に考えたんだ。戦いは攻撃や防御だけじゃないからね。僕は僕にしかできないことを全うするだけだよ」
「はん! 悪かったな。攻撃や防御しか能の無い奴で!」
腕を組んでそっぽを向く少女の頭に、ヴォイドは手を伸ばした。
「誤解させたらごめん。パティや皆が頼れる存在だからこそ、僕はゲートの魔法の完成に集中できたんだ」
「む……わ、わかればいいんだよ! わかれば!」
頭を撫でられて頬を染める女子生徒はパティと呼ばれているようだ。
…………おっと、ツッコミや悪寒で時間が止まっていた。もしこの手に銃火器があったら迷わずぶっ放してただろうが、幸運なことにそんな素敵な代物はない。さっさと武器を取って来よう。
寮から疾斬とスローイングダガーを持って【ゲート】を潜って学校長室に戻る。薬品の類いは、まとめておいたポーチを腰に巻き付けた。
学校長室は、さっきまでの変な空気は消え去っており、誰もが瞳に戦意を滾らせている。プリムラだけは相変わらずボーッとしてるけど。
「お待たせしました。行きましょう」
「その前に、はい。君もこれを着ると良いよ」
ヴォイドから渡されたのは灰色のマント。校章が刺繍されていない以外は皆が羽織っている物と同じように見える。
「魔法効果を付与してあるから、遠距離攻撃は……ブラストが直撃しない限りは致命傷にはならないと思うよ。体力と魔力の自然回復力を上げるようにもしてあるし、敏捷も少しだけ上がる」
なんだその便利道具は? 魔法主体の相手だったら殆ど無敵に近いぞ。
「刺繍だけは我慢して。僕は入れたかったんだけど……やっぱり、ね」
「いえ。ありがとうございます」
無能が校章を背負ったら周囲に叩く材料を提供するようなものだからな。寧ろ無地で助かった。
俺がマントを羽織うと、いよいよ魔界への侵攻が始まった。タテキに指示された通り、部屋の奥の扉を開けて昇降機に乗り、地下へと向かう。
十一人の生徒が地下へと向かい、静まり返った学校長室でタテキは執務机を激しく殴った。
「無い脳で勝手に物事を考えおって……。子供は大人の言う事だけ聞いていれば良いというのが分からんのか! 勅命とかいう能力も、あの愚図には効かんし……」
不信感を隠そうともしない、あるいは何も信じていない目を思い出し、タテキは再度執務机を殴った。
「やはり魔法だ能力だと得体の知れんものがある世界に、いつまでもおられん! さっさと黄金のリンゴとやらで元の世界に帰り、俺様を殺したあのゴミに地獄を見せてやらねばならん!」
現代の最期を思い出し、執務机の上に乗った拳を震わせる。
「だが、ただ帰るだけでは俺様のプライドが許さん。何も成さずに帰るなど、逃げるのと同じだ。俺様が存在した世界に、俺様の名が残らないなど……あってはならん!」
三度、学校長室にけたたましい打撃音が鳴ったが、彼の怒りも野望も聞き入れる者はいなかった。




