第百三十五話:入学初日の擾乱
寮の部屋は現代で言うところのホテルの様に小綺麗であったが、二段ベッドと勉強机が二つあって、四人それぞれの荷物もあると結構手狭に感じた。遊びに来ているのではないし、ちゃんとした寝床さえ貰えれば文句はない。
ルームメイトの三人は……何というか、交友よりも各々の勉強に集中したい系の人達で、拍子抜けするほど無害だった。口数が多い訳ではないが不愛想という訳でもなく、挨拶や質問をすればその都度反応してくれる。俺が帯剣していたからか、初めましての時は少し警戒されていたが、気安くされるよりずっといい。
寮のご飯はなんと無料で、日前七時と日中九時にそれぞれ一時間ほど提供される。時間を過ぎてしまった場合はどこか店で調達する必要が出て来てしまうので、出来る限りご飯の時間は守りたいと思った。
 
そして制服……端的に言うと想像していたのと違った。
パッと見は黒いブレザーで、現代では学ランしか着てこなかったから新鮮な気分になったが、広げてみると白いセーラーカラーが付いているではないか。白いシャツと黒いスラックスは特筆すべきことはないのだったが、上着だけ妙な形状をしていた。ルームメイトに確認しても男物で間違いないというか、上着のデザインは男女共通だからサイズさえ合えば問題ないそうだ。
思いがけない事態に困惑してしまったが、セーラー服って元々水夫が着ていたもんだし、魔法学校指定の学生服なんだから俺が着ても問題ないと自分に言い聞かせて納得させた。
セーラーカラーに入っているラインの色は黄色で、この色は学年や所属している科によって分けられている。一学年は総合魔法科しかないから黄色一色のみだ。
 
そして入学試験に合格して三日後。
霹靂の月の第六週目という随分と中途半端な時期に俺は魔法学校に入学する。
学校指定の学生鞄を手にし、大きな襟を鬱陶しく思いながら、何度も教室が間違っていないか札を確認する。
 
「いちのきゅう」
 
口を良く動かして札を読み上げる。うん、間違いない。あー……なんだろ、上手くやる気はないんだけど緊張するなぁ。
早めに来たというのに、中からは既にいくつかの話し声が聞こえる。
びびってたって仕方ない。他の新入生が来てちょっと気まずい感じになってしまう前に入ってしまおう。大丈夫。他人は自分が思っているほど他人に興味は無いんだ。
魔物に戦いを挑む時のように気を引き締め、全身に程よい……少し強い緊張を巡らせて教室の戸を開く。強すぎず、弱すぎず……あ!
引き戸なのは知っていたが、予想よりも軽かった。危うく衝突音を鳴らす所だったが、寸での所で俺の握力が漲った。
ちょっと勢いよく開けちゃったけど、大丈夫だよな。教室にいるのは全員新入生なんだし、誰かが入って来たから自然と視線を向けただけだよな。
 
誰にも目を合わせないように、かつ迅速に教室の状況を確認する。俺から見て右側に教壇と黒板があるので、左側に視線を集中させる。教室の大半を占めている生徒の席は幅の広い階段状になっており、席に合わせて固定されている長机は四人分くらいか。階段の中央は通路になっているので、机は階段を挟んで左右に二つ並んでおり、それが四列ある。ひと組三十二人が定員だが、既に席の半数は埋まっている。
前後左右誰とも隣り合わない席は無いな……。加えて外側の席や後ろの席も取られている。外側の席で残っているのは入口から一番近い席——出席番号があるなら一番が座るべき場所。何かと指名される可能性の高い危険地帯なのは皆分かっているようだな。内側は人が頻繁に通る事を考えると、積極的には座りに行けない。長机が固定されているから前後よりも左右を重視し、かつ現在の配置で最も他人との接触が避けられる場所となると……そこか!
 
戦闘時を越える速度で頭が回転し、現状でベストの席を割り出した俺が座った席は……最前列の入口から二番目に近い席。後ろに生徒はいるが、左右はフリー。内側に一人、女子生徒が座っているが、一人分の席を空ければ別世界の住人だ。しかも最前列ならば自分から後ろを向かない限り誰とも目が合う事はない。偶然目が合ったって理由で絡まれたら面倒この上ない。
入口から数歩しか猶予のないこの席を迷うことなく選べた俺に心の中で拍手を送ろう。
 
最前列だから指名される危険性は高いが、教壇から見て左から二番目の俺を初めに選ぶのは何度か授業を受けた時か、教員が偏屈でもない限り考え難い。だがしかし、例え指名されても臆するな。ここは学校。間違うこと、学ぶことを恐れるな。分からないことを分かるようにし、不明点をどう聞き、どう調べるかを学ぶ所が学校だ。下手に知識が無い分、俺は清々しく「分かりません」と言えるだろう。…………少しは勉強しような。
周りの音を遮断して脳内一人座談会を繰り広げていると、いつの間にか席はほとんど埋まっていた。俺の左側に男子生徒が座ったが、右側はまだ空いている。
 
そして入学式まで残り五分となった時、教室の戸がゆっくりと開き、少しくたびれた礼装を着た男が欠伸をしながら現れた。
 
「ふぁ~。お前ら、そろそろ校長が来るからちゃんとしとけよー」
 
緩さと緊張が混ざった教室内の空気が困惑の色に染まるのを感じた。恐らく大半の者が「ちゃんとしとけと言う自分こそちゃんとしろよ」と思った事だろう。
入学式の司会をするために来たようには見えないが……まさかあの男が俺たちの担任なのか? 規律、規則、志と煩いよりは遥かにマシか。
……俺の隣りは相変わらず空席だが、まさか……。
解散した脳内一人座談会は再開できず、隣りと黒板の上に掛けられた時計の針を何度も見直す。
遅刻したのか消えたのか知らないし、どっちだろうが当人の勝手だ。だけど俺の隣りが空いたままなのはよろしくない。否が応でも目立ってしまう。
 
心の中で「来てくれ」と願いながら一分、二分と経過していき、遂に始業の鐘が鳴った。
マジか……。
俺が顔を引きつらせ、教壇に立っている教員が不審そうにこちらを見た瞬間、教室の後方から戸が開く音が飛んで来た。
 
「ハーッハッハ! リゲル・ホリングワース、鐘の音と共に参上だ! 入学したばかりで右も左も分からないだろうが、今日のところはボクの名前だけでも覚えていってくれ!」
教室中どころか廊下の方にも反響する大声と共に現れたのは、腰まで伸ばされた綺麗な銀髪を結い、尻尾のように揺らした男子生徒だった。余談だが、伸ばしているのは後ろ髪の一部だけで、結えられている髪の毛は全体の毛量に比べてかなり細い。
中世的な顔立ちに髪型や白菫色の瞳が相まって、外見だけなら美しくもミステリアスな雰囲気なのに、言動が破天荒とは……。
「入学初日からふざけた真似をするな」
声こそ荒げないが、重く沈むような教員の声音にはその心中が顕著に現れていた。
「安心してください。明日からは、この組の誰よりも早く席に着きます」
教員の声によって教室内の空気に緊張が走ったが、リゲルは愛嬌のある笑みを浮かべながら階段をおり、空いていた席--俺の隣りへと座った。
あぁ……これはそう遠くない未来、絶対絡まれるな。
俺の中の何かが諦めてしまったからか、教員が「めんどくせぇ」と呟いたのを、耳で捉えることは出来ても脳で処理するには至れなかった。
「とりあえず全員揃ったってことで、先に名乗っとく。俺がお前らの担任になるチャド・バーリス。適性は水。教育方針としては、生徒の自主性に任せる感じだ。禁止事項は俺に面倒を持ち込むこと。以上」
バーリス先生は怠そうな態度を隠しもせずに自己紹介を終えた。
栄えある魔法学校に入学し、これから高い目標や夢に向かって邁進しようと考えていた生徒にとって、教育がこのようないい加減な態度を取るのは看過できないだろう。名家の出とか、意識高い奴が意見するんじゃないかと憂慮していたが、運良くそれは訪れなかった。教室の戸を叩く音が鳴ったからだ。
バーリス先生はこれまでの怠さはどこえやら、きびきびとした動きで戸を開けると、相手の機嫌を取るように声音を一段上げ、訪れた者を迎え入れた。
恰幅が良く、薄い頭髪、不満そうに曲がった口元をした中年男性が教室に入って来る。これまでの話しや流れからして、あの男が学校長なのだろう。想像していたよりも若い、くらいしか今のところ前向きな印象は抱けない。
学校長に続いて、俺たちと同じ制服を着た少年と……!!
最後に入室してきた少女を目にした瞬間、心臓が一度だけ大きく鳴って時が止まった。大きく見開かれた瞳に映る少女の姿は、俺の記憶にあるものとは違っていたが、直感的に彼女だと理解できた。
色素の薄い金髪は肩に触れない程度まで切られ、全体的に外へ流れるようになっている。黒い制服とのコントラスト差によって、透き通るような白い肌は病弱そうに見えるが、足取りは確かで、顔もしっかりと前を向いている。
学校長が教壇に上り、教卓へ体重を預けるように前のめりに立つと、一歩下がった両脇に少年と少女が立つ。
正面を向いたことで顔をはっきりと視認できる。小さな顔の中でぱっちりと開かれた大きな碧眼、小さく整った鼻、薄く控えめな唇。愛想の欠片も感じられない無表情であっても、誰もが一度は彼女の造形美に目を奪われることだろう。
例え髪型が変わっていても、雰囲気が違っていても、俺には彼女がプリムラであると確信した。
 




