第百二十話:何言ってんの?
元仲間に命を狙われ、絶望の淵に居ながらも体は死ぬことを受け入れなかった。思いがけぬ救援に戸惑いながらも足を動かし、洋館の階段を駆け下りて扉の外へ飛び出した。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「はぁ……はぁ……」
逃げ切った訳ではない。それでも二人の体力と精神力は限界だった。屋外に出たことで無意識に区切りを付けてしまい、膝に手を付いて酸素を求めた。そんな二人の耳は、どんな囁き声よりも明確に銀の鎧が鳴らす音を聞き取っていた。
ブルーノもシモンも何も言わない。疲労や酸素不足が原因ではない。襲われた現場を離れ、走ることを止めたことで、途端に心の整理が付いたのだ。クラースは自分たちを殺しに来る。理由は分からないが間違いなく殺される。
怖い筈なのに、叫びたい筈なのに、二人の脳裏に浮かぶのは夢追いし心友たちとして戦ってきた日々。命を賭して魔物を倒し、体や技を磨き、夕焼けを背に馬鹿笑いをしながらクロッスへと帰った日々。
銀の鎧が直前に迫った時も、二人は穏やかな表情をしていた。その安穏を壊したのは、けたたましい金属音。
「あんたら、死にたくなかったら下がってなさい!」
次いでやってきた幼さの残る高い声は、手の平に乗るくらいの身長で背中に二対の羽を生やした少女——コデマリから発せられた。
状況に付いて行けない二人の間を、低い姿勢で駆け抜けるのは大振りの刀を脇に構えたアクトだ。
振り上げられた大太刀をクラースは鋼鉄の盾で受け止めたが、刃は盾を砕かんと食い込んで来ていた。
「くぅっ!」
クラースは僅かに表情を曇らせて両刃剣を振り下ろす。退いて躱そうとするアクトであったが、盾に食い込んだ刃が抜けない。しかし、迫る刃に臆することなく【ディスグレイス】を発動する。大太刀ごと、盾ごと、クラースの体ごと急速で回り込むことで、攻撃の照準は定まらずに空を裂くだけであった。そのまま体勢を崩せれば一気に畳みかけられたが、流石に戦闘慣れしているクラースはそんな無様な姿を晒さなかった。
回り込んだ勢いもあって大太刀は盾から抜けたが、様子見をする気はない。アクトは直ぐに大太刀を薙ぐが、今度は斜めに構えられた盾に弾かれてしまった。
「クラース! あなたは何の目的でこんなことを!?」
アクトが攻められる前に背後からシオンがショートソードで斬り掛かる。
「失敗した……」
両刃剣で受け、弾き返しながら口に出された言葉に感情は無かった。
「元より不可能だったんだ。死者の魂を操る者に、傀儡が逆らうことなど……」
言葉に乗せられぬ感情を剣戟に乗せ、シオンを攻め立てる。質量も長さも劣っているショートソードだが、小回りが利くこととシオン自身の敏捷と器用を活かして捌く。
「すまないことをした……だがっ!」
「ぐぅ!」
一際重い剣戟でショートソードごと腕を弾き、空いた胴体を蹴り込んだ。蹴りに使った足が地面に着くよりも早く、背後から大太刀が迫っていたがその刃はクラースに届く前に、半透明の防壁【イージス・フィールド】によって防がれてしまう。
「あぁ?」
片眉を上げるアクトの首を斬り落とさんと両刃剣が横に振るわれ、これを【インスパイア】の衝撃で弾き返す。
「レイホを探さなきゃいけないんだ。さっさと倒れろよ」
大太刀で力任せに防壁を叩くが、割れるどころかヒビが入る気配もない。それはコデマリの魔法攻撃でも同様だった。容易に破られぬ防壁で守りを固めながらも、虚を作るような真似はしない。それは背後から突進してきたパイルバンカーを、余裕を持って躱したことが証明していた。
「皆が同じく死者となれば……死んだ後でも、もう一度やり直せるなら!」
クラースの持つ両刃剣が発光する。
「アクト、離れなさい!」
「何言ってんの?」
コデマリの注意を聞かず、アクトもスキルを使用し大太刀を発光させ、両刃剣を迎え撃った。
互いに放った袈裟斬りの【レイド・スラッシュ】が交差した衝撃により足元で粉塵が舞い、ほぼ同時に悲鳴に似た金属音が鳴った。その結果は……。
「がっ……げほぉっ!」
鮮血を飛び散らせ、膝を着くのはアクトだ。その手には小太刀のよりも短くなった斬鉄型鋼鉄太刀・紫雲零式が握られていた。
シオンとコデマリが同時に仲間の名を叫び、助ける為に動く。
「本当に倒そうと考えていた。彼を倒せば僕は死ぬ。それでも、仲間と……夢追いし心友たちとして最後にもう一度戦えたなら……それでいいと思っていた」
迫るパイルバンカーを脱力した体勢で、最小限の動きのみで躱しながら独白する。
「だけど、どうしようもないんだ。死からは……彼の術からは逃れられない。だったらいっそ、皆をこちら側に呼んでしまえば……僕にはもうその道しか……」
「だからさ…………さっきから、何言ってんの?」
コデマリの迅速な回復魔法によって大事には至らなかったアクトだが、回復し切る前にクラースの言葉を遮ったことでコデマリに睨まれる。しかし、その程度で自分を止めるようなことはしない。乱れた呼吸と、激痛でさえも、アクトは止められない。
アクトが話し始めたことでシオンは攻撃の手を緩め、クラースも戦闘行為を止めた。
「死んだら……終わるんだ。この、世から、いなくなるんだ。もう一度なんてない……!」
「当然だ。君はごく当たり前のことを言っている。だけど、あり得てしまうんだ。彼の力なら!」
「ぅっ、はぁ……。そいつがどんな力持ってるか、知らない、けどさ……終わりたくないから……終わらせたくないから……まだ続けたいから、生きるんじゃないの? 死んでも続けられるって、だったら何のために生きてんの? 何のために死ぬの? ねぇ……教えてよ」
治療は終われど血が抜けたことで肌に赤みが足りていないが、それが逆に、瞳から滾々と溢れ出る生を強調していた。
「うっ……」
どうしようもない真っ直ぐな瞳に、クラースはたじろぐ。
「……終わりたかったんなら、おれたちが終わらせるからさ……大人しくしてろよ」
折れた大太刀を杖替わりに立ち上がろうとするが、上手く力が入らない。コデマリは人間体になって肩を貸そうか悩んだが、再び響いた剣戟の音にワンドを構えた。
「つぅっ!」
コデマリが見たのは、横に払われた盾で殴打されるシオンと、正気を失った眼をしたクラースだった。次いで、背筋に凍るような寒気を感じて振り返ると……。
「オォォォォォ……」
「アァァァ……」
「ォアァ……」
「アァァァォォォ……」
いつの間に向かって来ていたのだろうか、グールの大群が洋館の周囲を完全に包囲していた。
「なんで……なんでこんなことになってんのよ!」
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時は少し戻り、ヴァイオレットがエイトからレイホとエイレスの殺害を命じられた後。
薄まる煙幕の先、ヴァイオレットと呼ばれた女は無表情でこちらを見据えるばかりで武器を取り出す素振りを見せないが、その視線には明確な殺意が宿っていた。奥で椅子に座ろうとしている少年に話を聞きたいけど、その機会はこちらが潰してしまったので戦うしかない。敵対しているとはいえ、人と戦うのはこれが初めてだ……やれるのか?
俺の迷いを察知したかのようにヴァイオレットが仕掛けてきた。ただし、狙いは俺ではなく、縛られたエイレスの方だ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
激しい電撃に全身を襲われるが、糸の所為で悶えることも叶わない。悲鳴を上げることしかできないエイレスを救うには糸を切らなければならないが、触れれば俺も感電してしまい、切れたとしてもエイレスまで傷付けてしまう。どうするか……悩んでいる時間はない!
感電覚悟でエイレスに刃を向けるが、迸る火花のお陰でエイレスとヴァイオレットを繋いでいる糸の線が見えた。こちらならばエイレスの体を気にすることはない。
宙に張られた糸に向かって翔剣を振り下ろすが、絶妙なタイミングで糸が弛んで刃を避けた。その影響か知らないが、電撃は止んでいる。それなら!
暗がりに戻った室内で、糸の残像を追って左手を握り込んで引っ張る。手の平で抵抗を感じる。掴んだ!
力の限り糸を引きながら翔剣を振るう。手応えは感じられないが、手の平で感じていた抵抗は無くなったので糸を切ることには成功したのだろう。エイレスの糸を解いてやりたいが……俺はエイレスへ背中を見せることになった。ダガーを抜いたヴァイオレットが低い姿勢で直ぐ傍まで接近して来ていた。
狙いは……足? それとも振り上げて来る? それとも別の……。
加速する思考の中、俺は右腕に集中する。体勢は崩れていない。迎撃に翔剣を振るうことはできる。リーチを活かして先に仕掛けたい気持ちを抑えろ。守りに焦りを感じるな。ギリギリまで相手を見ろ。
ヴァイオレットの体に、僅かに力が入った……気がする。相手の筋肉の動きを見抜ける程、戦闘慣れした目をもってはいない。ただの勘だ。命を刈られまいとする生物の本能が知らせる勘だ。勘に頼ることを恐れるな!
攻撃は足を狙う訳でも、振り上げて来るわけでもなかった。ヴァイオレットの体は一瞬にして俺の視界から消え、背後に回り込んでいた。
屈めていた姿勢を伸ばし、獲物の首筋へダガーを刺し込もうと迫るが、それよりも早く、翔剣の峰がヴァイオレットの脇腹を捉えた。
アクトも使っている【ディスグレイス】というスキルだったから反応できた訳じゃない。糸から電流を流したり、武器がダガーだったりと、正面切って戦うタイプではないように感じた。俺は弱いからダガー相手でも正面から戦ったら負ける。けど、俺の能力値を相手が知っているとは限らない。なら無策同然に正面から突っ込んで来るより、搦め手を使って確実性の高い攻撃を狙う筈だ。そして、狙うならば死角となる背後か頭上。ここからは本当に勘と反射だ。相手が視界から消えた瞬間に回転斬りするように翔剣を振るい、見事に命中した。咄嗟の判断だったので翔剣の刃を向ける暇が無かったし、もし上から攻撃されたら今頃、無防備な脳天にダガーが突き刺さっていたことだろう。
翔剣から伝わる肉の感触に負けずに腕を振り切り、ヴァイオレットは地面を転がるが直ぐに立ち上がってダガーを構える。
勘が的中したとは言え、貧弱な俺の能力値で、よく相手の動きに追い付いて殴り飛ばせたものだ。【死の恐怖】に襲われることもないし、なんだか体が自分の言う事をちゃんと聞いてくれている気がする。
「折角盛り上がってきているんだから、エキストラを使って盛大にしないとね」
室内の隅で椅子に座り、微かに開けた帳の隙間から庭を見下ろすエイトの目は怪しく歪んでおり、室内で行われている戦闘は目の端に映る景色の一部に過ぎなかった。
またあいつは……何を言ってるんだ? あいつを問い質して村で起きている騒動を鎮めさせないといけないが、その為にはヴァイオレットを倒さねばならない。素早い身のこなしで糸と電撃を自在に操る相手。俺の能力値じゃ、十回戦って一回惜しい所までいければ上等だろうが……不思議と恐れは感じない。寧ろ、相手の強さに対し理解が深まる毎に、俺の血潮は高揚感で湧いた。
次回投稿予定は2月2日0時です。




