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喰い潰された白紙の世界  作者: 一丸一
第三章【学び舎の異世界生活】
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第百三十九話:研究所の記憶

投稿遅れ大変失礼いたしました。

 そこは爪の人に脅されたよりもずっと何も無い場所だった。確かに四六時中、窓の無い無機質な部屋に閉じ込められ、誰かと雑談することもできないのは退屈で死んじゃいそうだけど……それでも前に居た場所よりはずっと……。

 毎日規則正しく運ばれてくる食事をとり、同時に灰のような粉薬を服用する。

 食事は味気がなくて美味しくなくて、薬の方も特に味はしない。これで薬だけ苦かったり変な味がしたら文句言ってたよ。

 後は起床時と就寝時に健診を受けるだけの、時間を持て余す生活。

 本でも貰えれば暇つぶしできたのに、ここの人は余計なことはしたがらないみたい。見張りの人や健診のお医者さんに話しかけても「用が無いなら話しかけるな」ばっかりだし……いつまでもここにいたら気が滅入っちゃうよ。




 何も無い生活が一週間過ぎると、別の部屋に移動させられた。別の部屋と言っても、間取りも内装も変わりない、相変わらず無機質で寝床だけが用意された部屋。

 唯一違う事があるとすれば……聞こえるの、悲鳴が。

 男の人だったり女の人だったり、大人だったり子供だったり、バラバラだけど間違いなく人の悲鳴が時折耳に届く。

 狂騒の中、蘇るのは爪の人の言葉。


「あそこは……お前にとってのあの世だ」


 何が起きてるの? 何が起こるの? もう怖いのも痛いのも嫌だよ……。

 部屋を移動した初日はベッドの隅で蹲るだけだった。けれど、不安で揺れる精神が浮かび上がらせるのは、同類の感情を刺激する記憶だった。屋敷にいた頃の記憶が蘇る度に激しく首を振って払拭しようとするが、自身の内から湧き出るものは完全に拭い去れない。

 強い憂慮を抱えたままの体は食べ物を受け付けず、与えられた食事を初めて残した。試験薬と言われ、飲み続けてきた薬も喉を通る気はしなかったので、食器を回収しに来た職員に謝ろうと思っていた。だが、訪れたのは激しい罵声と暴力。これまで設備と同様に無機質な対応を取って来た人間が豹変したのだ。


「気分が悪い? ふざけるな! 我々は貴様の機嫌取りの為に働いているのではない! 貴様にはもはやこの世に居場所はない。それなのに我々に歯向かうのか!? 命を助けてやってる我々に!? 言う事を聞けないなら家畜の餌にでもしてやる!」


 躾などではなく、相手を傷付けるためだけに振るわれる拳は、目的通り少女の細い体を傷付ける。

 痛い、痛い! やめて! ごめんなさい、ごめんなさい! もうご飯もお薬も残さないから許して!


 恐怖と痛みに涙を流し、必死に許しを請うが、怒り狂った職員は止まらない。最後には乱暴に髪を掴まれ、開いた口に無理やり粉薬を流し込まれた。

 水分もなく含んだ粉薬にむせ返りそうになるが、両手を口に当てて必死に耐える。が、体の反射によって引き起こされる現象を完全に止めることは出来なかった。咳き込み、口内に残っていた粉薬を吐き出してしまう。その時の職員の表情など、恐ろしくて見上げることは出来なかった。咳が混じって綺麗に発せぬ声で必死に謝る。


 また怒鳴られる。また殴られる。嫌……嫌……。

 職員の様子など見なくとも、怒りの気配は嫌でも感じる。地べたを這いつくばるように体を丸め、暴力から耐えようとした時だった。


「おい、やりすぎだ。お前が壊してどうする」


 部屋の外から別の職員が声を掛けた。少女が声の主を確認すると、開いたドアの向こうでは健診を担当してくれていた医者が立っていた。


「……失礼しました」


 吐き捨てるように言うと、職員は足早に部屋を去って行き、代わりに医者が部屋に入って来た。

 助かった? 助けてくれた?

 これまで何か話しかけても全く興味を示さなかった医者が手を差し伸べてくれたことに動揺しながらも、脅威が去ったことに安堵せずにはいられなかった。


「大丈夫かい? 怪我をしているね、手当てしよう」


 いつぶりか分からない優しい声に少女の涙腺は緩みかけて……固まった。

 抱き起した医者の目からは、濫りがわしさが滲み出ていた。前に居た屋敷で毎日のように向けられた視線を、少女の体が忘れる筈が無かった。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…………! やっと……やっと解放されたと思ったのに、またなの!? もう嫌だよ……助けてよ……!

 どれだけ拒絶を示そうと、外部との関わりを隔てた施設の中で少女に味方する者はいなかった。




 無機質な部屋で乱暴な一週間が過ぎると、また部屋の移動が行われた。

 今度の部屋は高い所がガラス張りの窓になっているが、相変わらず外の景色は見えない。当然だ。その窓は室内の者が何かを眺めるための物ではなく、室外にいる者が中の者を観察するための物なのだから。

 内装が変われど、憔悴した少女が何か感想を抱くことはない。部屋の中央に置かれた施術台には拘束具が付いており、無抵抗の少女の体をきつく縛り付けた。


 爪の人の言う通りだった。私にはとっくに生きる自由なんてない。誰かのいい様に扱われるだけの存在。…………こんなことなら、もっとちゃんと助けてって言えば良かったな……。

 後悔するのは一瞬だけであった。あの時、大声で助けを求めることができない状況だったのは誰よりも少女自身が知っていることだったのだから。

 霞んだ意識の中、ふと蘇るのは深い青の月の下で出会った彼の姿だった。明かりが無ければ闇に溶けてしまいそうな真っ黒な髪。何もかもを疑ってそうな、諦めてそうな目つきだが、瞳は真相を隠そうと濃い黒に色付いている。

 彼の姿や声が明確に思い出され欠けた時、右腕から走った激痛が全てを破壊していく。出会った人、空気の匂い、景色の色、少女の人格。何もかもが乱雑に壊れ、土砂のように崩れて体から抜け落ちていく。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!!

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!


 抜けたものを補うかのように、体を内側から溶かす勢いで熱い何かが噴出していた。

 定まらぬ視界、走る激痛、体を内側から溶かされる感覚。


 やめて! やめて! 私が何をしたの!? どうして私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないの!? どうして!?


 反抗する少女は突然呼吸を奪われる。息をする度に空気とは別の何かが体内に侵入し、体内を満たす。

 定まらぬ視界、走る激痛、体を内側から溶かされる感覚、侵入した何かに臓器を破裂させられる感覚。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 謝ります! 謝りますから、もう許して! 許してください!


 どれだけ生きる気力を失おうと、生物である以上は死の恐怖から逃れられない。自身の死を悟った少女は必至に許しを請う。けれど、少女をあざ笑うかの様に室内にいる者、室外から覗く者は喜々とした視線で見下ろしていた。

 視線一つ一つが研ぎ澄まされた刃となり、少女の体を外側から無造作に切り裂いていく。

 定まらぬ視界、走る激痛、体を内側から溶かされる感覚、侵入した何かに臓器を破裂させられる感覚、見えぬ刃に全身を切り刻まれる感覚。


 …………たす……けて……。


 苦痛に耐えかねた少女の意識はついに途絶え、脱力した体だけが施術台に残される。その体を職員の一人が触診し、天を突く様に拳を突きあげた途端、室内外から惜しみない歓声と拍手が沸き起こった。






————————


「っ!!」


 魔法学校女子寮の最上階。校章持ちライザクレストの特権として与えられた個室でプリムラは目を覚ました。胸は激しく上下し、暑くもないのに全身には嫌な汗が張り付いている。何か夢を見ていた気はするが、直前の内容すらも思い出せない。

 脳が覚醒するのを待ってベッドから下り、寝間着を剥ぎ取って浴室へと向かう。汗を掻いたからというのも勿論だが、体に纏わりついた得も言われぬ不快な気配を洗い流したいのが一番だった。


「……気持ち悪い」


 呟きは、応じる者のいない部屋で朝の空気に溶けていった。






――――――


 魔法学校生活二日目、朝会が終わると昨日話があった通り、訓練場に移動して戦闘能力を確認されることになった。


 俺が組んでいる四人組カルテットについては、昨日の放課後リゲルから聞いた話だと全体的に攻撃魔法寄りで、防御魔法を使える者がいない以外はそれなりに優秀らしい。教室にはリゲル以外残っていなかったので、ついでというか、これ幸いというか、女子生徒二人の名前を聞いておいた。ショートカットの方がカミラ・シアー、サイドテールの方がセレスト・バックル。


 アクトと同じバックルという家名は気になるが、良い予感がしないので詮索は控えることを心に誓った。……のだが、控室から訓練場へと続く通路で俺はセレストに胸倉を掴まれて壁に押しやられていた。


「アタシは成績に傷を付ける訳にはいかないの。あんたが無能なのは構わないけど、アタシの足だけは引っ張らないで」


 鬼気迫るセレストに対し茶化す気も、反抗する気もない。少し行き過ぎな気はするが、真面目に魔法を学びに来た人間なら当然の態度だ。


「心配性だなぁ。昨日も言ったけど、ボクらは四人組カルテットなんだ。個人の優劣よりも、四人組カルテットとして結果を残せば文句は言われないよ。そしてこの四人組カルテットにはボクがいる。完璧じゃないか!」


 途中から何を言ってるか分からなくなったが、俺が役立たずでも残り三人で目標を達成すれば問題ないってことだ。寧ろ俺を援護したとして評価が加点されるかもしれない。

 荒んだ感情は理屈や言葉で落ち着きはしないのだろう。セレストは俺を解放しつつも忌々しそうに睨んでいた。

 昨日といい、今日といい、なんか荒々しい目に遭うな。力ある者は慕われ、力なき者は床や壁に押し付けられて罵りを受けると、分かりやすい。

 確かに俺が使える魔法は【エクスプロレーション】だけだが、実戦形式ということで武器が貸与された。リゲルとセレストは何も借りなかったが、カミラはダガーを、俺は両刃剣とダガーを一本ずつ借りた。片刃剣が無かったけど、べつにこだわりが有るわけでもないので気にしない。刃の長さで見れば片手剣の分類だが、何の加工もされていないので重量は平均程度にある。しかし、両手持ちにも対応した柄の長さなので、片手で重ければ両手で振り回すことにする。それでも振りの速さが足りなければダガーに切り替える算段だ。


「お前ら、お喋りはそこまでにしろ。始まるぞ」


 訓練場に続く扉の前で待機していたカミラが、男らしい口調で注意を促した。リゲルが優男で、俺が無気力で、カミラの声が女性にしては低いことも含めると、四人組カルテットの中で一番格好いいと言っても過言ではない。声だけじゃなくて動作もピシッとしているし、イケメンって意味じゃなくて言葉通り格好いいと思う。スタイルいいし。


『あー、お前ら聞こえるか? 扉が開いたならいつでも訓練場に入っていいぞ。好きに戦ってくれて構わないが、条件を満たすまで続けるからな。条件を満たしたらこっちから連絡する。以上』


 訓練施設は控室から訓練場と観戦室に分かれていて、俺たち以外の生徒と先生は観戦室にいる。観戦室と言いつつ、訓練場の地形や出現する疑似魔物を調整できる管理室でもある。

 初回ということもあって、出現する疑似魔物は武器無しのゴブリンで、同時出現は四体までと知らされている。訓練達成条件は、四人組カルテット全員が魔法を一種類以上使用し、ゴブリンを一体以上撃破するといった簡単なものだ。

 訓練を実施する順番は席順で決めようということになり、見事に俺たちが先陣を切ることになったが、自己紹介だとか、座学の問題を解かされるよりはずっと楽なので不満はない。敵もゴブリンだし、俺がどれだけ魔法初心者であっても苦戦はしないと思う。

 扉が開き切ると同時に、俺たちは訓練場へと駆け出した。



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