第百三十八話:愚図の価値
放課後の廊下を目的地も知らずに歩く。前を歩くプリムラのセーラーカラーには黒いラインが入っていて、炎にも水にも、はたまた光にも見える校章が金糸で刺繍されていた。
カイルさんから聞いた情報通りなら、プリムラが首都に来たのは今から一か月前くらいだ。たった一か月でこの巨大な魔法学校の最上位の地位に就いたというのは考えづらいが、以前、研究所にいたということを踏まえると、何か特殊な力を持っていた? もしくは与えられた?
普段なら無言の時間は苦ではないけれど、ここに来た目的の人物を目の前にして、しかも二人で居るのに黙っている訳にはいかない。
「あの、プリムラさん、聞いてもいいですか?」
「……なに?」
「一か月くらい前まで、クロッスにいませんでしたか?」
「……いた」
記憶はあるのか。あんまりにも雰囲気が変わってたから記憶喪失の可能性も考えていたけど、どうやら違うみたいだな。けど、どうする? 「俺のこと覚えてる?」とか「助けに来た」なんて直線的に言うのは気持ち悪い。そもそも、覚えていたら向こうの方からも何か言って来るだろうし……。
「ここでの生活はどうですか?」
「どうって?」
「楽しいとか面白いとか、退屈だとか辛いとかです」
「知らない」
知らないって…………俺も同じ質問されたら「さあ?」とか答えるから文句は言えないな。しかし、番犬の件があるから何もしない訳にもいかない。立場的にそう気安くに会える関係でもないし、この場で少しでも未来を変えるための手掛かりを見つけないと……。
「乗って」
「え? ああ、はい」
渡り廊下を通って枢要棟に来たまでは覚えていたが、考え事をしていたので目の前の状況把握が遅れてしまった。
プリムラに言われるがまま、エントランスホールの壁側に設けられた扉の無い小部屋に入る。地面には複雑な魔方陣が描かれており、プリムラが壁の魔法水晶に触れると出入口が柵で閉じられ、体には微かな浮遊感が訪れた。
どこに連れて行かれるのか少しばかり気になるが、それよりも……。
プリムラの横顔を一瞥してから上着の内ポケットに手を入れ、薄いピンク色のハンカチを取り出す。いつ出会っても返せるように持って来ておいて良かった。
「これ、返します」
「……」
視線だけハンカチに向けたプリムラの眉が僅かに上がった……気がした。その直後、昇降機が目的の階に着いたことで停止し、柵が開いた。
「……来て」
ハンカチを取らず、プリムラは昇降機から出て通路を歩いて行く。
反応はした……よな。どうして受け取らなかったんだ?
疑問は残るがプリムラはさっさと前に進んで行ってしまうので、仕方なくハンカチを仕舞って背中を追った。
「四元の席、プリムラ・デュランタ。レイホ・シスイを連れて来ました」
「ご苦労、入れ」
野太い声の返事を待って、プリムラは豪勢な装飾が成された両開きの扉を開けた。
室内も扉の装飾に負けず劣らずの豪勢さで、転移前も後も平民な俺には毒にしか感じない。なので、できるだけ周囲を意識しないようにし、正面を真っ直ぐに見据える。魔法学校を一望できるガラス張りの壁に背を向け、綺麗な執務机に着いているのは学校長だ。呼ばれた理由に心当たりは……ある。というか、たった今色々と察しが付いた。
「前に行って」
閉まった扉の前に立つプリムラに促され、学校長の前まで歩いて行く。椅子に座っていても相変わらず愛想の無い横柄な態度だな……人のこと言えないか。
「面倒な挨拶は抜きにしよう。レイホ・シスイ、貴様は何故自分が魔法学校に合格し、ここに呼ばれたか自覚しているか?」
「魔界が関係しているというのは察しています」
調査か侵攻か、冒険者ギルドと揉めているぐらいだからな。俺を入学させて、適当な言い訳を作って魔界へ侵攻しようって魂胆なんだろ。偽名を使えば良かったかもしれないが、それだと間違いなく不合格になっていたし、結果的には俺も魔法学校側の事情を利用したことになる。
俺の回答に満足したのだろう。学校長は椅子を回転させて窓の外へと体を向けた。
「ふん。腑抜けた顔をしているが、分かっているなら話は早い。魔界侵攻部隊を魔界に案内しろ」
話が早過ぎだろ。
「残念ながら、魔界に行ったのは偶然です。自発的に行くことは出来ません」
「ちっ、愚図が。出来る出来ないではなくて、やれと言ってるんだ」
面倒臭いな。けど「出来ません」で納得して諦めるような人柄ではないのは一目で分かっていたんだ。今のやり取りは俺に非があったな。
「…………」
部隊のこととか、いつ行くのかとか、どうして侵攻したいのか、聞きたいことはあるけど、聞いたら「質問できる立場だと思っているのか?」とか言われそうなので疑問を飲み込む。
「何を黙っている。魔界に行くこと以外に貴様の価値などないんだぞ」
また断ったり、案内に失敗したりしたら退学させられるんだろうな。それは俺としても困るが……魔界に行ったら…………。
後ろにいるであろうプリムラの姿と、番犬の姿が脳裏にチラつく。
「ちっ、おい!」
返答に困っていると、苛立ちをそのまま語気に変えて俺の後方へと投げ、そして俺の背中に殴られたような衝撃が返ってきた。
「っ!」
よろめきながら後ろを向くと、こちらに向かって右手を伸ばしているプリムラの姿が目に映った。魔法を放たれたのだろう。
突然のことで大きく体勢が崩れてしまい、倒れないように執務机に手を着くと、プリムラが飛んで来て俺の手を執務机から引き剥がして組み伏せた。
「がっ、げほ!」
うつ伏せに倒された時に胸を打ち、咳き込む。首を捻ってプリムラを見ると、感情の無い顔で俺を見下ろしているのが見えたが、直後に振って来た影に視界もろとも顔を踏み付けられる。
「自分の価値も分からんようだから特別に教えてやる。貴様は、俺様を元の世界に帰す為に動けばいいんだ! 黄金のリンゴだか何だか知らんが、そいつを持ってくるか育て方を聞いて来れば手間が省けたものを! どうしようもない愚図め!」
身動きが取れない状態で罵声と共に顔を踏み躙られる。
罵声は気にならない。俺が万人受けする人間じゃないのは知っているし、俺のことを気に入らない個人のからの感想として受け取るだけだ。だらしない脂肪が纏わりついた体で圧を掛けられ、痛みと圧迫感はあるが、俺の協力が必要ならこのまま踏み潰すようなことはしないだろう。下手に怒りを逆撫でしなければ殺されることはない。
俺のことはいいとして、だ。こんな横暴な奴が長である場所にプリムラを置いておく訳にはいかないよな。ここから離れた後は……故郷にでも帰して、家族でも友達でも恋人でも好きな人と平和に暮らせばいい。故郷がなかったり、親しい人がいなかったりしたら…………いや、ないだろ。
「おい! 返事はどうした!」
踏んでいた足を上げたと思ったら顔面を蹴り込まれた。
「いっ……!」
流石に痛い。だけど、悩みは晴れた。
「リンゴが欲しいなら、先にそう言ってくれればいいのに……。侵攻なんて言うから怖気づいたじゃないですか」
多分、他に目的があるんだろうから侵攻したいのだろうが、それを探るのは今じゃなくてもいいか。
「案内します」
「そうだ。初めっからそう言えばいいんだ!」
最後にひと踏みすると学校長は席に戻り、プリムラの拘束が緩んだのを感じた。
体はあちこち痛むが、倒れたまま唸ろうものなら何を言われるか分かったもんじゃない。立ち上がると、窓の外を眺めている学校長の薄い頭髪が椅子の背もたれから覗いていた。
「……それで、いつ頃向かうんですか?」
「魔物狩りに出ている校章持ちが帰って来てからだ。それまでは適当に学校生活でも満喫していろ」
「分かりました」
「ならさっさと出て行け。貴様の顔を見ていると苛立って仕方ない」
こっち見てないじゃないか。
俺のことが気に食わないのは勝手だが、苛立ちやすいのは精神に何かしら異常があるんじゃないか? こいつの精神や体がどうなろうと知ったことじゃないけど。
「それでは失礼します」
見られていないことをいいことに、頭も下げずに校長室を後にする。プリムラの横を通り過ぎる時、チラっと目を向けたが、俺のことなんて見向きもしていなかった。
通路を歩いて行き、昇降機を使ってエントランスホールに下りると、通行の妨げになる場所で人だかりができていた。
興味ないし関わりたくないので大袈裟に避けて渡り廊下へ向かって歩くが、耳に入って来る音は防ぎようがない。どうやら邪魔な人だかりは校章持ちのヴォイドを囲って出来たもののようで、ヴォイドは言葉こそ困ったような事を言っていたが、声音は浮かれていた。
敏感になっている顔の痛覚に声が響くので、早足にエントランスホールを後にした。
次回投稿予定は3月12日0時です。




