第百三十話:追い込み
【エイム】習得に尽力し始めて三日。魔物との戦闘時は当然ながら、町中で練習をする際もホップに教わったことを意識して投擲を繰り返したところ、スキルの発動確率はおよそ五分といったところまでに成長した。これが早いのか遅いのかはどうでもいいとして、首都に行く前に時間を掛け過ぎているのは間違いない。なので猛特訓……と言えるかは定かではないが、少しばかり負荷を増やす事にした。
久しぶりとなる東の魔窟に、俺は一人でやって来た。防具として着ているのは戦闘用に仕立て直した私服ではなく、これまた久しぶりとなる革の防具だ。俺の考えている戦いが起きたなら防具がボロになることは必至だが、ハードレザーなら致命傷は防いでくれるだろう。
強力な魔物が現れ難い東の魔窟とは言え、一人で別行動をすると言った時は皆不安そうにしていて、コデマリからはお叱りの言葉も受けた。けど、俺は自分や周囲が思っている以上に怠慢で覚えも悪いから、何かを覚えるには多少無理と思われるぐらい追い込まないといけない……筈だった。
一人で複数の魔物を相手にすることが分かっているというのに、俺の心に不安は無く、寧ろ落ち着いていた。どうしてか。それは一人でいることに他ならない。【死の恐怖】で家に一人でいることはあったが、当然ながら他の町民はいるわけで、会って話すわけでも何か迷惑を受けるわけでなくとも生活音等は発生する。生活音に苛立つような性格じゃないけれど、静まり返った魔窟内と比べれば賑やかであるのは間違いない。
静謐が広がる空間で一人にいる。これ以上に心が安らぐ時があるか! あー……なんだか帰りたくなくなって来たな……っと、本気に近い冗談を言っている場合じゃない。暗い横穴から羽音が近付いて来ている。音からして恐らくインプだろうが、他に魔物は……耳を澄ませても分からない。やっぱり探知系の魔法は覚えておきたいな。
「ピィ!」
「ピィィ!」
現れたインプは四体。全員武器は持っていないが、一体だけ短い角が一本生えている。他は見た目に違いは無い。
獲物が一人だからか、普段のように距離を取って魔法主体での攻撃ではなく、爪や尻尾を攻撃的に構えて四体一斉に飛び掛かって来た。しかし、インプがどう出ようと俺がやるべきことは一つ。腰のシースからスローイングダガーを抜き取り、右目に神経を集中させる。【エイム】の発動は……しない! 視覚は問題ないけど、まだ頭が戦闘に集中し切れていない。
迫り来るインプに対して地面を転がってやり過ごすが、すれ違い様に伸ばされた尻尾で体を殴打される。
痛いが、動くのに支障はない。素早く立ち上がり、旋回するインプの一体目掛けてスローイングダガーを構える。【エイム】が発動すれば視界に照準が現れ、敵との間に線が見える筈だが……また見えない。昨日は二回に一回は見えたのに……邪魔している要因はなんだ?
疲労、無い。
恐怖、無い。
不安、少し出て来た。
焦り、それなり。
思考、良好。
体の調子は悪くない。落ち着け、呼吸を整えて相手の動きを見ろ。
旋回して来たインプがまたもや近接攻撃を仕掛けて来る。今度は下に潜り込まれないよう、低空飛行でだ。
【エイム】は一旦中断。跳び越えられるか? いや、尻尾で絡められる可能性がある。体は小さくとも四体が横並びになっていると、助走も無しに横へ跳んでも躱せるかどうか怪しい。考えている間に距離を詰められ、逃げ出す余裕も無くなったなら……腰を落とし、小太刀の柄を掴む。長さは心許ないが、居合斬りをするならば適切な反りのある小太刀の方が扱いやすい。二、三発の攻撃は食らうだろうが、頭にさえ食らわなければ死にはしない。集中するのは距離感と敵の攻撃がどこに来るか。
迎え撃たれると悟ったインプは、左右への回避が制限されている内側の二体が僅かに減速。その瞬間、俺の右目に照準が映る。小太刀からでた細い線が、左から二番目のインプへ繋がっている。
「そこだ!」
照準や線が見えた瞬間に体は動いていた。迫るインプへ臆することなく踏み込んで抜刀。上昇して避けようとしたインプの首を刎ねたが、両端を跳んでいたインプの爪が太ももと脇腹を切り付けてきた。
「痛っ!」
痛みはあるが、防具が破られた感覚も出血した感覚もない。内側を飛んでいたもう一体、角付きは上昇して……。
「ピィッ!」
【ファイア・バレット】か……。受けようか一瞬の躊躇いがあったが、前に跳んで回避する。
パーティの皆には言っていないが、欲深い俺が一人で東の魔窟に来たのは【エイム】の発動を確実にするためだけではなく、【インバリッド】習得の手掛かりを掴むためでもある。魔法を打ち消すスキルのコツを掴むには、当然だが魔法に立ち向かう必要がある。魔物の魔法に立ち向かうなんて言ったらコデマリが癇癪を起すのは間違いないし、他の三人も止めに入るか無理矢理にでも同行して来ただろう。魔法に立ち向かうならコデマリ辺りに頼んで【マジックショット】でも撃ってもらえばいいのだろうが、俺が自分で理解している通りの人間ならば、千発や万発受けたところで【インバリッド】について欠片も理解できないだろう。
俺が頭でごちゃごちゃ考える癖に直感的にしか物事を感じ取れない人間ならば、考える余裕のない実戦の中でコツを感じ取るのが手っ取り早い。そんな意見を話したところで、どうせ理解できる人間は少ない。俺が言っていることはつまり、練習していないことを本番で試そうということなんだから、常識的に考えて馬鹿げている。だけど常識とはなんだ。大衆が当然持っているとされる、肯定的な知識や認識? それがなんだって言うんだ。大衆なんてのは個人の集合体でしかないし、個人の知識や認識なんてのは、その個人が生きて来た世界で得た経験と結果でしかない。嫌いなんだ……常識や普通ってことばで他人を理解できないと否定し、意思を認めない奴が……。だから俺は一人でいい。俺の意思は俺だけの物だ。仲間なんていらない。
……だけど分かってる。「どうせ」だとか「だろう」で他人を決め付けている俺も、自分の常識に縛られている哀れな人間だ。人の意思を疑い、言葉を否定してきた愚かな人間だ。それでも、今の自分を否定してしまったら俺は…………一体誰になれるって言うんだ。
「グギャギャ!」
「グギャ!」
「ピィピィ!」
「ピィ!」
考え込んでいる内に戦況は大分変わってたみたいだ。
初めのインプ四体のうち三体を倒し、一体が撤退したと思ったら、洞窟の奥から増援を呼んで来たようだ。広間には合計でゴブリン五体にインプ三体。
頬から流れる血を拭い、右手に持った疾斬を握り直し、左手のスローイングダガーを空中に放ってから掴み直す。
…………どうせならインプが多く来てくれれば良かったのに。
無意識に現れた照準が捉えた線を辿るようにスローイングダガーを投擲し、眉間に刃を突き立てられたゴブリンは短い悲鳴を上げて倒れた。
仲間がやられたことで激したゴブリンが、不格好な棍棒を振り被って一斉に突撃して来る。インプは支援の為に魔法を発動するようだった。
【エイム】の練習をするにしても【インバリッド】のコツを掴むにしても敵が多い。先ずはゴブリンを蹴散らそう。
ズボンのポケットから煙幕薬を取り出し、ゴブリン達の行く手を防ぐように投げ付けると、たちまち灰色の煙が立ち込めた。
ゴブリンたちの困惑した声を聞きながら煙の中に突進し、見える影を手当たり次第に斬り付ける。この場には俺以外に人間がいないのだから、躊躇う必要は微塵もない。
能力値が低いと言っても、ゴブリン程度なら急所に当たれば一撃、急所でなくても二、三撃で倒せるくらいには成長しているので、広い洞窟内に煙が充満して薄くなる頃にはゴブリンの死体が四つ転がっていた。初めにスローイングダガーで倒した個体も含めれば五体。ゴブリンは全滅だ。
「ピィ!」
「ピィ!」
煙の中に立つ俺の姿を捉えたインプが【バレット】を放った。属性は土と風だ。
「ちょうどいい!」
迫る二発の【バレット】に対し、疾斬を一文字に薙ぐ。
「ぐぅっ!!」
都合よく【インバリッド】が発動するわけもなく。【バレット】は疾斬を素通りして俺の体に直撃した。二発同時に加え、土属性の特性である衝撃増加によって、体勢は大きく崩れて思わず片膝を着いてしまう。
「ピィッ!」
これしかないタイミングで角付きが【バレット】を放ち、俺は避ける事も疾斬を振るう事もできず火に包まれた。
熱い熱い熱い……!
地面を転がっても魔法の火が治まることはないが、一分にも満たない時間の後、音もなく消失する。けれどインプの攻撃が終わった訳ではない。火が消えたタイミングを見計らい、爪を立てて一斉に飛び掛かって来る。
熱いのか痛いのか分からない体に鞭を打ち、疾斬と脚を振り回してインプを威嚇しながらどうにか立ち上がる。
くっそ……やっぱり火は駄目だろ……。角付きをやってしまうか? いや、リーダー格がやられたとなれば他の二体はびびって逃げてしまう可能性がある。少しきついが、このままでいこう。 …………少し、か……まだ余裕があるな。もっと集中しろ。もっと危機感に緊張しろ。俺は一人だ。俺は自由だ。俺よ……俺の意のまま動け!
「な、ななな……なんて恰好で帰って来るのよぉ!!」
すっかり日が暮れた頃にクロッスに帰ると、同じく帰って来たペンタイリスの皆と偶然出会ってしまい、コデマリの怒声が大通り一帯に響き渡った。シオンは口を手で押さえ、アクトとエイレスは目を見開いている。
皆にそんな反応をさせた俺の恰好と言えば、上は革の切れ端みたいな物が纏わり付いているだけで、ほとんど裸だ。下は穴だらけで片足だけ半ズボンみたいになっている。怪我は回復薬で治してあるが、焦げた防具の所為で煤まみれだ。
戦闘に夢中で遅くなってしまったので、皆の方が先に帰っていることも叱られることも予想していたが、まさかこんな所で会うとはな……。
「……ごめん」
「バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!」
強い語気に反して殴ってくる拳は軽い……けど顔は本気で怒ってる。不思議な奴だな。しかし、夜で人通りが減ったとは言え、こんな大通りの真ん中で騒がれるのは居心地が良くない。
「アニキ、大丈夫なんスか!? オレ、おぶりやス!」
「ああ、怪我は治ってるから大丈夫だ」
「本当?」
「本当だ。お前たちも無事そうで何よりだ。そろそろ帰りたいからシオン、コデマリを何とかしてくれないか?」
「あたいも気分的にはコデマリよりなんだけど……」
小声で愚痴りながらも暴れるコデマリを引きはがしてくれる。
騒ぎを聞いて駆け付けた兵士や野次馬たちに、冒険者のいつもの馬鹿騒ぎだと笑われながら、俺たちは帰路についた。
結局【インバリッド】はまぐれでも発動しなかったし、手掛かりみたいなものも全く分からなかった。一日でどうこうできるとは思ってないが、こんな有様じゃ二度と一人で魔窟になんて行かせてもらえないだろうな……。
次回投稿予定は2月28日0時です。
参考までに。
現在のエイレス(銅等級星三)の能力値。()内は銅等級星三の推奨値。
体力:523(340)
魔力:0(60)
技力:44(50)
筋力:29(33)
敏捷:29(33)
技巧:16(23)
器用:49(35)
知力:0(24)
精神力:129(90)
アビリティ
団体行動、守勢の徒、膠漆之心、守備者の心得
補足
【膠漆之心】
意味:固い絆で結ばれている友情の例え。
本作での効果:パーティ内に同アビリティを所持している者がいる場合に発動。敏捷・器用・精神力が少し上昇する。相方の体力が半分以下になった場合、更に筋力と技巧が上昇する。




