第百二十四話:決意
2020/03/02 カイルが去り際にプリムラの情報を伝える展開を追加しました。
下流区の市街から外れた平地。漂う静謐な空気に沿う様にして、平地一面に並んでいる石板は規則正しい間隔を開けている。上部が弧を描く形となった石板は地面に立てられ、正面に刻まれた文字は、そこに眠る者の名が記されていた。
タバサ・ハートフィールド ここに眠る
周囲と比べて随分と綺麗な墓石を前に、俺は佇んでいた。墓石と同じく真新しい花束は、つい先ほど俺たちが手向けたものだ。タバサさんの死を確認してから葬儀を終えるまで、ペンタイリスの皆には手伝い含めて付き合ってもらっていたが、今しがた解散したところだ。
昨日、事件が起きた上流区へ向かおうとしたところ階段の前で兵士に止められたが、被害者の知り合いであることを話すと、身元確認や引き取り人として都合が良かったのか、殺人現場に連れて行かれて血に濡れたタバサさんの遺体を確認した。クロッスに親類がいないこともあって、遺体は兵団の方で処理しようかと話しが出ていたそうだが、俺から引き取ることを申し出た。葬儀の手続きなんて元の世界でもやったことはないし、ましてや文化も世界も違う土地だけれど、なんとなくあの時は大人しく他人に任せる気になれなかった。
慣れない手続きではあったが、兵士や教会で説明を聞いてどうにか葬儀を上げることができた。とは言っても、タバサさんの方で身辺整理はほとんど終わらせており、葬儀に掛かる費用も準備されていた。俺がやったことと言えば、住居の解約や葬儀を上げるのに必要な書類への署名くらいだ。
ブランクドでも火葬が主流だったけれど、こっちは骨まで灰に変え、その灰を小さな壺に入れて墓の下に入れた。骨だけ残っていたら変わり果てた姿を見るのが苦しかっただろうが、灰だけになった姿を見た時は言葉にし難い心憂いが込み上げた。
どうせなら家族と同じ墓に入れてあげたかったけど、タバサさんの故郷、アンデュの町はクロッスから半月以上も離れた土地にある。それに、教会の人間から「この世では離れた地で眠ろうと、死者の魂はあの世で在るべき場所に還るのです」と言い聞かされた。骨も残さず灰にするのは、この世に形を残してしまうとあの世で魂が動くのを阻害してしまうからだとかなんだとか。
普段は聖職者の言葉なんて信じず、神様だって敬わない俺が都合のいい時だけ教えを信じるっていうのは虫のいい話でしかないが、タバサさんはどうか、あの世では無事に家族の元に還り、自分自身を許していてほしいと願う。
「参ったな……信心深くなる人の気持ちが分かる気がするよ」
涙こそ流れないが、表情に力が入らない。両手で顔を隠す様に頬を上げてみるが、すぐに力無く落ちてしまう。
「……死ぬために……死ぬことを目標にして生きるって、どんな気持ちだったんだ。俺がマナ結晶を持ち帰った時、どんな気持ちだったんだ」
思い出そうとしても、喜んでいたような表情がぼんやりと浮かんで来るだけで明確には思い出せない。漠然と生きて来た自分が腹立たしく思えるけど、俺がもしタバサさんの真意に気付いたとしてどうするんだ? 止められたのか? 止めてどうするんだ? 彼女はずっと抱えて来た苦しみを精算するために、この結末を望んでいたんだ。それを俺がどうできるって言うんだ。
言葉に意味なんてない。そう言えるのは、お互いが生きているから。死んでしまっては意味のない言葉すら交わせない。思っていることを勘繰ることも、期待することもできない。
「くっ……」
墓前であることも忘れ、自分を殴り付けようかと拳を握った時だった。俺を呼ぶ声が聞こえて来た。
「おや、兄さんだったのか」
声の主を見ると、いつも店頭で見せる人懐っこい笑みを浮かべたカイルさんがこちらに向かって歩いて来ていた。その手には薄い黄色をした花束が握られている。
「薬屋の姉さんが亡くなったって聞いてね。身寄りがないって聞いてたし、商人仲間ってことで花でもと思って来たんだが……もう十分飾られてんね」
「折角なので上げて行ってください。多くて困る物でもないでしょうし」
「そうかい。じゃあ、失礼して」
花を添えたカイルさんは、しゃがんだまま墓石を見つめていた。この二人、何か繋がりがあるのだろうか。片や薬屋、片や預かり屋、互いに互いの店を利用していてもおかしくはないけど……。
「兄さんが送ってくれたのかい?」
「あ、はい」
「そうか。んなら良かった。送ってくれる人がいたなら、姉さんも無事にあの世ってとこに着けてるだろうさ」
立ち上がったカイルさんは俺と並んで墓石を見下ろす。
何か聞くべきだろうか。けど、事件のことを聞いても、幽明界を異にする襲爪の仕業ってくらいしか分からないだろうな。二人の関係は……聞いてどうするんだ?
「こんな時になんだけど、折角会ったから話しとくな」
「はい?」
「おれっち、もう少ししたらこの町を出るんだ」
「え? 故郷にでも帰るんですか?」
「うーん……仕事の都合かな」
仕事って預かり屋の? あの仕事に異動なんてあるのか。物だけじゃなく金も預かるんだから、管理能力や信頼が大きく問われる仕事だ。もしかしたら首都辺りに本社があって、そこから各町に派遣されている感じなのか?
「ここを離れたらもう会う事はないと思うけど……今までありがとうな」
「いえ、こちらこそ。助かりました」
思えばカイルさんにも随分とお世話になったな。体一つでこの世界に来て、住む場所もない時は荷物を全部預かり屋に預けて引き出して、雑談交じりに町の情報を教えてもらって……。カイルさんの性格柄、俺だけに特別ってわけでもないだろうし、こういう気さくな人がいなくなるのは町として寂しくなるな。
「そんでな、兄さんにとってはこっからが重要な話。前に調べていたプリムラって女の子の件なんだけどな」
「何か分かったんですか?」
「あー……期待させて悪いけど、居場所がはっきりと分かったわけじゃないんだ。ただ、先月の中頃、首都に向かう竜車の中にそれらしい女の子を見たって話を聞いたんだ」
先月の中頃って、俺が魔界からクロッスに帰ってきたくらいか? どうして首都に? プリムラの意思ではないとして、一体誰が裏にいる? プリムラは何に巻き込まれている?
答えは出ないと分かっていても考え込んでしまう俺の肩にカイルさんが手を置いたことで、意識は現実に引き戻された。
「首都って言っても広いからなぁ。もっと情報がないと探し出すのは難しいし、そもそも本当に兄さんが探している娘だったかも確かじゃない。……大して役に立てなくて悪いな」
「いえ、少しでも手掛かりが欲しい状態ですので、ありがとうございます」
「そうかい。……さてと、人の墓の前で随分と話し込んじまった。おれっちはそろそろ行くぜ」
「はい。本当に色々とお世話になりました」
「そういや、プリムラって娘、パストン家の事件の後は研究所に引き取られてたって話も聞いたっけ」
独り言のように言うと、カイルさんは振り返らずに「達者でな」と手を振って去って行った。それを見送った後、俺は懐からタバサさんの封筒を取り出した。
タバサさんと初めて会った時、未来を知ったところでどうもしないと答えたが、今回ばかりは未来を見る力ってやつに頼らせてもらおうと思う。都合のいい奴と思われようが、べつに未来を見ないなんて誓いを立ててる訳でもないから知ったことじゃない。
正直なところ、未来の書かれた便箋を開くことに迷いはあった。俺が未来を知ったことで未来が変わる可能性はもちろんだが、もし絶望的な未来が書かれていたとしたら……俺はきっと周囲に気を遣わせるような態度を取ってしまう。だけどついさっき、カイルさんからプリムラと思わしき少女の目撃情報を聞かされて、本人かどうかは別としても、今も生きている可能性を考えたら未来を知らずにはいられない。
「プリムラのお陰で、随分と無い頭を悩まされたんだ。こうなったらお望み通り助けて、この平凡以下の俺を頼った理由を問い詰めてやるからな」
死んでいたら理由の一つも聞けやしない。生きている内なら嘘でも本当でも、言葉を交わすことができる。
遺書と別けて入れられていた便箋を取り出すと、そこに書かれていたのは……
『こちらをお開きになったということは、プリムラさんにお会いに行かれるということですね。
私情になりますが、レイホさんがこの紙を開いてくださってホッとしております。わたくしが見た未来は、あまりにも悲しいものでしたから。
余計な前置き失礼いたしました。
本題のプリムラさんの居場所、それは首都ウィズダムの魔法学校です。彼女は魔法学校の中でも特別な生徒として扱われており、外部からの接触は非常に困難となります。
わたくしが見た未来では、レイホさんはプリムラさんが魔法学校にいることに気付けず、激しい戦乱の中で偶然の再開を果たします。ですが、レイホさんの声は彼女に届かず、レイホさんにとって大切な人、ソラクロさんを失ってしまうのです。
なぜ、どうして、と問いたくなるお気持ちでしょう。詳細をここに綴ることも可能でした。けれど、お考えください。わたくしが見た未来は、レイホさんがプリムラさんに辿り着けなかった場合の話に過ぎません。レイホさんならばきっと囚われたプリムラさんを助け出し、ソラクロさんも守ることができます。
わたくしはこれから先、お手伝いすることは叶いませんが、レイホさんならば必ずや幸福な未来を掴むことを、わたくしの見た未来を覆してくれることを祈っております』
まさかここであいつの名前が出るなんてな……。しかもこのまま何もしなければ、あいつを失うって……とんでもない未来だな。
状況も経緯も想像できず、期限も分からない。結末だけを知って、どう変化させるか、何を変化させるか、いつ変化させるか、中身のことは全部俺次第、だが……
「ふっ……」
やるべきことは決まった。行く場所は決まった。なら後は進むだけだ。
「最後の最後まで、タバサさんにはお世話になりました。後はゆっくりお休みください」
便箋をしまい、タバサさんの墓石へ深く頭を下げた後、俺はある場所へ向かう為に足を動かした。
人は生きている間しか言葉を交わせない。その言葉が嘘だろうと、意味が無かろうと、口から出た言葉はこの世に生まれた真実だ。だから、プリムラが俺に「助けて」と言った言葉、あれにどんな意味が込められていたとしても、俺は俺が聞いた真実を信じてプリムラを助けてみせる。
最期に話しができていれば、なんて、そう何度もしたい後悔じゃないからな。




