第十二話:逃走者
徐々に荒くなる息遣いと苦しくなる胸にストレスを感じながらも、足を動かす速度は緩めない。
いつもの東の森を北へ南へ、東へ西へ、つまりは出鱈目に走りまくる。何も体力作りに走り込んでいるわけではない。俺の背後からは緑の小人——名をゴブリンと言う魔物が「グギャグギャ」叫びながら追って来る。それも一体じゃない。走り回っている間に一体、また一体と増えていき、今は四体に追い掛け回されている。ゴブリン達は棍棒を持っているのが二体、短剣と小斧がそれぞれ一体ずついる。
ゴブリンは弱い。弱いが、今の俺の手に負える魔物ではない。今回の依頼を受けるに当たって、ギルドの資料室で魔物について調べた時に、討伐推奨等級が銅等級星一になっていた。魔物の中では足も遅く、力も弱いが、武器の扱いと群れでの戦いには慣れている。幸いにも足の速さは俺の方に分があるので、包囲されることなく逃げ続けられているが、このまま逃げていてはいつまでも依頼を達成できない。
今回の依頼、エリンさんから提案されたのは採取ではなく討伐。鉄等級に上がるには、依頼を五回達成すれば良いのだが、採取と討伐は最低一回ずつ達成する必要がある。昨日の時点で依頼は三回達成しているが、全て採取だ。依頼を五回達成しても、採取だけなら昇級はできない。なのでエリンさんは、そろそろ討伐にも手を出すよう勧めてくれたのだ。無論、討伐対象はゴブリンではない。ワタマロと呼ばれる、昨日見た白い毛玉のような魔物の討伐だ。
ワタマロ。討伐推奨等級すら指定されていない程の弱小魔物だ。外はふわふわ、中はぷにぷにの、生物なのかすら怪しい魔物で、マナが生み出された時に生じたダマとも考えられている。刃物で斬るか突くと簡単に倒せるが、皮膚に取りつかれると体力を吸われ続けて最終的には行動不能にされてしまう。
討伐目標は三体。森の中を歩いている内に向こうからやって来たので、二体は初突を突き刺して倒せた。小指の爪程の透明な魔石を落したので、回収してズボンのポケットに入れてある。
三体目のワタマロを見つけるまでは良かった。しかし、風に飛ばされて行ったワタマロを追い掛けたら剣持ちのゴブリンに見つかり……現在も続いている逃走劇が始まった。
あー……いい加減諦めてくれないかな。進行方向に障害物が少ない事を確認してから、視線を後ろに向ける。
「グギャギャ!」
しつこいな。どこかに身を隠してやりすごさないとずっと追いかけて来る。けど、どこに隠れる? 身を隠せそうな木や茂みはいくらかあるが、やり過ごせるだろうか。いや、怖いな。回り込まれたら簡単に見つかってしまうだろう。
「はぁ、はぁ……」
息が乱れ、流石に体力の限界も近づいてきた。
ゴブリンは威嚇のために鳴き声を上げたり、木の枝を折るのに武器を振り回したりしているのに体力あるな。
仲間がいれば二手に分かれたり、連携して戦ったりできるのだろうか。そんな考えが脳裏を過ぎるが、頭を振って忘れる。いないものに頼ってどうする。一人で依頼を受けてきたのは自分の意思だ。寧ろ一人だからこそ好き勝手に逃げられていると、前向きに考えよう。
そもそも、追われてんのにごちゃごちゃ考えんな。
自分で自分を叱って目の前に意識を集中させると、思わず足を止めそうになった。
円状に生えた木に囲まれるようにして、赤茶色の傘が付いた人型が四体集まっていたのだ。
マタンゴには良い思い出がない。だが、足を止めるわけにはいかない。今足を止めたら確実に動けなくなる。
囲いになっている木の外側を沿うようにして走り抜ける。マタンゴは俺の存在に気付いたが、追ってくる気配はない。追おうとしたが、やめたといった方が正しいかもしれない。
「ギャ!」
「グギャ!」
マタンゴに見逃してもらえたことに安堵しながら走っていると、ゴブリン達の叫び声と共に何か打ち付ける音が聞こえてきた。
身を隠しながら振り返ると、草葉が視界を遮ってよく見えないが、ゴブリンとマタンゴが戦っているようだった。戦況はゴブリンがかなり優勢で、あっという間にマタンゴは倒されていく。マズい、今の内に距離を離しておくべきだった。
「はぁ……はぁ……」
急に止まったからか、息切れは激しくなり強烈な疲労感が押し寄せてきた。できることなら少し休んで体力を回復させたい。口に手を当てて息を押さえ、ゴブリン達の様子を伺う。マタンゴはもう全員倒されたが、お陰でゴブリンは俺を見失っていた。周囲を見渡して何か話し合っている。
止まらない汗は気持ち悪いし、漏れる呼吸音は煩い。早く楽になりたい……とっとと諦めてくれ。
俺の願いが届いたのか、ゴブリン達は二手に分かれて俺のいる方向とはまるで別の方向に歩いて行った。
「はぁ~……」
盛大に溜め息を吐くと、体の力が抜けて座り込む。自由に息ができるって素晴らしい。
木の幹を背にして息を整えていると、頭上に何か柔らかいものが降って来た。
「えい」
突き出した初突からぷにっとした感触が伝わると、ワタマロは力無く地面に落ちて音もなく消失した。透明な魔石を拾って懐に仕舞う。走っている内に落としていないか心配だったが、これまで回収した魔石はきちんと残っており、今手に入れた物を合わせて三つになった。
「依頼、達成」
ゴブリンに見つかる災難はあったが、ワタマロの討伐は簡単だった。簡単すぎた。達成報酬が六ゼースなのも納得だ。今回の依頼はゼースではなく、等級を上げるのに必要な依頼と割り切っているが、金に困っているのも事実だ。帰り道に薬草を採取して、タバサさんに買い取ってもらうか。あぁ、でも天気予報の兼ね合いもあるし、買い取ってもらいに行くのは明日にしておくか。
水筒の水を飲みながら休憩して、町に戻ってからの予定を考えるが、肝心の町がどの方角にあるかはまったく分からなかった。
「方位磁石みたいなの売ってたら買おうかな」
毎回毎回、道に迷っていたら面倒だ。もし町と逆方向に進んで魔物に襲われたら最悪の事態になりかねない。自分の命を守る為にも必要な道具なら、金に余裕がなくても買っておくべきだ。
時計、特に腕時計は高級品でしばらく手が出せそうになかったが、果たして方位磁石はいくらだろうか。そもそもあるかどうか分からない物だから、存在していなかったらどうしよう。発明して金儲けするか。この世界に磁気があるかも不明だから難しいか。
とぼけたことを考える余裕も出て来たので、立ち上がって町を探すことにする。走ってきた道を引き返すとゴブリンに出くわしそうだし、とばっちりを受けて倒されたマタンゴを見るのも抵抗があったので、進行方向はそのままに歩き出した。
「ん?」
足を踏み出そうとするが、何かに引っ掛かっている感覚があった。足元を見ると、木の蔓のような物が右足に絡まっていた。手で払おうとするが、蔓は足首に張り付いて離れない。
「なんだこれ」
知らない植物だ。両手を使って無理矢理引き剥がすと、今度は両手に張り付いた。
「動いてる?」
よく見ると、蔓は微かに鼓動していた。この世界特有の生物なのか魔物なのか知らないが、両手に張り付かれたら邪魔で仕方がない。へし折ってやろうとしたが、中々手強かったので、木の枝に引っ掛けて力尽くで折り曲げると、パキッと音を立てて蔓は真っ二つに折れた。中から赤い液体を流しながら手から剥がれ落ちる。
微かな痛みを感じて手の平を見ると、針で刺した時のように血が出ていた。吸血蔓かよ。
気味の悪い生き物もいるものだと思いつつ、痛みや体の不調はないので、改めて町を目指して歩き始めた。
大いに道に迷いながらも、どうにか町まで帰って来られた。道中、棍棒ゴブリンに見つかって不意打ちを食らった左腕は痛むが、それ以外は怪我らしい怪我はしていない。
クロッスに着いてから真っ直ぐ冒険者ギルドに向かう。すっかり陽が沈んで、街灯に照らされている南門通りを進んで左に曲がると、ギルドの建物が見える。
今日は一段と疲れたな。ギルドから溢れている灯りを見た途端に体が重くなった。だが、精神的には落ち着いている。
ギルドの扉を開けると、広間には大勢の冒険者が訪れており、パーティ毎に机に着いていた。受付に向かうまでの僅かな間、耳だけを冒険者の会話に傾ける。今日の依頼について真面目に反省会をしている者もいれば、楽観して明日を迎えようとする者もいる。仲間が負傷したのか、死んだのか、悔恨の声を漏らす者もいた。
受付に着いて受け付けのお姉さんに依頼の報告をしたいと話すと、お姉さんは俺に待つように言い、エリンさんを呼びに行った。時計は日後の二時近い。いつもならエリンさんは帰っている時間だが、まだ残っているのか。……いつもって言えるほど長い付き合いじゃなかったな。
ワタマロの魔石を受付台の上に置いて待っていると、いつもの形の良い笑顔を浮かべたエリンさんがやって来る。
「レイホ! よかった、遅いから心配したわよ」
「ゴブリンに追い掛け回されて、道に迷ってました」
「あー、あいつら結構しつこいから……大変だったでしょ。怪我はしてない?」
「棍棒で殴られましたところが少し痛みますが、他は平気です」
左腕の二の腕辺りを擦りながら答える。大きく腫れているわけでもないし、寝て起きたら痛みは引いているだろう。
「痛み止めとか回復薬は持ってる? 持っているなら使った方がいいわよ。小さな怪我でも、どこで影響が出るかわからないもの」
「はい、後で使っておきます」
正直なところ傷薬が勿体ない気もしたが、怪我した時に使わなかったらいつ使うか分からないし、腕に少し塗ったくらいで使い切るわけでもない。エリンさんの言う通り、些細な怪我でも注意していこう。
「うん。それじゃあ依頼の報告は確かに確認したから、報酬を受け取って」
ワタマロの魔石が三つあることを確認したエリンさんは、小銅貨を六枚乗せた小さな盆を俺の前に置いた。あれだけ走り回って六ゼースか。わかっていたことだが、現実として見るとかなりしょぼい稼ぎだ。
「これで、あとは一回依頼を達成すれば鉄等級に上がれるわ。明日が楽しみね!」
俺の心境を察してか、エリンさんは明るい笑顔を向けてくれる。鉄に上がったら何か良い事があるのか。等級が上がるだけで、俺の能力値が伸びたり、スキルやアビリティを覚えたりするわけではないので、今とそんなに変わらないと思う。けれど、エリンさんの気遣いを無視するのは良心が痛むので、表情を緩めて返事をした。




